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G o T o L o N D o N [散歩・散走]

さて、本日の「きょうのミュージアム巡り」は京都を離れ、ジェットセットでGo To London?
英国はロンドン中心部のトラファルガー広場に位置するナショナル・ギャラリーまで遠征致します(って、マジか?!)。


ナショナル・ギャラリー(National Gallery)。
英国はロンドン、トラファルガー広場に在る国立美術館で、松下さんとかPanasonicはなんら関係が無い・・・って、若いヒトには解らへん??

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コロナ・クライシスの影響で延期となっていた「ロンドン・ナショナル・ギャラリー展」が漸くのこと開催の運びとなって、東京に続いて、大阪での巡回展は11月03日から来年01月31日までを会期として国立国際美術館で催される。
過密となることを避けるため、美術館での当日券の販売は無く、その日、その時間と区切られた日時指定入場券を事前に購入しておかないといけなくなって、それが少々厄介。それでもCOVID-19の第3波によるロックダウンで観られなくなるのではないか、公開中止となる前に観ておかないと、と急き立てられるような気もして、気も漫ろ。来年なんて鬼が笑う前に・・・。

「世界初開催! 全61作品日本初公開」と大々的にアピールされて、そりゃあ、世界初なら日本初でしょとツッコミのひとつも入れたくなるが、ナショナル・ギャラリー(のそこそこ主要な所蔵品)が椀飯振る舞いで出張公開、ご近所に来られているのだから一応は拝見しておかないと。

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「西洋絵画の教科書」とも言われ、ヨーロッパ絵画を網羅する質の高いコレクションを所蔵し、英国が誇る世界屈指の美の殿堂と謳われているナショナル・ギャラリーも、国立、国営でありながら元を正せば一個人の収集品で、ジョン・ジュリアス・アンガースタイン氏が集めたヨーロッパ絵画と彼のご邸宅。だから、ミュージアムではなく、ギャラリーなのね。
アンガースタインさんのタウンハウスとそこに所蔵されていた絵画コレクション38点を礎として、ギャラリー開設後に名士の方々からの寄贈、遺贈もあり、歴代館長のお眼鏡に適って買い集めた物を加えて、現在の所蔵数は約2,300点を数える。
コレクションが増えるにつれ、ギャラリーも移転、建替が繰り返され、国営ながらロンドナーたちからの寄付で運営される国立美術館。
フランス王室(と帝室)の宝物殿(?)から国有となったルーブル美術館や女帝エカテリーナ2世のギャラリーを基盤とするエルミタージュ美術館とは成り立ちが随分異なって、規模こそ引けをとるものの、そのコレクションは初期ルネサンスから近代フランス(!!)まで、欧羅巴美術史の根幹となるようなお宝級が犇めいて、「初公開」でもあるのだし、初物七十五日、頂いておかなくちゃ。二ヶ月半長生き出来るなら、コロナ禍を乗り切れる・・・かも?? あッ、75日×61作品で4,575日!! ざっくり12年半も長生き出来ちゃう?!

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ワタシが求めた日時指定入場券は11月13日の朝一番、09h00入場分で、その15分ほど前に国立国際美術館に着いてみると入り口前にはすでに40~50名ほどの行列が出来ていて、全然「過密」を回避出来てへんのんちゃうンって感じ。
9時の開門。シーザー・ペリが設計した、巨大生物の骨格標本みたいなビルディングの内部はガラス張りの回廊で、エントランスや券売所、ミュージアム・ショップとレストランが地下1階に設えられて、展示室は地下2階と地下3階。B1階とB2階の間の吹き抜けにも巨大な現代芸術作品が展示されているので見落としてはいけません。
ロンドンがNational Galleryなら、大阪はThe National Museum of Art, Osaka。中之島に移転する前は吹田市の万博記念公園に在ったのだけど、やっぱり松下さんとかPanasonicとは関係なし。

