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Je suis venu te voir, Annelies Marie Frank. [散歩・散走]

5月5日、こどもの日。元号改正も「いちょう祭」も滞りなく終えて(?)、気鬱のタネも消えたGW最後の休日。
五月晴れのお天気に誘われて、BD-1Rでリフレッシュ・ライド。ちょっとハードな山岳コースへ挑みます。


目指すのは西宮市甲陽園にある聖イエス会アンネのバラの教会
1971年04月04日に教団の合唱団がイスラエル・ネタニヤで、アンネの父オットー・ハインリッヒ・フランク(Otto Heinrich Frank 1889年05月12日 - 1980年08月19日)氏と知り合ったことから交流が始まり、出会いを記念してバラの苗が齎され、それをきっかけにアンネことアンネリース・マリー・フランク(Annelies Marie Frank 1929年06月12日 - 1945年03月上旬)の生誕50年を記念した教会を建てようという運動が起こり、1979年春創設、1980年04月13日に献堂されたのがアンネのバラの教会
教会の建物はアンネ・フランクの隠れ家の屋根裏をイメージした礼拝堂として設計され、メノーラー(燭台)は父オットー氏が献納。
お庭には、ベルギーの園芸家ヒッポリート・デルフォルゲ(Hippolyte Delforge 1905 - 1970)氏が未来に遺すアンネの形見として作出した「アンネのバラ」50株が植えられ、それを見下ろすように、彫刻家の本郷寛氏が制作したアンネのブロンズ像が置かれる。

もちろん、ワタシはアンネ・フランクにはなんの縁も所縁もありません。聖イエス会の信者というわけでもありません。
ただ、そこに咲く尊いバラを拝見したいという望みだけ。

多くの品種が植えられたバラ園ならそこまで脚を運ばなくても、中之島公園なり靱公園で事足りるのだけど、「アンネのバラ」が一面に咲き、その花は赤に近いオレンジ色から輝くようなゴールド、一輪ごとに違った表情を持ってグラデーションを形成し、尊いほどにかけがえのない美しさで、そこまで走るだけの価値は十分。
ハードな山岳コースに挑むなら、それに匹敵するご褒美・・・眼の保養が無いと、草臥儲け・・・ご利益も無いというもの。

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自宅から教会までは約20㎞。
距離としてはどうということもないが、その道中は大小幾つもの河川が立ちはだかり、多くの鉄道が行く手を阻む。
夙川辺りまでならほぼほぼド平坦なのだけど、そこから甲陽線に沿った北上ルートはダラダラと登りが続き、最後の最後、終点の甲陽園駅付近から教会までがかなりの激坂。別のコースを選ぶと、直前にも過酷なアップダウンを挟んでしまう。グーグル・マップによると、坂というより、もう壁じゃん!!
「オレの庭」、大阪市内や京都市内ならナヴィゲーション無しでも走れるのだけど、西宮方面は若干不案内で、山手幹線にしろ国道2号線にしろあんまり横断歩道がなくて歩道橋だったり、鉄道をオーヴァーパスする車道を走っていいもんだかどうなんだかよく分からないし、教会まで何度か通いながらも、自宅から西宮市までの間と夙川から教会までの間のリーズナブルなコースを見つけられずにいる。
が、まァ、走っちゃえばなんとかなるでしょう。フォールディング・バイクの強み、いざとなったら阪急電車で甲陽園駅まで輪行という手が使える。

このところ体調も思わしくなくて、心臓の1/3が正常に機能していないとかで、平静時の心拍数が40前後まで落ちて、ちょっと激しく動くと140くらいまで平気で跳ね上がる。激走なんて以ての外だとかなんとか。
眼は衰えて、耳は聞こえなくなって、一昨年に昏倒して、昨年は落車転倒で顔面負傷。それ以来、くれぐれも無理、無茶はするなと奥様からもキツイ御達し。
理系ですから、無茶はしても、無理はしません・・・と言ったところで、受けてもくれない。
今日は自制心で、疾りたがるBD-1Rの最高速度を25㎞/h程度に抑え、無理だと思えば輪行に切り替える作戦。

