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春のプレリュード・コレクシオン [音楽のこと]

本日の「ワンコイン市民コンサートシリーズ第89回」は、『中桐望ピアノリサイタル〈前奏曲:様式を超えて聞こえる声〉』。
タイトル通りに、オール・プレリュード・コレクションで、バッハショパンフランクドビュッシーの、時代を超えた「前奏曲集」集(??)。
その著名な楽曲、美味しいところが盛り合わされて、何やらassortiment de prélude、アソーテッド・プレリュードなピアノ・コンサート。

中桐望.jpg

日本語では「前奏曲」と訳されるスタイルは、英語では「prelude」で、フランス語なら「prélude」。まァ、どっちも同じですね。元は、フランス語、というかラテン語から。
「pré」は接頭語で「予め」、「lude」は動詞で英語の「play」に近しい言葉の「遊ぶ、演奏する、演じる」といった意味合い。
前奏曲」というと、割合的に大規模な楽曲がそれに続いて、独立した序奏部、イントロダクション・・・といった面持ち、役割だったのはある時代まで、あるいは他所の国でのお話し?!

今日は、ポーランド生まれながらパリで活躍、名前だってフランス語表記されることの多いショパンに、生粋のフランス人のドビュッシー、ベルギー出身ではあるけれどパリで音楽家として生きたフランク、三人が三人ともパリに死して、お墓だってそこにある(ショパンは心臓だけワルシャワに届けられてそこで保存されているけれど)。
前奏曲」ではなく、「prelude」でもなく、フランス流にアクサン(eの上に付いている点ね)が付いた「prélude」集って感じでしょうか。
あッ、パパ・バッハが筆頭に上がっていますが、”父”は別格。

アソルティモン ドゥ プレリュード・・・『「前奏曲集」集』をご披露くださるのは、大阪大学豊中キャンパス大阪大学会館には初のお目見えとなる、中桐 望(なかぎり のぞみ)さんで、

岡山県に生まれ、3歳よりピアノを始める。
東京藝術大学音楽学部器楽科ピアノ専攻を首席で卒業。在学中に学内にてアリアドネ・ムジカ賞、卒業時にアカンサス音楽賞、安宅賞、大賀典雄賞、同声会賞、三菱地所賞を受賞。藝大モーニングコンサートや新卒業生紹介演奏会で藝大フィルと共演する他、同声会新人演奏会やヤマハ音大フェスティバル2010、藝大アーツ・イン東京丸の内「三菱地所賞」受賞記念リサイタル等に出演。2013年、東京藝術大学大学院修士課程を首席で修了。クロイツァー賞、大学院アカンサス賞、藝大クラヴィーア大賞を受賞。
第17回吹田音楽コンクール第1位。第78回日本音楽コンクール第2位。第3回ロザリオ・マルシアーノ国際ピアノ・コンクール(ウィーン)第2位、併せてコンクール委嘱新曲課題曲の最優秀演奏者に贈られるSonja Huber賞受賞。第58回マリア・カナルス国際音楽コンクール(スペイン・バルセロナ)第2位、併せて聴衆賞受賞。第15回グリーグ国際ピアノコンクール(ノルウェー・ベルゲン) セミファイナリスト、併せてAAF(アーリンク・アルゲリッチ財団)賞を受賞。第8回浜松国際ピアノコンクールでは、歴代日本人二人目の同位となる第2位を受賞し、注目を集める。
ピアノデュオも積極的に活動しており、2006年の第17回吹田音楽コンクール・ピアノデュオ部門で最高位(1位なしの2位入賞)、2013年、第18回シューベルト国際ピアノデュオコンクール(チェコ)第1位、併せてシューベルト賞を受賞。
これまでに岡山フィルハーモニック管弦楽団、関西フィルハーモニー管弦楽団、藝大フィルハーモニア、東京フィルハーモニー交響楽団、東京交響楽団、日本フィルハーモニー交響楽団、Orquestra Simfonica del Valles (スペイン)等、多数オーケストラと共演する他、国内外でのリサイタルや音楽祭に多数出演。
2014年秋より、ロームミュージックファンデーション奨学生としてポーランドで研鑽を積み、2015年01月にはデビューCD『ショパン&ラフマニノフ』(オクタヴィアレコード)をリリース。アルバム発売記念として東京・名古屋・大阪・岡山などでリサイタルツアーを行い、オール・ショパンプログラムの演奏が高く評価され、2015年度日本ショパン協会賞を受賞。これからの活躍が楽しみな若手ピアニストの一人として、音楽ファンおよび音楽評論家・ジャーナリスト等から期待を寄せられている。
ピアノを内山優子、近藤邦彦、平川眞理、芦田田鶴子、大野眞嗣、角野裕、エヴァ・ポブォツカの各氏に、ピアノデュオを角野裕氏、室内楽を岡山潔、伊藤恵の各氏に師事。
・・・という経歴をお持ちのピアニスト。

