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舞妓モダン ~ Maiko Beauty [散歩・散走]

はっぴぃはろうぃん・・・どすえ。
というわけで、本日も「きょうのミュージアム巡り」。
大体が、フランス近代音楽との相互作用を識る為に、フランス近代美術を主軸として、それに繋がるフランス古典芸術や「ジャポニスム」の源流でもある浮世絵・日本画などを多く観て来たのですが、今日はちょっと外れて、京都の花街を一層華やかに盛り立てる舞妓さんをテーマとしたエキシビションに参ります・・・どすえ。


京都文化力プロジェクト関連事業として京都文化博物館(ぶんぱく)でお披露目されるのは「画家たちが描いた京都の美しい舞妓たち」。10月06日から11月29日までを会期に催される特別展舞妓モダン Maiko Beauty』。
京都の伝統文化の象徴(シンボル)のようにも扱われ、ある旧い映画の中では「生きた芸術品」と呼ばれた舞妓さん。
京都市内に今も残る六つの花街は、祇園甲部宮川町祇園東上七軒先斗町嶋原で、嶋原を除く五つの地区が京都花街組合連合会に加盟しており、それを称して五花街と呼ばれる。
その始まりは古く、江戸時代とも室町時代とも言われるが、歴史の詳細については分からないことも多いのだとか。当時は俗世と隔離されて、秘めやかで極プライベートな、ある種異世界でもあったのでしょう。
そこで歌舞音曲など各種芸能を披露しながら、宴席のお・も・て・な・し(by 滝クリ)を担う芸者衆は、他所とは区別されて、芸妓(げいぎ・げいこ)と呼ばれ、その修行時代、芸妓さんを目指す少女たちが舞妓(まいこ)さん。
美しく華やかな彼女たちが絵画に描かれるようになったのは意外にも近代、文明開化の夜が明けて明治の御代となってから。
「美人画」が多く製作された「浮世絵」は江戸の文化で、同じ頃の上方方面では土佐派や円山・四条派など多くの絵師が革新を掲げ活躍しながらも「大和絵」や「和画」など伝統絵画から繋がる肉筆画、その画題も歴史画だったり、中国の故事に題を借りたものだったり、仙境に在るという伝説のヒトや高僧の肖像画だったり、花鳥風月、消え入りそうな松林やら、やたらリアルなニワトリやら、寺社の襖や天井に描くのに忙しかったのか、幼子やワンちゃんまでは描いても芸舞妓をモデルとした「美人画」はほぼほぼ皆無。揃いも揃って、(ワタシみたいに?)女性嫌いだったり、(うちみたいに?)奥さんが怖かったりしたのかしら・・・って、そんなことはない?
当時の京都画壇のスポンサーやパトロンは神社仏閣のお偉い方々や公卿連にお武家衆、あるいはどちらかというとお堅い文化人だったのでしょう、多分。
しきたりの多い世界でもあって、半人前のうちは修行に明け暮れないといけない、お客はんの前以外ではええ貌なんか出来しまへんということもあったのでしょうか?

何れにしても、舞妓さんをモデルとした近現代絵画・・・で、『舞妓モダン』。

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今月初めから開催されていたのですが、わざわざハロウィンで賑わう今日の訪いとしたのは、その特別展とともに関連イベントとして催される「京都・五花街の舞妓による踊り鑑賞会」もお目当てとして。
関連イベントは2つあって、ひとつは「特別展『舞妓モダン』記念特集 銀幕の舞妓」と題された、3階フィルム・シアターで上映される「映画鑑賞会」で、もうひとつが6階和室で行われる「踊り鑑賞会」。
1930年代から70年ごろまでに製作されたモノクロ映画も俄然魅力的ではあるのですが、残念ながら、そちらは10月06日から18日までの主に平日のお昼間が上映時間。カタギな勤め人のワタシが行けない時間帯。
その代わり、ステイホーム時にサブスプリクションで同類の映画を探してはヴィデオ鑑賞。予習はバッチリです。
で、「踊り鑑賞会」の方は、「京都・五花街の舞妓による」とタイトルされてはいるのですが、そんなに大勢さんが一度に集っちゃったら「密」にもなれば、フィジカルディスタンシングを維持しながら踊るのはタイヘンという事でもあるのでしょう、5回に分けて、各花街の持ち回り制。
初手を勤めるのが、祇園甲部の綺麗どころ。
今日の祇園甲部を皮切りに、11月01日が宮川町、同月3日が祇園東、7日が上七軒、8日にとりを勤める先斗町
それぞれが2部入替制で、14h00からと15h00から。各回100名限定となる鑑賞会。

