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世紀末ウィーンへようこそ [散歩・散走]

早朝からの「京都アート探訪」。雪催いのお散歩からフォーエバー現代美術館での『草間彌生 永遠の南瓜展』を拝見し、アヴァンギャルドな”おかぼ”をたんと頂戴して、お腹いっぱいにはなったんどすけど、午後も引き続き美術館巡りで、『世紀末ウィーンのグラフィック デザインそして生活の刷新にむけて』が開催中の京都国立近代美術館を訪ねます。


草間彌生作品は、前衛的で抽象的、ある意味シンプルで分かりやすい現代美術ではあるのですが、『世紀末ウィーンのグラフィック デザイン』となると「グラフィック(graphic)」な「デザイン(design)」、情報伝達を主目的とした視覚表現のための美術(的)工芸品全般で、雑誌や新聞などの広告、ポスターにフライヤー、書籍の装丁にパッケージやロゴなどの考案、建物や家具のデザインまで含む。あまりに多岐に渡り、そこに施された技法、意図、手段も様々。京都国立近代美術館に展示、出展されているとはいえ、果たしてそれらは「アート」なのか?・・・というのがひとつのテーマ、鑑賞ポイントになると思うのですが・・・。

フランス近代音楽からフランス近代芸術に興味が拡がり、それらはもとより、そこに影響を与えたとされるジャポニスムを辿って浮世絵を鑑賞し、そこからさらに発展した現代美術も幾つか拝見してきましたが、今回は「光の都」、「華の都」、「芸術の都」を離れ、「音楽の都」とも呼ばれた古都ウィーンで、19世紀末に近代化の象徴として提示されたグラフィック・デザインを紐解きます。おフランスを離れますが、一部には「アール・ヌーヴォー(Art nouveau)」の影響も見られるのでギリギリセーフでしょ。

世紀末ウィーンのグラフィック デザインそして生活の刷新にむけて.jpg

京都国立近代美術館
を会場として、01月12日(土)から02月24日(日)を会期に催される『世紀末ウィーンのグラフィック デザインそして生活の刷新にむけて』は、1897年の分離派結成から1914年の第一次世界大戦勃発までのウィーンで作られた、新しい時代に向けての芸術、デザインの在り方を紹介するもので、約300点もの膨大な作品群となるその殆ど全てがアパレル会社キャビンの創業者、平明暘氏が蒐集したコレクション。それが京都国立近代美術館収蔵となってのお披露目。

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会場に入って、まず眼を惹くのはリヒャルト・ルクシュ(Richard Luksch 1872年01月23日 - 1936年04月21日)による石膏彫像2体。実物比1.5倍くらいでしょうか。石膏製の女性ヌード像が1対2体。眼のやり場に困りそうですが、そのしどけないポーズといい、眼を釘付けにしてしまう。
その艶かしい女性像が、衛兵のごと左右に立つその先はこのエキシビションの末尾を飾る『Ⅳ 新しい生活へ(Towards a New Way of Life)』と名付けられた区画。
そこを取り囲むように、
『Ⅰ ウィーン分離派とクリムト(The Vienna Secession and Klimt)』
    1. ウィーン分離派 - 展覧会と機関紙『ヴェル・サクルム』(The Vienna Secession - Exhibitions and Over Sacrum)
    2. クリムト、シーレそしてココシュカ(Klimt, Schiele and Kokoschka)
『Ⅱ 新しいデザインの探求(The Quest for New Design)』
    1. 図案集の隆盛(The Heyday of Design Sample Books)
    2. デザイン研究のプラットフォーム - ウィーン工芸学校とウィーン工房を中心に(A Platform for Design Innovation - The Vienna School of Applied Arts and Wiener Werkstatte)
    3. オットー・ヴァーグナーとヨーゼフ・ホフマンそしてアドルフ・ロース(Otto Wagner, Josef Hoffmann and Adolf Loos)
    ※アドルフ・ロース壁付家具(Adolf Loos Wall Cabinet)
『Ⅲ 版画復興とグラフィックの刷新(The Prints Revival and Innovation on Graphic Arts)』
    1. 木版画の復権(The Revival of Woodblock Prints)
    2. 版画の新潮流(New Movements in Prints)
    3. 素描の魅力(The Fascination of Drawings)
『Ⅳ 新しい生活へ(Towards a New Way of Life)』
    1. 日常生活とグラフィック・デザイン(Graphic Design in Daily Life)
    2. 挿画と装丁(Illustration and Book Design)
とセクションが連なる。

