SAKURA Collection 2020 [散歩・散走]
とどまることを知らぬげに遂にはアウトブレイクし、エンデミックからパンデミックへと猛威を振るうウイルス禍。それを抑えるべく外出を控えるようにと警告が出て、三密(密閉・密集・密接)を避けるようにとのお達しから、予定されていたライヴ・コンサートや各種イベントも軒並み中止となって、近隣の美術館や映画館は閉館を余儀無くされて・・・。
そのお蔭を以ってワタシのスケジュールも白紙撤回の真っ白けっけ。
観たい展示や映画は延期され、聴きたい演奏会も先送り。毎月通うワークショップまでも取り止めとなって、ゴールデンウィークに予定されていた大学祭でのライヴ・コンサートも早々と中止が決まり、それに向けてのお稽古も沙汰止みで。
お仕事以外の予定は皆無となり、通勤も危ぶまれて不自由で、業務にも影響が出つつある。テレワークやリモートワーク、急に自宅でお仕事しろと言われても、時間のケジメがつけ辛くなりまさァね。
こういう時こそフラフラと遊び歩いていないで蟄居して、勉強するなり、何らかの手慰み、日々脳裏を逍遥するものどもを具現化するにはいい機会と取れなくも無い。
・・・が・・・。
世はまさに花盛り。ヒトの世を覆い尽くす禍いに拘わることなくサクラの花が咲き誇り、その枝先ではヒトの行いを嘲笑うかのようにウグイスが鳴く。
恐らく来週、再来週には各商業施設などに対しても休業要請が出て、場合によっては交通機関も止まらないまでも間引かれてしまうかも知れない。外出が全く叶わぬことになるやも知れず。
今を盛りのウイルス禍より、今を盛りの花に誘われ、今生の名残り・・・とまではいかないにしろ、散る花を待たずしてこの春の名残りを愉しむ今朝は京の桜逍遥。
桜の名所は数々あれど、今を見頃とし、人混みを避け、閉鎖されている所を除いてとなると限られてしまい、さて、どこへ参りましょう。
「御所桜」、「斎王桜」、「みあれ桜」、「風流桜」を誇る上賀茂神社(賀茂別雷神社)まで上るか、小塩山界隈で「千眼桜」、「西行桜」、「業平桜」を愛でるか、それとも嵐山。
お目当をサクラだけに限定すれば幾らもコースは思いつきはしても、それだけじゃあ少々物足りぬ。今生の・・・、いや、この春の名残りの逍遥とするならば・・・。
早朝の散策は、五山送り火のひとつ、大文字山を望む白川通今出川界隈から。そこから琵琶湖疏水分線沿いに南に下ろうというコース。
疎水に沿った桜並木は「哲学の道」。通い慣れた路でもあって、甘酸っぱい想い出がそれこそ桜吹雪のごと舞い散る場所。四季折々の風情が情緒を育み、哲学しないまでも物想いしながらの散策に適した小径。
元はこの辺りに住まいした日本画家、橋本関雪所縁の「関雪桜」があって、それらの樹齢が尽きて植え替えられはしたものの、沿道約2km弱にソメイヨシノ、オオシマザクラ、ヤマザクラ、ヤエザクラ、シダレザクラがとりどりに約300本。時期によっては、それらの花弁が疎水へと落ちて花筏と成り、その行く末を眺めているのも趣きがあるが、今朝はまだ散りはしないで、水面に花色の影を落として仮想の花筏。流れぬ筏は静かに揺蕩う。
ここにいると、禍患を忘れ、時の経つのも忘れてしまいそう。ウン十年前に戻ったような気もします。
観たい展示や映画は延期され、聴きたい演奏会も先送り。毎月通うワークショップまでも取り止めとなって、ゴールデンウィークに予定されていた大学祭でのライヴ・コンサートも早々と中止が決まり、それに向けてのお稽古も沙汰止みで。
お仕事以外の予定は皆無となり、通勤も危ぶまれて不自由で、業務にも影響が出つつある。テレワークやリモートワーク、急に自宅でお仕事しろと言われても、時間のケジメがつけ辛くなりまさァね。
こういう時こそフラフラと遊び歩いていないで蟄居して、勉強するなり、何らかの手慰み、日々脳裏を逍遥するものどもを具現化するにはいい機会と取れなくも無い。
・・・が・・・。
世はまさに花盛り。ヒトの世を覆い尽くす禍いに拘わることなくサクラの花が咲き誇り、その枝先ではヒトの行いを嘲笑うかのようにウグイスが鳴く。