で、中桐望流プレリュード・アソートがどんな味わいだったかというと、今日は我慢出来ないから先に言っちゃうのですが、彩り豊か、それもヴィヴィッドなカラーではなく、春めいて穏やかではんなりやんわり、それでいてぼんやりとはしていない・・・といいますか、とにかく”春色仕立て”と感じました。

それがどんな色彩だったかと言うと・・・。

いつもの通り、開場が14:30、開演が15:00。
なのですが、今日は、05月03日開催の大学祭「いちょう祭」でのガムラン・コンサートに向けてのお稽古があって、ワタシも出演させて頂くので、ギリギリまで同キャンパス内の芸術研究棟でリハーサルに励んで・・・、ええ、ワタシも「予め、演奏」してきましたの。・・・とワタクシゴトはどうでもいい。

1920年製造、今年が「白寿」、来年には「百寿」、「紀寿」を迎える、ウィーン産まれのヴィンテージ・ピアノBösendorfer252は、今日も本番前にアンチエイジングケア・・・丁寧な整音・調律が施されて、ステージ上にスタンバイ。
そこにご登場されるのは、艶やかな、総身に大輪の花柄をあしらったドレスをお召しになったさん。

プログラムの序開は、ヨハン・ゼバスティアン・バッハ(Johann Sebastian Bach 1685年03月31日 - 1750年07月28日)作曲「平均律クラヴィーア曲集 第2巻 第1番 ハ長調 BWV870」。
パパ・バッハの「無伴奏ヴァイオリン」や「無伴奏チェロ」が絃楽器奏者のみならず、作音楽器全般のバイブルならば、「クラヴィーア曲集」は鍵盤楽器奏者にとっての聖典と言われ、「第1巻」と「第2巻」、それぞれが24の調で作られた『前奏曲』と『フーガ』からなる曲集。「第1巻(BWV846~869)」は1722年、「第2巻(BWV870~893)」は1742年に完成したとされます。
2巻×24調×2曲(前奏曲+フーガ)=96!! ひとつひとつは極短いのだけれど、全部通すと、作曲するにしても、演奏するにしても、相当な仕事量。一曲ずつも非の打ち所がないないうえに、「巻」なんて巻き物みたいで、全ての調を網羅して96曲も収めされていたら、それこそ免許皆伝っぽくて、そりゃあ教典としても有り難がられますわな。
“20世紀(ロック)少年”だったワタシも、ハードロックやヘヴィーメタルが演りたいならバッハを勉強しなさいと叱られていたくらいですから・・・。いまに伝わる極意、奥義みたいな楽曲。有難や、ありがたや。

で、さんとBösendorfer252による『前奏曲とフーガ ハ長調 BWV870』は、彩りに溢れ、なんとも愛らしい曲調に聴こえて。
お衣装に合わせた、花咲くような艶やかさでもないんです。例えて言うなら、小さな蕾の、薄紅の花弁がぎゅっと凝縮したような佳麗さ。スウィートなんです。深みがあってグラデーションする淡薄ピンク??
初夏を感じさせる今日の陽気のせいかもしれません。桜散る待兼山のロケーションのせいかもしれません。さんの衣装の印象からそう感じるかもしれません。窓から差し込む明るい陽差しと相まって、Bösendorferの甘やかな声音がキラキラと輝いて観えるような演奏で、特に2巻48調の中から『ハ長調 BWV870』が選ばれて、これに続くショパンの「前奏曲集」との対比が小狡く感じるくらい絶妙と感じました。

