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KYOTOでヨーロッパ絵画 [散歩・散走]

今日は京都で2つのイベント。
午前中は美術館「えき」KYOTOで開催中の 「ヨーロッパ絵画展~バロックから近代へ~」を鑑賞し、午後は大正三年に築造された京町家で催されるジャワ・ガムランのライヴ・パフォーマンスを拝見いたします。そちらは、どうやら、それだけじゃあ無いらしいのですが・・・。

まずは、美術館「えき」KYOTO
こちらで現在(07/04~07/28)開催中なのが「ヨーロッパ絵画展~バロックから近代へ~」。
“長野市在住の所蔵家・長坂 剛氏が長年にわたり「伝統的な絵画手法によって描かれた正統派のヨーロッパ絵画」を蒐集したコレクションより、17世紀のバロック美術と19世紀の近代絵画を中心に58点の油彩画を”紹介するというエキシビション。

58点も絵画が並んで、それらは観たことのある画題に観たことのある作風ではあるのですが、いわゆる大家や巨匠の作品はなく、「誰方さん?」と、添えられた注釈に書かれた作者名をガン見しちゃうものばかり。
ミケランジェロ・メリージ・ダ・カラヴァッジョ・・・風に、レンブラント・ハルメンソーン・ファン・レインっぽい作品、ヨハネス・フェルメールなの? それとも、ピーテル・パウル・ルーベンスでしょうか?
・・・っぽいといえば、ぽい。・・・らしいといえば、らしくもあるが・・・。

ヨーロッハ?絵画展0.jpg

ポスターやパンフレット、チケットに引用されているのはオノリオ・マリナーリ(Onorio Marinari 1627年10月03日 ? 1715年01月05日)描くところの「聖チェチリア(St. Cecilia)」で、その美しいお顔の横には「私のことを知っていますか?」と書かれていて、画題となった聖セシリアを指しているのか、作者のマリナーリのことを言っているのかと思ってしまいますが、おそらく、セシル(Cecile)ちゃんことセシリア(Cecilia)ちゃんこと、音楽家と盲人の守護聖人(聖女)とされる聖チェチーリアのことではあるのでしょう。

ヨーロッパ絵画展1.jpg
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大家の、名の知れた画家、芸術家の作品が無いからつまらない・・・ということはなく、その多くは著名な大家の作品の模写であったり、真似であったりもするのだけれど、当時そうした絵画が受けた、売れた、持て囃されたのでしょうし、まるっと画風まで真似ているものもあれば、画題だけを写したものもあって、贋作との線引きが微妙になりそう? ・・・とも思うのですが、それがかえって当時のトレンドを知る手懸りとなるのではないか・・・というのがこの展覧会鑑賞のテーマ。

バロック時代はまだ芸術家という肩書きが確立する前で、「芸術作品」として現代に残る物の多くは工房を経営する絵画職人のお作。その作品にどれだけ多くの職人、徒弟、お弟子さんの手が加わっていても、サインを書き入れているのは親方さんただおひとり。
繁盛する工房は多くの顧客を抱え、その分多くの職人を抱えてもいたのでしょう。

ここに並ぶものは、ある種のスタディ(習作)として、親方さんの作風を真似た、模写したものもあるのでしょう。
もしかしたら、昨今話題になっている「闇営業」的な?
工房を通さずに、職人さんがこっそり仕事を受けちゃってたりもしたのかしらン?!
勉強のため描かせてくださいだったのか、親方に内緒でワタクシがお描きしましょうだったのか、そこに金銭の授受があったのか、反社会的勢力との関わりは・・・?? それが露呈して、謹慎、解雇?
・・・なんてことが有ったり無かったり・・・?

名の通った工房がバックオーダーをいっぱいにして、需要に供給が追い付かずに他へ仕事を回しちゃったということもあるかも知れない。お客の足元をみて、親方が仕事を受けず、若手に描かせちゃったのかも知れない。発注しても供給が得られず、顧客の方が待ち切れずに、少し腕の落ちる職人に依頼したのかも知れない。

時代背景を考えると、絶対王政期でもあって、宗教改革 VS 対抗宗教改革(カトリック改革)の時代でもあって、王族諸侯や貴族、教会が絶対的な権力を持ち、宮廷や邸宅、教会を飾るための絵画の需要は相当数あったのでしょう。
考えようによっては、宗教戦争が齎した副産物。その為、カトリックを信仰する国々(イタリア・ローマやチェコ・プラハ)では宗教画はより一層の発展を遂げて、プロテスタントを掲げる国や地域ではそれに変わって世俗画。分けても、いわゆるチューリップ・バブルで潤うオランダなどでは貿易で多大な利益を得た商人がその成功の象徴として絵画を求める。
織物や香辛料を求める長い船旅の慰めとして船室に飾ったのか、祖国を遠く離れた地に結んだ住処に置いたのか、懐かしい故郷を映した風景画や愛しい家族の姿を描いた肖像画。瀟洒な自宅には盛りに盛ったポートレイトが誇らし気に掲げられていたはずで。
何れにしても絵画職人の手が多く必要だったのでしょう。
こっちの誰それは仕事が速い。あっちの誰かはより美しく描いてくれる・・・とそれこそバブリーな競争原理。

