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古寺名刹の庭 [散歩・散走]

さて、今日もきょうとて京都の夏の庭・・・と言うより、夏の池に咲くお花を観に行くわけですが、少々野趣が過ぎて、冒険心が唆られちゃって遭難の危機?


避密(注・秘密ではありません)の庭散策、今回も洛外に遊びます。
今日訪ねるのは縁辺の山科区。
京都のお寺さんと言うと、歴史が古いうえに、少なからず皇族や公家に関わりがあって、いわゆる門跡寺院が其処此処にあるわけですが、今日訪ねるお庭もそうした寺格を設えたところで、まずは真言宗山階派大本山亀甲山勧修寺から。

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第60代醍醐天皇
を開基とし、開山は承俊千手観音菩薩をご本尊とする山階門跡。醍醐帝が生母、藤原胤子の追善のために建立した(とも伝わる)寺院。
元は醍醐天皇の外曽祖父、胤子の祖父のお邸が在ったところで、「勧修寺縁起」によると胤子の死後4年、900(昌泰3)年の創建とされるが、胤子自身が生前に建立したという記録もあり、それに従うと896(寛平8)年となる・・・らしい。母の発願を息子が4年掛りで叶えたってことでいいのではないかと思う。でもないのか。
ここら辺りはこのお寺さんに因んで勧修寺町となっているが、同じ漢字を当てて、寺号は「かじゅうじ」と読み、地名は「かんしゅうじ」と読ませる。ニホンゴ トテモ ムツカシイデス。
勧修寺町の広さから察するに、かつての勧修寺はとても広闊であったのでしょう。
ところが、皇族や藤原家の支援の下の繁栄も、御多分に洩れず応仁の乱で伽藍の大半が焼失し、再建ままならない中、豊臣秀吉が京都から伏見まで街道を通す際には池の一部を埋め立てられたりもし、そのご威光に翳りが生じて。
そんな状況でも、南北朝時代から幕末までは代々皇族方が法親王、入道親王としてご入山されて、江戸時代には皇室と徳川家から庇護を受けての再興、本堂を始め五大堂や書院、宸殿など歴代天皇の旧殿を移築したもので境内を埋め尽くし、絶佳のお庭とともに今に残る。
そうした伽藍は通常非公開でもあって、例によって、信心を持たないワタシはお庭に遊ばせて頂きます。

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古い時代のお寺のお庭で、禅宗寺院でもなく、枯山水や洗練された池泉回遊式でもないのだけれど、宸殿や書院の前には平庭があって、その向こうは氷室池を中心にした庭苑。
池のこちら側は手入れの行き届いた寺の庭、でも、その対岸は・・・??

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受付から伽藍の合間を縫うような順路を辿ると、眼の前が開け、平庭越しに氷室池があり、その向こうは自然味を残した庭園の木立ち、遥かに視線を伸ばせば借景となる山々が連なって、野趣というかワイルドな雰囲気さえ漂う。端正な趣きの建物とのコントラストが面白い。
兵火にそれら建築物は置き換えられたはずですが、庭苑の樹々は氷室池と同じくらいの歴史を持っているのでしょう。
書院前の小さなお庭には水戸黄門こと徳川光圀が寄進した灯篭が置かれるのですが、それは樹齢750年にもなるという這柏槇(ハイビャクシン)に半ば覆われ、見えるのは天辺の擬宝珠、笠から火袋まで、竿や基礎は埋もれちゃって見えもせず、これでは実用に供することは適いません。
「京都へ来た時は見て通ろうという灯篭」と、小さなランドマーク的名物だったのでしょうか。でも、「通ろう」は「とおろう」で「とうろう」ではありませんからね。

