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グッバイ・ゴダール! [散歩・散走]

梅雨明けからいきなりの盛夏は、暑いを通り越して、肌が焼けるようで焦げるようで、小麦色どころか炭化してしまいそうなほど。日の出とともに殺人的な陽射しがギラギラと射して・・・肌を刺して、これではポタリングどころか外出もままならない。こういうときは、エア・コンディショナーの効いた映画館がよろしい。
で、今日は2本立てで、まずはシネ・リーブル梅田で『グッバイ・ゴダール!(Le Redoutable)』を鑑賞致します(以下、ネタバレ注意)。


このシネマ、原題は『Le Redoutable』、英題を『Redoubtable』あるいは『 Godard Mon Amour』とし、邦題は『グッバイ・ゴダール!』。まァ、雰囲気としては伝わりやすいのだけど、「さよなら」だけだと、最初の出逢いとそれに続く満ち足りた日々が活きて来ませんし、お別れするのが予め観えちゃうし。現実を知って、原作を知って、アンヌゴダールの馴初めから別離までは広く知られたこと・・・というのが前提になっているのでしょうか。もうひとつの英題と真逆でもあるようで、どちらもちょっと安易な感じもします。
対して、原題あるいは英題に使われている「Redoutable」は、”恐るべき”、”侮りがたい”、”戦慄”という意味ですが・・・。

Redoutable.jpg

このシネマは、ヌーヴェルヴァーグ(Nouvelle Vague)の旗手ジャン=リュック・ゴダール(Jean-Luc Godard)の二人目の妻、アンヌ・ヴィアゼムスキー(Anne Wiazemsky)の自伝的小説『それからの彼女(Un AnAugès)』を原作とし、ミシェル・アザナヴィシウス(Michel Hazanavicius)が監督・脚本を担当、1968年の「五月危機(五月革命)」前後を背景に、アンヌゴダールと出逢って、二人の心が離れるまでをストーリーとした、ちょっとドキュメンタリー風のコメディ・ドラマ。
これがフランスで公開された一ヶ月後にアンヌは永眠。波乱の人生の幕を閉じた。



1947年05月14日、ドイツ・ベルリンに生まれたアンヌ・ヴィアゼムスキー
その父はロシア革命直前までサンクトペテルブルクに在したルヴァショフ伯イワン・ヴィアゼムスキー公で、ロシアの帝都を追われフランスに亡命が叶うまでは、家族を連れてヨーロッパ各地を流転。
母はクレール・モーリアックで、その父、アンヌの祖父はノーベル文学賞作家のフランソワ・モーリアック
母の兄、アンヌにとっては伯父となるのは映画界にも関係の深い作家のクロード・モーリアックで、その妻はマルセル・プルーストの姪孫。
世が世であればプリンセス。そんな彼女は当時、パリの大学に通いながら、駆け出しの女優でもあった。
ロベール・ブレッソン監督作品『バルタザールどこへ行く(Au hasard Balthazar)』でデビュー後、ゴダール宛てに手紙を書き、彼に見初められ、『中国女(La Chinoise)』の主役ヴェロニク役に抜擢されるが、そのあまりにも政治寄りなストーリーからか、評価は二分され、中国での上映も果たせず、それから少しずつゴダールアンヌの関係は破滅へと向かうことになる。
1966年公開の『男性・女性(Masculin, féminin: 15 faits précis)』を観た19歳の少女はその作品から監督であるゴダールを好きになり、すでに『バルタザール』に主演する彼女の姿に心惹かれていた当時36歳のゴダールはそれを告白する手紙を受け取った途端に全てを投げ出して飛行機に飛び乗ったのだから、出逢いから強烈過ぎるような・・・。
彼女が愛したのは映画の天才、ヌーヴェルヴァーグの旗手、ジャン=リュック・ゴダール。彼の作品に主演し、彼からのプロポーズを受け、その妻の座とアパルトマンでの二人だけの甘い生活を掴むが、彼女が愛したジャン=リュック・ゴダールの中の”ジャン=リュック”も”ゴダール”も徐々に消失していく。彼は、周りが望むそれを演じていただけだと言い、”ジャン=リュック・ゴダール”を辞めてもいいとまで言い出して、商業映画制作より革命へとのめり込んで行くことになる。
約10年続いた「ヌーヴェルヴァーグ」の時代も終焉へと向かう頃、それに抗うかのようにマルクシスム(Marxisme・マルクス主義)、マオイスム(Maoisme・毛沢東思想)から「政治の時代」へと転向を図るゴダール。二人が出逢ったのはその頃。
前妻で、公私にわたるパートナーでもあった女優アンナ・カリーナ(Anna Karina)との蜜月が「ヌーヴェルヴァーグの時代」、彼女と別れてアンヌと出逢った頃からが「政治の時代」。
一方、アンヌの父はロシア生まれながら、フランス亡命後はゴーリスト(Gaullist ド・ゴール主義者)となる。母方の祖父でカトリック作家のフランソワ・モーリアックは戦前、戦中に渡って、反ファシスト、反ナチス抵抗運動にも参加、戦後は保守主義の立場から実存主義と共産主義に対決。
その娘、孫娘がゴダールと行動をともにし、シャルル・ド・ゴール政権下のデモに参加することになったのだから、マスコミが騒いで、それなりのスキャンダルにもなったのだろうけど、パパやグランパとの関係はどうだったのだろう。
名前までフランス風に改めて外交官の辞令を得た父やアカデミー・フランセーズ賞(1926年)やノーベル文学賞(1952年)を受賞した大作家にとって、ゴダールは取るに足りない映画屋程度の認識しかなかったのかしら。アンヌにしてみれば、パパはパパ、私は私。あるいは、思春期の娘らしく父親への反発でもあったのかしら。それとも、それほど深くゴダールに傾倒していたのか。映画でもそこは語られておらず、スクリーンに登場するのはアンヌゴダール、彼らを取り巻く映画関係者、デモや討論会に参加する一般市民たち。
学生運動が盛んな時の女子大生とはいえ、肉親と決別してまで勢いだけでゴダールと一緒になったのだとしたら、「グッバイ」しちゃった後はどこに帰るのだろうと、その行く末が心配でハラハラしちゃう。
討論会でも、その中心は学生たちで、ゴダールはちょっと異質の存在。持論を展開するも受け入れられず途中退席を強いられる。アンヌにとっては居心地のよくないことだったんじゃないかと同情してしまう。

