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イギリス組曲によるバリアシオンあるいは踊る躍るジルバーマン [音楽のこと]

彦根城での観能から一夜明け、能楽脳からバロック音楽脳にシフトして、今日は大阪大学会館での「OCCA ワンコイン市民コンサート」を訪ねます。
諸般の事情から一年余り脚が遠退いていたのですが、本日のプログラムが「武久源造 『ピアノの発見 第7章』 バッハのΜουσική:バッハ・イギリス組曲全曲演奏 with バロック・ダンス」と題された、武久源造さんの大阪大学会館に於ける7回目のリサイタルということもあり、それには華やかで艶やかなバロック・ダンスが添えられるというから行かないわけにはいきますまい。


2015年08月の「第1章」から数えて今回が「第7章」となる武久源造さんのリサイタルは「ピアノの発見」とタイトルされる、年に一度のシリーズ物。
これまでも、バロック・チェンバロやクラヴィコードからモダン・ピアノへ続く鍵盤楽器の変遷を辿りつつ、「音楽の父」ことヨハン・ゼバスティアン・バッハやその子供たちを通じて、さらにはヴォルフガング・アマデウス・モーツァルトへと至る、ある種連続大河ドラマ的な構成で演じられ、単に時代に則した名曲・佳曲のご紹介に留まらず、それぞれが活躍した時代に用いられた古楽器を持参されて、どのように奏でられていたかの検証、当時の演奏をまるっと再現しちゃおうという試みがなされました。
「マスタークラス」として大阪大学会館に常設される1920年生まれのヴィンテージ・ピアノ「Bosendorfer Model250 Liszt Flugel」と弾き較べたこともありましたが、演奏曲目に合わせてクリスティアン・ツィル・ジャーマン・チェンバロやゴットフリート・ジルバーマン・ピアノ、スクエア・ピアノなどを持ち込んでの古楽器演奏会の様相を示し、大バッハの「(源造さんは”適正律”という訳をつけた)クラヴィーア曲集」を題材に鍵盤楽器とは切っても切れない「平均律」を検証してみたり、回によってはパートナーを招いて、2台ピアノ(鍵盤楽器)となったり、連弾をご披露されたり、あるいはヴォーカリストとのデュオになったり、ストーリーだけでなく演出も凝りに凝ったドラマティックなコンサート。
で、「第7章」にお連れ下さったお相手はダンサー?!
バロック・ダンサー岩佐樹里さんをパートナーとして、ほぼほぼ器楽独奏曲と思しきバッハの「舞曲」で踊れるか・・・というちょっとサディスティックエクスペリメンタル(?)なパフォーマンス。

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武久
源造さんは改めてご紹介するまでもないでしょう。
ご当地初のお目見えとなる、フランス生まれで東京育ちなバロック・ダンサー岩佐樹里さんに関してもプロフィール紹介は「OCCA ワンコイン市民コンサート」のwebサイトに譲り、そのついでに今回のプログラムについてはそちらから引用させて頂いて。
音楽、舞踊、詩、ドラマ…これらは、元々一体不可分のものでした。ギリシャ語のΜουσικ?(ムシケ)は、ミューズの女神たちの働き全てを言い表す言葉でした。これが、Music、Musique、Musik、Musica、その日本語訳である音楽の語源で、皆様に、21世紀に蘇るバッハのΜουσικ?をお届けいたします
というコンセプトのもと、タイトル通りにバッハ作曲の「イギリス組曲」を中心に、そこに連なる「舞曲」にバロック・ダンスをコラボレーションしようということですね。

英国人のために作曲したとされる、パパ・バッハが24歳ごろから着手し15年掛かりで完成させた鍵盤楽器のための組曲は「第1番」から「第6番」まであって、それぞれに大きな「前奏曲(プレリュード)」が付いて、「アルマンド」や「クーラント」、「サラバンド」、「ガヴォット」、「ジーグ」など性格の異なる舞曲が6~7つ組み合わされて、バロック時代のダンス・ミュージック・フルコースみたいな編成で、まるまる全曲演奏するとなると2時間以上費やしちゃう。演奏する方も大変でしょうが、同じ様式の楽曲が6回づつ繰り返されるとなると聴いてる方もちょっとしんどい?! 踊り手さんも疲れちゃう。
で、今回は「第1番」、「第2番」、「第6番」をまるっと全曲。
それに、お口直しのアラカルトを添えて。