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特別展入場券と踊り鑑賞券に、ぶんぱく1階に連なるろうじ店舗で使える、千円分のお食事・お買物券まで付いたセットがあって、なんかGoToナンチャラ的ですごく得した気分。5日全部通っちゃおうかとも考えたのですが、綺麗なおねーさん方に浮気なヤツと思われても困りまっしゃろ。口開けの初日だけで辛抱します(あんまり遊んでばかりいると、口煩い奥様に叱られちゃうし)。

踊り鑑賞会」は14時の方を予約して指定席を得ているので、午前中に「特別展」をのんびりと観て、館内でゆっくりとランチを摂って、午後は芸舞妓さんの京舞を拝見するというプラン。
そうそう、館内の喫茶店ではこの特別展に合わせた和菓子も用意されているとか。それも頂かなくっちゃ♡

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先ずはぶんぱく3~4階の展示室で特別展舞妓モダン』を鑑賞します。

第一章 都をどりの始まり~江戸後期から明治初期~
第二章 花ひらく舞妓図の世界~明治中期から昭和戦前期~
第三章 広がる舞妓イメージ~絵画と文学、複製芸術~
第四章 古都の象徴として~昭和戦後から現代~
と、ほぼほぼ時代に沿った章立てで、舞妓さんをモデルとする「舞妓図」と合わせて、「都をどり」の歴史を辿るような資料や彼女たちの暮らしぶりを捉えたフォトグラフ、さらには公演時の衣装などが並び、どのようにして京都のシンボルとなっていったのかが分かる趣向となっている。

幕末の動乱、戊辰戦争が終結した直後に京都で初めての博覧会が開催されて、その余興として披露されたのが「都をどり」の始まりで、1872(明治5)年に祇園甲部歌舞練場で初演され、今も続く祇をん芸妓舞妓による舞踊公演。
京都の春を彩る公演も今年は新型コロナウイルス感染拡大防止のために中止となり、他の花街の舞踊公演、上七軒の「北野をどり」、宮川町の「京おどり」も取り止めとなり、秋の公演、「温州会(祇園甲部)」、「水明会(先斗町)」、「祇園をどり(祇園東)」などもキャンセルされた。
この特別展や関連イベントは、その寂しさを拭い去り、来年の無事再開を祈りつつ、その間伝統を繋いでいこうというコンセプトなのかしら。そのシンボルを擁して、観光都市・京都に活気を取り戻そうということなのでしょう。