・・・というのも、この映画の中でアンヌに扮するステイシー・マーティン(Stacy Martin)が素晴らしい。
若かりし日のアンヌ本人と並べて見比べると違うのだけど、映画の中で単独で観るとちゃんとアンヌ。少々年齢が異なるのだけど、女子大生に見えちゃうくらいカワイイ
なんと言っても、肩先で揺れるボブ・ヘア(フランス風に言うとcoupe au carréですか?)、1960年代に大ブームし、2000年代にリヴァイヴァル。これだけで30点加算しちゃう。その髪から続く細長い頸、さらに細長い四肢とその中にあるしなやかそうな身体。それを惜しげも無く銀幕に晒して、それだけでも高得点。映画はきっちりと1960年代後半のパリを描写していて、彼女が身に着けているのは当時流行のファッション。女優兼モデルを肩書とするだけに、着こなしは完璧。100点満点で130点あげちゃう。
アンヌが一時ゴダールのミューズで1960年代後半のフレンチロリータなら、ステイシーは最新のそれ!?

1960年代後半のパリといえば、そのファッションだけでなく、風景の中に溶け込むクルマについ眼が行ってしまいます。というのも、ワタシは”ちょっと旧いクルマ”好きで、分けても60年代~70年代前半の欧州車が大好物。クルマもファッションも、そして音楽も、この頃のがイチバン!! 今時のマイコン制御の自動車なんてクルマじゃない。映画の中には当時のシトロエンやプジョー、ルノー。これだけでも鑑賞の価値あり?