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14:30の開場、ワタシが以前通りにバルコニーのセンター・シートに着いてステージを見下ろせば、見慣れた常設のヴィンテージ・ベーゼンドルファーに代わって、そこに置かれるのはヴィンテージよりさらに希少なアンティーク・ピアノ。
今回の「ピアノの発見 第7章」は”ジルバーマン・ピアノ・リサイタル”でもある由。
オルガン製作者ゴットフリート・ジルバーマンがイタリア渡りのフォルテピアノを参考に作ったドイツでのピアノ第1号。
ルネサンス・イタリアから音楽の主流がフランス、ドイツと移るに連れて黎明期のピアノも発祥のフィレンツェよりドイツで大いに発展し、それがちょうどパパ・バッハが活躍されておられた頃。
ジルバーマンはドイツ各地の大聖堂や宮廷にオルガンを納めたことから、名オルガニストでもあったバッハとは旧知の仲。名演奏家で大作曲家の助言を得てジルバーマン・ピアノは改良され、のちにバッハは自宅をショールームとして自らデモンストレーターとなって販売代理店的にその普及に努めたのだとか(マージンとかあったのかしら?)。
今でこそ某Sxxxxxxx & Sxxx社が大きなボディの中にパテントをてんこ盛り詰め込んだように宣伝されておられるが、歴史を紐解きつつ、創意という点なら進化の起首、黎明期のピアノたちの方が工房ごとに各々眼を惹く工夫が沢山にあってそれを研究するだけでも面白い。
バッハの時代のピアノは、扱いがデリケートで壊れやすくもあったでしょうし、何しろおよそ300年近い時代を経ちゃって、演奏出来る状態で現存するものは殆ど無く、今日のステージに異彩を放つのは当時の資料を参考に1747年モデルを完全レプリケーションした複製品。
2007年に復刻されたレプリカ・ジルバーマンは、260年前のオリジナルを写して、Fから始まる5オクターブ60キー。弦楽器や管楽器がそれぞれ4オクターブ程度の音域ですから、ピアノ以前の鍵盤楽器同様に当時はそれらをカバーする程度で十分だったのでしょう。
88キー(前後)に音域が広がったモダン・ピアノは多くの弦の張力を受け止めるために金属製フレームをボディに内包するが、こちらは木製のボディに直接弦が張られて、比較的シンプルな構造。音域が狭い代わりに、ハンマーが弦を叩くポイントを切り替えるチェンバロ・ストップという機構が備わって、倍音構成を変化させるようになっているのがジルバーマン・ピアノの特徴。
大ホール向きに大きな音量で澄んだ音が澱みなく響くようにキンコツ隆々のマッチョになっちゃったモダン・ピアノと較べてやや女性的・・・という言い回しは差別的でしょうか?・・・な音色(因みに、pianoは男性名詞)。
倍以上の弦を内蔵する今時のピアノと較べるちょっとひ弱な感じもするが、それ以前の鍵盤楽器は主に通奏低音などの地味な役回り、独奏楽器として発展するのはバッハジルバーマンの出逢いから?

このままジルバーマンについて書き連ねていると、ワタシがアンティーク・ピアノのエージェンシーになっちゃいそう?!
これまでの「ピアノの発見」で拝聴した時の印象を思い出しているうちに開演のお時間。