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何れは灯篭どころかお庭を覆っちゃうであろうハイビャクシンが750年なら、順路の傍らに立つ山桃は落雷で二つに割けながらも350年を生き永らえて、池の向こうの木立は1,000年を数えるのだとか。の木は、醍醐天皇の外曽祖父で胤子の祖父、宮道弥益のお邸だった頃か、さらにそれ以前から池とともにあったものか。古都の歴史は数十年や数百年では語れないのですね。

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それに比べると、池のほとりに建つ観音堂は随分新しく見えると思ったら、1935(昭和10)年に建てられたものであるらしい。おまけに、すぐ横に軽トラックが駐車されちゃってて、生々しい生活感が・・・。
お邪魔しながらも、非公開となる本堂に安置されるご本尊、千手観世音菩薩立像に近づくことは叶わないので、こちらの観音さまに手を合わせて。

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庭苑にはそうした老木が多くあって、四季折々に風光明媚であるのだとか。ですが、本日のプラ プランシパル(plat principal)、メインディシュは池いっぱいに盛られた夏の花、睡蓮
その付け合わせ、ガルニチュール(garniture)となるのは、苑路に咲く紫陽花や池の端に僅かに残る花菖蒲半夏生(半化粧)、花を散らせて実が成ったなどなど。それぞれに風味豊か、個性に溢れて、量で圧倒する睡蓮に引けを取らないようで。
アジサイは色鮮やかに。
ハナショウブは妖美な色香を滲ませて。
ハンゲショウは・・・?

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折しも節気は「夏至」。その末候は「半夏生」。
そちらは「はんげ しょうず」と読み、雑節のひとつにも掲げられ、半夏(烏柄杓)という別種のお花が咲く頃を言う。偶々時期が重なり、どちらも生薬の原料とされて、(推測するに)ハンゲショウの方が量も多かったのでしょうか。
半分化粧したような植物が、ほぼ同じ効能を持つ半夏(カラスビシャク)と、ほぼ同じ時期に咲いて、半化粧からハンゲショウ半夏生ずの時候と混同されちゃったのでしょうね。
この時期に花を付ける、ドクダミ科の多年性落葉草本植物。
お花はニョロニョロとした穂状花序を形作るのですが、それが余りに頼り無げで花粉媒介者(送粉者)を誘うには心許ないからか、花序に近い葉が白く染まって擬態して、花弁のフリをして媒介者を呼び込む。
葉の片面だけ白粉を塗ったように白いから半化粧
そうした努力(?)をするのなら、その労力を、本来の花びらを大きく育む方に向ければ良いじゃないかと考えるのですが、小さな穂状花序にも何かメリットがあるのでしょう。
英名・学名はともにSaururus chinensisで、中国、インドに多く分布することもあって、アジアトカゲの尻尾ということらしい。ニョロニョロした花序部だけを見ているのね。和名の方が、断然風情がありますね。

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池の端には藤棚があって、こちらもにょろりと紐状の蔓が垂れ下がり、錘か分銅のようにぶら下がるのは花を終えたあとに実った藤の実。なんとなくだけど、塩茹でして冷たいビールで流し込みたくなるような・・・。

役目を終えた春のお花の名残りは種子となり果実となって、例えば梅の実は梅干しや梅酒に利用され、桜の実はサクランボ、桃の実、そして藤の実。他にも色々。今がちょうど収穫時期。
誰も一顧だにしないけれど、ヤマザクラやシダレザクラの実もひっそりと成って、小さいながらにたわわに実り桜並木の下に落ちていたり。
でも、ヤマザクラなどの実は渋くて酸っぱくて食べられたもんじゃない。ワタシは昨年、(あくまで学術的興味からですが)試しに摘み食いしちゃったんですけど。
ワタシ的には、スーパーマーケットに並んでいるようなアメリカンダークチェリーよりキレイな箱に入ってデパートメントストアの地下に並ぶ佐藤錦とか紅ゆたか、紅さやか、赤い宝石が良いかなァ・・・なんて。
枝豆みたいに見える藤の実も食べられるのだとか。でも、これはさすがに生食は無理でしょ? さて、そのお味は・・・?
・・・なんて言ってる場合じゃなかった。
平日の朝一番でヒトの姿は殆ど無くて、ワタシが藤棚の下で食い気に走っている瞑想に耽っている間に池の周りには誰もいなくなったように見える・・・が、何やらザワザワとした気配が一層強く感じられる。多くの視線まで感じるような・・・。はて?

