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お東さんで「春日龍神」 [散歩・散走]

さて、きょうも観能に向かうのですが、本日の番組は「日本全国 能楽キャラバン京都 金剛流による東本願寺公演 Vol.3 金剛謹之輔100年祭 - 東本願寺と金剛流 -」という長いタイトルが付いて、タイトル通りに会場は通常非公開となっている東本願寺能舞台。そちらに縁の深い金剛流二十三世宗家金剛謹之輔さんの没後100年を記念する公演でもあって、色々とスペシャル感の高いイベントのようですよ。


先日来、同じ「日本全国 能楽キャラバン」であったり、彦根城を会場とする「能楽を旅する」であったり、今回と繋がりの深い「金剛謹之輔百年祭 金剛永謹古稀祝 祝賀能」もあって、お賑やかで晴れやか派手やかなプログラムを拝見したのですが、今日もそれらに劣らぬ演目で。
スペシャル版とあって上能されるのが「春日龍神」に小書が付いて「龍神揃」。
ワタシも機会があれば脚を運び、当ブログでも幾つか紹介させて頂いた「日本全国 能楽キャラバン」では能楽ゆかりの地でそれに見合った演目が上能されるのですが、お東さんで「春日龍神」?
まァ、そこはおいおい知れるのでしょうか。

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お東さん
まで出掛けるのですが、お天気もいいことですし、早めに出向いてちょっとお庭の散策も致しましょう。
というわけで、渉成園
お東さんの飛地境内地で、中国六朝時代の詩人陶淵明の「園日趣(園、日にって以って趣をす)」の詞に因んで渉成園と名付けられ、周囲に枳殻(カラタチ)が植えられていたことから別称を「枳殻邸(きこくてい)」とする書院式回遊庭園
千年余以前は源融が奥州・塩釜の風景を模して作庭した六条河原院があったところで、遠路海水を運ばせて、超広大な敷地を利して塩作りの真似事をされておられたとか。で、周囲には塩竈町塩小路通などしょっぱそうな地名が残る。
河原左大臣こと源融さんは光源氏のモデルの一人とされ、この地は物語りの中では六条御息所のご邸宅を光の君が引き継いで六条院としたところ・・・ともされている。
ええ、前回の「Vol.1」で「葵上」を観能いたしましたからね。

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源家
六条河原院が時の移ろいとともに江戸期には徳川家の所有となって、三代将軍家光公から東本願寺に寄進され今に至り、1653(承応2)年に石川丈山によって現在見られる回遊庭園に改められた由。
印月池」と名付けられた池を中心に書院や持仏堂、3棟の茶室が配置され、それら建造物を含む景観、奇観は独自の趣きから、江戸時代後期の歴史家・思想家・漢詩人・文人の頼山陽が「十三景」と採択し、幾度か罹災による焼失があったもののその都度復興がなされ、1936(昭和11)年に国の名勝に指定された。
今では、周りをぐるっとビルに囲まれちゃって、南を望めば京都タワーがにょっきり建って、六条河原院の名残りも、ましてや御息所邸の面影も無い・・・と思うのだけれど、ヤマザクラやモミジがそろそろ色づこうかという時期でもあって、都会のオアシス、憩いのお庭ではあるでしょうか。
小春日というには少し暖か過ぎて、10月末だと言うのに暑さを感じさせるような眩い光が躍り、木立を抜けるのは金風、水面を渡るのは白風、色なき風が光と戯れることで色彩が生じ、それが木の葉を黄変、紅変させる。
郊外の野辺や山路は大の苦手。街中のこうしたお庭の方が整備も行き届いているでしょうし、歩きやすいし、ワタシ的には好ましい場所。これで歌でも詠めればいいのでしょうが、そうした才はありません。

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今日の番組は12:30開場、13:30開演で、全席自由。ちょっと特殊な舞台見所(客席)ですから、早めに行かないことにはいいお席を取れないので、ランチも前倒しで。
渉成園に程近く、狭く短い路地の奥、一見分かりづらいところにあるカレー専門店を訪ねます。
開店前から行列が出来る人気店ですが、自転車では近づきにくいところで、大体この辺りはあまり立ち寄らない場所。こうした機会でないと訪れられない。
あいがけカレー」を辛口チキンキーマココナッツカレーの組み合わせにして、「鶏のからあげ」と「アイス・コーヒー」を追加オーダーすれば大満足のランチとなる。
カレーもさることながら、揚げたての唐揚げとそれに付いてくるピリ辛のソースが絶妙で、唐揚げひとつじゃあ余っちゃうのですが、残った分は勿体無いからカレーにぶっかけて頂きます。