風は適度にヒンヤリと感じるが、朝早い時間でも陽射しがきつい。
今日もシールド付きヘルメットで紫外線対策・・・なのはいいのだけれど、外出用メガネの調光レンズにミラー仕様のシールドを重ねちゃうと、リーディング・グラスかハ◯キル◯ペじゃないと、iPhoneの地図が読めません!! ヘッドセットからの音声ナヴィゲーションも聞こえづらくて。
今までアンネのバラの教会へは三度、四度と通って、それなりに記憶しているから、iPhoneやApple Watchのナヴィに頼らず、標識を視認しながらのノンビリ走行。
それでも西宮市内まで30分ほど。そこから夙川駅近くまでも大した時間も要せずに走破して、ヘルメットの顎紐を締め直していざ山岳路(?)へ。

残り250メートルがこの山岳コース最大の難所。というか、そこまでは平坦なスプリント・コースで、最後の最後だけ落差97メートルの激坂が控える。
底辺の長さaが250で、高さbが97の直角三角形の斜辺の長さcとその傾斜角θは・・・?
斜辺の長さc=√aの2乗+bの2乗、tanθ=b/aで、その答えは・・・?
そら恐ろしいものを感じるから計算するのは辞めとこっと(計算式は浮かんでも、関数電卓が無いと、バイクで走りながらは暗算出来ない)。

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激坂を踏破して教会の前にBD-1Rを停めても、膝が笑っちゃって、ワラッちゃって・・・。以前ヴァインディング・シューズで来た時は、それがペダルから外せなくて、走破し終えてから転倒したことがありましたな、そういえば・・・。
見れば教会周辺やお庭に人影はなく、バラを見物しようというのは今の所ワタシ独りのようで、ならば邪魔にもならないだろうと傍らにバイクを置いて、呼吸を整えて、お庭先へ。

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アンネ
の銅像は変わらぬ表情でそこに立ち、周りを囲むバラを愛おしんでいる。そのバラたちは一面に咲き揃って・・・というほどには咲いていないのだけど、それぞれの色を誇示するようにポツリポツリと点在する。
原名を「Souvenir d'Anne Frank」といい、母親はレーブ・ド・カプリ、父親がシャントクレアという品種で、8年の歳月をかけて作出。フロリバンダ種で花型は丸弁盃状咲き。花は変色する性質があり、蕾のときは赤色、開花するとオレンジ色に黄色がかった黄金色に、やがて花弁の先からサーモンピンクに、さらに濃くなり赤色に近くなる。四季を通じて咲き、5〜8輪の房咲き・・・なのだという。
5〜6割りはまだ赤い蕾。
ウメやサクラのようなさっぱりした気性じゃないのかもしれません。
色素を変化させながら開花するのは相当のエネルギーを要するのかも知れません。
でもね。お休みで、天気が良くて、体調の良い時でないとここまで来れないし。
ここ2〜3日の陽気で大分と咲いているかという予想はハズレはしたものの、蕾はツボミで、十分に愛らしい。これが咲いたらどんな色になるのだろうと想像しているだけで、充分に楽しませてくれる。ここまで来た甲斐があったというもの。
お天気次第では、来週末もう一度激坂トライしちゃう・・・かも。

ここへは過去3回、秋の開花時期はもっと気温が高いから何れも5月に訪れて、お庭は都度拝見しているのだけれど、ポタリングがてらの物見遊山で訪れるのは失礼な気もして、教会内や併設されるアンネ・フランク資料館に立ち入ったことは一度もない。
激坂を走って汗みどろで脚はヘロヘロ、見学は事前の申し込みが必要でもあるらしい。突然訪ねても入れない。
一度くらいは正式に事前申し込みをして館内も拝見してみようとも思う。

