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松園さんと(ちょっと)ドラえもん?! [散歩・散走]

梅雨が明けて土用。
一年越し、あるいは予備段階から障りの続いたオリンピックも年遅れで開幕。さほど興味も無いのだけれど、無事に日程を終えてくれることを祈るばかり。
そのために祝日まで移動させて、世間は4連休だと浮かれているけれど、ワタシ(ら)はそうも休んでいられなくて、それでもわずかな休暇は例によってきょうのミュージアム巡り。
本日は岡崎公園に在る京都市京セラ美術館を訪ねます。


元の大礼記念京都美術館は1933(昭和8)年に昭和天皇即位の礼を記念して建てられた日本で二番目の開館となる公立美術館で、敗戦後に京都市美術館に改称。現存する公立美術館としては最も古いものとなり、2020年に老朽化からリニューアルするに伴い京セラが命名権を取得して京都市京セラ美術館となる。
京都市内にある国公立の博物館・美術館4館で構成される「京都ミュージアムズ・フォー(museums4)」のひとつでもあり、帝冠様式の本館の裏には池を備えたお庭があって、リニューアル・オープンの際はエキシビションに関わる四方ガラス張りの茶室が置かれ、それはつい先頃に撤去されたばかり(→記事参照)。
広い館内では複数の展示イベントが同時開催されて、今日現在は4つの催しが重なるが、ワタシが拝見するのは本館北回廊1階を会場とする『上村松園』。

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このご時世で三密回避にと日時指定の予約が必要になって、開館と同時の10:00に合わせて、そこを目指してブラブラとお拾いで来たのだけれど、暑いどころではなくて。だからといって、あんまり薄着の軽装というわけにもいかしまへんし、相変わらずの黒尽くめ。
すでに炎昼と言っていいような、気温は高く陽射しも強くて、それを避けるために路地小路を行くが風は通らず汗がダラダラと流れ落ちそうで、美術館に着くなりオープン待ちの列には加わらず本館裏のお庭の池端にある藤棚の下で涼む・・・つもりが風が無い。エア・コンディショニングされた室内に逃げ込まないと死んでしまいますえと振り返ったら、裏の回廊には二頭身の青いシルエットが2つ、3つ、4つも。
ナニ?!

正面に廻って、iPhoneにDLしたチケットでエントリー。
同時開催されているエキシビションのうち、松園さんと人気を二分して、(主に)お子さまがわらわらと群がっているのは未来から来たネコ型ロボットのイベントでしょうか。
日時指定で入場制限しているという割りにはそれなりの人出。ワタシが拝見する方もそこそこにヒトが多い。

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上村松園』と随分あっさりした会名のそれは、京都市京セラ美術館開館1周年を記念するもので、近代京都画壇にあって不世出の女流画家、上村松園さんの最初期から絶筆に至る画業を回顧する。
07月17日から09月12日までを会期として、08月16日を展示替えに当てて、前期・後期に分けられる。このために全国の美術館や個人所蔵家の協力のもと集められた作品は百余り、今日観られるのは60点ほど。重要文化財の指定を受けて、フライヤーにも使われる超代表作は後期のみの展示。もう一回来なあかんわけですな。

1875(明治8)年4月に京都市四条御幸町の葉茶屋「ちきり屋」の次女として生まれた上村津禰さんは、1887年に京都府画学校入学。ご母堂がお読みになっていた絵草紙の挿絵を見るうちに、絵師に成りたいと志したのだとか。
天才というのは、若いうちから自分の才を活かせる道を見つけ出せるヒトのことをいうのでしょう。ワタシもそうだ(った)から分かるんですけど。
画学校では北宗担当の鈴木松年に師事、「松園」の雅号を得る。松年の画学校辞職に伴い松園ことツネさんも退学し、すでに出入りしていた松年の私塾に通う。
その後、第3回内国勧業博覧会に「四季美人図」を出品、一等褒状を受賞するなどし、本格的に画業に踏み出すこととなり、それを機に松年の許しを得て円山派・四条派を受け継ぐ幸野楳嶺の門に下る。楳嶺病没後はその四天王のひとりでもある竹内栖鳳を師とする。
松年楳嶺栖鳳を師としながら、独自の画風を見出し、同時代の画家の多くが西洋風の画法を取り入れる中それには与せず、十二歳で画学校に入ってから七十四年の生涯を終えるまで絵に対する信念は揺るぎなかったのでしょう。
ご一新以降、文化の中心も(ほとんど)東京に移っちゃって、衰退の一途を辿る京都画壇の中、ひときわ眼を惹く蓮華のような作品群。

