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今日は能尽くし その1 [散歩・散走]

さて、年も改まって、2022年。とはいえ、何も変わるところなく、相変わらずのマイペース。
今日もきょうとて午前は気ままなアート探訪で、今年最初の美術館めぐりは京都駅ビル・ジェイアール京都伊勢丹7階に隣接する美術館「えき」KYOTOで開催中の『能面100 The Art of the Noh Mask』を訪ね、日本の伝統芸能であるに用いられる(おもて)を鑑賞いたします。

常日頃、「血中仏蘭西人濃度120%」だとか「前々々世は”ベルサイユの黒薔薇”と呼ばれた」と戯れ言をほざきつつ、フランス近現代芸術を中心に絵画や音楽に親しんできましたが、ここにきて能面とは随分と唐突な印象?
・・・でもあるでしょうが、ワタシの中では辻褄というか、筋道はちゃんと通っていて、小学校低学年の折りに買ってもらった画集だか図鑑だかで見た西洋絵画の中でもアメデオ・モディリアーニのポートレートに衝撃を覚えて以来、彼の後先、エコール・ド・パリだとか印象派、キュビスムだとか、19世紀後半から20世紀初め頃のおフランスの芸術にハマってしまい、辞書を片手に読めもしないフランス語の詩を繙くふりをしてみたり、やたらにザーザーと映像の乱れるモノクロームでジャン・コクトーの映画を観てみたり、同じ頃に活躍した作曲家クロード・ドビュッシーに傾倒してみたり、百花繚乱のごとくその当時のパリに多くあったismeや数多おられたistに魅かれてみたり。誰かひとり、何かひとつに没入するというより、影響しあった作用と反作用、化学反応めいたものを面白がって、あれからそれへと眼を移し、パリを彩ったアート全般を対象として近代から現代、ひと頃は映画といえばフランス語のシネマしか観ないくらいののめりよう。
いっ時その熱は(60~70’sのブリティッシュ・ロックに移り)冷めていたのですが、ひょんなことからドビュッシーが影響を受けたとされるガムラン音楽に触れる機会を得たらその刺激もあって、フランス近現代芸術に影響を与えたものを探しつつ、そこに結集した要素をひとつずつ辿ってみようという気になって、近代ヨーロッパ中が憧れた古代ギリシアや古代ローマに(気分だけ)タイムリープしてみたり、19世紀末の万国博覧会に思いを馳せてそこで演じられたであろう東洋の音楽を聴いてみたり、ジャポニスム、ジャポネズリから浮世絵、錦絵などを観てみたり・・・。
そこから随分と世界が拡がって、日本画を観る機会も増えて、上村松園さんが描いた美人画の成り立ちを知るためにその下図まで拝見に伺ったり、題材となった謡曲を識りたいと能楽堂を訪ねたりする中、昨年末に折り良く開催されたのが京都産業大学むすびわざ館での『能面面々』で、そこで3回に渡って開かれた講演会に通い、講師を勤められた面打ち(能面作者)やシテ方観世流能楽師のご講義を拝聴するうちにいよいよお能に耽溺するワタシがいたりするわけで・・・。
そういえば、モディリアーニ描くところの肖像画ってどことなく能面っぽいでしょ(ちょっと強引?)。

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京都の心得とされる伝統文化も遷都と共に多くの流派が東京都に移ってしまい、武家の嗜みと言われ江戸幕府の式楽に指定されたも明治維新と共に近代化、西洋化の激しい波に流されて、多く作られた能面も散逸してしまったり、空襲や災害で破損、紛失してしまったり、それこそジャポニスム、ジャポネズリの影響から工芸美術品として海を越えて行ってしまったり。各地にあった能舞台も多くが被災焼失、あるいは老朽化し再建されないままで、能楽が上演される機会も少なくなった現代。
能面100 The Art of the Noh Mask』のために集められた100面も、そのうち約半数がアメリカ・ハワイ在住の能面愛好家で研究家スティーヴェン・マーヴィン氏のコレクション(のごく一部)。ひとときお里帰りしたそれら51面に、シテ方金剛流宗家に伝わるものから25面、篠山能楽資料館の収蔵品から24面で都合100面が厳選展示。おまけ(?)として能面を収めたお箪笥や能装束、面打ちの工程を示す木材やお道具なども並べられ、それらが金剛流二十六世宗家金剛永謹(こんごうひさのり)氏監修のもと、「神男女狂鬼(しんなんにょきょうき)」、の正式な上演形態に沿って分類・展示される。