恐らく来週、再来週には各商業施設などに対しても休業要請が出て、場合によっては交通機関も止まらないまでも間引かれてしまうかも知れない。外出が全く叶わぬことになるやも知れず。
今を盛りのウイルス禍より、今を盛りの花に誘われ、今生の名残り・・・とまではいかないにしろ、散る花を待たずしてこの春の名残りを愉しむ今朝は京の桜逍遥。
桜の名所は数々あれど、今を見頃とし、人混みを避け、閉鎖されている所を除いてとなると限られてしまい、さて、どこへ参りましょう。
「御所桜」、「斎王桜」、「みあれ桜」、「風流桜」を誇る上賀茂神社(賀茂別雷神社)まで上るか、小塩山界隈で「千眼桜」、「西行桜」、「業平桜」を愛でるか、それとも嵐山。
お目当をサクラだけに限定すれば幾らもコースは思いつきはしても、それだけじゃあ少々物足りぬ。今生の・・・、いや、この春の名残りの逍遥とするならば・・・。
早朝の散策は、五山送り火のひとつ、大文字山を望む白川通今出川界隈から。そこから琵琶湖疏水分線沿いに南に下ろうというコース。
疎水に沿った桜並木は「哲学の道」。通い慣れた路でもあって、甘酸っぱい想い出がそれこそ桜吹雪のごと舞い散る場所。四季折々の風情が情緒を育み、哲学しないまでも物想いしながらの散策に適した小径。
元はこの辺りに住まいした日本画家、橋本関雪所縁の「関雪桜」があって、それらの樹齢が尽きて植え替えられはしたものの、沿道約2km弱にソメイヨシノ、オオシマザクラ、ヤマザクラ、ヤエザクラ、シダレザクラがとりどりに約300本。時期によっては、それらの花弁が疎水へと落ちて花筏と成り、その行く末を眺めているのも趣きがあるが、今朝はまだ散りはしないで、水面に花色の影を落として仮想の花筏。流れぬ筏は静かに揺蕩う。
ここにいると、禍患を忘れ、時の経つのも忘れてしまいそう。ウン十年前に戻ったような気もします。
想い出の小径が尽きた処でひと度そこを離れ、更に南下して臨済宗南禅寺派大本山 瑞龍山太平興国南禅禅寺(まァ、南禅寺さんですね)の境内。三門から法堂、それに遠慮して脇に逸れた疎水は煉瓦造りのアーチ橋と姿を変えて「水路閣」。
1888(明治21)年に作られたその水道橋は延長83.17メートル、幅4.06メー トル、水路幅2.42メートルの規模を持ってレトロな佇まいからフォトジェニック、Instagram映えする観光スポットでもあるが、今朝はまだ早いためか、災禍のせいか、桜は有っても人影は無い。
ここらも、昨今のようにインバウンドで賑わう遥か以前は静かにもの思いが出来て、サクランボみたく甘酸っぱい想い出の残る場所でもある。
琵琶湖疏水はさらに形状を変えて蹴上インクライン。
1891(明治24)年から1948(昭和23)年まで使われた傾斜鉄道は役目を終えたのち国の史跡、産業遺産として姿を止め、今はやはりフォトジェニックな観光名所。
一度取り除かれたレールは復元されて、当時使われていた台車もその脇に置かれている。
その沿道、両側から今を盛りと桜の枝がトンネル状に連なって、それらも見頃。
陽が高く、暖かくなってきたからか、アオザイを着たベトナム美人の集団を始めとする観光客らしい姿もチラホラと。
線路は続くよ、どこまでも・・・とはいかず、傾斜鉄道の総延長は640メートル。そこから先は再び疎水の舟旅・・・ですが、そこまでは入って行かずにインクラインの下へと潜り込む。
・・・とそこには、ちょっと異世界感のあるトンネル。
扁額の難しい漢字が読めないのはともかく、アーチ状の内壁を成すレンガが傾斜しつつ捻れたように奥へと続くのが見て取れる。これを称して「ねじりまんぽ」というそうな。
重い台車が通るインクラインを支えながらトンネルとするためにレンガをあえて傾斜させているのだそうで、「まんぽ」はトンネル(隧道)の旧い方言で、捻れているように見えるから「ねじりまんぽ」・・・なのだとか。正式名称は「蹴上トンネル」、「粟田口隧道」といたって地味。
平行? 水平? に積むのとこれだけの傾斜を付けて積むのとではどれだけ耐荷重が変わるのでしょう?