「wohltemperiert(e)」・・・「平均律」を語り出すと、超大部な論文になっちゃう(?)ので、本日のテーマとなる『前奏曲』だけにフォーカスすると・・・、

大バッハの頃の前奏曲は、プレリュード(prélude)ではなく、プレルーディウム(präludium)だったりプレアンブルム(prembulum)などと称されて、この楽曲では同じ調の『フーガ(fuga 遁走曲)』の前に置かれてはいるのですが、この曲集が初出というわけではなく、ここに含まれる『前奏曲』の多くは息子さん(ヴィルヘルム・フリーデマン・バッハ)のために書き遺した教則曲集に含まれたものだとか。
教会オルガニストだった頃から「前奏曲とフーガ」は幾つか作曲されておられるし、調性の、その性格を確かめるための研究書、その集大成でもあるのでしょう。進化していく鍵盤楽器とその調律、演奏に対処するための指南書でもあったのでしょう。
より体裁を整えて、『フーガ』と組み合わされて、演奏教本でもあり、作曲のための手引き書にもなり・・・。パパ・バッハ存命時には出版もされず、いわば私家本、文字通り一子相伝の秘伝書。
エチュード(étude・練習曲)的要素を含みつつ、我が子に伝えるアイディア集。「第1巻」が演奏家としての心得なら、「第2巻」は作曲家としての嗜みを伝授する曲集・・・でしょうか。「予め」書き置いた習作集みたいな。
パパの生前には世に出ることは無く、子供の代になってからの出版。偉大なお父さんの遺産みたい。オオタイサン、いいクスリです。
モーツァルトやベートーヴェン、ツェルニー、そして今日のコンサートで演奏されるショパンフランクドビュッシー。その他にも、後の時代の多くの作曲家がお手本としているのですから、原典の経典で聖典。「『前奏曲集』集」の一曲目に相応しい作品
というか、外せない楽曲ですね。

続いては、フレデリック・フランソワーズ・ショパン(Frédéric François Chopin 1810年03月01日 - 1849年10月17日)。パパ・バッハに倣った「24の前奏曲集 作品28」は1839年01月に、パリを離れたマヨルカ島で完成した(とされる)作品。
確かに、大バッハにあやかったのでしょうが、『前奏曲』だけになっちゃって、それに続く『遁走曲』は無し。
ショパンは『フーガ』が苦手だったのかも知れません。時代に合わないと感じたのかも知れません。でも、ショパンがこの曲集に込めた意味合いは(多分)とっても複雑。

と言うのも・・・。

休憩明けの後半冒頭にインタヴュウのコーナーが持たれて、そこでさんは「ショパンの苦しみを表現している」と仰っておられました。苦しみ、悲しみ。どちらかと言うと、ネガティヴなイメージでしょうか。
ショパンは、その短い(作曲家)人生において、心情を吐露するような曲想の作品が幾つもあって、その代表は恐らく、つのる想いを認めて、21曲も遺された「ノクチュルヌ(nocturne・夜想曲)」になるのでしょうが、この「前奏曲集」もひょっとしたら「前”想”曲」なんじゃないと思えるような節もあって、さんのおっしゃる「苦しみ」がワタシ的には、さんの演奏を聴いていて、ちょっとおかしいのですが、「もののあはれ」を感じちゃいました(あくまで、個人的感想です)。
パパ・バッハの『ハ長調 BWV870』が(息子や弟子の成長を願って?)これから咲こうというような蕾なら、ショパンの「プレリュード」ははらはらと散り落ちる花びら。それが見えたんです。

ええ、一応断っておきますが、違法薬物の類は一切やってないですよ、ワタシは。胃薬以外服用してませんから。

咲いた花なら散るのが道理・・・とはいえ、まだ咲かぬ身の浮かばれぬこと。
ワルシャワ蜂起前夜に祖国を離れ、最初の訪問地ウィーンには馴染めず、父の産まれたフランスへ渡るも言葉の壁は厚く、国を愁い、我が身を呪い・・・、ってショパンのドラマを語っていると、令和になっちゃう?!

