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(今日も)上町ヒルズ探検なのだ!! [散歩・散走]

ここ数週間に渡って繰り返す『上町ヒルズ探訪』。それでなくても上町台地に駆け登ることが多くて、すっかり"ヒルズ族"と化しているが、"七坂"に加えて、"七名水"、文学系や芸能系の碑、"日本最古の神社"である「生国魂神社」を筆頭に"大坂城"も"難波宮"、寺町界隈の社寺など歴史的建造物等々見どころ満載でまだまだ見落としているところも多い。
考えてみれば、神武東征の頃まで遡る上町台地の歴史。千二百年の都である京都にも飛鳥を抱える奈良にも負けてない。
"難波宮"がおかれて都であった時期もあれば、ずっと下って太閤さんの時代は天下の中心であった。歴史的観点だけでも見るべきものは数え切れない。一度や二度では訪ね廻ることは出来ない。
その中で、先日訪ねた"七名水"以外にも泉水、井戸が其処此処にあったらしく、今日はそのあたりを中心に訪ねてみようと思う・・・というのは表の理由。

裏の理由は・・・!?

 

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上町ヒルズ歴史探訪・マップ

今日は大阪城公園の少し南、森之宮〜玉造辺りから散策を始める。

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鵲森宮(かささぎもりのみや)」は通称を"森之宮神社(もりのみやじんじゃ)"といい、周辺の地名である"森之宮"の由来となっている。
聖徳太子は、物部守屋との闘いの戦勝を祈願し、勝った暁には四天王を祀ることを誓った。崇峻天皇2(589)年、まず両親を祀って鎮守としたのが当社の起源で、戦勝後にこの地に創建されたのが"元四天王寺"で、それは25年後に現在の荒陵山に移転したが、当社はそのまま残された。
『日本書紀』に、新羅から持ち帰った鵲(かささぎ)を"難波の杜"で飼ったという記述があり、その"難波の杜"がここであったとされる。故に"鵲の森"。寂しいことに、ここに鬱蒼と木々が茂っていたという名残りは一切ない。
神社の由来も気になるが、もっと気になる井泉の情報。先日巡った「天王寺七名水」とは別に、上町台地には幾つもの泉水や井戸が存在していたらしい。こちらにもそのひとつ、「亀井水碑」と呼ばれるものがあった。
古代この辺りに温泉が湧き出て、聖徳太子が長寿の霊水として命名されたのが始まり。四天王寺が現在の位置に移された時にともに移動し、「亀井堂・亀井の水」として今も残る。
先日伺った「四天王寺」さんのルーツがコチラとは知らなんだ。温泉だけでも残っていて欲しかった。

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時代は急に下るが、細川越中守忠興の邸がこの辺りにあったそうで、現在唯一残っている井戸の跡が「越中井」。慶長5(1600)年関ヶ原戦の直前、忠興が徳川家康に従い上杉攻めに出陣中、石田三成は在坂諸大名の妻子を人質にしようとしたが、忠興夫人・玉(洗礼名ガラシャ)はこれに従わず、家臣に胸を突かせて37歳の生涯を閉じた。

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その細川邸跡に建つのが、「大阪カテドラル聖マリア大聖堂 カトリック玉造教会」。その縁から、キリシタン大名の高山右近像と並んで、細川ガラシャ夫人の像が置かれている。内部にもガラシャ夫人の画が飾られている。

ここでちょっとブレークしての裏メニュー。

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先日ランチに立ち寄った「kotikaze(こちかぜ)」。こちらは朝食メニューも用意されて、08:00オープン。和菓子と日本茶でカフェ使いも出来るが、今日はジャパニーズ・ブレックファースト、"朝がゆセット"が頂きたくて。
前回のランチでは白ご飯を茶粥に変更して頂いたが、その味忘れ難く、今日は朝ご飯の朝がゆ。
まったりはんなり舌にも胃にも優しくて、もう少し自宅に近ければリピート必至!?