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行列に並んでそれを味わっていたら12時を回っちゃいました。お東さんへ急ぎます。
普段閉ざされている玄関門が会場へのエントリーで、広大な敷地に大伽藍を誇る東本願寺の、通常非公開となっている白書院が今日の見所に当てられて、能舞台はその前庭にあって、ともに明治期に再建、建造された由。
この能舞台は、江戸時代以降の宗祖御遠忌法要や棟上式などの行事の際に「式能」と呼ばれる儀式として能楽が催され、催しが無い時は大切に保存されているのだとか。
畳敷の白書院に設られた臨時の見所は、舞台に面した広縁から前3列は座布団が用意され、それより後ろはパイプ椅子が並ぶ。キャパシティは300余といったところでしょうか。それが一気に埋まってしまって。広縁に長ァ〜い御御足を投げ出したいところではあるのですが、得られたのは座布団3列目。それでも舞台の真正面。座布団に正座も痺れちゃうでしょうが、パイプ椅子もお尻が痺れちゃうでしょ。
お着物姿のマダムもチラホラ、すぐ眼の前には宮川町のお可愛らしい舞妓さんがお二方いらして、見所も華やか。

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明治期以降その「式能」で演じられたのが能五流のうち唯一ご宗家が京都のおられる金剛流で、先々々代宗家の金剛謹之輔さん(1854年10月06日 - 1923年08月02日)もこの舞台に立たれたそうで、それがご縁で今回「日本全国 能楽キャラバン」の一環として謹之輔没後100年祭がこの舞台で催される。
これまで拝見した「能楽キャラバン」では演能に先立ち「対談」や「鼎談」がプログラムされていたのですが、今回は「おはなし」として能楽金剛流職分種田道一さんによる「漫談」・・・みたいな解説・・・というか「雑談」?
一応「春日龍神」の解説なのですが、そこに登場するワキが実在の人物、鎌倉時代前期の華厳宗の僧、明恵上人とあって、栂尾にある真言宗高山寺の縁起から始まって、「鳥獣戯画」やら紅葉時期の賑わい、さらにはデューク・エイセスが歌った「女ひとり(永六輔作詞・いずみたく作曲)」、♪ きょうとォ とがのお こうざんじィ ♪になったかと思うと、明恵さんの業績に触れ、筋立ての舞台が春日大社で鹿がお上人を迎えるために頭を垂れたエピソードを捉えて餌が欲しくて誰にでもそうするなんてことを話したのちにようやく入唐渡天の逸話から話しの本題となって、金剛流能春日龍神 龍神揃」の筋立てや役柄、今回の演出のご説明。

ワキが先述通り実在の僧、明恵上人
仏教の聖地であるインドを訪ねようと志し、春日社に暇乞いに立ち寄ってみれば宮守の老人(前シテ)が現れて、唐や天竺に行くまでもなく、国内にもそこを擬した聖地があって、すでに仏教も広まっているのだから、入唐渡天は諦めろと宣う。
神託を授けに来た時風秀行と名乗る老人は、今夜ひと晩待てば三笠山を天竺として釈迦の誕生から仏陀伽耶での成道、霊鷲山での説法、沙羅双樹の林での入滅まで、釈尊の一生を見せようと言って姿を消す。
彼こそ実は・・・、とお能によくあるストーリー展開。
今回はスペシャル版で小書が付いて「龍神揃」。
通常後シテ龍神ひとりであるのに対して、後シテ龍王として、眷属の八大龍王ツレとなって総出演!!
通常版では謡いと語りの中で紹介されるだけで姿の見えない八大龍王が「龍神揃」では顕現化されて、各々自ら名宣を挙げちゃうのだとか。
本来は「石橋」のお獅子のような激しい舞いを演じる後シテ(龍神龍王)のお役を勤められるのが金剛流二十六世宗家、御歳70歳の金剛永謹さんとあってか、龍王は絢爛な装束に巨大な龍の拵え物を戴いて鷹揚なお振る舞い。代わりに艶やかな装束を召された龍女二人が優美に舞って、ずらりと居並ぶ龍神五人が勇壮な舞いを担う。