やたらに刷新、イノヴェーション(Innovation)であったり、ニュー・ムーヴメント(New Movement)であったり、あるいは復権(Revival)であったりと、保守的とされたウィーンでさえ旧体制、中世を支配した貴族文化には飽き飽きしちゃってたのでしょう。ベルリンやパリほどアヴァンギャルドにはなれないのだけれど、先走るイノヴェーションと、その揺り戻しとなるリヴァイバルが鬩ぎ合って、世紀末に泡沫めいた渦を巻く。
フランス革命に端を発し、西欧各地で自由主義や民族主義が勃興、国民主義の大きな潮流は文化の在り方まで変えて、それはこの後、ニュー・ジェネレーション、ニュー・ウェーヴまで目紛しく変化しながら、転がり続けるローリング・ストーンとなって、近代から現代へのその変遷は興味深く、それに連れて科学や産業が大きく発展したのはいいのだけれど、その一方では帝国主義が興り、地域的な紛争や国家間の戦争は20世紀に入って世界を巻き込む大戦へとエスカレートし、ヨーロッパだけに収まらず世界中を混乱させるに至る。
そんな動乱の中にあって、ウィーンではヨーロッパの秩序再建を目的として、「ウィーン体制」と呼ばれるシステムを確立すべく、オーストリア帝国、ロシア帝国、プロイセン王国、大英帝国、フランス王国、ローマ教皇領などから代表が参加しての「ウィーン会議」が開かれるがナショナリズムの隆盛は止められず、転がる石ころはより勢いを増す。

非社会的なワタシには政治的なことや経済的なことはよう分からしまへんのどすけど、文化的、芸術的なことは心得てますよってに、ワタシたちより少し上の世代がニュー・ジェネレーションとして、ポップ・カルチャーを勃興させて、それまでの退屈な風潮を打破しはったように、19世紀末も時代の大きな変化点だったのでしょう。

閉鎖的な旧来の美術機構を嫌って、自由な発表の場を持とう、伝統に囚われない芸術表現を模索しようとした「ウィーン分離派(Wiener Secession, Sezession)」。最初のセクションはそんな「セセッション」の紹介から。
そこに並ぶのは「第1回ウィーン分離派展」のポスターやカタログ、記念の絵葉書、そのエキシビションを紹介する雑誌などなど。なんだか1898年に開催されたその展示会を訪ねたような錯覚?!
そして、それに続くのが、「ウィーン分離派」を代表するグスタフ・クリムト(Gustav Klimt 1862年07月14日 - 1918年02月06日)やエゴン・シーレ(Egon Schiele 1890年06月12日 - 1918年10月31日)、オスカー・ココシュカ(Oskar Kokoschka 1886年03月01日 - 1980年02月22日)の作品紹介。
一部に艶やかな油彩画もあるのですが、多くはデッサンやスタディ(習作)。色彩的には物足りなくもあるのですが、その分、剥き出しの想いが伝わるようで、少し粗雑にも見える筆致が強烈に印象的。油彩でペイントされたものよりメッセージ性が高い・・・かも。

続くセクションではデザイン研究の図案やアイディア集が展示され、「ウィーン分離派」のオットー・ヴァーグナー(Otto Wagner 1841年07月13日 - 1918年04月11日)や「ウィーン工房」のヨーゼフ・ホフマン(Josef Franz Maria Hoffmann 1870年12月15日 - 1956年05月07日)、その二人に対し「装飾罪悪論」をぶつけたアドルフ・ロース(Adolf Loos 1870年12月10日 - 1933年08月23日)など、建築家、デザイナーが紹介される。
アール・ヌーヴォーに影響を受け「芸術は必要にのみ従う」と機能的合理主義を掲げたヴァーグナー、英国的な「美術工芸運動(Arts and Crafts Movement)」に影響されたホフマン、「装飾は罪悪(犯罪)である」と宣言しアメリカ建築の実用性を重視したモダニズム建築の先駆けはロース。三人三様、それぞれが古典に根ざしつつ、それぞれが異なる新しさを標榜するのが面白い。旧来のアカデミスムが破綻し、爆発的に展開、四方八方に飛び広がったということでしょうか。それぞれが夫々に「新しいもの」を模索した結果なのでしょう。

