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共振と共感の「お昼寝ガムラン」 [音楽のこと]

さて、午後は大阪市北区豊崎に在るgallery & cafe bar yolchaに向かいます。
そちらで催されるのは「お昼寝ガムラン」。
インドネシア・ジャワの伝統音楽ガムランの優しく柔らかい調べに身を任せお昼寝しちゃおうという催し。
睡眠学習? 睡眠療法的な・・・??

午前中に「オンライン市民コンサート」の録画(のお手伝い)があって、ダブルブッキングかというタイミングで午後に「お昼寝ガムラン」があって、大阪大学豊中キャンパスから梅田経由で会場となるギャラリーへ。

この界隈は第二次世界大戦末期に何度か繰り返された大阪大空襲の被害を免れたようで、旧い民家が軒を連ね、その幾つかは登録有形文化財に指定され、会場となるギャラリーが入る長屋も大正年間に建てられたのだとか。
入り組んだ細い路地の中程。目立った看板やサインボードも無くて、隠れ家めいた造りとなっているため、うっかりするとエントランスが見つけられずに右往左往してしまいそうなところ。
ですが、大阪市内は「オレの庭」、大体の目星はついている。
それらしい建物を見つけ、開演までもう少し時間がありそうなので、軒先のベンチ(?)でタバコを一服。すると、目星をつけた扉が開いて、出て来たのはそれらしい民族衣装(ブスカップとサロン?)を身に付けた男性。
見れば、懐かしいお顔。本日のパフォーマーのひとりで、黒一点、ナナンことアナント・ウィチャクソノさん。
お昼寝ガムラン」は変幻自在ガムラン・ユニットTidak apa-apaが企てた複合型音楽イベント(?)なライヴで、そのユニットは、西田有里さん、松田仁美さん、近藤チャコさんの女性3名で構成されるのですが、(ワタシの知る限り)大体の場合において加わるアディショナル・メンバーがナナンさん。
ワタシがガムランに触れてから、お近づきとなったメンバーさんたちのパフォーマンスを追い掛けるうち、ナナンさんとも何度も顔を合わせ、阪大の大学祭では一緒に演奏させて頂いたこともありました。打ち上げでは(あんまり呑まれへんのやけど)美酒を酌み交わし、何より誰知ることもなく喫煙所友達、タバコ仲間の煙たい関係(笑)。今日もやっぱり一緒に一服。
「お久しぶり」とご挨拶していると、開いたエントランスから若やいだ笑声が漏れて来て、そちらもはっきり聞き覚えのある声。
今回の「お昼寝ガムラン」は、コロナ禍にあって過密を避け、寝転ぶためのスペース確保もあってか、14h00からと15h00からの2部入替制で、先の回がお開きになった後、居残ったオーディエンスと言笑されておられるのでしょう、女三人寄ったらナントカ(自主規制)で、懐かしいお声が路地までコロコロ転がり出る。

14h00回の参加者が退けた頃合いにエントランスを潜って、小さな前庭を横切って、建屋の中へ。
1階がカフェ・スペースで、急勾配の段梯子を上ったところが演奏スペースとなるらしい。
15h00回に参加されるお客様が続々詰めかける・・・といっても、限定8名で、その中には見知ったお顔もちらほらと。
メンバーさんも含め、何方様もお逢いするのは2月以来約八ヶ月ぶり。前頁にある通り、それまではワークショップ「日曜ガムラン」でご指導して頂いていたりもして、コロナ・クライシスの影響でそれが中止となったままで、その再開を切に願うのが再会のご挨拶。
受付を済ませ、ライヴ・フィーと1ドリンクがセットになっているので、カフェでお茶(ホットジンジャーエールにしたんですけどね)を受け取って、お2階へ。
天井の低い二階屋の、ちょっと屋根裏めいた部屋は、西向きに窓があって、六畳相当の板の間が二間続き。部屋の真ん中には、寝転ぶための置き畳が数枚敷かれ、Tidak apa-apa&Nanangが演奏するのは南西角辺りに北向きで。
その正面辺りは窓からの陽射しが心地よさげではあるのですが、眠るには少々眩し過ぎて、多分暑い。

さて、何処に身体を投げ出すか?

メンバー4人は壁際に肩寄せ合うように座っているとはいえ、その前には台形の楽器が3台並び、部屋の真ん中辺りは空いてはいるが、オーディエンス・・・というかお昼寝参加者8名には少々手狭な気がする。しかも、他の来場者は殆ど女性で、その前にワタシの細長ぁぁぁぁ~~~~~い脚を投げ出すのは気が引ける。ましてや、177センチメートルの身体を横たえるのは甚だ厚かましいように感じる。投げ出すつもりで生地をたっぷり使ったサルエルパンツで来たのだが、それはかえってBATMANのマントみたく嵩張る、場所を占有しそう。
と見れば東側の壁沿いに椅子が2脚。それの隅っこ側へ腰掛ける。

椅子で眠れる?