・・・と「おはなし」に被さるように揚幕の奥から「お調べ」が聴こえてきて・・・。

東本願寺能舞台見所となる白書院大寝殿などの伽藍を巡る廊下から突き出すような形で、それらと橋掛かりで繋がり、表小書院鏡の間に当たるのでしょうか。
見慣れた鉄筋コンクリート造の能楽堂と違って、小春日の日差しが躍り色なき風が吹き抜けて舞台脇の木々の枝々を揺らし、時折り小鳥が低く横切ったかと思うとカラスがカァ~と屋根の上、遥か上空には無粋なヘリコプターがパタパタと。
日常的な風景と異界感のある佇まい、それらが「お調べ」に乗って渾然となり、囃子方地謡方が座着いて、西洋音楽でいうところの序奏部、「次第」が奏でられるともうお東さんのお庭は1,000年前へタイム・スリップ。
明恵上人(ワキ)が二人の従僧(ワキツレ)とともに橋掛かりから舞台へと歩まれると、そこは京都・栂尾から奈良・春日の里へのそこそこ長い道中。
お三方とも徳の高い僧であって、良いお装束でいかにも威厳のある様子。角帽子の垂れや水衣の大きな袖が、屋外ならでは、風になびいて如何にも旅の途中。
名宣」から「道行」、氏素性を語り、来訪理由を告げるともう春日社
おはなし」で語られた通り、ストーリー的には入唐渡天に向けて暇乞いに訪れた明恵上人ご一向が宮守の老人と出逢うのですが、舞台上の展開ではワキワキツレ脇座に控えてシテの出を待つことになります。
そのシテ宮守の老人は、白髪と白髭を蓄えた「」という老人態の(おもて)に翁烏帽子を戴いて、縷狩衣の袖を捲り上げ、神庭のお掃除でもされておられたのか萩箒を携えて、歳を重ねた神職のようでありながら、威厳と風格は如何にも神の化身らしく見受けられ、「一声」からの謡いでは春日の里から幽玄の境地へと誘われるようで思わず手を合わせちゃう。鬘桶に腰掛け、縷狩衣の袖を下ろし、萩箒に持ち替え、居住まいを正して神慮を説くお姿はとても神々しく見える。
龍神揃」ではシテツレ()まで従えて。
宮守の老人こと時風秀行明恵上人に、入唐渡天は辞めよと諭す。
彼の地に仏は既になく、今や春日山や比叡山、吉野金峰山、筑波山が聖地であって、唐や天竺まで出向く必要はないとまで仰言る。衆生救済のために釈尊は明神に示現されてここに御坐すのだと明かされる。
釈尊の偉業をここに再現して見せようと仰せになって・・・。

前シテ中入り鏡の間龍神さまに変身(?)している間に間狂言(末社の神)がことの顛末をお浚い、後段に始まるスペクタクルへのアントラクト。朗々と語る間奏曲。
その後段。通常版では龍神が颯爽と駆け込んでくるのですが、今回の「龍神揃」では龍王を筆頭に、二人の龍女、五人の龍神が連なって八大龍王の厳かな隊列。
後シテ龍王赤頭を白いそれに変え、法被も白地に金をあしらい、頭上の龍戴・・・龍を象った飾り物も一際巨大で背中から腰まで届く大きさ。右手には大きなを携えて、(おもて)も「黒髭」とは違って見えるが・・・。威風堂々、神王たる風格。
二人の龍女は「小面」でしょうか、若女の長絹大口袴を持って。
五人の龍神は「黒髭」に赤頭で、色とりどりの法被打杖
「癋見」が吽と唇を噛み締めているのに対して、「黒髭」は阿吽の阿、顔全体、見開いた眼や剥き出しの歯まで金泥の金色で、水棲の龍を表すほぼほぼ龍神専用の(おもて)。
龍女龍神龍戴は通常サイズ?!
「葵上」の破れ車や「巴」の馬がそうであるように、本来の八大龍王は詞章の語りや謡いにあるだけでそれと感知しないといけないのだけれど、今日はそれを具現化、実体化、ズラリと並んで、おひと方でも威容なのに、異様と見えるほど??

まァ、よくよく考えれば、春日社でお釈迦様の生涯を示すのが龍神さまというのも可笑しなお話し・・・とも思えるのですが、八大龍王は法華経に書かれた護法の龍。経文を会得することで仏陀となるのだとか。独りの龍神でも霊験あらたかに思えるものを八人掛り。余程に、明恵上人の釈尊への敬慕が深いということなのでしょう。
詞章をよォく聴くと、さらに百千の眷属を引き連れているとかいないとか!? 考えようによっては、見所にいる我々がその任に当たるということでしょうか。来場しこの曲を観聴きするからは等しく仏弟子であるということ・・・かも? 理解することでブッダになれちゃう?