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丸いスイレンハスの葉で覆い尽くされたように見える水面。その葉の下をゆっくり揺蕩うのは色とりどりの鯉たち。向こうの方では姿こそ見えないものの、ウシガエル連がグウグウと鼾みたいな声をあげて朝の読経会。その最中にゆったりと舞い降りるのはシュッとした姿のアオサギ。二羽、三羽、ワタシがいるのも御構い無しに我が物顔で水面に遊ぶ。
高みから鋭い眼光を投げるのは、池の向こうの梢に止まるアオサギ集団。10羽前後は確認出来るでしょうか。
ヒトの来訪が極端に減って、あるいは全く誰も近付けない時期があって、そうした野生生物が多く増えちゃったのでしょう。

それというのも・・・、

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案内によると池の向こう側にも弁天堂などの建物があって、池を周遊出来るようになっているはず。
で、東側から時計回りに巡ろうとしたところ、半ばに簡易なバリケード。
ならばと西側から反時計回り。と、こちらも同様にとうせんぼ。
枯れ枝が散乱して、危険であるらしい。
ここ数年来、豪雨の影響で庭苑内の樹々が傷み、苑路が荒れているのでしょう。
しかし、「行くな」とは書いてはれへん。「行かれるのはご自由ですが大いに危険」。
昨今の状勢と同じように、先行きが読めないながらも危険が伴うことが予想されるから、ダメとは言わないけれど、重々注意してくださいということね。
かえって冒険心を唆られているような気がして、this is my wayと竹棒を跨いじゃったのはいうまでもない。
が、歩けたのはほんの数歩。
枯れ枝はともかく、地盤が緩んじゃっているようで、護岸処理も十分ではないのでしょう、苑路と岸との区別が薄れ部分的に崩れそうになっているところに水生植物が繁茂してそれを曖昧にしちゃうから、岸辺を歩くと足を取られて落っこちちゃう恐れがある・・・ような。
白花渚」とゆかしい名前を付けられた辺りでUターン。例によってそうした状況に適した衣装でなし、冒険心より理性が勝っちゃうお利口さん。そして何より、ウシガエル連が抗議の声を高めて、アオサギ集団が来るなと見下ろしているように思えて・・・。チョット コワイ。
かつてはそこに張る氷を宮中に献上し、吉凶を占うのに用いられていたという、由緒ある氷室池の南半分は野生動物のサンクチュアリィでした・・・ということにしときましょ。

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次に訪ねるのは美人さん所縁の地(?)、山科区小野辺りは真言宗善通寺派大本山牛皮山随心院
991(正暦2)年、真言宗小野流開祖仁海僧正を開基として開山されたのが前身となる牛皮山曼荼羅寺で、第五世、増俊阿闍梨の時にその子房として建立されたのが随心院
第七世、親厳大僧正の時に門跡宣旨を賜るが、こちらの七堂伽藍も承久・應仁の兵乱に拠って焼失、その後再建された後は一条家、二条家、九条家からかわるがわるご門跡が入山され、それぞれが旧宅を提供し、それが今も伽藍として残る。
地名に遺る通り小野氏所縁の地で、宮勤めを退いたのち小野小町が晩年を過ごしたとされる。

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花の色は移りにけりないたづらに わが身世にふるながめせしまに