そこに出展、展示されるのが・・・、

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第一章
で紹介されるのは、名所図会の先駆者とされる秋里籬島を筆頭に、浮世絵師の祇園井特、明治の応挙とも呼ばれた円山派(のちに森派)の森寛斎、同じく円山派に連なる幸野楳嶺、京都での洋画の草分けでもある田村宗立、岸派四代の岸竹堂ら江戸期から明治に掛けての京都画壇の先達、巨頭の作品群。
都をどり」の現存する一番古い記録なのでしょうか、昭和6年の公演の様子を写した映像も流れて、音と色が付かないのが物足りなくはあるのですが、華やかで艶やかな様子が窺える。
都をどり」の始まりからとなっているのは、それ以前にも「京都の美人画」は有るには在ったようなのですが、それらは商家のお嬢さんを描いたものなのか、舞妓さんをモデルとしたものなのかが判然としないのだとか。
というのも、舞妓さんの装束、肩上げ袖上げをした裾引大振袖に、幅広の帯をだらりと締めて、前髪しばりにした割れしのぶには花簪ビラ簪、外を歩く時には長い裳裾の褄を摘んで、おこぼと呼ばれる厚底(?)の下駄でカラコロカラコロ。これらは京都のお嬢さんの贅をこらした最先端の晴れ着だったのだとか。
祇園社近くの茶屋でお茶をサーヴする合間に歌舞伎芝居を真似た音曲や踊りを披露していた茶立女をルーツとし、それが酒席へと移るにつれ、組織化されてプロダクション化、各々にご贔屓筋やパトロンが付いて、それから贈られたデコラティヴな、当時のトレンド・ファッションを身に着けるようになったのでしょうね。競い合うように絢爛豪華になって、それが現代まで引き継がれることになって、その派手やかさがアイコン化、トレンドがトラディションになっちゃったのでしょう。
まァ、ねェ、商家のご令嬢が洋装になったからと言って、舞妓さんまでシャネルやクリスチャン・ディオール、舶来物の衣装というのはちょっと想像出来ません。

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田村宗立
が描いた「加代の像」。
それが初出展されたエキシビションではその江良加代嬢をモデルとする作品が3点も並び、加代展の様相となったそうで、当時まだ十三歳の彼女が超絶の美貌と歌舞の才能で多くの画家を虜にしたのが知れる。
日本一の美妓に魅了されたのは芸術家だけでなく、のちに首相となる西園寺公望、桂小五郎改め木戸孝允、初代内閣総理大臣となる伊藤博文らが次々パトロンに名乗りを揚げ、最終的に三井財閥の長、三井源右衛門に落籍され、正妻以上に厚遇されて四男二女をなし、そのうちご息女は皇族にお輿入れ。傾城、傾国で無し、この場合なんと例えるのでしょう。とにかく御一新以降の歴史に大きく関わることになり・・・。
キャプションには各々絵画モデルとなった舞妓さんのポートレイト写真が添えられて、何れも別嬪さん揃い。描きたいという以前に、自分だけのものにしたい、せめてひと時モデルとして側に置いてじっと見詰めていたいと思わせるほどだったのでしょうね。

第二章は、黒田清輝竹内栖鳳寺松国太郎大江良起上村松園堂本印象板倉星光岡本神草木村斯光村上華岳里見勝蔵中村大三郎土田麦僊甲斐庄楠音林司馬北野恒富速水御舟杉本健吉中澤弘光増原宗一上野山清貢、日本画、洋画が犇めき合うように、錚錚たる顔ぶれのオールスターラインナップで、それぞれ画風、筆致の異なる「舞妓図」はまさに百花繚乱。
洋行帰り、主にパリで洋画を研究した画家たちが帰国後に、如何にも日本的な「生きた芸術品」に惹かれて画題にしたというのが面白い。彼女たちが愛らしくて美しいうえに、艶やかな着物に意匠を凝らした装飾品まで備わって描き甲斐があったのでしょう。黒髪と白い肌だけで十分絵になるのでしょうが、日本国内にあっては、まだ裸婦像や洋装スタイルは受け入れられなかったのかもしれません。