何れにしても、こうした絵画が市井に広まって、豊かな時代ではあったのでしょう。
活版印刷が発明されてはいても、そのほとんどが聖書などの宗教書で、それも普及し始めたのはこの時代、宗教改革の頃。とはいえ、カラー・グラビアなんて望むべくもなくて、それに変わるものとしてこうした艶やかな絵画が流通もしたのでしょうし、経典の中の逸話をヴィジュアル化したり、教会の壁画をあなたのお部屋にも・・・と、類型化した画題が幾つも作成されたのでしょう。
偶像崇拝を禁じた会派の家庭では、教義、教訓よりもっと身近な画題。とはいえ、豊かさなり、家族や郷土への愛情、何かを象徴していることには変わりはないかと思います。

そうそう、バロック(baroque)は「歪んだ真珠」を意味するポルトガル語に由来する云々。
それ以前のルネサンス芸術が均衡と調和を重んじて、均整のとれた真球形の真珠ならば、バロックは少しイビツな非真球の真珠のようだということなのでしょう。神々しく輝かしい部分と妖しくも昏い部分の二面性を持ち、光源の角度によって、そのコントラストも違って見える。眩ゆい光だけでなく、その影までも表現して。
あえてバランスを崩してまで、躍動感、緊張感を得ようとした冒険心?
まァ、眼の前にある真実は必ずしも平かな均衡の上にあるとは限らない、安定感は退屈だと気付いちゃったのでしょうね。
当時の人々は勿論、イビツだ、歪んでるなんて意識はなくて、後の世、誰が言い出したのか、「歪んだ真珠」。そのネイミング・センスたるや、今だにそれに変わる言葉はなくて、みんな当たり前のようにバロックと呼んでしまう。
そしてそれは絵画や彫刻などの美術だけに止まらず、音楽や建築の分野にまで及んで、なんなら「バロック期」と時代丸ごとそうであったかのように語られる。
でも、ね。
それはカトリックを信仰する国や地域、それも極限られたところ限定。
フランスなどは同じ時代の音楽を「古典フランス音楽(la musique francaise classique)」と呼称し、「バロック音楽」とは一線を画す。
他の国でも、過剰である、大仰であると反発もあって、各国、各地で様々な様式が育まれて、血中仏蘭西人濃度の高いワタシとしては、ざっくり「バロック時代」と括られるのにはちょっと抵抗があったりもします。
バロック音楽の代表のように言われるパパ・バッハ・・・大バッハにしたところでルター派、カトリシズムの外側におられたのでしょ。厳密に言えば、「バロック」と呼んでよいものかどうか。
とはいえ、それはその時代の大きな流れで、それは多くの支流を持つ大きな巨きな本流ではあったのでしょう。

んン?! 「ヨーロッパ絵画」から脱線しそうですね。

ここに集められた「バロック期に描かれた絵画」もひと括りには出来ないほど筆致や画法に違いが見られて、「宗教画」こそ「カトリック絵画」=「バロック絵画」ぽくはあるのだけれど、「世俗画」は「プロテスタント芸術」の一端。微妙な時代の差異や地域差が感じられて、幾つかのトレンドが相互に影響しあいながら、大きなウネリとなって、その時代を彩っていたのが感じられます。

バロック」だけで随分文字数を費やしてしまいました。後半を飾る「近代絵画」に進みましょう。
近代」というと、ついつい「象徴派(サンボリスム)」や「印象派(アンプレッシオニズム)」、さらに進んで、「野獣派(フォーヴィスム)」や「立体派(キュビスム)」を連想してしまいますが、それはほぼほぼ「フランス近代」で、地域限定?
ここに展示されるのは、そんな前衛の最先端の先っちょではなく、近代ヨーロッパで広く愛されたであろう、より伝統的な絵画。オーソドックスではあるのだけれど、「バロック」と並ぶと一層に、明るい色彩感に溢れて、軽やかな筆致、モダンな印象を齎らすもの。
これらは絵画職人ではなく、美術学校出身の新進気鋭の作品ででもあったのでしょうか。コンベンショナルなレトリックではあるのだけれど、より身近に感じられるような画題、画法。
今でこそ、やれモローだ、モネだ、ルノワールだ、セザンヌだと、より新し気な作風が有り難がられるけれど、当時はオーソドックスの方が一般受けしていたのでしょうね。最先端を走るパリの、一部のとんがったヒトたちが別格。多くは保守的な人々。まァ、生活様式や社会の動向はそこまで劇的に近代化された訳でもないでしょうから、それが当然の成り行きではあるのでしょう。みんながみんな、前衛的、進歩的であったら、アヴァンギャルドがアヴァンギャルドとして機能しませんし。
カトリック芸術VSプロテスタント芸術は時代を経て、異端対保守に様変わり? 時代とともに、保守本流は流れを変えるとも取れるわけですな。

じっくりと観覧していたいのですが、午後からは町家で(お昼寝)ガムランが控えています。
近々に、世紀末ウィーンや象徴派絵画を拝見する機会が控えています。近現代芸術についてはそちらで再考することになるでしょう。今日のところはこれまでとして、頭をジャワ・ガムランにスイッチしなければ・・・。

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今日のオマケの一枚はやっぱりオノリオ・マリナーリ描くところの「St. Cecilia」・・・の顔出しパネル。
思いっきり余所見しながらオルガンを弾いておられたその美貌が切り取られて・・・。
その伝説の語るところによると、斬首刀の打撃を三打ちも耐えて、その後三日も生きながらえたという殉教者セシリアちゃん。演奏中は、指先に意識を集中しましょうね。

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