六歌仙、三十六歌仙、女房三十六歌仙のひとりにして、『古今和歌集』にも多くの歌が選ばれて、『百人一首』にも選ばれるほどに歌の才能に優れ、踊りや琴でも非凡な腕を示し、世界三大美人の一人でもあって、衣通姫尊の再来と謳われ、彼女が認める文字までが美しかった・・・そうな。
何時何処でお生れになられて、どういう暮らしをされていたのかは定かでないようで、その出自、系譜もはっきりとはせず、本名すら知れず、顔かたち、容姿を留めた絵画や彫像もないのだけれど、ソトオリヒメの再来で世界三大美人の一人とされたのは、それほどまでに彼女の歌は色香溢れるものだったからなのでしょう。
逆に見れば、和歌やそれを物した歌人が広く世間に知れ渡っていた。和歌集が歌カルタとなって広く流布していたのでしょう。若しかしたら、今より文化水準高かったのかも。
そう言えば、フレンチ・ロリータ同様、小町娘だとか○○小町だとか聞かなくなりましたねェ。「こまち」と言えば、お米か新幹線? 今はカワイイばっかりで、才能も無ければ色気すら感じさせない・・・から? なんて言ったら炎上しちゃいますかね。
歴史の表舞台に立つことが少なかった当時の女性ですから、記録も残らず、唯一の手懸りである歌から想像(妄想?)を掻き立てられちゃって、謡曲に歌われ能や歌舞伎の題材にされて、一層美化されちゃったミステリアス・ビューティー。そして、その晩年は・・・。
生誕の地や墓所とされるところはそれこそ日本全国にあって、ここ山科区小野界隈も所縁の地とされる。


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小野小町の生涯を描いた襖絵「極彩色梅匂小町絵図」は一面”はねず色”
 
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小野氏
の邸宅跡が「史跡 小町庭苑」とされて、小町さんが用いたとされる「化粧井戸」や深草少将をはじめ、多くの貴公子から寄せられた千束の文を埋めたと伝わる「小町文塚」が残り、現代になって主に集客目的からでしょうが歌碑が立てられ、納骨堂や梅園には小町の名を戴く。
美貌はともかく、文才と色気だけでも肖りたいと、ご本尊の如意輪観世音菩薩より小町さん。それでは仏罰を頂戴してしまいますか。

お寺さんを、あるいはそのお庭をハシゴするというのもどうかと思うのですが、まだ時間があって、折角の機会ですからもう少し散策を続けます。
が、脚も疲れては来ているし、何よりお腹が空いて来ましたね。といってあまりウロウロとしたくないし、ヒトの多いところも避けなければいけない。
とりあえず、次の目的地に向かいます。

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その名も醍醐山の、裾野から山頂に掛けての約200万坪を境内とする真言宗醍醐派総本山醍醐山醍醐寺
その伽藍は、上醍醐下醍醐の二つに隔てられ、上醍醐准胝堂准胝観世音菩薩をご本尊とし、西国三十三所観音霊場第11番札所となって、下醍醐薬師如来をご本尊とする。
そのお山の名前も、元を糺せば笠取山で、874(貞観16)年に弘法大師空海の孫弟子にあたる理源大師聖宝が開山した際に醍醐山に改名。山号もそれとは別に深雪山。古い由緒とともに、複雑な謂れがあるのでしょうか。
世界遺産にも登録されて、太閤秀吉が催した「醍醐の花見」で広く知られるが、その名の通り醍醐天皇の祈願寺でもあって、その門跡寺院でもある。
お寺さんの方が醍醐天皇の名を戴くのではなく、延喜帝とも呼ばれた天皇亡き後その御陵が勅願寺でもあった醍醐寺近くに造られたことから天皇の追号が醍醐。それだけ醍醐寺の勢力・権力が大きかったということでしょうか。
その広大なご境内を散策する前に腹拵えです。

