SSブログ

カワヅザクラとananと。 [散歩・散走]

春寒ようやくぬるみ始め、が咲いてそろそろの開花が見られるかというところなのだが、昨年末からの新型コロナウイルスの流行が収まるどころか異様な広がりを示して、ヒトとの接触どころか外出さえ危ぶまれる気配。散歩や散走もままならない事態ではあるのだが・・・。


暑さ寒さも彼岸まで。これから漸くポタリング日和と思われる矢先のウイルス禍。外出を控えるべきだとは思う。思いがするが、さりとて、花の便りを聞いてしまってはじっとしていられない。それでなくてもライヴ・コンサートや各種エキシビションが中止になって予定は真っ白、密閉された場所に集まってはいけないとかで映画さえ観ることが叶わず休日に出掛けるあてすらない。屋外の並木をサッと走り抜けるくらいは良かろうと思ってしまう。
と思い立ったらじっとしていられない。

IMG_3936.jpg

目的地は。今日のお目当ては、他より少し先んじて咲く河津桜。静岡県伊豆半島の河津町発祥の早咲き桜は関西では見掛けることは少なく、ここも京都唯一なのだとか。
オオシマザクラカンヒザクラの自然交雑種であるカワヅザクラは、1月下旬〜2月ごろに開花し、開花期間も約一ヶ月ほどと長い。
が、もうお彼岸を迎えた03月21日。着たい行きたいと思いながらも、長引く寒さとウイルス禍で、京都の外れ、まで脚が届かなかった。

IMG_3947.jpg
IMG_3937.jpg
IMG_3938.jpg
IMG_3940.jpg
IMG_3943.jpg
IMG_3945.jpg
IMG_3946.jpg
IMG_3948.jpg
IMG_3949.jpg
IMG_3957.jpg
IMG_3958.jpg
IMG_3951.jpg
IMG_3953.jpg
IMG_3952.jpg
IMG_3954.jpg
IMG_3956.jpg
IMG_3959.jpg
IMG_3960.jpg
IMG_3961.jpg
IMG_3963.jpg
IMG_3965.jpg
IMG_3964.jpg
IMG_3942.jpg
IMG_3944.jpg
IMG_3962.jpg

宇治川
桂川を繋ぐように流れる水路。それに沿うように並ぶ桜並木は、2002年に2本のカワヅザクラが植樹されたことから始まって、今では他の品種も加えて約200本。
お目当のカワヅザクラは少し見頃を過ぎてしまっているようで、地元の方によると来るのが10日ほど遅かったとのこと。新型コロナウイルス流行の影響で今年は「淀の河津桜まつり」も中止になったのだとか。そんなお話しをお聞きしていると風がやたらに冷たく感じてしまう。
イベントが中止になって、見頃を少し過ぎたとはいえ、サクラは春らしい薄紅色の花弁を風にそよがせてなんとも麗しげ。


IMG_3939.jpg
橋の欄干にまでサクラがあしらわれて・・・。


IMG_3966.jpg
IMG_3969.jpg
IMG_3968.jpg
IMG_3970.jpg
IMG_3971.jpg
IMG_3967.jpg
黄色い菜の花も愛らしく。

脚休めは淀城跡。江戸幕府が松平定綱に命じて築かせ、その後「鳥羽伏見の戦い」の舞台ともなったそこは、今や石垣や堀の一部が残るだけでかつての栄華は見られないが、喧騒を離れ、災禍を逃れ、サクラ菜の花を眺めていると癒されたような気がしてきます。

IMG_3972.jpg
IMG_3977.jpg
IMG_3973.jpg
IMG_3974.jpg
IMG_3976.jpg
IMG_3975.jpg

淀城跡
は公園になっているが、そこは豊玉姫命(トヨタマヒメノミコト)と高皇産霊神(タカミムスビノカミ)、速秋津姫命(ハヤアキツヒメノミコト)をお祀りする與杼(ヨド)神社の境内でもあって、それは僧の千観内供が応和年間(961~963年)に肥前国佐賀郡河上村に鎮座の與止日女(ヨドヒメ)神社より、淀大明神として勧請したのに始まるとされ、與止(ヨド)が転じて與杼(ヨド)から(ヨド)となった、平安京の水運を守護する神として鎮座される水の女神で淀・納所・水垂・大下津の産土神。明治になって、桂川の河川工事に伴い、淀城跡に移されたのだとか。
当初の建築様式をほぼそのままに留め、国の重要文化財となっていた新社殿も昭和50年に未成年者達の花火遊びが原因で全焼し、現在の建物は昭和55年に竣工したもの。

