SSブログ

連弾の魅力、連弾の秘密? [音楽のこと]

さて本日の「ワンコイン市民コンサートシリーズ第80回」は、実力派のピアニストがお二人も登場されての夏休みスペシャル?!。

本日お目もじ頂きますのは、二人の女性ピアニスト。
昨年4月9日の「シリーズ第64回『ベートーヴェンとシューベルト:希望を求めて』」の記憶が蘇る今峰由香(いまみねゆか)さんと、2015年7月19日の「シリーズ第42回『音のはこぶ私的世界』」以来、こちらも2度目のご出演となる岩井美子(いわいよしこ)さん。

お二人のプロフィールはというと、

名古屋市に生まれ、幼少時を愛知県、兵庫県で過ごす。内藤せい子、近藤千代子、杉浦日出夫、内田聆子の各氏に師事。全日本音楽コンクール、ピアノ部門中学校の部西日本第一位入賞。東京芸術大学附属音楽高校を経て、1983年、東京芸術大学に入学。同年、第52回日本音楽コンクール、ピアノ部門第2位入賞。小林仁、井口秋子両氏に師事。1987年、東京芸術大学を首席で卒業後、ドイツ、デトモルト国立音楽大学にて、フリードリッヒ=ヴィルヘルム・シュヌーア氏に学ぶ。1989年、第3回ヨーロッパショパンコンクール第2位入賞。1991年、メンデルスゾーンコンクール(ベルリン)第1位。クララ・ハスキル国際ピアノコンクール入賞。1993年、ドイツ国家演奏家試験に最高点で合格。1994年、ゲザ・アンダ国際ピアノコンクールにて第2位入賞。さらにジョージ・シェベック氏のマスターコースにて研鑽を積む。これまでに、北西ドイツフィルハーモニー管弦楽団、ヴェストファーレン室内フィルハーモニー、カペラ・イストロポリターナ、ローザンヌ室内管弦楽団、チューリッヒ・トーンハレ管弦楽団などと共演、ヨーロッパ及び日本各地でのリサイタル、また数多くの著名な音楽家との共演などソロ、室内楽の両面において活発な演奏活動、スイス青少年音楽コンクール審査員、多数のテレビ・ラジオ出演などを行っている。CDは、モーツァルト・ピアノ曲集、クララ・シューマンピアノ曲集、パウル・ユオン室内楽曲集、日本のうた「郷愁」などが発売され、いずれも高い評価を得ている。現在、スイス、チューリッヒ在住。チューリッヒ芸術大学勤務。”・・・というのが岩井美子さん。

