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永遠のLibertango ~ ピアソラ [散歩・散走]

体調不良からポタリングを控えて、休日は主に知的冒険と称して、美術館や映画館、コンサート・ホールへと脚を運んだ一年でしたが、最後も映画館で・・・。


この一年に観たシネマ。
プラハのモーツァルト』や『ダンシング・ベートーヴェン』だったり、『グッバイ・ゴダール!』、シンガー・ピアニスト、ゴンザレスのドキュメント『黙ってピアノを弾いてくれ』にロシアのプリマ・バレリーナ、マチルダ・フェリクソヴナ・クシェシンスカヤを主役とする『マチルダ 禁断の恋』、伝説のシャンソニエを再現した『バルバラ セーヌの黒いバラ』、そして、クィーン結成からライヴ・エイドまでの軌跡を描く『ボヘミアン・ラプソディ』、et cetera。
チューリップ・フィーバー』はフェルメールのようでフェルメールでなく、『ボリショイ・バレエ 二人のスワン』、『オーケストラ・クラス』では実在した人物ではないものの実在する団体、組織を描く作品。
随分マジメっぽいセレクションとなりましたが、ドキュメンタリーのようでキッチリ脚色、演出されたエンターテインメント・シネマばかり、主にアーティストの生涯を綴った作品ばかりを観てきました。
で、締め括りとなる今日は、テアトル梅田で『ピアソラ 永遠のリベルタンゴ』を鑑賞します。

ピアソラ.jpg

ピアソラ
・・・、アルゼンチン出身の作曲家、バンドネオン奏者アストル・ピアソラ(Astor Piazzolla 1921年03月11日 - 1992年07月04日)の71年間の生涯を追うドキュメンタリー。

タンゴの革命児とされるピアソラ。20世紀で尤も偉大な作曲家の一人に数えられるアストル・ピアソラ
2017年が彼の没後25周年に当たり、その際製作された『Piazzolla The Years Of The Shark』をクラシカ・ジャパン開局20周年記念作品『ピアソラ 永遠のリベルタンゴ』として日本公開。

The Years Of The Shark』・・・、『鮫の年』が意味するものとは?

18世紀後半にイベリア半島で発祥したとされる舞曲タンゴが約100年を経てスペイン統治下の南米大陸に伝わり、その地に根付くダンス音楽、カンドンベミロンガハバネラと融合したものがアルゼンチン・タンゴ
タンゴの破壊者とも呼ばれるピアソラはその伝統舞曲を、踊るための”伴奏”ではなく、聴くための芸術”主奏”にまで高めたのだが・・・。

その最高傑作でもあり邦題にも掲げられる『Libertango(リベルタンゴ)』は如何にして生み出されたのか?

この映画は、ピアソラ没後25周年のイベント「ピアソラ回顧展」開催に向けてその準備に加わる息子ダニエル・ピアソラが語り手となるドキュメンタリーで、姉娘ディアナが執筆した父アストルの伝記「 Astor」を下敷きとする。
生前のディアナが父に取材したインタヴュウ、その音源や映像、家族でのプライベート写真や8ミリ・フィルムに残る素顔のアストル。家族だけが知る、息子だから語れる彼の人となりを炙り出す。

生前の父は息子ダニエルを伴ってよく鮫釣りに出掛けたのだという。それが趣味だったという良き父は、鮫釣りとタンゴは同じ、どちらも体力勝負で、鮫釣りの方がずっと立ち続けているだけ大変だとも語る。
エンディングに向けて、静かに、それでいて情熱的に旋律を奏で、最後はカタルシス。大物を釣り上げた時の昂りと演奏を終えた後の高揚感は近しい・・・ということでしょうか。

大物が釣れる時もあれば、ボウズに終わることもある。暴れる鮫との格闘は、激しい抑揚を伴ったタンゴの演奏。
音楽は色んなものに例えられるが、アストル・ピアソラにとって、それは鮫釣りと同じ。彼の中で音楽は、フィッシングやハンティング、狩猟的行為だったのでしょう。

