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Joy of Art of Violin ~ レオニド・ソロコフ ヴァイオリンリサイタル [音楽のこと]

今日の「ワンコイン市民コンサートシリーズ 第43回」は『レオニド・ソロコフ ヴァイオリンリサイタル』。『名手の織りなす歓喜 Joy of Art of Violin』と副題がつく。
名手の演奏も楽しみなら、どんな歓喜を感じ取れるのかも大いに楽しみ。出来ることなら、それを受け止めたい。茹だるような暑さを物ともせず、大阪大学豊中キャンパスへ向かいます。

 

待兼山の坂道を登って大阪大学会館に辿り着いたのは、予定された開場時間の20分前。外の暑さを気遣ってか、開場時間が少し早まって、14:20には受付を済ませて、バルコニーの指定席に腰を下ろす。

レオニド・ソロコフ ヴァイオリンリサイタル.jpg


手渡されたパンフレットによると、今日のテーマは「ジョイ・Joy・・・歓喜、喜び」で、喜びはいったいだれが感じているのだろうか? 考えてみてくださいとのこと。

  • ソロコフさんは聴衆に喜びを与えようとしているのでしょうか?
  • それとも、ソロコフさんが演奏して喜んでいるのでしょうか?

場所柄からか、夏休みだからといって、えらい課題を頂戴したもので。それにはまず演奏を聴いてみないと判りません。

歓喜を秘めた(?)本日のプログラムは、

  • フランチェスコ・ジェミニアーニ ソナタ ハ短調
  • フランツ・シューベルト グランド・デュオ イ長調 D 574
  • ヴォルフガング・モーツァルト ソナタ 変ロ長調 KV.378
  • ニコロ・パガニー二 ソナタ ホ短調
             カンタービレ
             ラカンパネラ

時代の異なる四人の作曲家の手になる作品から何を汲み取ればいいのでしょう。どう読み取ればいいのでしょう。聴衆だからといって、ただ漠然と聴いているだけではダメ・・・ってことでしょうか。ちょっと緊張してしまう。

定刻、15:00となってレオニド・ソロコフ先生がステージに登場。彼が優しくエスコートするのはピアニストの鈴木華重子さん。ターコイズ色のドレスを纏った彼女は「ワンコイン市民コンサート」最多出演者、このホールに置かれた1920年製Bosendorfer252を演奏される姿をもう何度拝見したことでしょう。

前半はジェミニアーニソナタ ハ短調」とシューベルトグラン・デュオ」。
ソロコフ先生の演奏は、楽譜の中から作曲家の意図を汲み取ろうとするかのような、ひとつひとつの音を噛み締めるような、それでいて退屈な印象はなく、ヴィブラートひとつにも表情を持たせて、端正でありながら強い説得力と求心力を感じさせるもの。ヴィルトゥオーソというより、ヴァイオリンはこう弾くのだよと、いかにも先生らしい、お手本のような演奏。
今日演奏される四曲は、お気に入りの楽曲なのだろうと思われるが、それを演奏出来る、披露出来る"喜び"を心に刻んでおられるようにお見受けする。

休憩の前に、スクリーンを使って、ソロコフ先生のプロフィールやら生活の拠点とされておられるクロアチア共和国・ザグレブやオーストリア・ウィーン国立音楽大学のご紹介・・・なのですが、ここで通訳として登壇したのはヴァイオリニストの永ノ尾文江さん。ザグレブやウィーンで深いご縁があってのつながり。今日ピアノを演奏される華重子さんとのデュオで、三回に渡ったベートーヴェンのヴァイオリン・ソナタ ツィクルスも記憶に新しい。なんか、「ワンコイン市民コンサート」ファミリー大集合って感じ・・・ですか?
で、ザグレブやウィーンの食べ物のお話しも興味深いのですが・・・、

レオニド・ソロコフ(Leonid Sorokow)さんは、
1954 ロシア・サンクトペテルブルク生まれ。モスクワ音楽院卒。
1978 モントリオール国際コンクール入賞。
1981 ニコロ・パガニーニ国際コンクール2位入賞。
1991 ウィーンに移動し、国立音楽大学にて教鞭をとる。
1986~1992 ユーリ・バシュメットの主宰するモスクワ・ ソロイスツの第一コンサートマスター就任。
1997~2007 ウィーン・モーツァルト・トリオ結成。
2001 ザグレブ音楽アカデミー教授に就任。
2008 アマデウス・トリオ・ザグレブ結成。
・・・という経歴を持たれるお方。

プロフェッサーの人となりが紹介されたあと、今日のテーマについて突然の会場アンケート。
ジョイ・Joy・・・歓喜、喜び」、喜びはいったいだれが感じているのしょうか。

  • ソロコフさんは聴衆に喜びを与えようとしているのでしょうか?
  • それとも、ソロコフさんが演奏して喜んでいるのでしょうか?

