はすのえにし [散歩・散走]
早い梅雨時の数週間をリハーサルとした蝉たちが今朝は日の出とともに一斉唱和して、(恐らく体感的には)梅雨が明けたのでしょう。♪コンチキチン♪に負けじと合唱会の幕開け。
午後から大阪でのガムラン・イベントに出掛けるのですが、空いた午前が勿体無くて早朝からのきょう散歩に出たところ7時前後だというのにもう殺人光線的な陽射しが降り注いで気温もうなぎのぼりに高まって、京都はすでに盛夏の候。
午後から大阪でのガムラン・イベントに出掛けるのですが、空いた午前が勿体無くて早朝からのきょう散歩に出たところ7時前後だというのにもう殺人光線的な陽射しが降り注いで気温もうなぎのぼりに高まって、京都はすでに盛夏の候。
夏の庭の花を求めてのきょう散歩。
そのお目当てはハスとなって、それは早朝に花開いて、早起きな分持続性が無いのか昼には閉じてしまう。
そのためもあってか、ハスを名物とするところでは「鑑蓮会」として開門、開園の時間を早めてくださっていたりして。今朝訪ねるのは07:30開門13:00閉門となる法金剛院。
右京区花園に在る律宗五位山法金剛院は1130(大治5)年の創建とされているが、それ以前、元を辿れば清原夏野の山荘跡で、夏野の死後に寺院に改装されたと伝わる。
双丘寺(ならびがおかでら)と呼ばれ、歴代天皇の行幸を仰ぎ、景勝の優れた様から五位の位を授けられ、山号を五位山とする。
858(天安2)年に第55代文徳天皇の発願で伽藍を建立、寺号も天安寺となるが、藤原北家良房との反目から入宮さえ叶わない文徳帝の威光は衰退し、それに伴い天安寺の命運も潰え、第74代鳥羽天皇の中宮であった待賢門院藤原璋子によって再興された際に法金剛院となる。
日本最古と言われる人工の滝「青女(せいじょ)の滝」が作られ、池を掘り、極楽浄土を模した浄土式庭園が形作られ、その周囲には西御堂、南御堂、東御堂、水閣、三重塔に加え待賢門院の御所が並び、桜や菊、楓など四季折々に彩り、賑わいを見せたのだとか。
応仁の乱や天正、慶長の震災で堂宇を失い、円覚十万上人が融通念佛を広めて復興なったのは鎌倉中期に下った頃。
今は、国の特別名勝に指定され、関西花の寺第13番霊場となり、「蓮の寺」として知られる。
受付時にパンフレットとともに使い捨ての簡易スリッパが渡される。お堂に入るのに足袋跣では宜しくないということなのでしょう。
取り敢えずお目当ては庭の花、それらはひとまずバッグにしまって、池の周りをひと巡り。
汗が退いたところで、ご本尊の阿弥陀如来を始め、十一面観世音菩薩、僧形文殊菩薩、地蔵菩薩が居並ぶお堂に上がってご対面。
定朝の三阿弥陀のひとつとされる木造の阿弥陀如来坐像は坐高2.27mにもなり、僧形文殊菩薩、地蔵菩薩とともに平安後期の作。昨年に国宝の指定を受ける。
厨子入木造十一面観音坐像は鎌倉期の作で、坐像で四手の十一面観音は珍しいものであるとか。
今を見頃とする蓮は、池を埋め尽くすだけではなく、その周囲に鉢植えされてずらりと並び、それらは幾種類もあるのでしょうか、それぞれに表情も異なって、色目や花弁の形も様々。
8時前にして炎昼の陽射し、炙るようなそれを受けてもものともせぬようなお花は凛とした気品すら感じられ、「蓮は泥より出でて泥に染まらず」溽暑すら寄せ付けないのでしょうか、ロータス効果(ハス効果、Lotus effect)と呼ばれる超撥水性能は熱い太陽光さえ跳ね返すのかしらと思えてしまう。純粋さや善性、聖性のシンボルとされて、五濁悪世にあっても悪しきに馴染まぬように生きよと浄土を模した庭園にあって督励するかのように笑む。
これくらいの暑さに萎れていてはいけないのでしょうね。艶やかな花冠を支える花軸もしゃんと真直ぐに伸びて。
品種の違いでしょうか、陽当たりに依るものか、大きく開花したものもあれば蕊も萎れて花托だけになったものもあり、まだ小さく堅い蓮蕾もあって、その中間、笑みの眉開くかに見えるものもある。開花の瞬間が知りたくて、じっと定点観測してみるも花の生長より先にこちらが陽射しに萎れてしまう。
思い通りにいかないお花。
ハスは『ラティラハスヤ』などインドの性典の中では女陰の象徴とされて、クラス分けで「蓮女」は最上位とされる。