行列は数名ずつに区切られて、細いエスカレータへと導かれ、それを辿って一番底。地下3階が特別展「ロンドン・ナショナル・ギャラリー展」に用意されたフロアで、そこに初来日となる全61作品が展示される。
それらはパーテーションで区切られて、
I イタリア・ルネサンス絵画の収集 Collecting the Italian Renaissance」には、その掲題通りに、パオロ・ウッチェロカルロ・クリヴェッリドメニコ・ギルランダイオサンドロ・ボッティチェッリティツィアーノ・ヴェチェッリオジョヴァンニ・ジローラモ・サヴォルドジョヴァンニ・バッティスタ・モローニヤコポ・ティントレットの、跪いて手を合わせたくなるような、聖典や神話を題材とする(宗教的)絵画8点。

II オランダ絵画の黄金時代 Dutch Painting of the Golden Age」には、オランダ絵画が全盛を誇った1600年代を代表して、レンブラント・ハルメンスゾーン・ファン・レインフランス・ハルスヤン・ステーンヘーラルト・テル・ボルフヨハネス・フェルメールウィレム・クラースゾーン・ヘーダフィリップス・ワウウェルマンウィレム・ファン・デ・フェルデ(子)の名前が並び、ルネサンス・コレクションと違って、ごく日常的で現実的、とても精緻な人物画や風景画。

III ヴァン・ダイクとイギリス肖像画 Van Dyck and British Portraiture」では、フランドル出身のヴァン・ダイクが英国に齎した影響を読み解く。
チューリップ・バブルで湧いた頃のオランダがそうであったように、ポートレイトを描かせることがロンドンの上級階級でもブームとなって、ヴァン・ダイクチャールズ1世のお抱え。師匠のルーベンスも何度も来訪し作品を描いてはいるのに王室御用達だからかナショナル・ギャラリーには所蔵されてないのン(と思ったら、ダ・ヴィンチ作品と共に門外不出? 出張出来ないようで・・・)。
ここでは、アンソニー・ヴァン・ダイクが1点に、ヘリット・ファン・ホントホルストジョージ・スタッブスジョゼフ・ライト・オブ・ダービーが連なり、トマス・ローレンス作「シャーロット王妃」の隣りには同じくローレンス描くところのアンガースタインさんの肖像画。ロシアからの亡命者である彼は、王族や英国爵位を持つ方々と肩を並べたかったのね、多分。

IV グランド・ツアー The Grand Tour」とは、17〜18世紀の英国でブームとなった卒業旅行?
当時文化的先進国であったフランスやイタリアで見聞を広めようという修学、遊学が半分に物見遊山が半分? この時分の貴族階級では通学より家庭内での完全教育が当然とされて、学校・学級単位や気心知れた友達同士では無く、家庭教師と同伴旅行。監視が着いてちゃあ羽根を伸ばせない?
ここに紹介されるのは彼らがイタリアやフランス滞在中に描かせ英国へと持ち帰った、ジョヴァンニ・アントニオ・ペッレグリーニピエトロ・ロンギカナレットフランチェスコ・グアルディジョヴァンニ・パオロ・パニーニクロード=ジョゼフ・ヴェルネポンペオ・ジローラモ・バトーニらの作品。
旅行先での似顔絵や記念写真、あるいは絵葉書(とするにはサイズがデカイけど)などのハシリだったのかしらン。で、展示されているのはその旅先の風景画など。やっぱり、大きな絵葉書やん。