このレンガひとつに掛かるストレス(応力)を求めるには・・・????
・・・などと数学脳をフル回転させていたら、ここまで多くの写真を撮影してきたミラーレス一眼カメラ、その交換レンズが壊れちゃったようで、液晶ディスプレイに何も表示されず、シャッターも切れない!! ここから先はiPhone 11 Proのみ。まァ、それで十分ではあるのですが・・・。
「ねじりまんぽ」から南禅寺さんを掠めて、もと来た途をリヴァースして、「哲学の道」の中ほどをちょっとだけ西に入って、泉屋博古館。
泉屋(せんおく)とは、住友家が掲げていた屋号に由来するのだとか。
1960年に住友吉左衛門寄贈の中国古代青銅器を公開したことから始まるこの美術館は、明治時代後期に近代企業としての住友グループの礎を築いた第十五代当主から三代にわたる吉左衛門ら住友家が収集したコレクションが約3,100点所蔵される。
その内訳は、十五代が蒐集された中国古代青銅器類、そのご長男が集められた中国明代期の絵画、十六代吉左衛門のコレクションに十五代以前から伝わる書画骨董など東洋の古美術品が多数。それに加えて、各地に在った邸宅の壁を飾った近代西洋絵画。
ワタクシ的には、「シノワズリ(chinoiserie/中国趣味)」や「ジャポネズリ(Japonaiserie/日本趣味)」も良いのだけれど、やはりフランス近代芸術にココロ惹かれて。
03月14日から05月07日を会期として開催、展示されているのが「開館60周年記念名品展1 『モネから始まる住友洋画物語』」。
住友銀行を創設し、実業の傍ら芸術や文化事業に高い関心を示され、茶臼山の本邸・慶沢園を大阪市に寄贈、大阪市立美術館と改め、大阪府立中之島図書館の建築と図書基金のために尽力された第十五代当主、住友吉左衛門友純が子弟の情操教育や社員の慰安のために集めた西洋絵画。それらは十五代吉左衛門が1897(明治30)年の欧米視察の際に買い求めたクロード・モネの作品(「モンソー公園」と「サン=シメオン農場の道」)が端緒となっているそうで、それを筆頭として、ジャン=ポール・ローランスや浅井 忠、ギョーム・セニャック、鹿子木孟郎、オーギュスト・ルノワール、岸田劉生、モーリス・ド・ヴラマンク、マルク・シャガール、パブロ・ピカソ、et cetera・・・の、当時最先端だったフランス画壇のアーティスト、あるいはそこに学んだ日本人画家の名前が並ぶ。
約40点の作品が、
1 はじまりはモネ
Ⅱ 住友春翠と鹿子木孟郎のコラボ・コレクション
Ⅲ 住友寛一と岸田劉生
Ⅳ 住友友成と20世紀絵画
と、それらの絵画を買い集めた住友一族の紹介かたがた展示される。
一部に歴史画や裸婦像はあるものの、投機目的で集められたものではなく、邸宅のリビングルームや保養所の壁に相応しい穏やかな風景画や肖像画、静物画で、子弟や来客、社員に憩いを与えたであろう、コレクションの趣味の良さを感じさせる。印象派以降のクリエィティヴな筆致を観較べるだけでも十分に楽しめる。
フランス近代絵画はファッショナブル。伝統に縋るわけでもなく、それを暴力的に壊しちゃおうというのでもなく、それを踏まえた上で目新しさや現代性を加えることでより個性を表現しようとするもの。革命以降、王政や帝政、共和制とコロコロ変わっちゃって生来の身分を超えて、クラスがシャッフルされて、ある種平等化されながらも隠れ蓑とする装いにも似て、多少表面的で意図的ではあるけれど、それぞれにしっかりとした主張を内包しているから面白い・・・と思うのですが・・・。
美術館でエキシビションを観るというより、住友家に招かれて代々の蒐集品を拝見しているような。テーブルでお茶でも頂けたら、ね。
さて、そろそろお昼時。ここに長居してもお茶もお菓子も出ませんし、ましてや昼食は頂けません。
インクラインでアオザイ美人をお見掛けしたので、ベトナム料理でも食べに行きますか。
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