そこに散りばめられた一編ずつは短くて、(ひょっとしたら)完成形では無いのかも知れません。
転地療養を兼ねた逃避行。地中海バレアレス諸島に在るマヨルカ島での冬。暖かさを求めたはずの旅先は大時化、冷雨。そこにあったのは粗末なピアノと不十分な医療環境。そんな中で完成したという「前奏曲集」は、時に粗削りで実験的なところもあって、健康になってパリに戻ったらそれぞれ独立した作品にしようとした草稿集、スタディ、あるいは24枚にまとめられた絵コンテ集にも見受けられます。
ショパンが「ピアノの詩人」と呼ばれることからこの曲集も「二十四編の詩集」などとも捉えられていますが、短いながらに絵画的でもあって、彼が歩んだそれまでの30年を綴った私小説から抜粋された24の場面、24のキャプターの最初に置かれた扉絵、挿画。
まァ、ねェ。「ピアノの詩人」のイメージがそうした連想を生んでしまうのかも知れません。
マヨルカへの旅費を捻出するために「前奏曲集」の代価を前借りしちゃっていますし、着手したのは「練習曲集 作品25」のすぐ後辺り。「エチュード」が難易度が高くて、それに変わるものを望まれて、手を付けたのだけど、やはり大バッハに比肩したいばかりに長短24調を揃えた「曲集」とし、バッハが半音ずつ上がる順番であるのに対して連続して演奏しても違和感の無いように5度進行に則した配置にし、「スイート」みたくしちゃって。
「練習曲集」が演奏技巧を高めるための作品集なら、「前奏曲集」は感情表現のための”演習曲”としながら、連続演奏もできる「組曲」構成。自負と気合とショパンの想い。それらがテンコ盛り詰まっているように感じます。
パパ・バッハのマネではなく、その意図するところだけを汲み取ったのでしょう。お弟子さん・・・やんごとなきマダムや麗しいマドモアゼルに向かって、貴女は私の子供とかなんとか言って、受けていたのか、すべっていたのか。まァ、いいけど。

ワルシャワに生まれ、パリに遊んだショパンが「もののあはれ」を思うわけはないのですが、フランスにかぶれ、そこに蟠る「ニュアンス(nuance)」と「アンニュイ(ennui)」が彼の心情にぴったり符合しちゃったのでしょう。もちろん、ジョルジュ・サンドの影響も大きくて、閉ざされた帰路、受け入れられない言葉の壁、それらが翳りとなっての「ニュアンス」。行き場が無く、無聊を慰める、「アンニュイ」な時間。
雨に打たれ、風に追われ、はらはらと舞い散る花弁。それは路傍に植えられたリラ(ライラック)でもあったのでしょうか。よくないことが起こる予兆・・・。
ショパンは、やっぱり詩的に語りたくなっちゃう?!

十五分の休憩を挟んで、後半。
さんは、真っ白なエンパイア・シルエットのシュミーズ・ドレスにお色直し。一瞬、別の人かと思っちゃいましたが・・・。
その後半は、インタヴュウから始まって、クロード・ドビュッシー(Claude Achille Debussy 1862年08月22日 - 1918年03月25日)とセザール・フランク(César-Auguste-Jean-Guillaume-Hubert Franck 1822年12月10日 - 1890年11月08日)。
年代順にいくなら、フランクが先なのでしょうが、順番が入れ替えられて、プログラムはドビュッシーから。

成功とスキャンダル、人生の浮き沈みを経験し、円熟期に差し掛かったドビュッシーバッハショパンに倣ってものした「前奏曲集」。
倣った?
各12曲ずつで構成された2巻構成で、体裁こそバッハショパンに揃えていますが、内容的には極”印象的”な小品集。バッハが原点でお手本なら、ショパンはそれをロマンティックにしちゃって、ドビュッシーはより印象的に変えちゃった・・・とそれぞれ時代を反映しているのが面白いところ。
ショパンが『フーガ』を取っ払っちゃったら、ドビュッシーは調性感も投げ出しちゃった(?)ようで、各曲の関連性もほぼほぼ皆無。彼はピアノをアントワネット=フローレ・モーテ・ド・フルールヴィル夫人に教わったということで、詩人ポール・マリー・ヴェルレーヌの義母でもあったこのマダムはショパンの直弟子であったとも伝わるお方。ドビュッシーショパンの孫弟子にあたり、その独特の運指とともに、詩的な旋律を伝授されたのでしょう。対して、バッハ色はかなり薄いというか無いに等しい。