ん?!、聴衆の意見は半々・・・くらいか。

ソロコフ先生と実行委員会の萩原先生が導き出した答えは、
「演奏者がその楽曲から"歓喜、喜び"を与えられ、それを演奏することによって、聴衆に喜びを与える」・・・でしたっけ?!

その楽曲が持つ意味、作曲家の意図した想いを汲み取り、自分が持てる技量を十分に発揮して、フレージングやアーティキュレーションが狙い通りに出来て、楽器がそれを表現するのに相応しい音色で唄ってくれたときに演奏者は喜びを感じる。アンサンブルやオーケストラなど合奏、合唱の場合、それを構成するメンバーの想いがシンクロし、ひとつにぴたりと重なり合うことでさらに喜びは倍加される。それが演奏会という空間の中で、それを聴く聴衆まで魅了することで多くの歓喜を沸き立たせる・・・ということでしょうか。

例えばジャズやロック、ポピュラー音楽の場合、セッションする中で、同じビートを刻んで、同じリフを重ねて、グルーヴやノリがオーヴァーラップ、さらにそれがオーディエンスまで伝播して大きなムーブメントになったら、そのまま逝ってしまってもいいと思えるほどに気持ちE!!!!
クラシックの場合、スコアという制約があるのだろうけど、音符の隙間にあるフレージングやアーティキュレーション、テンポやリズム、等々は言い換えればグルーヴ感ってことでしょ。持てるスキルとテクニックを駆使して、オーディエンスの耳を奪い、心を打つ演奏を行うことでコンサート・ホール全部がひとつのグルーヴに支配される。ステージ上での一体感、ホール全体の一体感。グルーヴの共有、それが歓喜、喜び・・・ってことか?!
言葉や文章にするのは簡単かもしれないけれど、それを実現するには、演奏者に相当の技量が要求されるであろうし、聴衆もそれ相当の心構えが必要・・・か?!

難しいことは置いといて、"ノリ"でしょ、"ノリ"!!!!
とりあえず、苦悩を突き抜ける必要はないわけね。ん?! 血の滲むような練習が苦悩で、思い通りに演奏出来るようになった時に歓喜を得る??

で、15分の休憩を挟んで、後半はモーツァルトの「ヴァイオリンソナタ」とパガニーニ。・・・なのだけど、ソロコフ先生、これらの楽曲にひとかたではない思い入れがおありなのでしょうか。譜面台を脇にどけて、躍動的に、それこそグルーヴを感じさせるような演奏。構えたヴァイオリンも一際高らかに唄うよう。
対するBosendorfer252は・・・、約100年前に製造されたヴィンテージ・ピアノであるのだけど、このピアノ、意思を持っているのではないかと感じる。無論、ピアニストの手によって音を発しているのだけれど、対峙するピアニストの思う以上に表情を持って唄っているように感じられる。それは華重子さんの演奏による音だと分かっていても、意思を秘めた唄声に聴こえる。合奏するヴァイオリンの"声"に呼応するように、時に円やかに、時に伸びやかに、力強くもあり繊細でもある、嫋やかな表情を持った唄声。
先週ちょっと浮気して(?)、magnolia hallの1905年製Steinway & Sons Grand Piano B-211を聴いちゃったからねェ、余計にBosendorfer252が愛おしいのだよ。
今日に限っては、ピアノとヴァイオリン、楽器の王様と女王様は男女逆転?!

モーツァルトの「ソナタ」が蠱惑的と感じられるほどであったが、パガニーニの「ソナタ」に至ってはちょっと悪魔的でさえあるような。 最初の音ひとつでタマシイを持って行かれてしまいました。恐らく、ソロコフ先生が感じておられる高揚感がグルーヴとなって迫ってくるような。
そして、その高ぶりは「カンタービレ」、「ラ・カンパネラ」へと続く。
更に、その余韻はアンコールとなって、「精霊の踊り(メロディ)」も「アリア」も感動的などと月並みな言葉でくくるのは失礼なほどで、筆舌に尽くしがたいどころか、ワタシの稚拙な筆・・・キーボードでは評せないほどのリサイタルでした。

ココロ打たれて、ココロ奪われて、歓喜に酔って、思わず座席にお茶のペットボトルを忘れてきてしまいました。すいません。バルコニー席A-32にペットボトルを置きっぱしたのはワタシです。片付け・・・して頂けたでしょうか。

次回「第44回公演」は8月30日(日)。「武久源造古楽鍵盤楽器リサイタル ~ 武久源造『ピアノの発見』 第一章」。ステージにツェル・チェンバロやジルバーマン・ピアノ、旧い時代の鍵盤楽器を並べての大バッハ曲集。これも見逃せないぞ!!!!
翌31日(月)には「マスタークラス」を開催。詳しくは「ワンコイン市民コンサート」をどうぞ。


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