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あやしいVSあやしい?! [散歩・散走]

最近は美術館も増えて、それぞれが工夫を凝らした企画展を催してくれて、個展や回顧展、何処かの美術館や個人蔵のコレクションを遠く離れた地へ出張展示するもの以外に、特定の主題(テーマ)ばかりを集めたセレクション展も多くなって、例えば舞妓をモデルとする作品を集めたり(→記事参照)、「美人画(美人絵)」の特集であったり(→記事参照)、椿図(椿絵)ばかりを並べてみたり(→記事参照)。
今日拝見するのは飛び切りユニークなスペシャル・マニアック?
大阪歴史博物館で「あやしい絵展」を鑑賞いたします。
「あやしい」って何なん?


「あやしい」と聞いて思いつくのは、怪物や怪人、怪異に怪奇など、何やら穏やかならぬ事物。
ですが、
あやしい、怪しい、妖しい、異しい、奇しい、彩しい、綺しい、綾しい。あるいは、妖怪、奇怪、奇異なるもの。
英語だと、uncertain、unsure、uncertain、incertain、dubious、doubtful、mysterious、secret、mystic、orphic。広げると、strangeとかuniqueまで入るでしょうか。
怪物などをいうmonsterの語源はラテン語のmonstrumで、正体は判らないながらに存在を感じることが出来る事や物を表し、monition(警告・忠告)やmonitor(忠告者・監視者)、monument(記念碑・遺物)にも繋がるから注意を促すものであり、思い出させるもの、気付かせるもの・・・と捉えることが出来るでしょうか。
美味しいものには毒がある?! 綺麗な花には棘がある?!
でもね。
一度は喰いたいフグの肝。何よりやっぱり薔薇が好き。何か、ヒトを魅了する、それこそ「あやしい」魅力があるのでしょう。

あやしい.jpg

会名が「あやしい」と平仮名表記されて、随分と思わせぶりに意味深長。
「怪しい」だと常とは異なり、疑わしい様子、不審な様子を表し、「妖しい」だと神秘的で人を惑わす様子、不思議な魅力を持っている様子を示す。
常とは異なる・・・異常ということで「異しい」。
「奇しい」だと風変わりな様。
どこか艶めかしくて美しいものも「あやしい」とされるが、そちらは「彩しい」や「綺しい」。
ちょっと斜(はす)に見ちゃうようで、「綾しい」。
稀しいものや訝しいもの、普段眼にすることのないもの、思わず二度見しちゃうようなものをいうのでしょうか。
微妙にして曖昧で、「あやしい」と「美しい」は紙一重?

というわけで、

「美しい」だけでは括ることのできない魅力を持つ作品を紹介するというエキシビション。
キャッチコピーも「絵に潜む真実、のぞく勇気はありますか?」となかなかに挑発的で・・・。

お休みの日は決まって黒尽くめのちょっと風変わりな出で立ちにサングラスで、ワタシも常々奥様から「怪しい」と言われちゃっているのですが、一部ではミステリアスな妖しい雰囲気を醸す(?)とみられているようで、何れにせよ「あやしい絵」に引けは取らない・・・はず?! あやしさに惑わされることも無いでしょう。

この催しのために集められたのはほぼほぼ絵画作品ばかり160点で、東京会場のみ公開となるものや、大阪でも会期中の展示替えがあって、今日拝見出来るのは80点余り。
ダンテ・ゲイブリエル・ロセッティやアルフォンス・ミュシャ、エドワード・バーン=ジョーンズの作品も観られるのですが、殆どが日本人画家の作品で、主に江戸・幕末から昭和期に掛けての日本画、洋画、雑誌表紙や挿絵など。
それが時代ごと、時代順で3つのチャプターに区切られる。

大阪歴史博物館6階特別展示室の会場入り口付近、入ってすぐに受付嬢みたく(?)佇むのは緋色の袴に絢爛たる打掛姿の女性像、安本亀八作「白瀧姫」。等身大の、いわゆる「生人形(いきにんぎょう)」。
1893年開催のシカゴ万国博覧会に出品、帰国後は織姫神社近くの倉庫で永眠されていた由。”発見”から修復されたのはいいけれど、此度は”あやしいもの”にされちゃって。
エントランスののっけから意表を突くような展示品。”あやしい”というより、びっくりしちゃう。