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百余の松園作品は年代順に展示され、画壇デビュウから絶筆まで順に追って行くと微細な変化が見い出せる構成となって、
第一章 修業 - 二人の師の教え 1887-1902
第二章 出発 - 写生と古画の探求 1903-1912
第三章 模索 - 画壇の流行から伝統の古典へ 1913-1926
第四章 確立 - 松園様式の美人画 1927-1938
第五章 円熟 - 絵三昧の境地 1939-1949
とドラマティックな起承転結を感じさせる。
オマケ(?)として、写真家・木村伊兵衛が撮影した松園さんの作画風景のスナップ写真も展示される。

修行時代のものは筆運びがやや堅いようで初々しくも見えるが、のちの「美人画」と大きな開きはなく、十代にしてすでに作風を完成させていたようにも見える。
巻頭を飾るのは「四季美人図」二作。内国勧業博覧会に出品されて一等褒状を受け、英国のプリンスがお買い上げになって大層な話題にもなった主題・・・女の一生を四季に擬えた4人の女性で表現した作品。連作といってもいいでしょうか、松園さんが生涯のテーマとしたもの。
松園さん以前にも「四季美人図」と称する作品が有るにはあっても、ほとんどが時季ごとの風俗に美人を嵌め込んだもので、女性の生涯を季節で表したのは無かったのではないでしょうか。「一生」としながら娘(ハイティーン?)時代から大年増(アラサー? アラフォー?)までで、ギ・ド・モーパッサンの「Une vie(女の一生)」を思い出しちゃったのですが、あちらより先ですね。

四季美人図」以外にも繰り返し描いているテーマも多く、同じ下絵から度々本画に起こした作品も幾つかあって見比べるのも面白い。主題に対する拘り、それを極めようとする向上心、あるいは探究心でもあったのでしょう。
展示作品は絹本彩色の本画ばかりなのですが、その合間に墨・淡彩で描いた紙本の下絵も相当数あるのでしょう。
姉妹之図」や「姉妹三人」などは「四季」の中の女性をもっとギュッと近しい年恰好にして並べた構図で、大和絵の伝統を引き継ぐような引目鉤鼻風の日本画美人之図を微妙に描き分けようとの工夫でもあったのでしょうか。(姉妹だったり母娘だったりするから)似た貌立ちではあるのだけれど、着物の柄も着こなしも異なって、結い上げた髪の髱の大きさ、鬢の張りも違えて、そこに盛られた簪・笄・櫛も銘々各々思いおもいにお好み次第。
ほとんどが良家のお嬢さんかご大家の奥さまなのでしょう、紋付きのええべべで裾を曳いて、髪型も装いも当世流行、ファッショナブルでスタイリッシュ。
女性らしさが出ているのはそうした目立つ部分だけではなく、ちらっと見える襦袢の襟元や袖口、ちょっとした指先の仕草であったり、長い裳裾から僅かに覗く足指であったりがほのかに色っぽくて。雪道に傘を差す指先が冷たいからと襦袢の袖を手袋代わりにしているのが、今時のJKのカーディガンのようでもあって、何気に可愛かったりもします。