"5歳より、ヤマハ音楽教室幼児科でピアノを始める。ヤマハジュニアオリジナルコンサートの国内外の数々のコンサートに出演。アメリカ、メキシコ、イスラエル演奏旅行にも参加。関西学院大学文学部卒業後、ミュンヘン国立音楽大学に入学し、94年最優秀の成績で卒業。96年同大学院マイスタークラス修了。さらに、ローマ・サンタ・チェチーリア音楽院にて研鑽を積む。93年ドイツ・ドルトムントで行われたシューベルト国際コンクールで優勝。これを機にヨーロッパでの演奏活動が始まる。その後、イタリア・カリアリでのエンノ・ポリーノ国際ピアノコンクール、スペインのハエン国際コンクールで入賞、96年には、イタリアのアレッサンドロ・カサグランデ国際コンクールで第1位、97年スイス・チューリッヒにおけるゲザ・アンダ国際コンクール第3位入賞など、数々の国際コンクールで成功を収める。チューリッヒ・トーンハレ管弦楽団、ヤナーチェク・フィルハーモニー管弦楽団、ミュンヘン交響楽団、南西ドイツ・フィルハーモニー管弦楽団等、ヨーロッパ各地のオーケストラからソリストとして招聘されるほか、各地でのリサイタル、主要フェスティバルに招待されている。室内楽の分野でも指揮者・ロリン・マゼールとは彼がヴァイオリンを弾く際に共演。さらに元ベルリンフィル首席クラリネット奏者ウルフ・ローデンホイザー、オーボエのインゴ・ゴリツキやフランソワ・ルルー、ヴァイオリニスト漆原朝子などとも共演しており、そのブリリアントなテクニックとインスピレーションに満ちた繊細な演奏は多くの聴衆を魅了し、ヨーロッパ各新聞でも絶賛されている。今峰由香のコンサートやレコーディングはヨーロッパ各地のテレビ、ラジオ等でも放送されており、特にシューベルト、ラヴェルのピアノソロ作品のCDは高い評価を得た。2016年8月にリリースされたCD「今峰由香 プレイズ ベートーヴェン」は、雑誌レコード芸術の特選盤に選ばれる。2002年、弱冠32歳の若さで、名門ミュンヘン国立音楽大学ピアノ科教授に就任したことは日本人として初の快挙。その後、国際講習会の講師として招聘されるなど、後進の指導に力を注ぐ。ヨーロッパ、日本でもコンクールの審査員を勤めるなど、ヨーロッパを中心に多方面の活動を行っている。高次弘子、坂弘子、宇野紀子、クラウス・シルデ、マルガリータ・へ一エンリーダー、ミヒャエル・シェーファー、セルジョ・ペルティカローリの各氏に師事。"・・・と、こちらは今峰由香さん。

お一人ずつでも十分にエクセレンスで、以前にそれぞれソロもご披露下さって、堪能もさせて頂いています。
ともに海外在住の女性実力派ピアニストというのが共通点ではあるのですが、片やチューリッヒ、かたやミュンヘン、どういうご縁で大阪の同じステージで、肩寄せ合ってピアノを演奏することになったのでしょうか。
もしかして、ワガママな某ドクターの贅沢な奸計・・・と訝っちゃう?!

とにかく、肩寄せ合ってのピアノ演奏。今日のプログラムは全編ピアノ連弾曲。

鍵盤楽器が発明されて以来、その特異な形態、広い音域と、他の楽器では真似の出来ないポリフォニックな構造から、弾き手が鍵盤の前に複数並んで仲睦まじく演奏するスタイルはひとつのジャンルとして定着するに至り、「連弾はアンサンブルの基本」・・・と誰かが言ったとか、言ってないとか。

ホールで演奏される管弦楽曲をトランスクリプト、お茶の間サイズに折り畳んで、サロンや広間へと演奏の場を移したり、独りでは叶えられない複雑なハーモニーやリズムを実現してみせたり、鍵盤楽器らしさを十分に活かした演奏を披露するかと思うと、興行的に奇を衒った、基本の1台4手から2台4手、あるいは1台6手や2台8手、果てはピアノ・スペクタキュラーな20台40手!! そこまでいくと、ちょっとやりすぎ!?
それだけ、ピアノが普及し、広く愛され、演奏家も多いということなのでしょう。

作曲家が書き残した純粋な連弾曲はオーソドックスな1台4手か2台4手がほとんど。
今に名を残す作曲家の多くも、それを専業とは出来ずに、演奏家兼務・・・というか、ある時期までは演奏のために作曲していたと言ってもいいくらいで、それが職業として確立するまでは、生活のために音楽教師まで兼ねていて、パトロンでもあるやんごとなき方々やブルジョアのご婦人や子息、子女をお弟子さんに迎え、鍵盤楽器が広く普及するに連れ、そのサロンでの演奏会ではそうした方々とキーボードをシェアすることでその場を華やかに彩ったのであろうと想像してしまいます。