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これまで何度も脚を運んだ美術館「えき」KYOTOも、今回はちょっと様子が変わって、薄暗い照明の下、ショーケースの中に(おもて)がずらりと並んで、幽玄でもあり妖艶な雰囲気が漂う・・・ような。朝一番の入場で、他の来訪者はほとんど無いのに、それがかえって200の眼差しを向けられているような気にもなって、木製の仮面だと認識しつつ、フィジカル・ディスタンスこそ必要ないものの、何か気配を感じるようにも思えて身構えてしまいそう?!
昨年末に3度も訪ねた『能面面々』に並んだ(おもて)は、いわゆる「写し」で明治以降、現代になって打たれた「新面」。
それらのオリジナル「本面」が平安末期~室町時代のお作で、「古面」として重用され、今回こちらに集められたものの多くは室町時代の製作、あるいは江戸時代に各地の大名や大家が作らせた「写し」。作者の知れる、由緒の残るものもあれば、作者不詳で経歴の知れないものもあって、改めて調査研究するために一時帰国したものもあるのでしょうか。

翁付五番立』に沿った展示の初番が『』。
申楽(さるがく)」から「猿楽」となり明治維新後に「能楽」と称するようになった芸能は、と狂言に式三番(しきさんば)を含むもので、平安末期ごろ、一番古くから演じられているのが五穀豊穣を祈る農村行事であり神前に奉納される「翁猿楽」であって、「(おきな)」は別格、であってでないものだとか。現在では正月の初会や舞台披きなどの特別な催しでしか演じられない番組となっている。
それに用いられる(おもて)は、「白色尉」、「黒色尉」、「父尉」に「延命冠者」。
翁面は長い眉と髭を蓄え、深く刻まれた皺が特徴的。下顎が別パーツとなっているのも翁面だけの特徴。
(じょう)」という漢字には炭火の燃え終わって白くなったものという意味もあるので、全うした存在を意味するのかと推察します。燃え尽きちゃった「明日のジョー」?!
(おきな)」は神さびた、神々しく人を超越した存在とされて、猿能の世界を司るものであり、老体の神を写しているのだとか。神にも近しいお振る舞いをされる方に対してあえて親しみを込めて、そう呼んだのでしょうか。ただのおじいさんじゃないのね。
」に続くのが「脇能」、「神事物」と呼ばれた初番目物で、それに用いられるのが「小尉(こじょう)」や「笑尉(わらいじょう)」。
翁面と同じように豊かな眉と髭、それに加えて髷まで備わって、「」ほど皺深くもなく、下顎は一体となって、それでもやっぱりおじいさんぽいようなお貌。
ここでは、神様は総じて老人男性(風)なのね。「」は国の安寧と繁栄を言祝ぐ老体の神とされているから、仏教伝来以前の同祖神、守護神でもあったのかしらン。親しみやすい身近に感じられる存在でもあったのでしょう。奈良の古い神社では今でも時折り雨乞いなどの神事にがお出ましになっておられるのだとか。
』の中には、穏やかなお貌ばかりではなく、恐ろしい表情をされた「悪尉(あくじょう)」や「不動」、「大天神」もあって、「(あく)」とはなっているがヒーローに対抗するヴィランなどではなく、平景清が「悪七兵衛」、源義平が「鎌倉悪源太」と呼ばれるように猛々しく強いもの、あるいは異国の神を表すのだとか。赤ら顔であったり牙があったり、青色、金色、ギョロリと見開いた眼も異様で、なかなかの異形っぷり。異国のヒトの彫りの深い顔をデフォルメするとモンスターめいちゃうのね、多分。畏怖すべき自然や自然災害などを擬人化した荒神、鬼神の類いでしょうか。邪気を払うには恫喝するようなコワモテ(強面)の迫力が必要だったのでしょうね。