その探究心からか、旧い時代の「美人画」もよく研究されて、師匠筋や円山応挙菱川師宣のそれまで模写されて、清少納言紫式部静御前など都所縁の美人さんから楊貴妃楚蓮香などの唐美人や仙女まで描いてみせて、それに飽き足らず浮世草子や謡曲などに題材を求める一方で、幾つかの作品でモデルとされたのは早くに連れ合いを亡くし女手一つで葉茶屋を営みつつ娘二人を育て上げたご母堂様であるとか。
美人画」の中には、愛する者を美しく描きたいという想いも込められているのでしょう。
母そのままの「母子」で抱かれる幼な子のモデルは松園さんのお孫さんであるとか。亡き母の面影に抱かれる子(孫)は、後ろ姿の後頭部だけで可愛いお顔は見えないのですが・・・。
木村伊兵衛さんが撮影したスナップでは、縁側でウサギ(!!)と遊ぶお孫さんをスケッチする松園さんが居たり、お庭に放し飼いの鳥(鶏?)を写生する松園さんがおられたり、室内に籠っては自らの左手を描き写してみたり、「美人画」の中の美人さんに着せる着物の柄を選んでいたり・・・。まさに、絵三昧だったのでしょう。
浮世絵に描かれる八頭身のファッション・モデルのような画一的様式的美人ではなく、いかにも血の通った市井の佳人。
佳人(かじん)と言えば、歌人(かじん)も描いて、清少納言紫式部小野小町伊勢大輔
京都に暮らすのは、町娘ばかりではなく、花街の芸舞妓。こちらは一層華やかで艶やか。少し時代を遡った遊女たちは髪を下ろしてどこか物憂げで。

時代を追って松園作品を拝見して、ふと眼に留まったのは画上に書き添えられたサイン。最初期のそれは、「松園 女」と「」のひと文字が添えられて、或いは後々まで落款には「女史」と入る。
”女ながらに・女だてらに”なのか、”女ですもの・女ですから・・・”なのか、「松園」だけでは性別の判断がつかないとはいえ殊更オンナを誇示されているのがちょっと面白くて。
うがって見れば、”女にしては・・・”となるだろうからと、コンクール出品に向けて松年師がそう書かせたのでしょうか。偏見ですね。
松年の元を離れ、あるいは母になった頃か、「松園」の名が売れ出すと署名の「」は消える。性別を超えて、一流になったということでしょうか。
まァ、今なら性別なんて大した意味を持たないのですが、明治・大正から昭和の初めのことですから、女性であることは大きなハンディキャップだったのでしょう。
生涯嫁ぐことなく未婚の母となって、早くに寡婦となられた母のそばにあって、京都を離れることも出来ず、ましてや海外に赴いて知見を広めるなど夢のゆめ。
西洋画の技法を取り入れるより、古典に倣ってあらゆる時代の美人を描いてみせる。画学校や私塾に通う傍ら、漢文を学び、謡曲の指南を受けておられたとか。
ヨーロッパから齎され誤訳されがちなカタカナ言葉より漢籍、古文の方が馴染み易く理解しやすかったのでしょうか。謡曲とともに、作画の世界を広げるための方便だったのでしょうか。
そうして生み出されたのは、唐の時代のオールド・チャイニーズ・ビューティーから平安歌人などの似姿。
ワタシの好きな「花がたみ」は室町時代の世阿弥作と伝わる謡曲『花筐』から照日前。あッ、このお話しは継体帝の御代ですから古墳時代でほぼ神話?
 『源氏物語』でもお馴染み、能『葵上』から六条御息所(の生霊)は「(ほむら)」となって、『草紙洗小町』はもちろん小野小町。『平家物語』に取材しては千手の前、ちょっと下って『太平記』からは勾当内侍枡花女、謡曲『』の芦屋何某の妻井原西鶴作『好色五人女』からはお萬さんで、近松門左衛門作『雪女五枚羽子板』からは雪女となったお腰元・中川さん、お軽さんは『仮名手本忠臣蔵』での役割りではなく大石良雄の愛妾として描いておられたり、エトセトラ、et cetera。