連弾というと、ヨハネス・ブラームスがベルヒテスガーデンで静養中のクララ・シューマンを訪ね、彼女のお誕生日に初演したのが「大学祝典序曲」の1台4手連弾版。ちょっと不器用なバースデー・プレゼント。そこは、やっぱりラヴ・ソング♡でしょ。
連弾というと、バレエ「春の祭典」の初演前に、クロード・ドビュッシーがその作曲者イーゴリ・ストラヴィンスキーと肩を並べての演奏を披露してしまうというサプライズなハプニング。ストラヴィンスキーは、バレエ・リュスの創設者、芸術プロデューサーのセルゲイ・ディアギレフとも連弾を披露したのでしたか。

振り返って、我らが「ワンコイン市民コンサート」でも、『Collage Piano - Ten Hands Dance on Two Pianos』ではピアニストが5人もこぞって2台のピアノを演奏してみせたり(第14回)、四周年記念公演『高橋悠治+青柳いづみこ デュオ・コンサート ”喪なわれた風景” サティ、ラヴェル、ドビュッシー、そして高橋悠治』ではそのお二人による連弾と2台4手(第54回)、五周年記念でも『高橋悠治+青柳いづみこ「パリ1911-1913」』、ここではストラヴィンスキーの「ペトルーシュカ」と「春の祭典」がピアノ連弾で、『武久源造「ピアノの発見 第3章<父から離れて>』では竹久源蔵さんが宮﨑貴子さんをセコンドに迎えて(第67回)。武久さんは『ピアノの発見 第2章』でも貴子さんと2台4手をご披露くださいました(第55回)。何れも、素晴らしく楽しいコンサートでした。

で、本日は、岩井美子さんと今峰由香さんによるデュエット・リサイタル、そのタイトルも『ピアノ連弾の魅力』。

そのラインナップは、
W. A. モーツァルト 「四手のためのソナタ 変ロ長調 KV358 」
F. シューベルト 「自作の主題による変奏曲 序奏付き 変ロ長調 D968A」
F. シューベルト 「アレグロ 『人生の嵐』 イ短調 D947」
F. シューベルト 「ロンド イ長調 D951」
W. A. モーツァルト 「四手のためのソナタ ハ長調 KV521」
と、ウォルフガング・アマデウス・モーツァルト(Wolfgang Amadeus Mozart 1756年01月27日 - 1791年12月05日)とフランツ・ペーター・シューベルト(Franz Peter Schubert 1797年01月31日 - 1828年11月19日)のフルハウス。

かつて神童と呼ばれ、幼少の頃から巡業に明け暮れた天才作曲家は、欧州各地のサロンを巡る天才演奏家でもあって、ある種のパーリーピーポー(party people)? 姉ナンネルとの連弾を披露し、お招きくださったパトロンやその地の名士の方々、そこに集った彼のお弟子さんなどとも演奏し、その演奏会やパーティーを盛り上げたであろう1台4手や2台4手。連弾ソナタは6曲も作られ(うち1曲は未完)、連弾のための変奏曲が1つ、2台4手のソナタが1曲。
映画『アマデウス』のイメージがキッツイのですが、実は気遣い出来る良い子だったのでしょう、多分。
変ロ長調 KV 358」は1774年に彼の地元ザルツブルグで作曲。時に、アマデウス、十八歳の春。
ハ長調 KV521」は晩年近く、1787年のウィーンにて、真友とその妹へ捧げられた楽曲。

少し時代が下ってシューベルト。こちらは幾分かカジュアルで、「シューベルティアーデ(Schubertiade)」と名付けられたパーティはその名の通りシューベルトをメイン・キャストとし、貧しい作曲家を支援しようという老若男女の市民層の集い。日毎夜毎の音楽会のために、千切っては投げ千切っては投げし、彼に「歌曲の王」という呼び名を齎した多くの歌曲とともに、ピアノのための楽曲も多作されて、その中には連弾曲も含まれます。一説によると30曲以上を数えるということなのですが・・・。
彼の作品の多くは”未完成”・・・というか、清書しての出版には至らず、ほとんどが「シューベルティアーデ」のために即興的に作った曲を必要に迫られて、急ぎ書き散らされちゃったんじゃあないかと想像します。作曲家としての職業意識はちょっと薄いのね。少なくとも若い頃は、今でいうところのクラブDJのノリでダンス・ミュージック・・・舞曲ばっか作っては踊り明かしていたんじゃね?
ご近所に住まいされるルードヴィッヒ・ヴァン・ベートーヴェンに畏敬の念を示しつつ、モーツァルトの感性に強い憧憬を抱いたシューベルト。どう影響されて、同じ連弾曲にどんな違いが見られるかを比較するのも一興かと用意された5曲が今日のプログラム。