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満足したら、名水の名残りを少し離れて、戦国武将真田信繁の足跡を訪ねる。
先日の「七坂スタンプラリー」の際に立ち寄った「安居神社」も"幸村終焉の地"として銅像と石碑が置かれていたが、今日訪なった「三光神社」も幸村所縁の地として銅像がある。
明治41(1908)年、境内の"三光宮"を合祀してより「三光神社」と呼ばれるようになった。
慶長元和の大坂合戦の頃、真田幸村がこの地に"偃月城"と名付ける塁を築き、大阪城まで通じる暗道を作ったと言い伝えられており、今も「真田の抜け穴」として残っている。

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幸村つながりで「心眼寺」。元和8(1622)年、僧、白牟が真田幸村・大助父子の冥福を祈るために建立。この地は"真田丸"と呼ばれた幸村の出城跡とされ、門扉には"六文銭"が飾られる。
境内の小さなお堂には「まん直し地蔵」が祀られてる。"まん"とは大阪弁でいう"タイミング"のこと。このお地蔵さんは"間の悪さ(まんが悪い)"を直して下さるらしいが・・・。"KY"とか、"まんが悪い"と言われたことはないが、とりあえずしっかり拝んどこ。

兵どもが夢のあと。再び井泉を訪ねてBD-1を南に走らせる。

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社伝によれば垂仁天皇18(紀元前12)年に創建され、当時は"比売社"と称した「玉造稲荷神社」。
最初の大坂城の三の丸に位置し、その鎮守社として豊臣家から篤い崇敬を受けたが、戦国時代の戦火で荒廃、豊臣秀頼によって社殿が再建されるが、大坂夏の陣で再び焼失、元和5(1619)年に徳川幕府の大坂城代や氏子らの寄進により再建された。その後も、"大坂大火(新町焼)、大東亜戦争などによって度々焼失、現在の社殿は昭和29(1954)年にご遷座したもの。
現在の社名「玉造」は古代、勾玉などを作っていた玉造部の居住地であったことに由来する。
境内には「豊臣秀頼公像」もあり、秀頼公が奉納した鳥居なども残る。

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こちらで探るのは「利休井」。「玉造稲荷神社」界隈は千利休ゆかりの地でもあり、この一体は"清水谷"などの地名が残るように"玉造清水"と呼ばれる良質の水が得られ、利休も茶の湯に愛用したとか。
「越中井」の細川忠興も千利休の門人、さらにもうひとりの門人であった古田織部正邸の「山吹井」もあったと『攝津名所図会大成』に記されている・・・そうな。

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昔、この付近の有力者、大小橋命(おおおばせのみこと)誕生のとき、産湯に用いたという伝えから「産湯清水」。その名も「産湯稲荷神社」の境内に残る。味耜高須根命(あじすきたかすねのみこと)が当地に降臨したとき掘削したといい、日高清水・日高真名井清水・高津清水・産湯の玉の井などと伝説に彩られた清水だという。

地名に"小橋"と残っているのが面白い。この辺りかつては"桃山"と呼ばれ、見渡す限りの桃林でもあったらしい。水が豊富で森があって桃林、まさに桃源郷?

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以前に何度か訪れた「高津宮」にも名水の名残りがあるそうな。
参道に今も残る"梅乃橋"が掛かっていたのが"梅川"。別名を"梅津川"ともいうその川は、現在の"道頓堀川"につながっていたらしい。その橋のたもとにあったのが「梅乃井」。水は枯れ、戦火に焼かれ、かつての梅の里も寂しい限り。

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おなじみの場所で見落としていたのはまだあった。
"愛染さん"こと「愛染堂・勝鬘院」にも「愛染清水」と呼ばれる井戸があって、手洗鉢も設えられている。この水を飲めば種々の御利益があるとのこと。何度となく頂いているのだが・・・。

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お隣の「大江神社」にも「大江の社水」と名付けられた井戸があった。今はその遺構が残るのみで、湧水もなく完全に埋め立てられている。
"天明八年戌申六月吉日"とあるから1788年ですか。古いようやけど、ここらじゃ新しい?