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源造さんが鍵盤前のベンチに着いて、音の調子を確かめたかと思うと、前置きなしに「イギリス組曲」より『第1番 イ長調 BWV806』。
舞曲への前奏曲”と意識し、この後ダンサーが出てこられると思うと、そのプレリュードも転がるような、あるいはトゥ・シューズでの小刻みなステップ・・・プティ・バットマンのように感じられて、思わず釣られて身体が動いちゃう・・・のですが、脚より先に耳が過剰反応。
先述の通り、ジルバーマン・ピアノは復刻版とはいえ古楽器でとても繊細。温度や湿度の変化にも敏感で、それがためにエア・コンディショニングも楽器優先で、まだ夏の暑さの残る陽射しを嫌ってホールの窓に掛かるカーテンも開けてみたり閉じてみたり。
源造さんも仰有っていた通り、弾く度に音が違う・・・ように感じられるが、以前に比べ少々逞しくなったというか、鳴りが良くなったような。よく伸びて、豊かに膨らんで広がって。弦を新調されたのか、ハンマーが変わったのか、ボディがいい感じに熟成してきたのか、以前とは少し異なる印象。
音楽用ホールではない講堂の舞台で、楽器の位置が変わっただけで音の伝わり方まで変わってしまったり、客席の座席位置でも聴こえ方が違ったりもする。倍音の基音に近い要素は1階のフロアに広がって、高い要素は上に抜けて下手側のウイングでは天使の歌声が聴こえる????
比較的公平にバランス良く聴こえるのがバルコニーのセンター辺り(だとワタシは思う・個人的感想です)。
・・・ではあるのですが、軽やかなイ長調のプレリュードが明朗によく響いて、それでのっけから引き込まれちゃったのかも。
ワタシ的には、ほぼほぼ同時期に似たような構成で書き初めてちゃちゃっと完成したとされる、前奏曲を伴わない「フランス組曲 BWV 812-817」の方が聴くに優しい、弾くに易しい(というほどでも無い?)から好みではあるのですが、今日聴く第1番・プレリュードは、鍵盤楽器のための舞曲へと導くというよりか、これから古典バレエが演じられるのでは・・・と勘違いしてしまいそうなほどのインパクト。

と、そういえば客演されるダンサーさんは? 樹里さんは何処?

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今日は、眼を閉じて音色を感じているだけではいけなかった。
そう思うや、アルマンド。1階席がちょっと騒ついて、眼を開いて見下ろしてみると客席通路を舞台に向かうドレスの後ろ姿があって、ステージの鼻先に着くやジルバーマンのボディ、もしくは源造さんのお顔を見上げるご様子。それから浮き上がるように舞台へと上がり、その歩みはやがて軽快なステップに変わって、2つのクーラントと2つのドゥーブルサラバンド、2つのブレーに最後はジーグへと続き、拍子もテンポもちょっとずつ異なる短い舞曲に合わせて、ヒラヒラ、クルクル、ピョコンピョコンと。
バレエと違ってバロック・ダンスは、大胆なアラベスクやグラン・バットマン、アクロバティックな32回転のグラン・フェッテ、・・・などなどの大技は伴わず、ステップを踏む足先も長いドレスの裾に見え隠れする程度なのですが、それに変わって腕がしなやかな表情を示して、指先までが細やかな機微を映す。
その動きが実に軽やかで、そのままふわりと浮き上がってバルコニー近くまで飛来したとて、手を差し伸べはしても、決して驚かない・・・多分。
イギリス組曲」に組み込まれたアルマンドクーラントなどなどの舞曲は欧州各国やその植民地で踊られていた民族舞踊が元となったもので、主に男女混合で踊る群舞。異国情緒あるいはノスタルジアを感じさせる伴奏音楽の形式だけがソフィスティケートされて器楽曲となって、パパ・バッハの時代には「組曲」として組み合わせ、盛り合わせ。この楽曲では「前菜(前奏曲)」まで付いたフルコース。
男女対になる舞踊曲であるから、樹里さんは源造さんやジルバーマンをお相手と見立ててのソロ・ダンスを演じられた訳ですな。ピアノのボディにそっと触れてみたり、ピアニストの背後へと回り込んだり、独りで踊るペア・ダンス。
曲間のトークでも語られたのですが、器楽曲化された舞曲で踊るに当たってただ踊るだけではつまらないからとプレリュードからジークをストーリー化、それをコリオグラフィーに反映、単に同じシークェンスのパターン的な繰り返しとせず、物語性のある舞踊劇化。客席通路を歩んでくるところから振り付けが始まっていて、さしずめ、樹里さんのお役は宮廷のサロンで催される舞踏会に遅れてきたお姫さま[黒ハート]・・・といったところでしょうか。
ワタシがバレエのようだと感じたのも無理からぬところでしょ。
ワタシが最近ハマっている能楽やこのところずゥっと追いかけているインドネシア・ジャワの伝統舞踊にも似て、舞台装置や道具立ての無いところでのパントマイム的な舞い・・・とも感じます。(源造さんには悪いのですが)ちょっと即興的ではあるものの、踊り手が主役の「『イギリス組曲』によるヴァリアシオン」と観ておりました、はい。もちろん、そのダンスを引き立てていたのは武久源造×ジルバーマン・ピアノによる演奏。