Ⅲ 版画復興とグラフィックの刷新』では、ウィーンジャポニスム浮世絵の影響を観ることが出来る。
パリのジャポニスムはどちらかと言うと表層的。その構図の面白さや色彩の艶やかさ、主に絵師の仕事に惹かれた向きはあるのですが、ウィーンでは彫り師や摺師の技巧が着目点。リトグラフ(石版画やアルミ板版画)の原理が発見されるのを横目に見ながら、浮世絵の影響を受けて、古くからある木版画がリヴァイヴァル。その辺がウィーンらしいのかしらン。版画のニュー・ムーヴメントを生み出してしまう。描かれる主題は古典寄りで、それが木版らしい素朴で柔らかなタッチでありながら、時にシャープに微細で精緻、斬新な画風を描き出して、如何もドイツ語圏的な(?)、パリのジャポニスムとはひと味違う、ウィーン風「浮世絵」。
併せて、木版画やリトグラフの習作、下絵となったものか、デッサン作品も多く並ぶ。

「光の都」と「音楽の都」、西欧を代表する二都でブームになったのだもの、当時のヨーロッパを席巻したといっても過言ではない日本美術。
どうもこの國にあっては、より時代を経たものや希少性の高いものばかりを有り難がって、どちらかというと、宗教的や貴族的な文化を重んじるようにも思うのだけど、確かにそうしたものたちも貴重で有り難くはあるのだけれど、こうした大衆文化が比較的早い時期から発展していたことを誇ってもいいんじゃないかしらン?! ってか、誇るべき。御一新前からCool Japanだったと認識すべきだと思うのだけど・・・。と、そんなことはどうでもよろし。

最後は『Ⅳ 新しい生活へ(Towards a New Way of Life)』。生活の中に溶け込んで、根ざしたグラフィック・デザイン
それまで特定のクラスが独占していた「アート」がウィーン市民に広まったのがこの頃なのでしょう。
19世紀末ごろ、近世から近代への変化点にヨーロッパの主要都市で開催された「国際博覧会」。
国際博覧会」とは「複数の国が参加した、公衆の教育を主たる目的とする催しであり、文明の必要とするものに応ずるために人類が利用することのできる手段又は人類の活動の一若しくは複数の部門において達成された進歩若しくはそれらの部門における将来の展望を示すものをいう。」と国際博覧会条約に謳われている。んン!? 難しい日本語はわからないです(笑)。
要は、革命に因ってクラスの壁が薄まっちゃった分、全体の教育レベルや文化水準を高めようということなのかしらン?! それが国威高揚、国力誇示とナショナリズムを振り翳しちゃったり、消費文化へと展開したり、変な方向へ進んじゃって・・・。キナ臭い話しはキライ。政治向きなことは関心がない。銭勘定も興味がない。ので、触れないことにして・・・(長くなるしね)。
ウィーンでは、「都」としての自負心からか、教育レベルや文化水準の底上げのためにこれらグラフィック・デザインも活用されたのでしょう。一点物の肉筆画は版画を含む印刷物となり、ポスターやフライヤー、果ては建物や家具調度となって市民層にまで行き渡るようになったのでしょう。
グーテンベルクの昔しから産業革命による社会変化に伴って、ようやく印刷出版が大衆化。思えば長い道のりですが、そのマスメディアがやがては電話の発明、ラジオやテレビへと発展、加速度的に展開した最初の一歩がここにもあるのでしょう。
展示されるのはポスターやフライヤー、書籍の装丁に挿画。それらの完成版もあれば、デザイン案などもあって、どれもが興味を惹くような凝った拵え。啓蒙になるのか、啓発になるのかはよく判りませんが、知識や教養を、あるいは技術までも拡めて共有しようという意図ではあったのでしょう。デモクラシー・アートって感じですか?!

60年代のニュー・ジェネレーションがポップ・カルチャーとして音楽やアート、ファッションを民主化したのと同様に、19世紀末のこれらグラフィック・デザインも社会に多大な影響を与えたのだから、立派に「アート」と呼べるものだと思います。芸術的作品を世に広めた功績だけなら、それ以前や以降よりこの時代が一番突出しているかもしれませんね。新しいものがワァっとばかりに溢れ出て、新時代のルネサンスでもあり、ニュー・ジェネレーションの先駆けでもあり、やっぱり「ベル・エポック(Belle Époque 仏:「良き時代」)だったのでしょう。
あッ、フランスに帰って来ちゃった!!

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