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南瓜フォーエヴァー [散歩・散走]

「京都アート探訪2019シリーズ」、本日のツアーは早朝の漫ろ歩きから、最初の目的地、『草間彌生 永遠の南瓜展』が開催中のFMOCA フォーエバー現代美術館 祇園・京都へ。

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フォーエバー現代美術館
はそれまで秋田市で運営されてきたミュージアムで、その地での10年間の活動を経て、2017年06月に京都市東山区祇園町南側へと移り、名称もフォーエバー現代美術館 祇園・京都と改まって、祇園甲部歌舞練場内に1913(大正2)年に建てられた築106年の伝統的日本建築、国の登録有形文化財でもある八坂倶楽部を会場とする。

都をどり』の会場として知られる祇園甲部歌舞練場は、1873(明治6)年に花見小路通西側にあった建仁寺塔頭清住院を改装し『都をどり』の専用劇場として開設されたものを1913(大正2)年に現在地、祇園町南側へ新築移転。
建物の老朽化や地震対策のための調査・改築を理由に2016(平成28)年から休館となり、その間、敷地内に併設される八坂倶楽部が期間限定で「FMOCA フォーエバー現代美術館 祇園・京都」の看板を掲げる。
来たい来たいと思ううちに、02月28日の借受期間終了が近づいて、早くしないと見逃しちゃう。というところに、偶々『世紀末ウィーンのグラフィック デザインそして生活の刷新にむけて』のチケットを頂戴して、そちらも会期終了が間近に迫って、それならとっとと参りましょうと、渡りに船を得て、名残りの雪がはらはら舞う中を早朝からの京散歩がてら。

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すぐ近くのJRA場外馬券売場が一足早くオープンとなって、クルマやヒトがごった返す花見小路通。雑踏を掻き分けるように、10h00の開館の少し前に祇園甲部歌舞練場に滑り込む。
というのも、その敷地の、歌舞練場八坂倶楽部に挟まれるように置かれた巨きく黄色いパンプキン(のオブジェ)、観衆が多く詰め掛ける前にそれをスナップしようという算段。
高さが約4.2メートル、横幅(直径?)が約5メートル、重さは約800キログラムとなる(らしい)繊維強化プラスティック製のパンプキン。草間彌生というとよく知られるのが水玉模様の南瓜で、それを立体造形にした作品(のひとつ)がこれ。
平面絵画なら水玉となる部分の幾つかには大きな穴が穿たれて中に入れそうなのだけど、竹囲いで取り囲まれて、覗くだけに留めないといけない様子。
穴があったら入りたい。いやいや、穴があるとつい覗き込みたくなってしまう。
巨きな南瓜の中は・・・、

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実も種も、何も無い伽藍堂。
そうこうするうちオープンの時刻。
1913(大正2)年に建てられた八坂倶楽部は木造2階建、入母屋造に瓦葺の大屋根を架けた純和風建築。
靴を脱いで、歌舞練場の方を向いた軒唐破風付のお玄関を入り入場受付を済ませ、コイン・ロッカーに下足やコート、バッグを預け、総畳敷きの座敷へと進む。
本来なら、1階は特等客向けの待合・点茶などに用いられ、2階は132畳敷の客席とステージが設えられた舞台座敷。そこがまるっとFMOCA フォーエバー現代美術館 祇園・京都となって、『草間彌生 永遠の南瓜展』の会場に当てられている。

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最初のお部屋に入ると、正面には大きなサイズの抽象画『黄樹』。ここは撮影可とのこと。
その両側の壁にはこのエキシビションに際してのご挨拶やら紹介文に小さな作品が少々。そして、ほぼ実物大のポートレートとなっている草間彌生
その抽象画より衝撃的なお姿は、『黄樹』をテキスタイルとした衣装(&帽子)をお召しになられて、斬新な形状の眼鏡。
1992年に製作されて彼女の代表作でもある『黄樹』。ご本人は帽子やワンピース(?)にされて着こなしておられるが、スニーカーやパスケースとして販売もされている。
他にも、ルイ・ヴィトンや幾つかのブランドともコラボレーションし、サングラスやハイヒール、携帯電話のデザインとまでなっていたりもするが、しかし、プレーンでコンサヴァティヴ、モノトーンでミニマム、シンプルをもって良しとするワタシには着られないなァ。

1929(昭和4)年生まれというからワタシの父や母より年上で、ワタシが生まれた頃にはすでに「前衛の女王」と呼ばれていたという。長野県松本市のお生まれながら、京都市立美術工芸学校(現・京都市立銅駝美術工芸高等学校)で日本画を学ばれたそうで、その縁あってこの地に(借り住まいながら)ミュージアムが作られたのでしょう。