二番目物として、主に武人がシテとなる『』。
いわゆる「修羅能」で多く使われる、若年~壮年男性に似せた(おもて)。
主に『平家物語』に取材し、勝った側の戦勝を言祝ぐのではなく、多くは負けた側、戦さに敗れた側の鎮魂、あるいは憐憫となるのでしょうか。
一の谷の合戦において16歳で熊谷直実に討たれた平敦盛をモデルにした「十六」。平家転覆の目論見が発覚し鬼界ヶ島へ島流しにあい、三年の流罪生活の後37歳で没したのが「俊寛」。鎌倉時代の武将荏柄平太胤長に似せた「平太(へいだ)」。
平安時代の代表的な歌人在原業平の相貌を表したといわれる「中将」に、延喜帝(醍醐天皇)の第四皇子、蝉丸の宮のお顔を写した「蝉丸」。中国人青年廬生(ろせい)の憂い顔は「邯鄲男(かんたんおとこ)」となって、若い男神役も兼ねる。
墨で描かれた前髪の量で大小と年齢を区別する半僧半俗の稚児は禅寺で食事の時間を知らせたことから「喝食(かっしき)」と呼ばれ、それよりもっと幼さの残るお顔立ちで神性を帯びるのが「童子(どうじ)」。七歳までは神のうち?
なんとなく他人とは思えない「痩男(やせおとこ)」は小野小町のもとに百夜通って命を落とした深草少将の亡霊、あるいは殺生の罪で地獄に堕ちた漁師・猟師の幽霊、地獄に堕ちて苦しんでいる男の霊で、そのヴァリエーションが「(かわず)」に「一角仙人」。
孝行者の酒売りのために汲めども尽きない酒壺を与えるのが酒を嗜む妖精の「猩々(しょうじょう)」。
怪士(あやかし)」のヴァリエーションで作者の名で呼ばれる「真角(しんかく)」などなど、リアルなようでいて、どことなくファンタジック。そこはかとなく哀愁が滲み出ている「」たち。

美人がシテとなるのが三番目物で、そこに登場する『』たちは、「小面(こおもて)」、「若女(わかおんな)」、「増女(ぞうおんな)」に半ば狂気を帯びた「曲見(しゃくみ)」、亡霊となった「痩女(やせおんな)」に鬼女となった「山姥(やまうば)」などなど、似ているようでいて用途はそれぞれ異なり、『』に負けず多種多様。
』が『平家物語』なら『』は『源氏物語』や『伊勢物語』に取材したものが多く、美人のモデルとして小野小町や静御前もそれに連なる。
小面」の「小」は可愛らしい、若くて美しいという意味で、能面というとこれを最初に想起しちゃう。
対して「増女」の「増」はオリジナルの製作者、増弥阿に因むとされて、臈長て洗練された美しさと気品を持ち、女神・天女・神仙女などのお役に用いられる(おもて)。
美人好きなワタシとしてはここが一番の注目どころでもあって、上村松園さんが謡曲に取材した美人画を描くにあたって多くスケッチしたのが金剛家に伝わる「」の面(おもて)。それを間近に拝見したかったわけで。
京都府画学校で日本画を学ぶ傍ら、金剛流謡曲を習っておられて松園さんは「草子洗小町」、「花がたみ」、「葵上」、「焔」、「砧」、「静」などなど謡曲をテーマとする作品も多く手掛けられ、代表作「序の舞」も能舞を演じる女性像。当時の舞妓さんや能楽堂でのシテ方をモデルとする一方で、金剛流の縁を通じて宗家に伝わる(おもて)や装束などの名物を描き写しておられたのだとか。
金剛流謡曲「花筐(はながたみ)」で主に用いられる(おもて)が「孫次郎」で、松園さんが「花がたみ」の照日前に当てたのが「十寸神(ますがみ)」。その本画を拝見し、下図を観に行き、縮図や素描図も観させていただいたからには実物を拝める機会を逃せませんもの。
室町時代末期に孫次郎こと金剛右京久次(こんごううきょうひさつぐ)が若くして亡くなった妻を偲んで打ったのが「ヲモカゲ」の愛称で呼ばれる本面で、今日では重要文化財となって三井記念美術館に委託され、以降に多く打たれた(面は彫る、作るではなく打つとされる)「写し」が名人の手になる名物に肖って「孫次郎」と呼び継がれる。病いがちに面窶れした様なのか、ややほっそりとして儚げな「小面」のヴァリエーション。
現在使われている能面の殆どは名物とされる本面のコピー、レプリカ。それらは主に桃山時代以降の作品で、極僅かに創意工夫を加えつつも、傷や汚れまで映し取るようにクローニング的に複製されて、このエキシビションに展示される「孫次郎」も江戸時代に打たれた洞水こと出目満矩(満昆)のお作で、マーヴィン・コレクションからの出品。
他にも、豊臣秀吉が打たせた「小面」、通称「雪の小面」をはじめ、美人というとそれぞれに理想のタイプ(?)があったのか、「小面」は替形、ヴァリエーションが幾つもあって、ここに並ぶ作品も少しずつ表情が異なる。
太閤秀吉が愛蔵した「小面」は、室町時代の面打ちの名人、石川龍右衛門重政が打った「」、「月」、「花」の三面で、「月」は徳川家康に譲られたのち江戸城の火災で焼失してしまうが、「花」は三井記念美術館に現存し、「」は金剛家の所有となって、ここに展示される。顎のラインが「孫次郎(ヲモカゲ)」より僅かにふくよか。
能好きで自らも演じたという太閤さんが多くの「写し」を打たせたとかで、その後、徳川幕府がを式楽に選定したこともあって、各地の諸大名がこれに倣い、能面を打たせ、能舞台を拵え、能楽師を募り、それがステータスともなったのでしょう。
松園さんの描く美人にしろ、各時代に打たれた女面にしろ、表面的な優美さだけでなく「孫次郎(ヲモカゲ)」が示すように、内面の本質的な美しさが鑑賞者を魅了するのでしょうね。こうして遠慮なく矯めつ眇めつしてみると、松園さんだけでなく、多くの画家が謡曲に取材し、能面を写した理由が分かる(ような)気がします。