般若経典では睡蓮とともに蓮華と呼ばれ、「泥中の蓮・蓮は泥より出でて泥に染まらず」、泥に象徴される俗世に生れても大輪の華を咲かせる蓮華は美しい生き方の見本とされて、白蓮華は煩悩に穢されることのない清浄な仏心を表し、紅蓮華は仏の大悲から生じる救済を示すとされる。
その一方で、「蓮葉女」となると蓮っ葉としてお転婆、生意気、媚を売る、馴れ馴れしいなど軽はずみな言動をする女性や浮気性で軽薄な女性を指す。
ロータス・エフェクトの水滴をコロコロと転がす様から、邪まな心を抱え軽はずみに手を出した末に欺かれ、手玉に取られているように感じられたのでしょうかねェ。
歌僧にして六歌仙、三十六歌仙のひとり、遍昭さんまでが「はちす葉のにごりにしまぬ心もて なにかは露を玉とあざむく」と詠んでおられるし、聖性を持ちながら戒律によって女犯とされる俗なるもの、悩ましいもの・・・のシンボル・・・なのでしょうか。
遍昭さんがまだ色好みな良岑宗貞であった頃は相当にご苦労されたのでしょう。
桓武天皇の孫で僧正にまでなられたお方でさえそうなのだから、ワタクシごときはゲスの極み、奥方から罵られ、母上からお小言を頂戴するのも無理からぬこと・・・と開き直り。頭を丸めてこいの、地の底に落ちても追い掛けて説教しますえと言われるのも仕方ないこと。
・・・と、なんの話しでしたっけ。
蓮華、ハスやスイレンは極楽浄土に咲く花とされて、絶代の美貌を謳われた魔性の女(とされる)待賢門院さんもそれを自らの御所に再現しようとされたのでしょう。
理性は聖なるものを目指しても、感情は俗に染まってしまう。
ワタクシごとき俗人は極楽に行くための知識を持たず、知恵を得ず、智慧に到る術すら知らず、母をして地獄行きの宣告がされているのだから、今のうちに精々ハスやスイレンを観ておかないといけない。多少なりとも煩悩に穢されることのない清浄な仏心を抱けるように努めないといけないのでしょう。
祖父や父、すでに没した知人も極楽には行けず、地の底にあるでしょうし、弟やまだ存命の友人たちもどうせそちらに落ちるのですから、寂しい思いをすることはないでしょうが、母までがそちらに同行するとなってはさすがに申し訳無い。っていうか、其処に到ってまでもお小言を頂戴していてはそれこそ地獄? 今からでも精進しなくては・・・。
♪コンチキチン♪となってここまでが灼熱、炎熱。猛暑、酷暑でもう出歩くことも難しくなるでしょうから、お庭巡りのきょう散歩はひと休み。来週からはエアコンディショニングされた美術館や映画館でアート三昧、シネマ三昧で暑気払いでしょうか。
とにかく、午後は大阪でガムラン三昧です。
そのお目当てはハスとなって、それは早朝に花開いて、早起きな分持続性が無いのか昼には閉じてしまう。
そのためもあってか、ハスを名物とするところでは「鑑蓮会」として開門、開園の時間を早めてくださっていたりして。今朝訪ねるのは07:30開門13:00閉門となる法金剛院。
右京区花園に在る律宗五位山法金剛院は1130(大治5)年の創建とされているが、それ以前、元を辿れば清原夏野の山荘跡で、夏野の死後に寺院に改装されたと伝わる。
双丘寺(ならびがおかでら)と呼ばれ、歴代天皇の行幸を仰ぎ、景勝の優れた様から五位の位を授けられ、山号を五位山とする。
858(天安2)年に第55代文徳天皇の発願で伽藍を建立、寺号も天安寺となるが、藤原北家良房との反目から入宮さえ叶わない文徳帝の威光は衰退し、それに伴い天安寺の命運も潰え、第74代鳥羽天皇の中宮であった待賢門院藤原璋子によって再興された際に法金剛院となる。
日本最古と言われる人工の滝「青女(せいじょ)の滝」が作られ、池を掘り、極楽浄土を模した浄土式庭園が形作られ、その周囲には西御堂、南御堂、東御堂、水閣、三重塔に加え待賢門院の御所が並び、桜や菊、楓など四季折々に彩り、賑わいを見せたのだとか。
応仁の乱や天正、慶長の震災で堂宇を失い、円覚十万上人が融通念佛を広めて復興なったのは鎌倉中期に下った頃。
今は、国の特別名勝に指定され、関西花の寺第13番霊場となり、「蓮の寺」として知られる。
受付時にパンフレットとともに使い捨ての簡易スリッパが渡される。お堂に入るのに足袋跣では宜しくないということなのでしょう。
取り敢えずお目当ては庭の花、それらはひとまずバッグにしまって、池の周りをひと巡り。
汗が退いたところで、ご本尊の阿弥陀如来を始め、十一面観世音菩薩、僧形文殊菩薩、地蔵菩薩が居並ぶお堂に上がってご対面。