このミュージアムは私設の美術館で、オーナーは秋田市在住のお医者さまで、世界有数の草間作品コレクターとしても知られるお方。
30年以上の歳月を掛けて、700点近い美術品を蒐集し、そのうちの6割近くが草間彌生の作品で、版画作品に至っては全372点のうち約95%に当たる352点を収蔵しているのだとか。

畳敷きの応接室。座って(&寝転がって?)鑑賞することも出来るとの事だが、それを許さぬ混雑ぶり。閉館しちゃうのは惜しい気がする。
隣りのお部屋に進みましょう。
1階は比較的初期の作品で、水玉や網目が画面いっぱいに細かく描き込まれた作品が並ぶ。
第2展示室には、ニューヨーク滞在時から帰国後の作品。青く塗られた壁に飾られるのは、「無限の網(1963年)」や「A PUMPKIN(2007年)」。写真を元にコラージュした作品などもあって、それが目新しい。
第3展示室は、帽子やドレス、靴などをモティーフとした作品。初期の網目文様をより緻密にしたような『雑草(1996年)』やカラフルながらどこか妖しげなお花を描いたものも並ぶ。

幼い頃から統合失調症に苦しみ、幻覚や幻聴に悩まされ、幻覚や幻聴を絵に描きとめることから創作のキャリアがスタートしたのだと言う。「水玉は幻覚や幻聴から身を守るためのもの」。
水玉や網目、画面いっぱいの文様は自己防衛のためのATフィールド(Absolute Terror FIELD・絶対不可侵領域)・・・のようなものなのでしょう。
抽象的というより、ある種スピリチュアルとも取れるこうした作品は、あまりに内省的でもあり、以前は苦手、というか理解が及ばなかった。作者の心の中を覗き込んじゃう行為のようにも思えて、ハマっちゃうと抜け出せなくなってしまうのでは無いかと思える怖さもあって、それこそ触れてはいけない領域とも感じていた。
以前ならこうしたものは、『万物は数なり』と、数字で、数式で現される定理、公理の外側、埒外にあると決めつけちゃっていたが、ワタシも過度のストレスから自律神経を病んだり、突発性難聴となったり、さらには加齢から視力が衰えてくるにつれ、こうした概念的な作品、画風もずゥっと遠いところで科学哲学と繋がっているのではないかと考えられるようになって、そうしたら俄然面白く思えてきて・・・。
ワタシの場合、両方の耳が壊れて、それ以来耳鳴りと目眩を感じている訳なのだが、彼女の場合は精神的な障害がより強く現れて、それが視覚化されているのでしょう。先天的に、あるいは物心がついた頃から思春期的な感情が芽生えていての結果なのでしょうか。原因はともかく、その幻覚、幻視を描き止めて、自らの中に取り込んだうえ対抗策にまでしちゃった強さ!! やっぱり、エヴァンゲリオン的というか、ATフィールドなのでしょう、多分。
万物は数なりと説いたピタゴラスでさえ教団を組織し、その活動はある種宗教的でさえあった由。彼らが掲げた紋章「テトラクテゥス」も(見ようによっては)どこか草間彌生的、あるはATフィールド風に見えてくる。
非論理的なことが理解出来ないなら(バルカン人?)、無理数(無比数)や超越数的なものと捉えれば・・・。

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余計にアタマがウニウニしてきましたね。
縁側に出て、お庭を眺め、ひんやりした空気でオーヴァーヒートしそうな脳細胞をクールダウン。
まだ雪がちらついている。

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1階奥にはミュージアム・カフェやミュージアム・ショップも設えられているが、それはあとのお楽しみとして、スルーしてお2階へ。
第4展示室 花の間。そこは132畳敷きの大広間で、奥には純日本風な舞台の拵え。その畳の上に幾つかパネルが立てられて、主に植物をモティーフとしたシルクスクリーン作品が展示されている。同じ版を使った色違いの取り合わせが多く、同じ構図ながら色彩の違いだけで受ける印象はかなり変わってしまう。
舞台以外の3面の壁にも多くの絵画が飾られて、一部は水玉模様の犬型携帯電話(?)「私の犬リンリン(2009年)」などの立体造形、彼女のデザインを用いた家電品や雑貨まで置かれている。
松羽目老松が描かれた低い舞台には1989年の作品『私の魂を乗せてゆくボート』が展示されている。これも撮影可能な作品となっていて、『黄樹』以上にInstagram映えするので、ステージの前には人集り。畳に座り込んでの鑑賞は難しい。
出来合いの手漕ぎボートにストライプ模様の布製突起物を無数に貼り付けた作品は、彼女を苦しめていた元凶を取り込んで自らの肉体の一部とした、進化した彼女自身のようにも観えて、使徒のようにも見えて、それ自体面白いものなのだけど、老松との対比がインスタレーションめいて、ここでしか見られたない面白さ。