1921年、アルゼンチンのマル・デル・プラタにイタリア移民三世の子として生まれたアストルは生まれながらにして左脚が不自由だったそうで、1歳までに4度も手術を重ねるが傷害を除く事が出来ず、左右の脚の太さは全然異なり、それが後々コンプレックスとなったのだという。
4歳の時に一家でアメリカ・ニューヨークに移住。父は禁酒法時代にマフィアの支配下で、表向きは散髪屋、その奥ではカジノを経営し、親戚達のために密造酒まで手掛けていたのだという。
その為か、アストルも幼少期から悪仲間に加わったり、身を守るためにボクシングを習ったりし、その傍ら父がユダヤ人街で買ってきたバンドネオンの虜となり、音楽の才能を開花させ、アルゼンチンに戻り、父が経営するレストランでバンドネオンやハーモニカを演奏することになる。
ニューヨーク時代はジャズにかぶれ、アルゼンチンに戻ってタンゴに触れて、18歳でトロイロ楽団に参加。
23歳で独立し、自身のバンドを持つことになる。先鋭的なオーケストラ・タンゴを作りながらも、タンゴの限界を感じ、バンドを解散し裏方となるが、音楽を諦めることはせず、クラシックの作曲家を目指して渡仏し、ナディア・ブーランジェ女史に師事。
世界中に多くの門人を輩出した彼女に二流のクラシック作曲家になるより一流のタンゴ作家になれと推されて、アルゼンチンに帰国。伝統音楽に変革を求めるピアソラは、エレキ・ギターやシンセサイザーを導入した革命的なブエノスアイレス八重奏団を結成し、保守層から「破壊者」と呼ばれ、命の危機まで招いたのだとか。
息子ダニエルもシンセサイザー、パーカッションで一時期そのバンドに身を置くことになるが、変革と破壊は紙一重、当事者にとっての変革は傍観者から見れば破壊、ダンスの伴奏としてのタンゴを求める聴衆にとって彼の実験的な新スタイルは受け入れられ難く、家族を伴ってのニューヨーク移住を強いられる。
ブエノスアイレスに帰国する旅費が工面出来ないうちに他界してしまった父。そして、早くに彼の才能を見出し後押ししてくれた父に捧げたのが「Adiós Nonino(アディオス・ノニーノ)」(ノニーノは父ビセンテの愛称)。
邦題に添えられる、かの名曲「リベルタンゴ」・・・、「自由なタンゴ」は政治的にアルゼンチンに嫌気がさして先祖が眠るイタリアへ移った際に書かれた楽曲。
拠点も移り、主催する楽団もより芸術的深みを求めて、八重奏団から五重奏団新八重奏団九重奏団エレキ八重奏団新タンゴ五重奏団新タンゴ六重奏団と編成を変えることになるが、苦悩する音楽家ピアソラはその間家庭を顧みることを忘れ、自宅に戻らないこともあったのだとか。
伝記は死んでから書くものとする父に対して、生前に自伝を書きたいと言い出した娘ディアナは、音楽家ピアソラではなく父アストルの心情を聞き出したかったのではないかしらン。

没後25年にして息子ダニエルが語るのは、ジャズやクラシックを取り入れた独自の新しいタンゴヌエヴォ・タンゴの創始者であるピアソラではなく、一緒に鮫釣りをし、バーベキューを楽しみ、ピアノを習わせてくれた父アストル
そのバーベキューの度に、音楽は絶えず変化するものとして書き貯めた楽譜を燃やしてしまっていたと映画の中では語られる。
それがピアソラの死後も弾き継がれ、聴き継がれ、、ピアソラ独自のヌエヴォ・タンゴに大きく窯変することで伝統のアルゼンチン・タンゴは世界のタンゴへと広がることになる、その足跡を垣間見れるシネマ。よく出来たドキュメンタリー、見応えのある作品でした。
欲を言えば、もう少し演奏シーンが欲しかった・・・かなァ。しかし、一度聴いちゃうとあの印象的なリフレイン「ミファミファミドラ♬」がズゥッと耳に残っちゃって・・・。ミファミファミドラ・ミファミファミドラ・ミファミファミドラ〜♬

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そうそう、クラシカ・ジャパン開局20周年記念とあってか、座席番号に基づく抽選があって、ワタシは見事当選!!
記念切手とポストカードが6枚にクリアファイル、ミニミニパンフレット、コースターの豪華詰合せ(?!)。切手やポストカードをどう使いましょ? とりあえず、メ◯カ◯??
ミファミファミドラ〜♬

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