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醍醐寺
の敷地内には3つの食事処があって、最初、和食の方へ行く算段にしていたのですが、そちらは休業中とのこと。唯一オープンしていたのは霊宝館前にあるフレンチ・カフェ、Le Clos Sous le cerisier
インテリアの設えはIKEAの協力のもと、料理はLe Closグループを率いる黒岩功氏が監修されて、カジュアルなフレンチ・スタイル。
ル・クロ スゥ ル スリジェ」はル・クロのシェフがプロデュースし、「醍醐の花見」に肖った命名、「桜の樹の下」。勿論、今のテラスの向こうは葉桜ばかり。
葉桜が望めるテラスに一番近い、風が通るお席で頂くのは、「ジューシーなハンバーグ フランス人が考えた和風クリームソース 薬膳ハーブスープ付」。

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オーダーから程なくしてテーブルにサーヴされたのはフレンチ・トリコロールな三段重。
一番上で中身が見えているのは、ココットに入ったプラ プランシパルとバケット。
メニューの基本はココットに入ったハンバーグだけで、バケットorライスはオプション。
二段目の白いお重には、やはりオプション追加したサラダ。
一番下の青いお重はオプションのデザートで、これもトリコロール仕立て(?)の三種盛り。
別に薬膳スープと追加オーダーしたお茶(アイスダージリンティー)があって、なかなかにヴォリューミー。
薬膳スープは、生姜を中心としたスパイスがやや和風寄りな出汁風味の中に溶けて、ホットというよりホッとするような柔らかい味付け。お薬師さんのご利益のお味?
ハンバーグも柔らかくて、和風クリームソースはそれほどクリーミーでもなく薬膳スープに近い和風が勝った味わい。
ちょっと柔らか過ぎるお肉より和風クリームソースがよく沁みたロマネスコやズッキーニの甘みがとても美味。
でもね。
フラクタルな形状でフィボナッチ数を感じさせるロマネスコ。ついつい花蕾の数を数えたくなっちゃうでしょ。そして眼が回る?!

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薬師如来
のご利益でしょうか、薬膳が効いちゃったのでしょうか、諸病悉除、災難、刑罰を免れ、憂苦を解脱した・・・とまでは言わないけれど、(単にお腹が空いてただけかしら)身体が回復してきたような気になります。広い境内の散策に向かいます。
随分と新しいものも加わるが、ゆったりと配置された伽藍の殆どが時代を経たもので、そのうち幾つかは国宝に指定されて、他も多くが重要文化財とされて、全部纏めて世界遺産。
金堂は平安時代後期に紀州国湯浅満願寺で建立されて豊臣秀吉が移築させたもので、五重塔は951(天歴5)年に20年の歳月を掛けて完成なった京都最古のそれであるとか。
金堂内に日光菩薩月光菩薩四天王を従えるのはご本尊となる薬師如来坐像。居並ぶ仏様にお礼を述べてから、境内の奥へと進みます。

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無量寿苑
と名付けられた庭苑は弁天池を中心とし、上醍醐から引かれた遣水とともに景観の基幹となって、その周囲を多くの樹々が取り囲む。
鬱蒼とした緑の中、眼を引くのは紅い弁天堂とそこに至る橋。残念ながら、モネ好みする水生植物は無いのだけれど、如何にも古い日本庭園の美観があって、弁天堂はその北側の小さな滝と相まって偉観を作る。
苑路を辿って、その滝の先、遣水を遡ると別の滝があり、そこから先は上醍醐。現代的な金属柵とゲートを抜けて、下醍醐を離れることになる。
そこから向こうは・・・、
醍醐寺の開創の地で、西国三十三所観音霊場。遣水の源流、清瀧宮本殿があって、「醍醐水」と名付けられ飲ませて頂くことも出来るようなのですが、様式的なお庭はなく、そこに至るのも山路を相当な距離歩かなければいけないらしい。上ったらその分降りないといけないし、ちょっと無理かも。
一番手前が女人堂となっているから、かつての修験道の趣きがそのまま残るのでしょう。遊び半分で近づくことは許されないような気配も感じる。
今日はここまで。この先は、もう少し精進してから再訪することに致します。

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