V スペイン絵画の発見 The Discovery of Spain」って、何を見つけた?
そりゃあ、ね。オランダやフランスはお隣りの国でご近所。英国から見たスペインはほぼほぼ辺境、ほぼアフリカ?! それに一時は海の覇権を争っていて、その遺恨もあったのでしょうか。
イタリア・ルネサンスを開闢と捉え、オランダやフランドル出身の画家を師と仰ぎ、フランスの太陽王ルイ14世が創設させたアカデミスムを文化のお手本としていた英国にとって、同じ王国でもあるスペインは案外見落としていたお宝絵画の宝庫だった・・・として、フランシスコ・デ・ゴヤエル・グレコディエゴ・ベラスケスフアン・バウティスタ・マルティネス・デル・マーソルカ・ジョルダーノフランシスコ・デ・スルバランに、バルトロメ・エステバン・ムリーリョは2点紹介される。
時代はバロック期からロマン主義までと異なるのだけれど、救世主キリストや預言者ヨハネ、聖マルガリータを画題としたものと見目麗しい肖像画。8点の作品は何れも精緻な筆致で甘美な画風。

VI 風景画とピクチャレスク Landscape and the Picturesque」、ピクチャ・・・なにって?!
(推測ですけど)恐らくグランド・ツアーから帰国した若い世代のヒトたちは寒々しい英国の風土、その殺風景な眺望を嫌って、”絵に描いたような風景”にしちゃおうぜと奮起しちゃった・・・のでしょう。英国ルネサンスを思い描いたのかも知れません。あるいはロマン主義に感化され過ぎて、その思想は文化・芸術だけに留まらず、風景や街並みまでロマンティシズム的審美眼に叶うものに刷新しようと試みたのでしょうか。
まァ、それがあったればこそ、近代化が進んだようなものなのでしょうが・・・。
で、「絵に描いたような(絵画的)風景(画?)」として紹介されるのが、ニコラ・プッサンクロード・ロランサルヴァトール・ローザアルベルト・カイプヤーコプ・ファン・ロイスダールリチャード・ウィルソントマス・ゲインズ バラジョン・コンスタブルジョゼフ・マロード・ウィリアム・ターナーの作品。ここに来てようやく英国人、イングランド人でロンドナーの画家がご登場。

最後が、「VII イギリスにおけるフランス近代美術受容 French Modern Art in Britain」となって、やっとワタシの時代?!
アンガースタインさんや、後に寄贈された準男爵ジョージ・ボーモントさんやウィリアム・ホルウェル・カーさん、初代館長にもなった画家のチャールズ・ロック・イーストレイクさんらのコレクションはどれもこれも、保守的で権威的な旧い時代のものばかりで、新しい時代の絵画はより財力があってヨーロッパに追いつこうとする、当時まだ文化的後進国だったロシアやアメリカへと流出してしまう。
20世紀に入って、それら近代の作品をコレクションに加えようと、ジョージ・ソルティングさん、オースティン・ヘンリー・レヤードさん、ヒュー・レーンさんら個人所有のものが寄贈されたり、寄付を元手に買い集めたのがジャン=オーギュスト=ドミニク・アングルジャン=バティスト=カミーユ・コローアリ・シェフェールアンリ・ファン タン=ラトゥールカミーユ・ピサロピエール=オーギュスト・ルノワールエドガー・ドガクロード・モネフィンセント・ファン・ゴッホポール・ゴーガンポール・セザンヌの作品群。
分けてもこのエキシビションのメダマとされるファン・ゴッホの「ひまわり」はちょっと特別扱い。他とは別のコーナーに飾られて、他の美術館や個人が所有する「ひまわり」連作のコピー6点まで並べられ、秋から冬に、季節外れのひまわり畑?
ナショナル・ギャラリー所蔵の作品は4番目に描かれたひまわり15本ヴァージョン。