EVRCE3167.jpg

そろそろ、開演のお時間が迫ってきました。
プロローグのご案内では『ピアノ連弾の魅力』の英訳を『The Secrets of Piano Duet』としたとして、その『Secrets』とは何かをお考えくださいと言うことなのですが・・・????
考える間も無く、ステージ・センターにスタンバイするBösendorfer252に向かうのは、それと同化するようなシックな衣装の美子さんと由香さん。

最初の曲はウォルフガング・アマデウス・モーツァルト四手のためのソナタ 変ロ長調 KV358」。
プロデューサーでプロモーターでもあった父の言いつけにより、4歳年上の姉と演奏することを想定して書かれたという4手ソナタ。それ以前に連弾曲は少なく、本格的な連弾ソナタはアマデウス・モーツァルト作が最初であるという。
肩が触れ合うだけならまだしも、鍵盤の上で腕が交差し、時に指が触れ合ってしまうから、よほど近親者か心が通じ合う同士でないと成立しない小さなアンサンブル。
世に楽器は数多有っても、指と指、素肌が触れ合うのはキーボード連弾だけ?! 演奏上のスキルより、精神衛生上のストレスの方が問題? その他では感じることのない緊張感、心を通わせあって、半ば一心同体での演奏を求められるから”アンサンブルの基本”とされるのでしょう。主に連弾曲をレパートリーにするのは、姉妹や兄弟、姉弟コンビ、比較的に女性ペアが多いのは、大のオトコ二人が並んじゃうと見た目に暑苦しくて夏場に向かないから?

で、本日の女性ピアニスト二人による演奏。聴きどころは、2人で4手20指のパワーバランス・・・でしょうか。
プリモが岩井美子さん、セコンドに今峰由香さん。

モーツァルトの時代の華奢な(ハンマー)クラヴィーアと違って、音域が広がって、鍵盤の数も増えたモダン・ピアノ。減るならともかく、増えたんならいいじゃんというわけにもいかず・・・。
現代のピアノの多くは、弦長を確保するために、ボディの中で約200本の弦が2つのグループに分けられ、その同一平面上に置かれたグループ同士が多少交差するように配されています。それがために、共鳴は避けられず、それは音色の豊かさを齎すが、少なからず音が濁ってしまう。
ましてや、会館常設の1920年製Bösendorfer252は低域側に4鍵、エクステンドベースと呼ばれる鍵盤が加えられた92鍵(F0~C8)仕様。それを4手で演奏するのですから、その有り余る豊かさがかえってモーツァルトの軽やかを阻害しないか?

・・・というのは、演奏が始まった途端に霧散する杞憂の取り越し苦労。
旧い時代のチェンバロやクラヴィコード、フォルテピアノに合わせて作られた連弾曲はそれほど広い音域を使うわけでも無いので、バルコニー席で聴いている限り、音の濁りは気にならない。何より、お二人のしなやかなタッチがBösendorfer252にもの柔らかでたわやか、優しい音色を齎らして。
ぴったり息が合っているのは当然のこととして、そのキータッチさえ同一化したような、ひとつの意思が4手20指をコントロールしているのではないかと思えるほど。
それほど多くの時間をリハーサルに割けなかったと思うのですが、その分入念に打ち合わせを重ね、解釈の融和が図られたのか、完全にインテグレーションされた演奏。
由香さんのご解説では、二人で演奏していると感じさせないのが連弾の極意(?)ということですが、まさにそれ。

シューベルティアーデ.jpg
シューベルティアーデ、本日も大盛況!?

