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「秋の歌」あるいはマスオさんのヴァイオリン [音楽のこと]

以前のブログ『たーぱぱ徘徊記』の記事を加筆修正のうえ転載しました。
2010年10月24日放送分の「サザエさん」から前記事でも取り上げたポール・ヴェルレーヌまでとりとめのないお話しで・・・。

 

突然「サザエさん」である。昨日(2010年10月)24日放送分でいつになくサザエさん、センチメンタルな気分になったとかで、それに合わせて、優しくて妻想いなマスオさんがヴェルレーヌの詩集を取り出したり、ヴァイオリンを奏でたり・・・。

マスオさんが朗読したのはポール・マリー・ヴェルレーヌ(Paul Marie Verlaine 1844年3月30日 - 1896年1月8日)「Chanson d'automne秋の歌(落葉)」だったかな。 なかなか波瀾万丈な人生を送ったポールさんがこの詩に詠んだヴァイオリンが今日のテーマ。

ヴァイオリンは艶やかな音色で聴衆を魅了するポピュラーな弦楽器。ピアノが楽器の王様なら、ヴァイオリンはさしずめ女王様。ヴァイオリンのための楽曲も数えきれないほどありますが、ヴェルレーヌが「秋の歌」でイメージしたのはどんなフレーズだったのか。

ヒラヒラと舞い落ちる落葉を観て、なにかメロディをインスピレーションしたのか、窓越しに聴こえるヴァイオリンの音が路上に舞い散る枯れ葉とシンクロしちゃったのかは定かではありませんが、"長いすすり泣き" 、"傷心"、"怠惰"で"単調"な調べとなると、大規模な管弦楽やヴァイオリン協奏曲でもなく、無伴奏ソロだったのでしょうか。

autumn.jpg

 

Chanson d'automne(Paul Marie Verlaine)

Les sanglots longs
Des violons
De l'automne
Blessent mon coeur
D'une langueur
Monotone.

Tout suffocant
Et blême, quand
Sonne l'heure,
Je me souviens
Des jours anciens
Et je pleure

Et je m'en vais
Au vent mauvais
Qui m'emporte
Deçà, delà,
Pareil à la
Feuille morte.

 

落ち葉(上田敏訳)

秋の日の
ヰ゛オロンの
ためいきの
ひたぶるに
身にしみて
うら悲し。

鐘のおとに
胸ふたぎ
色かへて
涙ぐむ
過ぎし日の
おもひでや。

げにわれは
うらぶれて
ここかしこ
さだめなく
とび散らふ
落葉かな。

 

 秋の歌(堀口大學訳)

秋風の
ヴィオロンの
節ながき啜泣
もの憂き哀しみに
わが魂を
痛ましむ。

時の鐘
鳴りも出づれば
せつなくも胸せまり
思ひぞ出づる
来し方に
涙は湧く。

落葉ならね
身をば遣る
われも、
かなたこなた
吹きまくれ
逆風よ。

上田敏の訳では「秋の日のヰ゛オロンのためいき」と、吐息めいたヴァイオリンの音が耳に届いたようにも思われますが、堀口大學訳では「秋風のヴィオロンの節ながき啜泣」となって、風の音がヴァイオリンめいて聴こえたともとれます。
秋の日に聴いたヴァイオリンの音色から過ぎた日の思い出が胸を過ぎり、時を告げる鐘の音にふと我に返った時頬を伝う涙に気づいた・・・あまりにセンチメンタルな内容ですが、ワタシは"秋風のヴィオロン"を推したいですね。
秋の終わり、木枯らしにも似た冷たい風がひととき激しさを増して、その起伏する抑揚がまるでヴァイオリンが奏でる旋律のように感じられる中、愛しき人の最期を見送る告別の鐘が鳴る。過ぎた日の思い出が胸に溢れ、それが涙に変わる。風に翻弄される落ち葉のような、そんな遣り場のない悲しみを抱えて独り立ち尽くす主人公。

ポール・ヴェルレーヌの時代ならロマン派、楽器が色々改良されて音色的にも華やかになってきている頃ですが、訳詩のせいでどうもイメージは古典派めいてしまう。

タイトルの"chanson"からすれば歌曲ってこと? 唄うような器楽曲だったか? なにかしら世俗的な楽曲を想い描いたのかしらン?
シャンソンの名曲に「枯葉(Les Feuilles mortes/autumn leaves)」があります(→記事参照)が、それは時代が合わない。

ワタシが知る中で一番イメージが近しいのはジャン・ポール・マルティーニ(Jean Paul Egide Martini 1741年8月31日 - 1816年2月14日)作曲の「Plaisir d'amor愛の喜びは」かなァ。これならヴォルレーヌも聴いている可能性はある。
タイトルとは裏腹に、愛を失った男が抱える心の傷を唄った曲。歌曲として有名ですが、ヴァイオリニストがトランスクリプションして演奏したのか、伴奏として伴っていたヴァイオリンの音色が心に響いたのか。
ヴェルレーヌ奥さんを棄ててアルチュール・ランボウ(Jean Nicolas Arthur Rimbaud 1854年10月20日 - 1891年11月10日 因みに男性)と同棲しちゃったり美少年に恋い焦がれたりする人ですから、そのへんがちょっと微妙なのですが、風に弄ばれながら落ちて行く枯れ葉が思い起こさせるメロディ、それが心の傷を疼かせたのは間違いないのでしょうね。

ヴォルレーヌもマスオさんも"秋"、"哀愁"、"ヴィオロン(ヴァイオリン)"と連想ゲームになっちゃったように、秋には物悲し気なヴァイオリンが似合うのかも知れませんねェ。

今日みたいな秋の雨にはヨハネス・ブラームス(Johannes Brahms 1833年5月7日 - 1897年4月3日)の"ヴァイオリン・ソナタ 第1番 ト長調雨の歌」"ぐらいがちょうどよろしい。重苦しいアダージョはドハマりし過ぎで物悲しいを通り越してメランコリックになりそうで・・・。鬱々。

哀愁的なヴァイオリンとなると、パブロ・デ・サラサーテ(Pablo Martín Melitón de Sarasate y Navascuéz 1844年3月10日 - 1908年9月20日)作曲の「ツィゴイネルワイゼン(Zigeunerweisen)」がいの一番に頭に浮かびますが、関西ではこの曲、吉本新喜劇の桑原和男師匠のギャグネタ「神様ァ〜」を連想してしまうところがどうもなァ・・・。


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