IMG_3978.jpg
IMG_3980.jpg
IMG_3982.jpg
IMG_3983.jpg
IMG_3984.jpg
IMG_3981.jpg
その堀跡には淀姫所縁のが咲くのだとか。観に来なくちゃ。

観桜の後。密閉空間を避けるべきなのでしょうが、その禁を犯して京都市内でも繁華なところ。京都駅上に聳える駅ビル内に立ち入って、美術館「えき」KYOTO
そこで03月07日から04月05日の期間に開催されるのが、雑誌「anan」の歴史を紹介する「『anan』創刊50周年記念展」。

IMG_4048.jpg
IMG_4049.jpg

集英社
発行の「non-no(ノンノ)」と共に一時代を築き「アンノン族」を育んだ「anan(アンアン)」は、1970年03月にフランスの女性向けファッション誌「ELLE」の日本語版「anan ELLE JAPON(アンアン エルジャポン)」として創刊された、マガジンハウス社(旧・平凡出版)が発行する女性ファッション雑誌。
洋服や装飾品だけでなく、ライフスタイル全般を取り上げ、女性を主な読者としながらヌードやセクシャルな記事が掲載されたり、街や観光地特集が組まれ、それに影響を受けた当時のナウなヤングが「アンノン族」(全部死語?!)。
ライフスタイルなんて(社会的規範はあるのでしょうが)極々プライベートで、個人のアイデンティティに関わることなのだから、男性性であるとか女性性であるとかは関係無いじゃんとばかりに、10歳にも満たないワタシはお従姉さまの書棚から拝借してはマンガの合間に読み漁り、髪を肩まで伸ばしてトンボメガネをかけて、当時オシャレな子供服なんてなかったし(とても華奢で小さかったから)女性物のパンタロン(ピンク色!!)やら厚底靴を履いていた・・・黒歴史?!
ええ、ある意味「カラス族」(笑)。今だに黒尽くめなのはその多感な頃の名残りかしらん。

性的な特集があったり、マリファナやLSDなどのドラッグを肯定的に扱ったり、少々反体制的であったりはしたものの、澁澤龍彦訳の童話や割腹自殺前の三島由紀夫のエッセイがあったり、国内外のアーティストが紹介されて、ロックやアートに憧れる少年にとっては学び取れることが多くて、とても刺激的な、ファッション誌の域を超えてアーティスティックな総合誌だった・・・と遠い目。

今回の「『anan』創刊50周年記念展」で紹介されるのはその前半部? 「平凡パンチ 臨時増刊 女性版」から始まって、「アンアン エルジャポン」を経て、「アンアン」から「アンノン族」が生まれた頃まで。エントランスには創刊から最新号までの歴代表紙が連なるのだけれど、館内にエキシビションされるのは、創刊から約10年の草創期に活躍した各分野のクリエイターたちにフォーカスした、70's当時の紙面を追っていく構成となっている。
80年代以降については改めて紹介されるのでしょうか。
ワタシ的には、1982〜1984年の間、専属モデルをされておられて、その後「dip in the pool」でアーティスト・デヴュー、女優ともなられた、甲田益也子さまが一番のアイドルなのですが・・・。

雑誌の紙面の紹介がほとんどとなって、展示物は小さく、そこに記載される文字は余りにも小さ過ぎるのだけど、当時の想い出に浸るには十分でしょうか。
社会人になってからは、学生の時以上に覚えないといけないことが多くなって、記憶量のキャパシティをオーヴァーしちゃったのか、若い頃の記憶がかなり薄れちゃっていたのですが、甘酸っぱいメモリーが蘇ったような気がしました。

nice!(0)  コメント(0) 
共通テーマ:日記・雑感

nice! 0

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

Facebook コメント