ショパンのそれが私小説の中の挿画ならば、ドビュッシーの「前奏曲」はより映像的で、例えていうなら映画のダイジェスト、予告編・・・みたいな。というか、ひとつずつが完成、完結していて、ショート・ムーヴィーの趣き。

さんの演奏を聴いていて感じたのですが、ショパンが「舞い散る花弁」なら、ドビュッシーは「流れる水」。どこか水っぽい。白くて薄い、ふわふわひらひらしたお衣装のイメージから? ・・・というわけでもないでしょうが・・・。透明感? 躍動感? 強いて言えば、澄み渡る流動感・・・ってところでしょうか。
調性が希薄なせいで、浮遊感を伴うのが彼の作品の特徴でもあるのですが、それは空気、気体ではなく、どちらかというと液体。定型を持たず、絶えず変化し、光を写し、陰を纏い、風に漣み、地形の変化に則して波立ち飛沫を上げて迸る、表情を変える水の営み。
月を観て月を語らず、風を捉えて風を歌わず。どこか、象徴主義的、印象主義的な文学の影響を帯びつつ、旧い和歌にも通じるような無常観。ショパンともども、日本人受けがいいのも首肯けるような・・・。
ショパンから受け継いだ運指法をパリ音楽院で否定され・・・、と語り出すとまた長くなっちゃうからパスしますけど、初期の作品である「月の光」も空を仰いで最も身近な衛星を詠んでいるわけではなく、それが投げ掛ける光によって浮かび上がる陰翳を写し取る。まァ、素直じゃないのか、必ずどこかでワンバウンドしちゃってる。
大師匠とは感じ方は違うのでしょうが、ニュアンス・・・翳りがそこに観えて・・・。

全曲聴きたいところではあるのですが、演奏されたのは「前奏曲集 第1巻」より『第5曲 アナカプリの丘(Les collines d'Anacapri)』、「第6曲 雪の上の足跡(Des pas sur la neige)』、『第7曲 西風の見たもの(Ce qu'a vu le vent d'ouest)』、『第8曲 亜麻色の髪の乙女(La fille aux cheveux de lin)』、『第12曲 ミンストレル(Minstrels)』、5曲の抜粋。
それぞれに文学的物語性を持たせようとしたのか、タイトルが付いてはいるのですが、曲想とはそれほど密接でもなく、それこそニュアンス?!

キラキラと飛沫を踊らせながら丘を流れ落ちるせせらぎが、やがて凍るような静けさを帯びて、大西洋からの荒れた温風に煽られ、夏には美しい桜色の唇をした乙女がそこで雲雀とともに唄い遊び、黒人風にコスプレした音楽ショーで賑わう大団円?
短編小説集か、短編映画のオムニバス。
その演奏は、三次元的立体感を伴って、3D映画のようで。

最後はフランク。フランスの楽壇でパパと言えばこのお方。ベルギーに生まれ、パリに学び、パリ音楽院の教授にまでなって、多くの作曲家を育てることになるのだけれど、その作風はドイツ的。オルガンのクラスを受け持って、若き日のドビュッシーも一時期通うのだけどそれが合わなかったようですぐにドロップアウト。
オルガン教授は、バッハの研究もされておられて、ピアノ用とオルガン用の前奏曲も僅かに書かれてはいるのだけれど、曲集とするほどの数にはならず、バッハの「前奏曲とフーガ」に『コラール』を加えて、「前奏曲、コラールとフーガ ロ短調(Prélude, Choral et Fugue)」。
ピアニストからオルガニストに転じて以来、1884年になって40年ぶりに作ったピアノ曲。晩年となっての原点回帰なのでしょうか。バッハへのリスペクトっぷりが半端なくて、プレリュードもコラールもフーガもそこはかとなくバッハ風味。
歌うようで、ドラマティークではあるのだけれど、色目的にはアクロマティーク、白と黒とが織り成す陰翳。光と陰? 墨絵的な美しさでしょうか。