2曲目の前に、由香さんから楽曲紹介。モーツァルトのそれは後半、美子さんにお譲りして、由香さんはシューベルト担当。ステージ後方のスクリーンを使ってのご解説。
シューベルトに連弾曲が多い「秘密」も語られて・・・。

2曲目は、フランツ・ペーター・シューベルト作曲「自作の主題による変奏曲 序奏付き 変ロ長調 D968A」。
タイトル通りに、『イントロダクション』があって、オリジナルの『テーマ』があって、4つの『ヴァリエーション』を重ねて、『フィナーレ』までついた連弾曲。
未完、紛失、散逸した楽譜が多いシューベルト作品にあって、何故か連弾曲だけは比較的しっかり纏まっていて(それでいて、誤記は多いようですが)、よほど思い入れのあるパートナーと演奏したのか、余程きっちりしたパトロンの依頼で作った楽曲なのか、あんまりきっちり過ぎて贋作の疑いまであったりなかったり。職業意識が低いと後世の研究家にまで迷惑かける訳ですな。
1933年製作のオーストリア映画『未完成交響楽(Leise flehen meine Lieder)』の中でシューベルトは家庭教師として招かれた、ハンガリー貴族エステルハージ家のご令嬢カロリーナちゃんと連弾を披露していますが、こちらのやんごとなきご令嬢姉妹のために幾つかの連弾曲を作った由。今日演奏される3曲がそれに当たるかどうかは・・・?
映画の中ではかの「交響曲第7番ロ短調D759『未完成』」をピアノで披露し、完成なったその部分を失恋のショックから自身の手で破り捨て”Wie meine Liebe nie zu Ende gehen wird, so soll auch diese Musik nie zu Ende gehen. (わが恋の成らざるが如く、この曲もまた未完成なり)”とラクガキしちゃってましたから、幾つかの連弾曲も管弦楽などのための草稿だったかも知れず。まァ、映画はまるっとフィクションでしょうし、謎はナゾのまま。
作曲家、作風が変わっても、お二人の演奏、そのシンクロ率は変わらず、モーツァルト風のカワイイ主題からのヴァリエーションも、変化も目紛しいダイナミクス、テンポ、パッセージもなんのその、4手20指が縺れることもなく、流石の技量を見せつける。

続く 「アレグロ 『人生の嵐』 イ短調 D947」は、シューベルト最晩年の1828年に作曲されて、1840年に出版された楽曲。最晩年に『人生の嵐』とは出来過ぎな気もするが、このタイトルは本人の命名ではなく出版時に添えられたもの。この楽曲も大きな楽曲のためのひとつの楽章・・・と言われればそう聴こえなくもないほど壮大で雄壮なのですが、そのスコアには「Duo(デュオ)」と記されているので、純粋に連弾のための楽曲なのでしょう。こちらは、少々ベートーヴェン風にダイナミック。

モーツァルト.jpg
肖像画の中の肖像画はママ?


15分のインターミッションを挟んで、後半は美子さんによるご解説から。
スクリーンには、モーツァルト一家・・・ナンネルこと姉マリア・アンナをプリモ、ウォルフガング・アマデウスをセコンドとしてハンマークラヴィーアに向かい、その傍らにはヴァイオリンを手にした父レオポルト・・・の肖像画。この三人で、神童モーツァルトの就活かたがた巡業の旅。その中で演奏されたであろう連弾曲。