心配いらしまへんのどすえ。長年の座業で、常々机のパソコンに向かって左手でマウスを握ったまま、夢の中へと彷徨う術はちゃんと心得ております。「昼行灯の術」ゆうて、大体毎日、07h30にメール・チェックから始めて午前中で仕事を片付けてしまい、午後は突発的なトラブルや火急のミーティングが起こらん限り居眠りさせてもうとりまっさかい。平日は窓際族で、休日は壁際で壁の花に擬態しますのん。グータラするのは得意どす。

予定の15h00を少し回ったところで演奏が始まる。
ワタシの席からはその姿は殆ど見えず、窓を背にした太鼓の奏者だけが逆光のシルエットになって見えるだけで、青銅製の鍵盤打楽器、グンデル、スルントゥム、サロン・パキンとそのプレイヤーは音だけの影法師。
でも、まァ、お揃いのバティック生地の衣装も艶やかなそのお姿を拝見しているとコーフンして寝られェしまへんよってに、これでよろしィんどす(笑)。

歓迎の意を表するという楽曲から始まる演奏は少人数で、大きな銅鑼やお碗を伏せたようなボナン、クノンが入らず、比較的軽やかな音色を持つ楽器だけの編成で、とてもメロウな印象。窓から差し込む秋の昼下がりの気怠い陽射しと相まって、メロウでニート(neetじゃなくてneatの方ね)。ニートな午後3時??
ガムランの面白いところは、ひとつずつなら1オクターブの音域しか持たず、そのうち使うのは西洋音楽で言うところの五音音階、5つの音だけでちょっと退屈に思える。それが複数の楽器で3オクターブの範囲に重なって、それぞれが近しい固有振動数を持つことから共鳴効果によるうねりや揺らぎを作り出して心地いい協和音に変化し、こちょこちょ耳を擽るようでそれがなんとも快感。アンサンブルで発揮される妙味。
2本の絃を持つ弦楽器ルバブが少しノイズィな音色で加わったりもするのだけれど、それさえ取り込む金属製鍵盤打楽器の丸く柔らかい音色。3つの音がオクターブユニゾンで重なって複雑な倍音を構成して、メロディやハーモニーというより、捉えどころのないハーモニクスで作られる音楽。音の3要素は西洋音楽と同じでも、音楽の3要素で見た場合、リズムだけが共通する要素で、それさえうねりや揺らぎが独自のビート(beat)を生み出して、太鼓の打ち出す律動に寄り添う。そのレゾナンスとハーモニクスが鮮やかな色彩まで産み出す。
青銅製鍵盤とそれを支える木製のフレーム、楽器によっては円筒形の共鳴管も備わって、シンプルなようで複雑な周波数(振動数)を持つ楽器が共鳴りし合って、それが恰も懐かしい日の陽炎のように揺らめいて、そのかぎろいが眠りを誘う。
今回は古い旧い木造建築の室内。ガムランの協和音が板張りの床へと伝わり、それを共振させて、まるで部屋が大きなピアノのボディと化したようでもあって、足の裏、椅子の脚へと響いてくる。それを揺りかごとして眠るような・・・。共鳴は共振となって、そのレゾナンスはワタシのココロまでブルブル震わせる。
音楽は(物理を含む)数学。ガムランは単純な算数なフリをしながら(?)実は高等数学かほんのちょっとだけ難しい物理の世界? そこが興味深いと感じちゃう。

演奏が2曲目に移る頃には頭の中で三角関数やら方程式が正弦波のように揺蕩って、ウツラウツラと・・・。
ピタゴラスやベルヌーイ、フーリエがこっちへ来いと呼んでいる?! ホットジンジャエールで酔っ払うわけもなく、ラリっているわけでもないでしょうに・・・。
3曲目以降は解説も挟まずにメドレーになる・・・というMCを最後の記憶として意識がスウゥっと途絶える。
午前中の「オンライン市民コンサート(の録画撮り)」での適度な疲れと緊張感が解れた途端に午睡の夢。
そちらで聴いた1920年産まれのBösendorfer Model250 Liszt Flügelとは別の魅力を持つ魅惑のガムラン・アンサンブルが極上の揺籃。from cradle to grave・・・って、死んでどうする!!

蠱惑的な演奏が終わるとともにに現実に戻った・・・はずなのだけど、意識は半ば揺れたまま。ココロまで共振した余韻が残っているような。演奏者4名と午睡を貪る8人が共感出来たのではないのでしょうか。

Apple Watchが次の予定を報せて、「お昼寝ガムラン」と一緒に用意されたロシア料理を味わうことも叶わず、その余韻を楽しんでいる時間さえ奪う。
その点が心残りではあるのですが、今日一日、すごく贅沢をさせて頂いたような気がして、耳福だけで十分満足。
あとは「日曜ガムラン」の一日も早く再開されることを祈りつつ・・・。

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