ワタシにとって、音楽や芸術は学問という扉のドアノブ、とっても素敵な取手のようなもの。
それを眺めてはそれらが描かれた時代背景や地理、地勢を考察し、バイブルや神話のエピソードを思い出し、作者が描こうとした意図、真意を読み解こうとして、あるいはそこに潜む寓意や時に悪意を愉しんで、構図や色彩のバランスを数学(幾何学)的に検証してみる。
ワタシの好きな近代フランス絵画が少なくはあるのだけれど、それはそれ、「西洋絵画の教科書」的コレクションですから読み取れる情報量も並大抵ではない。61作品をさっと観ただけで十分お腹いっぱい。
教会関係者や貴族が職人や工房に描かせていた絵画がアカデミスムで格付けされて芸術品に昇華、一般の富裕層へと浸透しながら時に権威や富の象徴にもなり、特に今回の展示作品は何やら油彩絵の具の匂いより印刷紙幣の匂いが優るような気もして。やみくもにコレクション化されて秘蔵になったり、投機目的で売買されてしまったり。先ごろ欧州連合(EU)から離脱しちゃった英国のお国事情、懐具合まで気になってしまって、経済学や政治学的解析が必要なのかと思ってしまう。それならもっと超お宝級を出してたか?
何しろ、ねェ、技巧的な美質や希少さより、オークションでの落札額で価値が決まっちゃうような風潮は未だにバブル期の幻影を引き摺っているように見えてちょっとキライ。芸術品の本質を見失って、余計にその値打ちを下げちゃうように思えてしまう。
が、まァ、ちょっと鬱屈していた昨今のご時世、(超弩級お宝品は門外不出で来日を果たさなかったのは残念ながら)ひとときなりと煌びやかな眼福は頂いたような気がします。

ロンドン・ナショナル・ギャラリー展」でお腹いっぱいではあるのだけれど、そこはそれ、地下2階で開催中の「コレクション2 米・仏・独・英の現代美術を中心に」も併せて見学しておきましょう。
こちらは国立国際美術館所蔵作品からの選りすぐり。

ロンドン・ナショナル・ギャラリー展において展覧されているのは、イタリア、オランダ、英国、スペイン、フランスの画家による、ルネサンスからポスト印象派までの絵画作品ですが、コレクション展では、アメリカ、フランス、ドイツ、英国などのアーティストによる、戦後から今日までの美術作品を国別に展示しています。本展は、西洋諸国のより新しい時代の美術作品、という展示内容になっていて、ロンドンの美の殿堂の所蔵作品展とは、地域と時代という二側面において緩やかに繋がっています”・・・という概要で、もう何度か拝見している作品もあるのだけれど、マーク・トビーバーネット・ニューマンエルズワース・ケリーアンディ・ウォーホルジョセフ・コスースフェリックス・ゴンザレス=トレスジャン・フォートリエジャン・デュビュッフェクロード・ヴィアラジャン=マルク・ビュスタモントゲルハルト・リヒタージグマー・ポルケヨルク・インメンドルフトーマス・シュトゥルートリチャード・ハミルトンアンソニー・カロトニー・クラッグリアム・ギリックピエロ・マンゾーニマルレーネ・デュマス、ほかの絵画や写真、彫像、オブジェなどなど。
いわゆる現代美術、コンテンポラリー・アートで、抽象的な表現が多く、ヘンなタイトルが付けられていたり、あるいは「無題」であったり、それが何をどう表そうとしているか自分なりに解釈してみるのが愉しくて、より刺激的でもあり、未解明な難問を解くようでもあり。
きっちり理論、メソッドを踏まえたうえでそれを一旦解体しての再構築。インプロヴァイゼーションとして、音楽的と捉えることも出来るかと。落書きめいたアドリブとはちょっと違うのね。
解体されて再構築されたものから原型を脳内に再々構築してみる。7thを通り越して、9thや11th、あるいはディミニッシュだとかオーギュメントなどの遠くて近いハーモニー、近くて遠いハーモニー。それを綺麗にハモらせて観せるような、あるいはあえて歪なまま披露してしまうような作風なのかなっと。
芸術(アート)とはオークションでのプライスタグや評論、こうしたエキシビションでのキャッチコピーなどで意義付けされるものではなく、鑑賞者がどう感じるか、どう受け止めてどう読み解くかでディファインされるものだと考えるのだけど。違うかな??

・・・にしても、これだけカタカナ名前が連なると、眼福のあと、眼が疲れちゃう?! カタカナ過多!?

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