 後半の1曲目は由香さんがプリモ、美子さんがセコンドに変わって、シューベルトロンド イ長調 D951」。
この楽曲も最晩年の作品で、「ロンド」というには少々ご大層なので通称「大ロンド」。先の「D947」とセットでソナタの終楽章では? ・・・とも考えられるとかなんとか。きっちり構想する前に、湯水のごとく発想出来ちゃうのか、とにかく千切っては投げ・・・、書き散らかしながら、それぞれがそれなりによく出来ているのだから始末が悪い?
バルコニーのセンター席から拝見していると、二人のピアニストのシルエットが重なっちゃうから、ひとつの身体に4本の腕とも見受けられて、それが鍵盤の上を自在に躍るのですから、"鍵盤の上を躍る美しい指フェチ"なワタシとしては興奮頻り、耳だけでなく眼まで楽しませて頂く。

プログラム最後はモーツァルトに戻って、「四手のためのソナタ ハ長調 KV521」。真友とその妹、美貌の才媛のために作曲された4手ソナタは当初、2台のピアノを想定していたとされる、難易度もかなり高い、本格的な演奏会用ソナタ。
アンサンブルの基本に、協奏曲的要素を盛り込みつつ、それでいて独奏であるかのような統一感。これぞピアノ連弾の妙味というのでしょうか。それを見せつけられた思いがします。

アンコールも連弾曲。カール・マリア・フリードリヒ・エルンスト・フォン・ウェーバー(Carl Maria Friedrich Ernst von Weber 1786年11月18日 - 1826年06月05日)の小品。

演奏会用とした本格的でアカデミックな風格と、純粋に音楽を楽しむためのスタイルを併せ持つのが連弾デュオ。作曲家としては、美貌のレディや才媛と二人っきりで付きっきりのレッスンから本番。パートナーとしては、著名な作曲家先生と肩を並べて演奏出来たという記念にもなって、双方ともにいい想い・・・だったりしたのかも知れません。まァ、モーツァルトの場合、おとーちゃんが後ろに居て、おねーちゃんと肩を並べてってことも多かったのでしょうが・・・。
今日の場合は、エクセレントな女性ピアニストがお二人並んだデラックス・ヴァージョン。1920年製Bösendorfer252で、モーツァルトシューベルトの頃とは音色や響きは異なるのでしょうが、連弾の妙味、その卓越した技倆を目の当たりに出来たことが、ワタシたちオーディエンスにとって極上の引出物。十分に贅沢をさせて頂いた思いがします。

SWKCE3804.jpg

さて、次回、09月16日(日)の「ワンコイン市民コンサートシリーズ第81回」は、『武久源造: ピアノの発見第4章<ウィーンとロンドン、ピアノ二都物語>』。
ヨハン・ゼバスティアン・バッハが世に出てからは、彼が筆頭のように語られるが、バッハ家は彼以前から音楽一家で数多くの音楽家を輩出し、彼の息子たちもまた音楽家として活躍。彼が「音楽の父」として名を成してからの大河ドラマを武久源蔵さんが、ピアノ・・・鍵盤楽器を通して語る『ピアノの発見』。回を重ねて4回目となる『第4章』。『第1章』から『第3章』は、パパ・バッハから息子たち。『第4章』は、パパ・バッハと、彼の影響を受けた後世の作曲家たち。
武久源蔵さんはこれまでも、クリスティアン・ツィル・ジャーマン・チェンバロやゴットフリート・ジルバーマン・フォルテ・ピアノなどを大阪大学会館へ持ち込まれての演奏だったのですが、『第4章』ではスクエア・ピアノを伴ってのご出演。加えて、ご共演が山川節子さんで、武久さん所有の1830年・ウィーン・ゾイフェルト社製スクエア・ピアノ山川さん所有の1815年・ロンドン・クレメンティ社製のそれを2台並べての競演、饗演。
今月のベーゼンドルファー1台4手も贅沢ですが、来月のスクエア・ピアノ2台4手も超豪華。
プログラムも、
J.S.バッハ 適正率クラヴィーア曲集第一巻より 前奏曲とフーガ 嬰ヘ長調 BWV 858、変ホ短調 WV 853
M.クレメンティ Gradus ad Palnassum(パルナッソス山への階梯)より、第53番、第54番 他
J.フィールド ノクターン 第6番ヘ長調他
R.シューマン アラベスク ハ長調 作品18
F.シューベルト 12のレントラー 作品171 D 790、即興曲他
F.ショパン マズルカ3番 作品7 ヘ短調他
F.シューベルト 四手のためのファンタジー ヘ短調 D940
と盛り沢山。
古楽器の良さが見直されている中、スクエア・ピアノが2台も登場するのは、貴重で異例でゴージャスでデラックス。見逃せません。聞き逃せません。御用とお急ぎの無い方は是非、ぜひ。
スクエア・ピアノの音色は・・・こちらをご参照ください。