三間四方の本舞台脇座にはすでにワキワキツレのお三方がおられて、そこに龍王さまご一行八名様のご到来では余りに過密。地謡座には地謡方が8名、後座には囃子方4名に後見2名が座してソーシャル・ディスタンスもフィジカル・ディスタンスもあったもんじゃない。本舞台に進まれるのは龍王龍女二名に龍神二名の選抜五名(上図参照)。残りの三名は橋掛かりに等間隔に並ぶ。
通常版で後シテ地謡方が紹介する八大龍王。この演能ではそれぞれが名ノリをあげながら見栄を切るような型、ポーズを決めて、それがさながらスーパー戦隊シリーズみたいで差し詰め「龍神戦隊リュウオウジャー」ってところでしょうか?? ちょっと面白い演出。お子さんが観たら喜ぶどころか、怖くて泣いちゃうでしょうが・・・。ええ。
因みに、詞章に詠まれる龍王は八大と言いながら百千の眷属まで含み、何故か12名の名前が紹介されて、もう誰が誰だか解らない。
釈尊の生涯を現す「舞働」は分担作業。龍王さまは一旦後ろに控え、最初に龍女二名がたおやかに舞い、続いて龍神五名が勇猛に威勢を示す舞い・・・スペースの関係であまり飛んだり跳ねたり出来ないようですが・・・、〆は龍王さまが厳かに舞われて、初心者のワタシにはそれがどう仏陀の生涯を表現しているのか読み取れないのですが、なんとなく有り難いような心持ちにはなってくる・・・ような。
それで八大龍王に凄まれて威されすかされたらいかに明恵上人といえども従わない訳にはいかないのでしょう。入唐渡天は辞めて、仏跡を尋ねることもご辞退される。
それを聞き届け、龍王ご一行は猿沢池へと消えて行く。

・・・と、まァ、前段はともかく、後段は荒唐無稽というか、ファンタジック・スペクタクル。
筋立て的には暇乞いに訪れた明恵上人明神の使いの龍神が思い留まらせたと至ってシンプル?

古今著聞集』から明恵上人のエピソードに取材し、一説には金春禅竹の作とも、世阿弥作とも伝わる「春日龍神」。
自ら40年に渡る『夢紀』を記し、夢と現実の間を彷徨いつつ、釈尊への敬慕から『大唐天竺里程記』を編んで唐から天竺の仏跡を巡礼しようと試み、史実(?)、伝説では叔母に憑依した春日明神に渡航を止められたとされている。
作能するに当たって、叔母じつは春日明神ではインパクト不足(?)で龍神スペクタキュラーにしちゃったのでしょうが、当時すでにインドの仏教施設はイスラム教徒によって破壊され、唐でも仏教は廃れつつあって、そうした海外事情まで考慮し、対して日本仏教は大いに栄え津々浦々まで広がって、比叡山やその他の霊峰は仏門の聖地として興隆することを言祝ぐ、明恵礼讃、仏教賛美、繁栄を反映するお話しとしたのでしょう。
春日明神を信仰し、彼が訪れたときには参道の草木や鹿までが頭を垂れたとされる明恵上人。彼の徳を称えつつ、彼が詠んだ「山寺は法師くさくてゐたからず心清くばくそふくにても」まで考察し、入唐渡天するまでもなく、何処にあっても心掛けひとつで学問修行が叶うのだというお上人の決意まで含んでいるのでしょう。
まァ、仏の心境に至るために自ら耳を切り落としちゃうくらいストイックだった明恵さんご本人は、原点のお釈迦さまのところまで遡及したかったのでしょうが、求道的な彼を思い止まらせたものもまた仏の教えであると。
そうそう、龍神族が百千の眷属としているのは、春日社が全国に約1,000社あることに由来しているのでしょうか。
神仏分離しちゃって、明恵さんとはお宗旨は異なるけれど、仏教礼讃からお東さんで「春日龍神」が演じられても、まァいいのかなァ。

とにかく、きょうも面白いものを拝見出来て、少ォしずつではあるのですが、能楽が「式楽」とされて今に至る理由が理解出来てきたようにも感じます。
古典芸能も舞台芸術、リベラル・アーツの一環と捉えれば、こうした演目も三学四科へのエントランス。龍王さま御一行が導くのは明恵上人だけでなく、見所にいるワタシも含まれる。観て、楽しんで、学びまで得られる・・・?!
嗜みとはそうしたことを言うのだと思った次第で。

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