それに連なる「1章 プロローグ 激動の時代を生き抜くためのパワーを求めて(幕末~明治)」には歌川国芳やその門下、月岡芳年と落合芳幾の浮世絵作品。
師匠が歌舞伎の演目「四谷怪談」や「源頼光ご一党vs土蜘蛛」など広く知られた怪異を描けば、血まみれ芳年は揃物の「武者絵」、「無残絵」に新聞のいわゆる三面記事の挿絵、芳幾は新聞挿絵のみ。
東京会場では曾我蕭白「美人図」が筆頭だったようで、それも拝見したかったのですが、大阪では主に凄惨な、おどろおどろしいような怪異画のラインナップ。
後期日程では、河鍋暁斎「地獄極楽図」が観られるらしい。

このエキシビションのテーマ(主題)ということになるのでしょうか、「2章 花開く個性とうずまく欲望のあらわれ(明治~大正)」は5つのセクションに分類されて、「2章-1 愛そして苦悩 - 心の中をうたう」から。
そこに集められたのはマスメディア、印刷媒体が主で、藤島武二、ロセッティ、ミュシャ、バーン=ジョーンズの手になる作品群。
藤島作品は絵画とともに、彼がアール・ヌーヴォー風の装丁を施した鳳(与謝野)晶子の処女歌集『みだれ髪』であるとか、口絵を担当した与謝野鉄幹・晶子『毒草』が置かれる。
海外勢は公演に向けてのポスター作品で、ミュシャは言わずもがなのサラ・ベルナールからの委託品。でも、大阪前期は『Gismonda(ジスモンダ)』だけというのが寂しいところ。
お花をタイトルとした作品が多いことでも知られるバーン=ジョーンズは『フラワーブック』シリーズからの抜粋。外題とはなっても、お花自体は描かれていない。
まァ、「あやしい」ものだけ限定ですから仕方無いのでしょう。これらは妖美、あやしいと美しいが綾織りになっているものということでしょうか。

「2章-2 神話への憧れ」として展示されるのは、青木繁の作品が僅かに3点。28歳で早世した、半ば伝説中の、流浪の画家は完成作品も少なくて「神話×あやしい」となると点数はより限られちゃう。
それでも、代表作とされる「黄泉比良坂」本画と、下絵ではあるのですが「わだつみのいろこの宮」を拝見することが出来ます。

「2章-3 異界との境(はざま)で」では、いよいよあやしくも美しい女性たちが居並んで、妖しい「美人画」?
村上花岳や橘小夢、木村 斯光が紀州・道成寺に纏わる『安珍・清姫伝説』を元に描いた絵画や泉鏡花『高野聖』に取材したもの。オスカー・ワイルド『サロメ(Salomé)』からはよく知られたオーブリー・ヴィンセント・ビアズリーの挿絵。蛇に変化しちゃったり、ヒトを獣に変化させちゃったり、預言者ヨカナーン(洗礼者ヨハネ)の首をぶら下げてたり、あやしいどころか魔物、魔女のようで。
河竹黙阿弥作の歌舞伎狂言『白縫譚』から大友宗麟の娘、若菜姫(白縫)。仇討のためとはいえ、こちらも美姫でありながら蜘蛛の妖術を会得しているというのだから、まァ、妖しい、怪しい。
「怪人」というと近寄り難い気がするのに、「妖女」となるとちょっと見てみたくなるのはなんなんでしょうね。怖いもの見たさというより、どこか美しさを備えて魅了されちゃうのでしょうか。
さらに眼を惹くのは、鏑木清方「妖魚」。上半身は美しい裸婦で、下半身は大きな魚の、いわゆる人魚。作品自体もとても巨きな大作で、いかにも日本画風の切れ長の眼が一点を見つめて、その視線の先には何があるのだろうと思っちゃう。
それに並ぶのも人魚、妖しい美人画が得意な(?)橘小夢の「水妖」。妖怪の中でも女性的で美しいとなると人魚になっちゃうのでしょうか。しかも(海)蛇を身体に纏わり付かせて愉悦の表情、怪しい、妖しい。ディ○ニーのアリエルとは随分様子が異なります。ハンス・クリスチャン・アンデルセンもビックリやわ。
同じく橘小夢の「水魔」。1932(昭和7)年に発禁処分を受けた作品。まァ、ねェ、真っ裸で、河童に抱きつかれて、恍惚とした表情を浮かべて・・・。ヌードと妖怪という組み合わせが悪かったんですかね、知らんけど。この場合、あやしいのは女性? それともカッパ?
他には、尾崎紅葉「金色夜叉」の挿絵だったり、口絵だったり。