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そうして「第1番」が終わり、樹里さんが一旦舞台袖に引っ込んで、源造さんのトーク、「イギリス組曲」のご解説。
続く「第2番 イ短調 BWV807」も同様に、プレリュード源造さんのソロ演奏から。アルマンドになって、装束替えされた姫君[黒ハート]のダンスが加わってのデュオ。
コルセットとペチコート、細く絞った胴と大きく膨らませた腰・・・あんまりそういうところに触れるとセクシャル・ハラスメントになりそうですが・・・、バロック後期の最先端モードでしょうか。先のお衣装もステキですが、おリボンいっぱいでお可愛らしいこと。

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第2番」を終えて、(仮想)宮廷舞踏会も中休み、インターミッション。
後半は気分を変えて(?)、「シャコンヌ」から。コース途中のソルベかグラニテ?
無伴奏ヴァイオリンパルティータ第2番 ニ短調 BWV1004」より終曲の「シャコンヌ」。
シャコンヌ(chaconne)はスペイン人が新大陸から持ち帰ったチャコーナ(chacona)を起源とし、イタリアを経てフランスで大ブームとなって、多くの作曲家がそれを曲題としたのだけれど、今現代一番よく知られるのはパパ・バッハのそれで、元は「舞曲」なのにヴァイオリンのための器楽独奏曲の金字塔とされちゃって・・・。イタリア風やフランス風シャコンヌはまだしも、誰もバッハじゃ踊らない、踊れない・・・はず。
無伴奏ヴァイオリンのためのシャコンヌ」を源造さんのアレンジメントで「鍵盤楽器(と舞踊)のためのチャコーナ」としたのが後半の1曲目。
イタリア起源のパルティータ(partita)は本来「変奏曲」を指すが、パパ・バッハの辺りでは「組曲」を意味するものになり、シャコンヌ(チャコーナ)は「舞曲」から「変奏曲」にされちゃってややこしいから、もうどうなったって構わない!?
この変奏、ヴァリエーションがかなり曲者だからヴァイオリニストだけでなく、管楽器奏者や鍵盤楽器奏者までが挑みたくなっちゃうのでしょう。
シャコンヌからチャコーナへと先祖返り(?)し、ヴァイオリンはリラ(竪琴)となって、それに当てられるストーリーはギリシア神話からオルペウス(オルフェウス)とその妻エウリュディケーのエピソード、「冥府下り」。
樹里さんの装束も時代を遡って窄衣型のシンプルなドレスに花冠を戴いて。
この「シャコンヌ」はソルベかグラニテというには熱くて濃厚。もしかして、これが本日のメイン・ディッシュ?
演奏とダンスが引き立て合っているどころか、樹里さんのソロ・ダンス・・・ヴァリアシオンが「イギリス組曲」での(仮想)ペア・ダンス、パ・ド・ドゥより際立っちゃって、そして源造さんの指は鍵盤上で躍るようで、ジルバーマン・ピアノの楽音もダンサブル。踊る躍るジルバーマン!!
当分しばらく他の「シャコンヌ」は聴けない、あるいは「シャコンヌ」を聴く度にダンスが眼に浮かんじゃうと思います。それほどの衝撃。パパ・バッハ武久源造ゴットフリート・ジルバーマン岩佐樹里が渾然一体となった深い味わい。danceじゃなくてdenseやな。バッハが凄いのか、源造さんが驚異的なのか、ジルバーマンの出来がいいのか、樹里さんがファンタスティックでアメイジングなのか、よく分からないくらい全部ひっくるめてファビュラスでマーベラス!!