アンヌステイシーに対して、ゴダールにコスプレするはルイ・ガレル(Louis Garrel)。こちらもかなりニュアンスを映しているが、もうカリスマ性が薄れつつあり、偏屈から卑屈、我儘で幼稚でヤキモチ焼き。それをコミカルに演じる。「グッバイ」しちゃった後に書かれたアンヌの私小説の中で徐々に矮小化されて、天才、カリスマからの変化が面白い。
映画も幾つかの節に区分けされて、その第1節は「ウォルフガング・アマデウス・ゴダール(Wolfgang Amadeus Godard)」。映画の天才を古典音楽界の天才、カリスマに擬しているのだけれど、かつての神童がその神性を失っていったように、盛者必衰、最先端の先っちょを疾駆するのはどれだけ消耗することか・・・ってことなのでしょう。
そうそう、モーツァルトということでチェンバロで演奏される『ソナタ へ長調 K.533(でしたっけ?)』から映画が始まって、それはその先に待つ破綻を暗示しているかのよう。

その二人の周りには、「Vinyl Girl」ことファッションジャーナリストでデザイナー、映画監督、脚本家のミシェル・ロージエ(Michèle Rosier、演:ベレニス・ベジョ・Bérénice Bejo)、その夫で編集者、俳優、プロデューサーの「Bambam」ことジャン=ピエール・バンベルジェ(Jean-Pierre Bamberger、演:ミシャ・レスコー・Micha Lescot)、書評家で映画評論家、映画監督のミシェル・クルノー(Michel Cournot、演:グレゴリー・ガドゥボワ・Grgory Gadebois)、編集者で映画プロデューサーのジャン=ピエール・ゴラン(Jean-Pierre Gorin、演:フェリックス・キシル・Félix Kysyl)。
彼らを巻き込みながら、映画の中の民主化運動は「カンヌ国際映画祭粉砕事件」へ、ゼネラル・ストライキはフランスの交通システムを寸断する「五月革命」へ、フランス中を混乱させることになる。
カンヌからパリへ戻るのも一苦労。ギスギスし始めた二人の暮らし。ゴダールはその名と商業映画を捨てて、ゴランとともにジガ・ヴェルトフ集団(Groupe Dziga Vertov)を結成。アンヌもしばらくはそこに身を置くが、マルコ・フェレーリ(Marco Ferreri)監督からのオファーで「人間の種(Il Seme dell'uomo)」撮影のためイタリア・ローマへ独り旅立つ。
全編オールヌードでの撮影と知って、さらに電話が通じないことから猜疑心、そこへ乗り込んでくるゴダール。決定的な諍い。彼女の逗留先で大量の薬を服んで・・・。映画ではここで「グッバイ」となっています。

本当のアンヌはもう暫くジガ・ヴェルトフ集団に留まり、幾つかの作品に出演。1972年の『万事快調(Tout va bien)』を最後にそこを去り、1979年にゴダールと正式に離婚。
その後も女優を続けながら、小説家、脚本家、映画監督としても活躍し、ノーベル文学賞作家の孫としての才能を発揮し、彼女にとって遠い祖国ロシアや生まれ故郷ベルリンを題材に多くの私小説を残し、1998年には第一次世界大戦とロシア革命勃発時のロシア貴族の家族をテーマにした『Une poignée de gens』で、祖父も受賞したアカデミー・フランセーズ賞に選出される。
ゴダールも登場する自伝的小説『彼女のひたむきな12カ月(Une année studieuse)』とその続編『それからの彼女(Un AnAugès)」が出版されたのはつい先ごろ(2012年と2015年)。ゴダールとの出逢いから結婚までが正編、その後の破局は続編で描かれる。その続編・・・後半部を原作とするから『グッバイ』にしちゃったのでしょうね。
数奇なことに、ゴダールと離れて行き場を失くした彼女を主役に抜擢したのは、今回ゴダールに扮したルイ・ガレルの父であるフィリップ・ガレル(Philippe Garrel)監督。因みに、ルイのママもグランパも妹もみんな俳優さん。
アンヌは病いに冒された身体をおしてカンヌで『Le Redoutable』の試写を見届けたのだとか。
このシネマを機に、アンヌ・ヴィアゼムスキーが再び脚光を浴びて、彼女が著した小説が翻訳されれば手に取ってみたいところ。

Le Redoubtable』・・・戦慄。
哲学科の女子大生アンヌから見ればゴダールは戦慄すべき人だったのでしょうか?
劇中にゴダールが聞くラジオが伝えるのは当時進水したばかりの、フランス海軍が誇る原子力潜水艦のニュースで、その名も「ル・ルドゥタブル級原子力潜水艦1番艦 ル・ルドゥタブル」。原子力潜水艦の狭い艦内での暮らしぶりに興味を持ったゴダールが事あるごとに「Le Redoubtableでの暮らし」とそれを引用。戦慄の中での生活、その言い回しが面白かったのかも。

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