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第5展示室は南瓜の間。色とりどりの、様々な形状の水玉南瓜が並ぶ。
その隣りは、真っ赤な壁に大きさの異なる無数の球状ミラーを貼り付けて、中央にアルミニウム製の水玉南瓜を置いたインスタレーション『宇宙にとどけ、水玉かぼちゃ(2010年)』。
玄関先の樹脂製南瓜と同じように水玉部分はくり抜かれた空洞のパンプキン。それが壁に貼られた球状鏡に写り込んで幾つにも観える。磨き上げられた金属製のカボチャの表面には鑑賞者の姿が写り、それと共に四方の壁にも分散して、その湾曲したシルエットを観ているだけで楽しい。


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ワタシの脚が短く湾曲して見えるのは球面状の鏡のせいですから・・・。短足O脚ゆうなよ!!


第6展示室は、新作、浮世絵師とコラボレーションした木版画作品『七色の富士(2015年)』がズラリと全色並ぶ富士の間。これらも同じ版木からの色違い。赤、青、緑、桃、茶、黄、黒。
大空を背景とした富士山に貌を持つ太陽が寄り添って、一見すると子供が描いた絵のようにも観えるのだけど、その空は無数の水玉で、太陽や富士、その手前の草原(?)にもドットめいた模様が見られて、やはり草間彌生の作品。初期の混沌とした画風から安寧へと至ったようにも見えて、ATフィールドLCL(Link Connected Liquid)へと還元した状態かしらとも思っちゃったりして(あくまで個人的感想です)。

在り来たりな美術館と異なり八坂倶楽部は畳敷き。脚を止めて、疲れたら時に座り込んで、作品をひとつずつ吟味、鑑賞出来るのいいんだけれど、全132作品を観るとその影響力が大き過ぎて、ワタシが生命のスープに取り込まれてしまいそう。

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オマケのパンプキン(和菓子)がKawai過ぎて・・・。

1階に戻って、館内に併設されたカフェ「KYOTO GION MUSEUM CAFE」へ。大阪市中之島NORTHSHOREがプロデュースするカフェレストランは、そちらと同じように、健康的で身体に良さげな、野菜たっぷりのメニューが売りで、ここだけの限定となる草間彌生作品をモティーフにしたスイーツも供される。
正午には少し間が有ったのだがすでに混み合って来ているようで、予約をしておいて、空くのを待つ間にすぐ横のミュージアムショップへ。
こちらもかなりの混雑で、レジに辿り着くのは相当時間を要しそう。午後は京都国立近代美術館へ廻りたいのであんまりゆっくりともしていられない。

ランチメニューは、「ローストビーフ」や「鶏なんこつ煮込み」もあったのだけど、ワタシのチョイスは「ロコモコプレートセット」。目玉焼きの下に潜んだハンバーグもヴォリューミーながら、それを上回るような野菜の分量。何より、暖かさがご馳走で、小さなお鍋の中はワイハー!! グルービーソースが濃厚で食が進む、進む。
そして、水玉南瓜を象った和菓子が食べるの勿体無いくらいの可愛らしさ・・・ですが、ペロリと食べちゃって。

その作品群にもランチセットにも十分満足させられました。
が・・・。

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先の藤田嗣治にしろ、今日拝見した草間彌生にしろ、日本画壇なり日本式のアカデミスムの扱い方に思うところもあるのだけれど、そんなことは非社会的なワタシがここで語る事ではない。ワタシにとって「アート」とは何だろうと考える方が重要。何をもって「芸術」というのかを検証する方が大事。
ワタシにとってそれを鑑賞する行為は知的冒険であり、研鑽でも有って、それらは自分の心を映す鏡で、心のあり様をテストする試験機。
それらを鑑賞する事で、心が揺すぶられ、感性を刺激されもするが、それを言葉や文章に置き換えるまではまだ至らない。それが出来てこそ理解したと言えるのではないかと思うのだけど・・・。トテモムツカシイ。
今回この記事では草間彌生と『新世紀エヴァンゲリオン』をリンクさせちゃったのだが、そう思いついちゃったんだから仕方ない(あくまで個人的感想です)。カボチャ フォーエヴァー、南瓜 for EVA・・・なんちゃって???!
いいのか、ダジャレ落ちで。

沢山の南瓜を頂いてお腹いっぱい?!
世紀末ウィーンのグラフィック デザインそして生活の刷新にむけて』を鑑賞に、京都国立近代美術館までクルマを使わずに、腹ごなしにブラブラとお拾いで向かいます。

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