松園さんが謡曲を題材として描いた美人画の中の女性は通りいっぺんの美人さんではなく、「花筐」の照日前に「葵上」の怨霊こと六条御息所、「砧」で夫の帰りを待つ芦屋何某の妻の亡霊などなど「女」であって女でないもの。そういえば、近松門左衛門作の歌舞伎がテーマですが、「雪女」まで描いておられますね。
尋常とは異なる、物思いの末、嫉妬の果てに、怪がとりついちゃった女性たち。それらが登場するのが四番目物で、『』。
パラノイアまでは至らないものの、ヒステリックになっちゃった様と言えるのでしょうか。あッ、照日さんはともかく、レディ六条とかマダム芦屋はもうこの世の者ではなくなっちゃっているのですね。
妄執、執着が過ぎると成仏の妨げとなって、「」は修羅道に堕ちて、「」は狂っちゃうのね。
それが、物の哀れ(もののあはれ)ということでもあるのでしょうか。
ご一新以降忘れられがちな、日本的な美意識、価値観、理念ということになるのでしょう。完全に西洋化してしまった現代とはあまりにもかけ離れた様式美は、『源氏物語』や『平家物語』などの古典文学、おなどの古典芸能の中だけに留まるのか。そうしたものまで時代に流されてしまうのか。松園さんら近代日本画家もそれを危惧して、描き残そうとされたのではないかと思ってしまいます。
そうして、照日前の場合は継体天皇が、六条御息所の場合は光源氏が、「砧」では芦屋何某が、それぞれ女たちを狂わせちゃった原因でしょ? ワタシも気をつけないと・・・?
・・・と、己を振り返ってる場合じゃなくて、ここに展示されるのは、『卯の花』の銘を持つ「増髪(ますがみ)」に「十寸神(ますがみ)」、嫉妬のあまり生きながら赤ら顔の鬼と化したのは「橋姫」で、目ん玉と歯列を金泥で彩る「泥眼(でいがん)」、ツノが生えつつある「生成(なまなり)」、オリジナルの作者である般若坊の名を戴くのは「般若(はんにゃ)」、およそ美人から程遠い「(じゃ)」など。
髪をおどろに乱し、眉間に深い皺を寄せたり、眼が金色に変化しちゃったり、挙句に角や牙まで生えてきちゃって、美女豹変ならぬ美人さんが鬼女へと変化する段階的な形態。生成から般若(中成)になって最終形態は真蛇(本成)。女に凛気を抱かせた男の罪は問われずに、嫉妬のあまり鬼と化した女の方が罪深い・・・って、公平性に欠けますな。フェミニスト的には納得出来かねます、ええ。
800年近く前から、やんごとないと思われる奥方連もヒステリックになっちゃってたと思うと親しみがもてるようにも思えますが、女性が髪を振り乱して眉間に皺を刻んだ時点で反省の意を示しておかないと恐ろしい事になる・・・と今更ながらに、能面を観て教戒としているワタシがいるのはナゼ? (殊に身内の)美人さんはツノなんて生やさないで美人のままでいてほしい。反省方々、お願いします。

最後は「切能」、五番目物に登場する『』。大正時代を舞台に炭焼きの兄妹が活躍する、昨今流行りのそれとはちょっと違う。
鬼神であったり天狗や雷神、龍神など、人知を超えた存在で、『』系と同様に、どことなく外国人男性風の面差し?
ギョロリと眼をむく「大飛出(おおとびで)」に「釣眼(つりまなこ)」、口をへの字に結んだ「小癋見(こべしみ)」、「大癋見(おおべしみ)」、「黒癋見(くろべしみ)」、そしてツノを持った野狐(やこ)は「野干(やかん)」と呼ばれる。
恐ろしげな異形はちょっとユーモラスにも見えて、ワタシにしてみたら、ヒステリーになっちゃってツノを生やした女性の方がよっぽど恐ろしいぞ!!