「2章-4 表面的な「美」への抵抗」には、波々伯部金洲作「三越呉服店ポスター」であったり、北野恒富「淀君」だったり、梶原緋佐子「暮れゆく停留所」、甲斐庄楠音の作品「春宵(花びら)」、「裸婦」だったり、岡本神草、稲垣仲静、秦テルヲ、鏑木清方などなど。「美人画」といえば「美人画」? 内面的リアリティなのでしょうか、暗い色調で少々グロテスクなような、妖美が過ぎる「美人画」?
各々がどういう状況のどういう表情なのでしょうか、見ようによっては蠱惑的とも取れるが、怖くもあるような・・・。

いよいよもってあやしさの佳境は、「2章-5 一途と狂気」
6名の画家による『不如帰』の大きな絵看板が置かれ、鏑木清方や北野常富、上村松園、島成園の作品が並ぶ。
橘小夢が『苅萱(苅萱道心物語・石童丸物語)』に取材した「嫉妬」は、なにやら身につまされる思いがして、そら恐ろしいような。
ワタシが見たかったのは、女性画家「三都三園」の京都と大阪、分けても上村松園作「花がたみ」。世阿弥作と伝わる能『花筐』から色狂いしてしまったのちの照日前。
松園さんはこの作品のために狂人病院を取材し、能面のスケッチを重ね、それに改めて生命を吹き込んだのだとか。衣服の乱れは意に介さず、右手に花筐を携え、その表情は悲哀に満ちているようでいて、切なく儚いようにも見えて、あるいは幽かに微笑んでいるようにも見えて、若しかしたら彼女は言いようのない幸福感に恍惚の境地にあるのではないか・・・とも思えてしまうような蠱惑の面差し。
東京会場では、同じく松園さんが能楽から着想を得た、「葵上」から六条御息所(の生霊)を画題とした「焔(ほのお)」が観られるようですが、大阪には出展されず。これは近々京都で拝見する機会があるようで、大阪をスルーしてそちらに運ばれるのでしょう。

「3章 エピローグ 社会は変われども、人の心は変わらず(大正末~昭和)」
江戸期の風情が残る明治・大正から昭和の御代となって、エログロ(ナンセンス)も一般大衆化? 薄まりながらも普遍的に広まっちゃって。
展示作品も広告図案やマッチのラベル、女性誌の表紙絵やコマ絵、少女向けの雑誌まであやしいとされて。
新聞の連載小説、邦枝完二「おせん」、「お傳地獄」に添えられた挿絵の原画は小村雪岱のお作。
西洋化が進み、旧い時代の因習、しきたりや理りが忘れられ、そうしたものに縛られて暮らすところは流行の変遷、多様化や時代の流れに取り残されちゃって、ある種異界とされて、そこに暮らすヒトたちは「あやしい」者とされちゃったのでしょう。
それがために岡本神草「口紅」や甲斐庄楠音の作品「春宵(花びら)」に観るような花街の芸舞妓や花魁まで「あやしい」の仲間入り!?
神秘的にもみえて、稀しいものや訝しいもの、普段眼にすることのないもの、思わず二度見しちゃうようなものたち。異界に生きる、美しきモンスター。
時代の流れがどんどん速まって、それに取り残されて、トレンディじゃないものやファッショナブルでないものは「あやしい」ということになるのかしら。ある種のダンディズム??
だとしたら、ワタシもやっぱり「あやしい」じゃん?!

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