松年からは豪放な筆致を学び、楳嶺からは優柔な筆跡を得て、生き物を描かせればその臭いまで写すと言われた栖鳳から写生を習い、さらに旧い時代の錦絵に憧憬を抱いて、西宗には馴染めず、それらに対して模倣と反発、松園一流を編み出して、題材としては古くから描かれる「美人画」をその一流を以って再生しようと試みたのでしょう。
単に従前のテーマの描き写しではなく、例えば照日前を描くために狂人病院を取材までされておられたとか。表面的な写実ではなく、本質的なニュアンスを描こうとされたのでしょうか。

市井の町娘や御寮人を描いた物はある種こうありたかったと願う想像的で現代的なオートフィクションか私小説、謡曲や能から着想を得た古美人は松園流の脚色を施した大河ドラマ。そうした物語性があって、見飽きない、魅力的で奥深い作品になっているのかと思えます。「美人画」とひと括りに出来ないほど変化に富んだヴァリエーション。その中には六十年余揺るぐことのない信念めいたものが変わることのない主題としてあって、照日前六条御息所お軽さん、終いに儚くなってしまう芦屋何某の妻に、雪女に変化するお腰元、こうありたいとする理想の女性像は胸中を暗示するような美人さんが択られているようにも思えて・・・。
その集大成は・・・、後期日程へ。

書きたいことは尽きないのですが、大分に大部となりました。残りは後期日程に譲って、青い二頭身の猫型ロボットを探しに行きましょうか。

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そこここにあるフィギュアの周りはワラワラとお子さん塗れで、ミュージアム・ショップも長蛇の列。そんなん、待ってられへんし。そろそろお腹が空いて来ましたね。

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時節柄「ウ」が付くニョロッとしたものを食べたいような。でも、贅沢でちょっと勿体無い。と言うて、ウドンはモッサリしまっしゃろ。
四条烏丸まで戻って、MIDIはLIBERTÉ PÂTISSERIE BOULANGERIE
今日頂くのは「Daurade et mousse de crevettes à la vapeur, gelée au homard(真鯛と海老のヴァプール オマール海老のジュレ)」。ウナギはムリでも、タイくらいなら!?
プルンプルンなオマール海老のジュレの上にはしっとり濃厚なマッシュポテトが敷かれて、さっぱりとヴァプールされた真鯛、さらには海老のムースもトッピングされて、周りには色とりどりの野菜たち。ガラスの器が涼しげです。
食べ放題のパンは遠慮して、冷たいストレート・ティーを追加して。
絵的には、ウナギより映えるPoisson(魚料理)でしょ・・・ということにしときましょ。

さて、後期日程には何時行けるか? 「序の舞」を拝見することは叶うのか? 風雲急を告げる・・・ようなことが起こりそうな気配も感じられて、おちおちとはしていられないような気もするのですが・・・。

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ミツバチ

こんにちわ、お変わりないですか? コンサートでお見かけしないのでどうされてるのかな~。早めに並んだり、2階を見たりしてお探しているのですが見つけられません(笑)
by ミツバチ (2021-09-13 17:14) 

JUN1026

ミツバチさん、コメントありがとうございます。
ワタシ自身はさほど変わりはないのですが、世情通りコロナ禍の影響から職場内でもバタバタと忙しくしていることもあって、落ち着かない日々を過ごしています。お休みも思うように取れない有り様で。
「ワンコ」の方は8月公演から観覧にはワクチン接種が必須となって、ワクチンが打てない、打たないワタシは伺うことが叶いません。
うちの奥様や息子さんには早々と打たせたのですが、それによる体調変化が怖くて(長期欠勤は出来ない状況で)、もう少し職場が落ち着いて人員が戻ってくるまで現状を維持するのが精一杯。恐らく年内はこの状況が続きそうです。
それでも、半日ずつでも休暇を作って、映画を観たり美術館に行ったり、今週は「大阪クラシック」に三日連続で通う予定にしています。
お逢いすることが出来ないのが残念ですが、ワタシの分まで楽しんで頂けたら幸いです。
by JUN1026 (2021-09-13 23:44) 

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