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ぐんと南に下って、「四天王寺庚申堂」辺り。この付近にあるのが「清水の井戸」。"谷の清水"とも呼ばれた名水は戦前、醤油醸造所や風呂屋でも利用されていたらしいが、今は元井戸が涸れてしまい15mほど移動した辺りでボーリングしポンプで組み上げている。

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最後は、北へ折り返して、テーマも"赤穂義士"。
"禅宗永平寺"を開いた道元禅師を祖とする「吉祥寺」は「万松山吉祥寺」と号し、赤穂藩主浅野家の祈願所であったが、今は"義士の寺"として知られる。遺髪や鎖かたびらなどを大坂に持ち込み、江戸、赤穂に先駆けて"赤穂義士の墓所"とされたが大阪大空襲で焼失し、今は墓石が残るのみ。四十七士像がちょっと可愛い。AKR47(AKouRoushi47)なんて、な。

バタバタと駆け足で廻るべき所は廻ってしまって、2000年の歴史、古代から中世、近世を一気に走る『上町ヒルズ歴史探訪』もこれにてお仕舞い。
ランチするには時間が早いし、朝がゆを頂いたばかり。どこかで時間を潰すにはすでに暑過ぎるくらいに暑い。深追いせずに帰りましょ。
かつて名泉、名水が在った所なら、千利休ゆかりの地であるなら、水源復活は無理でも、"水処・お茶処"として、カフェが幾つも集まったりしたら面白いのにね。どなたかプロデュースなさいませんか。

♢♢♢♢♢

今回はグループポタとしても良かったかもしれないが、朝早くに引っ張り出すのは気の毒、だからといって陽が高くなってからだとまだまだ暑いので、お誘いするのもしのびないと思い、呼び掛けをしませんでした。
9月22日の「サイクル・ピクニック」のあと、昼食後に廻ってきてもいいのですが、15時頃まで屋台が出たり体験試乗会があるらしいので、そのあとだと遅くなり過ぎる?
改めて上町ヒルズ・グループポタを企画しようと思います。ご一緒して頂ける方はその旨コメントを書き込んで頂けたら嬉しく思います。

本日の結果
走行距離:41.20km
走行時間:02:48:51


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moto_tip_sp

まだまだ大阪市内は歴史ある見所一杯のところが多いですね。
上町ポタいいですね。日程があえば行きたいです。ただ秋は子どもの運動会や地元の秋祭り(子どもがらみ)が多く私のポタリングも限られています。
でも案内人がいるときに行きたいなあ。
by moto_tip_sp (2012-08-26 18:22) 

JUN1026

モトさん、コメントありがとうございます。
大阪、特に上町台地は歴史的遺構がてんこ盛り。暑いときのショート・ポタにちょうどいいコースです。適度にアップダウンもありますし(笑)。
上町ポタは当初22日の「サイクルピクニック」後にしようかと思ったのですが、遅くなり過ぎたりしないかが問題。
日中にゆっくり廻るとなると幾分か涼しくなると思われる9月の29日、30日辺りが妥当なところでしょうか。
22日に超ショート・コースにするか、29、30日にランチを挟んでノンビリ走るか。
とりあえずそれでプランを立ててみます。
by JUN1026 (2012-08-26 20:48) 

yosshu0715

上町ポタ、いいですね!!(笑)
実は僕も下見をかねて土曜日回ってこようと思ったのですが、結局は全然違うルートになり、結局真田ポタできてません!!(笑)

今回の記事でも行きたかったところを回られていて、羨ましい!!(笑)

土曜日は思いがけず能勢方面まで・・・。
楽しかったですが、熱中症になりました!!(笑)
いやホント、あんなに苦しかったのは初めてですよ!!

昨日ポコさん☆が帰ってきて予定を確認していたのですが、やはり僕、22日は予定が入りそうです・・・(残念)
by yosshu0715 (2012-08-27 07:39) 

JUN1026

ヨッシュさん、コメントありがとうございます。
上町六文銭ポタ会やりましょか(笑)。
私も今回巡ったのは初めて訪れた所も多く、新鮮で面白かったですよ。
ただ、道が狭く、住宅街の中に埋もれるようにして在るので、うかっとすると迷います(笑)。

熱中症はやばいですね。どうも盆過ぎの方が陽射しがキツく、暑いような気がします。それで私も無理せず市内散策に留めています。早く涼しくなってくれればいいのですが。

22日は別件ですか。残念ですね。
代わりに29日にポタ会しましょか!?
by JUN1026 (2012-08-27 10:53) 

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