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竹内栖鳳
の「アレ夕立に」を観たかったのですが、今日展示されていたのはそれの原寸下絵。
上村松園の「舞妓之図」は見惚れちゃうくらいに見目よくて、岡本神草口紅」や木村斯光もだえ」はレオナール・フジタが描く裸婦像のような乳白色の肌をして、それが黒髪や三度黒の深い色目、差し色となる襦袢の赤と絶妙のコントラストを成して、フレンチ・ロリータの対極にあるようにも見えて、それと同様の妖艶さを秘めているようにも見えて、ウラジミール・ナボコフが創出したハンバート・ハンバートになった気分?! ロリコンでもなければ、性的倒錯者ではない・・・はずなんですけどね。なんか、「舞妓図」を観て、ハンバートがロリータこと12歳のドロレスに魅了されたのが分かったような気になりましたねェ。
今はともかく、前世紀中頃までは六歳の六月六日からお稽古を初めて、ローティーンのうちに花柳界デヴュウ。ここに展示される舞妓の最年少も十二歳なのだという。
ロリータ=ドロレスとの違いは、彼女が天性のニンフェットなら、舞妓さんたちは京言葉や行儀作法から始まって、お茶にお華、歌に舞踊に三味線、鼓、エトセトラ、「人工の限りを尽くし、人間でありながら、非人間的な生物」となった筋金入りのプロフェッショナル。でも、やはり蠱惑的な、ニンフに近しい生き物なのかしらン。

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第三章
に並ぶのは、主に竹久夢二の作品。彼が描いた絵画に加え、彼の絵を装幀とした書籍など。その内容も京都の舞妓さんを扱うものという念の入れよう。
それとともに、同時代の野長瀬晩花小林かいち三木翠山吉川観方の版画作品、黒川翠山が撮影した花街の日常的な風景やその頃に作曲されたのでしょうか、「祇園小唄」の楽譜が展示されているのですが、夢二の描いた表紙や歌詞が書かれた裏表紙を見せるために伏せた状態での展示でスコアが読めません。楽譜じゃなくて、楽譜の表紙ね。
で、今では広く知られるこの楽曲は、もともとマキノ映画のシリーズ物のテーマソングとして作られたのだとか。

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第四章
は、浅野喜市宇田荻邨北沢映月林武伊東深水広田多津小倉遊亀宮本三郎梶原緋佐子鬼頭鍋三郎小松均中村正義、et cetera、エトセトラ。昭和戦後から現代となって、画風もモダンというよりコンテンポラリー。女性が描く「舞妓図」、舞妓さんに魅せられちゃってそれに没頭した画家の作品、さらに「都をどり」のポスター原画、公演時に着用された衣装や装身具、各種の結髪見本なども展示されて、芸舞妓や花街の日常のスナップに古典的なあるいは異端的な画風も混じり、こちらはこちらで千紫万紅。野山の紅葉より艶やかどすえ。なんや知らんけど、「たこやき」食べてはるし。

会期中に展示替えもあって、全部が全部一度に観られるわけではないのですが、それでも万彩、絢爛たる百花斉放。白粉と鬢付油の匂いまで感じられるような気がします。

時代とともに京都・花街の環境も変わらざるを得ないのでしょうが、その中で伝統を継承し、お座敷芸を「都をどり」などのエンターテインメントまで高め、京都の芸能文化の担い手、観光都市京都のシンボルともなった舞妓さん。
組織化プロダクション化という点ではタカラヅカとか、今時のナンチャラ48とか46的なモノとも近くなった?!
前世紀初めまでは2,000人を数えたという舞妓さんも、現在はその1/10程度。六歳の六月六日とはいかず、京都生まれ京都育ちはなおさら稀有な存在。義務教育を終えてから修行に入り、二十歳前後で芸妓に襟変えしちゃうからその期間は短く、いよいよもって希少な絶滅危惧種?
最近はインターネットを通じて募集されているようですし、アイドルとはなり得ても、江良加代のような「人工の限りを尽くし、人間でありながら、非人間的な生物」はもう「舞妓図」の中だけになっちゃうのでしょうねェ。