以上で都合89面。
別枠として、2組の絢爛豪華な能衣装が展示され、追加の11面は紀州徳川家伝来であった揃いもの。
特別誂えのお箪笥に収められるのは、十一面を一式として、「小尉」、「大喝食」、「」、「猩々」、「萬媚(まんび)」、「痩女」、「(うば)」、「深井(ふかい)」、「小癋見」、「般若」に「小飛出」。これだけあればひと通りの番組は演じられたのでしょうか。それぞれが艶やかな面袋に包まれて、ご大層で豪奢な箪笥に収められて、見るからにコレクターズ・アイテムっぽい豪華な拵えで、当時の徳川家のご威光、権勢を示すようなスペシャル・セット。これも今ではマーヴィン氏の愛蔵品。

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「照ラス」と「曇ラス」、それだけで表情が変わる(写真は何れも「能面面々」で撮影させて頂いたもの)。

古くは古代ギリシアの時代から世界各地で演じられた仮面劇。体系づけられる以前にはプリミティヴなスタイルで演じられもしていたのでしょう。それぞれに特徴、特色があるのだけれど、能面は殊更に特徴的で、木製で物理的には変化しないはずの仮面が上向き(照ラス)、下向き(曇ラス)、僅かな角度の違いで(おもて)に浮かぶ表情が変わって見えるように工夫、デフォルメされている。
現存するの演目は約240~260と言われ、そこに用いられる面種の基本型は約60種で、本面となるそれら古面を写し、ヴァリエーションとしたもので約250~300種。演目やその演出によって使い分けられ、それに応じて同じ(おもて)でも武人であったり若神となったり、美人であったり女神であったり、時々のお役に応じて本質まで変わってしまう。
そうしたニュアンスからの機微、情感の動きを表すのが能面で、それを演じ、読み取るのが能楽なのでしょうね。繊細で、いかにも日本的で、とてもとても奥が深いのです。
大陸から伝わった経文や仏典はあまりにも哲学的かつ難解で、本朝にはそぐわないところもあって、それを文学的に解釈しながら日本的な「あはれ」を加味したのが謡曲(謡い)。それ以前の土着的な呪術と融合し、御呪いが祈祷となって翁猿楽翁舞。古典文学に影響されたストーリー性を帯びて、大衆化、エンターテインメント化したのが猿楽能楽。ざっくりとした解釈ですが、間違ってますでしょうか??
禅の教えとも深く関わって、教条的、教戒的なテキストを3D(立体視)化、VR(仮想現実)化したのが、今日でいう能楽なのではないかと考えます。
それなりに教養のあった当時の貴人、武人らは、それを鑑賞しては、のような人生を全うしたいと憧れ、十六景清を観てはそれを悼み、そうならなかったことの幸運に安堵を覚え、場合によっては明日は我が身と考えたのでしょう。女々しい執着や嫉妬を良しとせず、鬼神による祝言に安寧を想う。
面打ちが精魂を込めて打った(おもて)をシテ方が活かし命を吹き込む。こうした(おもて)はシテ方だけが取り扱うことを許される特別なアイテムでありながら、扱うシテ方は(おもて)が映えるように芸を磨く責任も生じるのかと思います。
」は能う(あたう)。出来る、成し得る。成し遂げる力がある、腕があるという意味を含む。有能というのは才能があることをいう。舞台の上にあっては表現する才、能力があるということでもあるのでしょう。
(おもて)を付ける場合と、直面(ひためん)・・・(おもて)をつけずに素顔で演じるお役もあって、素顔もまた、(おもて)のひとつだとされて、能面をつけるのは「神男女狂鬼(しんなんにょきょうき)」、人であって人でないものを演じる場合。特別な能力を持っているという表現なのでしょう。
そうなると、例えば仮面ライダーだとか仮面の忍者だとかが特殊な能力を身に付けて、それを発揮するというのはお能からの影響????

もう少し幽玄で妖艶な世界に浸っていたいのですが、午後の予定が迫っています。
名物となる(おもて)も美術館のショーケースにあっては美術品。午後は金剛能楽堂へ移って、能面として生きる様を拝見いたします。

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