以下、
10月14日(日)、フェリックス・トリオ(矢野百華:Pf、北條エレナ:Vn、河野明敏:Vc)『音楽の次元性』
11月18日(日)、加藤幸子 ピアノリサイタル『ドビュッシーとラヴェル』
12月16日(日)、田中正也 ピアノリサイタル『作曲家の懐具合(仮)』




♬ ♬ ♬ ♬ ♬



西陽に照らされて、埃っぽい音楽室の床には長く歪んだ窓の影が横たわっていた。
「もう開けても平気かな」
この部屋に入ってからずっとその窓にもたれて、20分近く校庭を見下ろしていた彼女がそのままの姿勢で尋ねた。窓枠をフレームにした逆光のシルエット。美術室に飾らなきゃ。
補習授業の間ポニーテールに纏められていた髪は解かれ、今はそれが横顔を覆って、表情は見えない。
戸締りのされていない音楽室に僕を誘ったのは彼女の方だった。二人の他に誰もいない。灯りを点けると誰かに見つかっちゃうからね。部屋はオレンジと黒、はっきりとしたコントラストでなんだか平面的な感じがした。
僕はなんとはなしに、弾くつもりもないままピアノのベンチに腰掛けて、彼女が話し始めるのを待っていた。
「光化学スモッグ警報は早くに解除されたと思うよ」そう口にはしたものの、この閉ざされた二人だけの空間が開封されてしまうのが惜しくて、僕はピアノの蓋を開いた。
それにも構わず窓は開けられて、校庭を走る運動部の甲高い掛け声と煩いほどの蝉の声が僕らの間に割って入る。それを消そうと、人差し指で鍵盤をひとつ叩いてみる。色の変わった鍵盤は僕が想像する音とは違う音で鳴った。ふたつ、みっつ、長らく調律されていないと分かる。
「ねェ、なにか弾いてよ」
振り返った彼女がとても眩しく見えたのは、西陽のせいだけじゃない。
リクエストにお答えして、では演奏をと身構えたのに、胸が高鳴って、ビートが定まらない。指先が酷く震える。
「君といっしょならね」そう言うのも精一杯で、なんのスコアも浮かばない。
「じゃあ、私がプリモね」と、窓を閉じる。
近付いてくる彼女の口角がちょっとサディスティックに見えた気がした。
小さなベンチに並んだ彼女の左肩は、陽に炙られて火照っているのが感じられた。少し汗の匂い。汗をかいているのは僕の方か。
制服の薄いシャツから白い下着が透けて見えて、それを見つけた瞬間、僕の心臓は勝手な変拍子を打って、それを気づかれるのではないかと思わず息を止めた。
「ねェ、なにしようか」すぐ横に感じる彼女の吐息が熱い。ミントの匂い。
黄ばんだ鍵盤の上に並んだ20本の白い指。彼女のそれも震えていた。
・・・遠い日の、連弾。想い出の中の、Le piano à quatre mains.

nice!(0)  コメント(0) 
共通テーマ:日記・雑感

nice! 0

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

Facebook コメント