定朝の三阿弥陀のひとつとされる木造の阿弥陀如来坐像は坐高2.27mにもなり、僧形文殊菩薩、地蔵菩薩とともに平安後期の作。昨年に国宝の指定を受ける。
厨子入木造十一面観音坐像は鎌倉期の作で、坐像で四手の十一面観音は珍しいものであるとか。
今を見頃とする蓮は、池を埋め尽くすだけではなく、その周囲に鉢植えされてずらりと並び、それらは幾種類もあるのでしょうか、それぞれに表情も異なって、色目や花弁の形も様々。
8時前にして炎昼の陽射し、炙るようなそれを受けてもものともせぬようなお花は凛とした気品すら感じられ、「蓮は泥より出でて泥に染まらず」溽暑すら寄せ付けないのでしょうか、ロータス効果(ハス効果、Lotus effect)と呼ばれる超撥水性能は熱い太陽光さえ跳ね返すのかしらと思えてしまう。純粋さや善性、聖性のシンボルとされて、五濁悪世にあっても悪しきに馴染まぬように生きよと浄土を模した庭園にあって督励するかのように笑む。
これくらいの暑さに萎れていてはいけないのでしょうね。艶やかな花冠を支える花軸もしゃんと真直ぐに伸びて。
品種の違いでしょうか、陽当たりに依るものか、大きく開花したものもあれば蕊も萎れて花托だけになったものもあり、まだ小さく堅い蓮蕾もあって、その中間、笑みの眉開くかに見えるものもある。開花の瞬間が知りたくて、じっと定点観測してみるも花の生長より先にこちらが陽射しに萎れてしまう。
思い通りにいかないお花。
ハスは『ラティラハスヤ』などインドの性典の中では女陰の象徴とされて、クラス分けで「蓮女」は最上位とされる。
般若経典では睡蓮とともに蓮華と呼ばれ、「泥中の蓮・蓮は泥より出でて泥に染まらず」、泥に象徴される俗世に生れても大輪の華を咲かせる蓮華は美しい生き方の見本とされて、白蓮華は煩悩に穢されることのない清浄な仏心を表し、紅蓮華は仏の大悲から生じる救済を示すとされる。
その一方で、「蓮葉女」となると蓮っ葉としてお転婆、生意気、媚を売る、馴れ馴れしいなど軽はずみな言動をする女性や浮気性で軽薄な女性を指す。
ロータス・エフェクトの水滴をコロコロと転がす様から、邪まな心を抱え軽はずみに手を出した末に欺かれ、手玉に取られているように感じられたのでしょうかねェ。
歌僧にして六歌仙、三十六歌仙のひとり、遍昭さんまでが「はちす葉のにごりにしまぬ心もて なにかは露を玉とあざむく」と詠んでおられるし、聖性を持ちながら戒律によって女犯とされる俗なるもの、悩ましいもの・・・のシンボル・・・なのでしょうか。
遍昭さんがまだ色好みな良岑宗貞であった頃は相当にご苦労されたのでしょう。
桓武天皇の孫で僧正にまでなられたお方でさえそうなのだから、ワタクシごときはゲスの極み、奥方から罵られ、母上からお小言を頂戴するのも無理からぬこと・・・と開き直り。頭を丸めてこいの、地の底に落ちても追い掛けて説教しますえと言われるのも仕方ないこと。
・・・と、なんの話しでしたっけ。
蓮華、ハスやスイレンは極楽浄土に咲く花とされて、絶代の美貌を謳われた魔性の女(とされる)待賢門院さんもそれを自らの御所に再現しようとされたのでしょう。
理性は聖なるものを目指しても、感情は俗に染まってしまう。
ワタクシごとき俗人は極楽に行くための知識を持たず、知恵を得ず、智慧に到る術すら知らず、母をして地獄行きの宣告がされているのだから、今のうちに精々ハスやスイレンを観ておかないといけない。多少なりとも煩悩に穢されることのない清浄な仏心を抱けるように努めないといけないのでしょう。
祖父や父、すでに没した知人も極楽には行けず、地の底にあるでしょうし、弟やまだ存命の友人たちもどうせそちらに落ちるのですから、寂しい思いをすることはないでしょうが、母までがそちらに同行するとなってはさすがに申し訳無い。っていうか、其処に到ってまでもお小言を頂戴していてはそれこそ地獄? 今からでも精進しなくては・・・。
♪コンチキチン♪となってここまでが灼熱、炎熱。猛暑、酷暑でもう出歩くことも難しくなるでしょうから、お庭巡りのきょう散歩はひと休み。来週からはエアコンディショニングされた美術館や映画館でアート三昧、シネマ三昧で暑気払いでしょうか。
とにかく、午後は大阪でガムラン三昧です。
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