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さて、お昼時となって、千円分のお食事・お買物券まで頂いているのだから、ろうじ店舗で中食と致しましょう。
ぶんぱくこと京都府京都文化博物館の前身は財団法人古代学協会・平安博物館で、それ以前は日本銀行京都支店であったところ。
銀行の一部はぶんぱくの別館として残り重要文化財に指定されて、現在は別途建てられた本館が博物館。
本館1階に江戸時代末期の京の町家の町並みを再現するのがろうじ店舗で、伝統工芸品や名産品の販売店、お食事処が並び、旧日本銀行の金庫棟はコーヒーショップとなっている。
で、飲食店が並ぶ中、日本料理店はオーヴァースペック、お蕎麦でもいいのだけれど、そのコーヒーショップ、前田珈琲 文博店へ。
というのも、こちらには『舞妓モダン』に合わせた特別メニューが用意されているのだという。舞妓さんのおちょぼ口に合わせたカワイイ和菓子なのだとか。そりゃあ食べておかないと・・・。限定品に弱いからねェ、ワタシ。
スイーツだけというわけにもいかず、何か食べないといけないと思いながら食べられる物があまり無い。で、「ミートのスパゲッティ」。これは極普通。

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綺麗な箱に収められた2種の練り切り。鳥獣戯画をあしらったポットとカップが添えられる。
見た目はなんか春っぽい。お味は、全然甘くなくて、どっちかというと塩味が立ちすぎ。ワタシ、スパイス系の辛さは全然平気なのですが、塩っぱい物は得意じゃない。塩分控えめ。

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とにかくそれだけでお腹いっぱい。腹ごなしにGoToナンチャラで賑わう界隈をブラリと散歩してからぶんぱく6階、「踊り鑑賞会」会場へ。
ワタシがチケットを得たのは13h45開場、14h00開演の分で、そのあと15h00開演の回もあって、多分同じ催しではあるのでしょう。
和室の畳の上にビニールが敷かれ、それに椅子が並び、今時のことですから着席出来るのはひとつ飛ばしに、限定100名で全席指定。
別段ステージはなく、壁際には六扇の金屏風が二隻で一双を成した型通りの設え。その前に赤いお座布がひとつ。
男性スタッフの紹介を受けて控えの間からご入場されるのは大振袖の立方(たちかた)がお二方、付け下げをお召しになって三味線を携えた地方(じかた)のお姐さんがお一方。
綺麗どころお三方と演目の紹介があったのだけど、ワタシの壊れた耳では聞き取れず、舞妓さん二人は名前の刷られた千社札を貰ったのでそれと知れ、楽曲の方は歌詞と節で何か分かったのですが、地方芸妓さんのお名前がァ・・・??
とにかくご披露されるのは、京舞井上流の「六段くずし」と「祇園小唄」。
立方は、店出し一年目の佳つ梅さんと、ちょっとお姉さんな三年目の佳つ笑さん。どちらも可愛らしくて初々しくて、フレンチ・ロリータ好みから鞍替えしちゃいそう・・・ですが、考えてみればお二人ともうちの息子さんよりお若い・・・はず。鼻の下を伸ばしてハンバート・ハンバートになっていたら、奥様からグウ・パンチを頂戴するに違いない。

襟を正して・・・。

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京舞
やそれに添えられる謡曲は、歌舞伎や能楽からトランスクリプションされたものが多く、お座敷サイズにアレンジメントされて、同じタイトルであっても五花街でそれぞれ歌詞が違い振り付けも異なる。
踊りの方も能の所作から翻案された振り付けで、ごく静謐な動きを基本として、踊りというよりは舞いに近く、振りになるのでしょうか、上方舞京舞として祇園甲部の専売特許。先達て『大阪クラシック』で拝見した「能&クラシック」での能舞がまだ記憶にあって、さらには、最近ちょくちょく拝見するジャワ・ガムランのダンスに似た部分も感じられて、となるとそのルーツは何処かと探りたくなっちゃう。
六段くずし」は八橋検校が作曲したとされる筝曲「六段の調」を崩した・・・端唄にアレンジメントした作品で、筝独奏の器楽曲に歌詞が付けられて振りが当てられた合わせ物。
祇園小唄」は特別展で観たように映画のサウンドトラックから祇をんのテーマ曲(?)に転用された楽曲。
支子色と桜色、華やいだ立方の愛らしい舞いに目を奪われがちなのですが、若緑を纏って地方を担うお姐さんの三味線弾き語りも朗々と、時折り入る左手のトリルが何気にカッコイイこと。
双方合わせて、眼福、耳福。