推測するに、この「鍵盤楽器版シャコンヌ(チャコーナ)」にダンスを付けようというのが最初にあって、せっかくだからプログラム全曲で踊って頂こう、どうせなら踊りにくそうな(?)「イギリス組曲」で踊らせちゃえとサディスティックエクスペリメンタルな演出になったのではないかしら。チャコーナシャコンヌになって、舞曲変奏曲に変わって、ヴァリエーションからバレエの中のソロの踊り、ヴァリアシオンを連想させて、変奏曲から舞曲へ、決して後ろを振り返ってはいけない冥府からの帰還。

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後半の2曲目は「イギリス組曲」に戻って、「第6番 ニ短調 BWV811」。
これもやっぱり、ジルバーマンのソロ演奏となるプレリュードから。その楽音に導かれてお出ましになるのは、3回目のお色直しで4着目のドレス・・・ゆったりとしたブリオーになるのでしょうか・・・を召した樹里さん。曲調に合わせたものか、そこから連想するストーリーがあるのか、その都度キャラクターを演じ分けておられるのでしょう。
途中チェンバロ・ストップによる音色の変化もあって、源造さんとジルバーマンから頂く耳福も有り難いものですが、樹里さんの演技が客演という以上にファンタスティックでアメイジング、そこから齎された眼福の方がちょっとだけ上回ったでしょうか。

様々な「舞曲」を「組曲」にして多数書き残したヨハン・ゼバスティアン・バッハ
それは当時の人々を楽しませるためだけではなく、彼の子供たちに多くの楽式を学ばせるための学習指導要領的な膨大なリファレンス・マテリアル・・・だったのでは無いかとワタシは考えるのですが、どうでしょう。最初の奥様がお亡くなりになって、自分は子供たちに何を遺せるかとお考えになられたのでは・・・。
息子たちからアマデウス・モーツァルト、そして現代のハード・ロックの中にまでパパの残したマテリアルが活きている。ワタクシごとながら、ワタシでさえハード・ロックが好きならバッハを勉強しろとエレクトーンの先生から教えられたくらいですから(マミ先生はどうしておられるやら・・・遠いとおい昔の記憶)。
まさか300年の時を経てこういう形式で上演されるとはパパ・バッハも想像していなかったことでしょう。それこそ冥府で踊っておられる・・・かも。
イギリス組曲」はあと半分、「第3番」〜「第5番」を残しています。出来れば、「フランス組曲」でより華やかなパフォーマンスも観てみたいと熱望しちゃいます。「ピアノの発見 第8章」に期待・・・といいたいところですが、「OCCA ワンコイン市民コンサート」の公演予定は来年12月までほぼほぼ決まっちゃっているようで・・・。

全部はご紹介しきれないのですが、来月以降予定されているのは、

10月23日(日):山本貴志ピアノリサイタル オールショパンプログラム「空蝉の舞踏会」
舞踏会続き? ワルシャワを拠点に「ポーランドのこころを伝えるピアニスト」としてご活躍されておられる山本貴志さんがヴィンテージ・ベーゼンドルファーで奏でるショパン作品(ポーランド舞曲と夜想曲などなど)。

11月13日(日):「池辺晋一郎作品展」池辺氏来阪 Project OCCAPlus企画
作曲家の池辺晋一郎さんが指揮をされて、ご自身作曲の9作品の演奏にピアニストや弦楽器奏者、管楽器奏者、打楽器奏者、ソプラノにハーモニカ、etc、エトセトラ、延べ19人の演奏家を召喚しちゃう一大プロジェクト? 舞台に収まりきるのかしら?!

12月18日(日):香川恵美ピアノリサイタル Project OCCAPlus企画:全アメリカ現代曲+委嘱作品
大阪出身で米国、カナダ、イタリア、日本の各地で幅広く演奏活動を行なっている香川恵美さんがエドワード・マクダウェルなどなど現代アメリカを代表する作曲家の作品を引っ提げて大阪大学会館へ凱旋。

11月公演までが今のところ観覧受付中で10月公演は残席僅かとなっているようですが、その後も気になるプログラムが目白押し。ご興味のある方は「OCCA ワンコイン市民コンサート」のwebサイトをご参照のほどを。

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