アンコールは、ドビュッシー作曲「ベルガマスク組曲」から『第3曲 月の光(Clair de Lune)』とセルゲイ・ラフマニノフ10の前奏曲 作品23」から『第4曲 ニ長調 アンダンテ・カンタービレ』。
前奏曲集」に入っていても違和感が無いようなドビュッシーの最重要曲と、「前奏曲集」つながりのラフマニノフ

J.S.バッハの場合にはいかにもな前奏曲、フーガや他の様式の楽曲に先立って演奏することを前提としていました。同じ頃のフランス、バロック音楽に対する古典フランス音楽の世界では非定量的な記譜法で記された即興的な前奏曲、プレリュード・ノン・ムジュレ(prélude non mesuré)・・・"測らない前奏曲"??・・・があって、それらは主にヴィオール(ヴィオラ・デ・ガンバ)やリュートなど調律が不安定で音の狂いやすい楽器のための音試しの試奏曲。お試し用とは思えない出来映えの作品も多く、それらは作曲家兼演奏家の、余興と呼ぶには余りによく出来た楽曲でもあって、職業作曲家の地位が安定すると作曲→出版とやや商業的になるにつれ廃れちゃうのですが、その場の思い、その時のニュアンスを帯びたレトリックは時を超えてショパンドビュッシーフランクに受け継がれているのでしょう。
各時代、各国に散見される「前奏曲」。それら全部を網羅するには時間が足りませんが、今日はバッハからドビュッシーまでをたっぷりと堪能させて頂きました。何れも色彩感に溢れる中で、特に迫真のショパン。情景が思い浮かぶような気がしました。

例によって、演奏の素晴らしさに心打たれて、長々と書き連ねてしまいました。次回からは、簡潔なレポートにしたいと思うのでしょうが、どうでしょう。無理っぽい・・・なァ。

さて、その次回(2019年05月12日(日)  14時30分開場、15時開演)はついに『ワンコイン市民コンサート七周年記念特別コンサート』。
周年記念公演の度にご出演となる、「ワンコイン市民コンサート」のラスボス的存在(?)、青柳いづみこさんが、今回は通崎睦美さんをパートナーとした特別コンサート。
青柳いづみこさんはピアニストで文筆家。通崎睦美さんは木琴奏者で文筆家。「最強のモノ書きパフォーマー」お二人によるセッションは、『フラワー・セッション』と名付けられて、fiorire・・・花咲月と七周年を言祝ぐようなプログラムが用意されます。
そこで演奏されるのは、通崎睦美さんが委託されて集められた「アマリリス・プロジェクト」の作品に加えて、お花を題材にした楽曲尽くし。木琴ソロ、ピアノ・ソロ、木琴+ピアノのデュオで奏でる百花繚乱の『フラワー・セッション』。

つづく6月は、デュオ・ヴェンタパーネ(Duo Ventapane)。大阪大学会館には、2017年08月20日以来、二度目のご主演。ヴァイオリニストの白石茉奈さんとピアニストのマルティン・カルリーチェクさんの息の合った演奏は、「音楽は国境を超えて:チェコと日本」をテーマとして、伊福部昭レオシュ・ヤナーチェク三善晃ボフスラフ・マルティヌーのデュオ・ソナタがプログラム。チェコと日本を繋ぐ愛の懸け橋?
2019年06月16日(日)  14時30分開場、15時開演予定となっています。

上記2公演は予約受付中で、併せて、ピアニストのマルティン・カルリーチェクさんによる「マスター・クラス」が、06月15日(土)13:00〜17:00に開講。プロ演奏家、プロ志望者、音大生、音大受験生、アマチュア。ピアノソロや室内楽の上達を目指しておられる方を対象に、こちらも予約受付中。このクラスはいつもの大阪大学会館ではなく、別の場所となるため受付時にお知らせするとのこと。
各予約申し込みや内容のご確認は「ワンコイン市民コンサート」のWEBサイトをご覧くださいますよう。
ではでは、七周年記念コンサートでお逢いしましょう。

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