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二曲とも短くて、どうも段取りが悪かったのか、時間を随分持て余し、残った時間は質疑応答と写真撮影会。
芸妓のお姐さんが舞妓二人を紹介かたがた、髪型、化粧、装束の違いをご解説。
割れしのぶ」と「おふく(ふくわげ)」に結い分けた髪には小菊を象った十月の花簪。おぼこさを演出するように、年少さんはカラフルでデコラティヴ、僅かな差ではあっても年長さんは色数も減って、やや落ち着いた風情。目元に引いた朱は同じでも、口紅の差し方が異なって、半襟に使う色目でもキャリアが判る仕掛け。
綺麗にやつした外見的美しさ、舞妓さんの「人工美」に対して地方のお姐さんは鬘も付けず髷も結わず、簪、笄も無くて、着物もずっとしんなりしっぽりとしてシック。芸を磨いて、内面的な品格からの美しさということになるのでしょう。”class”あるいは”classe”が変わるということになるのでしょうが、ニホンゴではどう言うの? “品位”?
何気無い立居振る舞い、座る姿勢にもそれが現れて、「どす、どすえ」の京言葉もイイ感じ。我が家に居る方や職場の女子連のドスドスのし歩くのとは大違い。見習ってほしいもので、ええ。

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ワタシ的には芸舞妓さんのファッション・チェックを続けて頂きたかったのですが、質疑は二人の出身地や好きな食べ物などなど極プライベートな方向へ。
ファッションと言えば、髪飾りや着物、帯も高価なら、一番は帯の前に付くぽっちりだそうで、転びそうになった際には顔ではなくぽっちりを庇えと教えられるほど貴重で高価であるらしい。仮面ライダーの変身ベルトみたいなんだけど、宝石、貴石が散りばめられて、命より尊いということ?
二百年の伝統を受け継ぐ芸舞妓さんも希少となりましたが、着物や帯、簪、ぽっちり、そうした装身具はそれ以前から伝わる京都の伝統工芸品。「生きた芸術品」が纏うクラフトワーク(craft work)に、歌舞音曲も加わって、相乗効果でアートワーク(art work)となり、芸術的価値を高め合う。パリコレのオートクチュールなんて眼じゃないほど豪奢な佇まい。
それがために、近現代の洋画家たちもモデルを裸にひん剥いて「ヌード(裸婦像)」とはせず、せいぜいが袖口、身八つ口から白くて細い腕(かいな)を露出させるに留め、ある種記号化された「舞妓図」という独自のジャンルが確立したのでしょうね。
おぼこにやつしながらも時に裸婦像より妖艶にも見えて、所作や風情の中に品位が備わって、それをどう捉えてどう表現するか、芸術家が熱心になったのがちょっと分かった気になりました。ハンバート的嗜好より崇高で聖的。
聖的なイコン(聖画像)と性的な美人画、あるいは裸婦像、その両性を併せ持つアイドル、京都ならではの「美人画」が「舞妓図」なのかなァっと(個人的意見です)。
先達て京都国立博物館で拝見した聖地、「西国三十三所 観音信仰」が都を囲む西国に祈りと安寧平穏、救済を齎らすためのシステムなら、芸舞妓さんたちは京都に癒しと華やぎを齎らし、シンボルとして伝統を相伝するための機構でもあるのでしょうね。
その辺りを検証、フィールドワークのために毎晩祇園に通いたい(あくまで学術的興味ですってば)!?

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