たっぷりと時間を掛けてバラを愛で、呼吸も落ち着いて、足腰も回復してきたような・・・。そろそろ下山の下りコースを辿るとします。
が、まっすぐ帰るだけじゃあ面白くないので、途中廣田神社に寄り道することに。
往路でその位置は確認してある。降って行くだけで着けるはず・・・だったのですが・・・。

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上りに胸つくような激坂は、下りはつんのめりそうな急勾配。カメラや車載工具を詰めたフロントバッグを付けてフロント・ヘヴィーな車体で、前輪をロックさせちゃったら絶対そのまま転がり落ちそう。上りはキツイけど下りはコワイ。
おまけに、下り一方だと思ったのに、どこをどう間違えたのか、心臓破りなアップダウンに出くわして、廣田神社に着いた時には心臓バクバク、膝はガクガク。
鳥居前にBD-1Rを停め置いて、手水舎前の喫煙所でどんだけ休憩したか。

手水で身を清め、いざ拝殿へ。

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廣田神社
は式内社(名神大社)、二十二社(下八社)の一社。旧社格は官幣大社で、現在は神社本庁の別表神社。
主祭神は、伊勢神宮内宮の第一別宮荒祭宮祭神と御同体となる、天照大神荒魂(撞賢木厳之御魂天疎向津媛命(つきさかきいつのみたまあまさかるむかいつひめのみこと))で、脇殿神は、住吉大神、八幡大神、武御名方大神、高皇産霊神。
日本書紀によると、神功皇后の三韓征伐に出発する際、和魂が天皇の身を守り、荒魂が先鋒として船を導くだろうとの天照大神の神託があり、その帰路に忍熊王の待ち伏せなどがあり難波港に辿り着けず、兵庫港へ停泊、神意を伺うと「荒魂を皇居の近くに置くのは良くない。広田国に置くのが良い」とのご託宣。それを受けて創建されたのが廣田神社の最初であるらしい。
生田神社・長田神社・住吉大社もそのご託宣によるもので、都から西国に向かう街道筋に列したことから、西宮の地名が出来たという。
元は甲山山麓の高隈原に鎮座し、後に御手洗川のほとりに遷座。それが水害にあったため、1724(享保9)年に現在の西山の地に遷座し、1945(昭和20)年、空襲による焼失後、伊勢神宮荒祭宮の旧社殿を譲り受けて本殿とし、現在の位置に鎮座。境内社の他に境外社も多く、西宮神社(西宮戎)もそのひとつであったとのこと。
最近では、キャンプイン前に阪神タイガースの全選手・監督・コーチが優勝祈願に訪れるのが、関西のローカルニュースとして広く知られる。
ワタシは生来の、南海時代からの、ホークス・ファン。タイガース目当てで来たわけではありません。

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参拝を済ませ、兵庫県指定天然記念物に指定されているコバノミツバツツジの群落を拝見するために境内の山手側を目指す。
眼下に酒郷を擁する西宮らしく、清らかな水を湛えご神水となっている。
元々の社殿があったという山は意外に険しくて、途中の道も鬱蒼として、細い道が湾曲しながらいく筋にも分かれて、ちょっとしたラビリンス。風が通らないからか、ヒンヤリ涼しいというわけでもなくて、歩くと結構な負担。無理すると帰路の脚が残らない?!
そこそこで諦めて、鳥居前のバイクへと戻り、あとは復路を駆けるだけ。それも171号を豊中目指して走ってみたら、自転車専用レーンがあったり、クルマの交通量も少なくて、意外に走りやすくて往路よりすんなりと楽なほど。お昼前には帰宅出来ました。

これからますますいよいよ暑くなってくるだろうし、陽射しは一層厳しくなるはず。暑熱馴化しておかないと真夏は乗り切れそうにない?!
シールド付きヘルメット(OGK Kabuto AERO-R1)のおかげで顔こそ日焼けしなかったけれど、七分袖の夏用パーカーで前腕部は陽焼け。
早朝に出掛けて、お昼前に帰れるコースを考えないといけないですね。

今日の結果
Mx=38.70km/h、Av=16.40km/h、Dst=45.24km、Tm=02:45:27

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