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大阪クラシック2020 第2日 [音楽のこと]

秋朝や サボタージュして ソルフェージュ

今日は有給休暇を取って、Zepp Namba(OSAKA)での『大阪クラシック』、「第4公演」、「第5公演」に向かいます。

その前に、楽譜に眼を通しておこ。


一週間に渡って開催される『大阪クラシック』。初日の日曜日と最終日の土曜日はともかく、平日は夜公演でもそうそう出向くことが出来なくて、昨年まで有給休暇を取って拝見していたのが、2012年から加わった、この音楽祭のプロデューサーでもある大植英次がピアニスト(の一員)となる「ピアノ・スペクタキュラー公演」。
毎年、中日の昼公演としてプログラムされるそれは、管弦楽曲をピアノ3~4台での演奏へとトランスクリプションし、あまり聴くことが出来ない希少性に加え、マエストロ大植がパフォーマンスされるということで有料ながら大人気、多くの観客を集めていて、公演数が減った今年も第5日、第12公演として予定されているのですが・・・。
例年と同じ顔ぶれで、演目も1~2度演られたことのあるピアノ3台版「第9」。何か違う趣向が用意されているかも知れませんが、どうせ有給休暇まで取って出向くのですからもう少し希少性の高いプログラムを選びましょう。

特別公演」として、2017年から演じられているのが「クラシック&能」。
最初の2017年度は、取り壊しが予定されている大阪能楽会館での公演ということもあり、平日の18h45開演にも関わらず馳せ参じ、鉄筋コンクリートのビル内に設えられた本格的な能舞台でのパフォーマンス、モーツァルトとヒンデミット、ドボルザーク、それぞれの弦楽四重奏曲がシテ方観世流能楽師、大槻裕一さんによる能舞とフュージョンする様を拝見させて頂きました(→記事参照)。
それが好評を博したのか、2018年と2019年は大阪市中央公会堂・中集会室での開催となったのですが、日時が合わなくて行くことを残念しました。

そして、今年。
大阪クラシック』自体どうなるのかと危ぶまれていたのが開催の運びとなり、その二日目の昼・夜に「クラシックと能」もラインナップされて・・・。
ただでさえヒトの集まるイベントが制限されて、いっときは100を数えた『大阪クラシック』の公演数も激減。ライヴで公開される公演は全部・・・といわないまでも「ピアノ・スペクタキュラー公演」と「クラシックと能」は観ておきたい・・・が、月曜日と木曜日を休暇とするのは難しい。で、二つを両天秤に掛け、月曜日だけサボってやったわけですな。

今回は会場をZepp Namba(OSAKA)とし、15時からの「第4公演」は大阪フィルハーモニー管弦楽団のメンバーによる弦楽四重奏、19時からの「第5公演」は関西フィルハーモニー管弦楽団の首席奏者による弦楽三重奏。双方に大槻裕一さんの舞が加わるのですが、大フィル関西フィルの皆さんが囃子方として能楽の新作を演じるわけではなく、あくまで西洋音楽と日本の伝統芸能のコラボレーション。
で、それだけでも希少ですが、開演時のプロデューサーによるご解説では、全国にあるZeppチェーンでクラシック音楽が演奏されるのはここ、Namba(OSAKA)での「大阪クラシック」のみで、ましてや、能楽が上演されるのは初めての試みとのこと。

まずは15h00開演の「第4公演」。
ロビーからホール内に入って、少々の違和感を伴って眼を引くのはステージ奥の鏡板に描かれた老松
その直上は照明器具を吊り下げるためのレールがあって、それが松羽目とアンマッチな感じを齎らす・・・というか、ライヴハウスのZepp鏡板がある時点で不思議な感じ。
舞台下手側には低い欄干と共に一ノ松二ノ松三ノ松が設えられた橋懸・・・のようなもの。その先には鏡の間へと至る揚幕が懸かる。
能舞台らしい設えはそれっきり。方向を示す柱は無く、白洲も無ければそこに降りる(きざはし)も無い。
ステージの床中央辺りには足袋での摺足に備えてか、パレットが敷かれてそこが仮設の本舞台
(きざはし)下、本来なら白洲となる処にもパレットが敷かれ、そこがいわば地謡座後座の代わり、今日の囃子方・・・ストリング・カルテットやストリング・トリオのための場所。その仮設オーケストラ・ピット(といっても客席と同じ高さ)のために、観客席の幾つかは撤去されて、ワタシの手にした指定席「1階G列20番」は前から2列目、ほぼ真ん中辺り。

IMG_3548.jpg

よーく眼を凝らしてみると、空調の風に老松が揺れている?! 鏡板は布製のようで・・・。
能楽は見立の世界。特定の演目を除いては大道具類は殆ど用いられず、使うにしてもごく簡略化されたもの。小道具も同様で、手にした扇があらゆる持ち物の代用となる。
能楽であることを示す老松と、その見立ての世界と現実との橋渡しとなる橋懸、二つの世界を区切る揚幕が必要最低限の拵え、演出なのでしょう。
ましてや、「クラシックと能」では能曲や謡曲では無く、地謡や囃子方の掛け声は入らない。西洋音楽の世界観をシテ方独りの舞で見立の世界として演じてみせないといけない・・・のでしょう。

その演じ手、能楽師はシテ方観世流大槻裕一さん。
この春同志社大学をご卒業されたばかりの23歳なのですが、初舞台が2歳の時で、芸歴21年。16歳の時に人間国宝(重要無形文化財の各個認定保持者)の大槻文藏さんの芸養子となった、能楽界のエトワールでホープでエースでプリンス♡
新境地を開拓し芸域を拡げようと、本筋とは別に、こうした活動もされておられるのでしょう。
うちの息子さんとほぼほぼ同い年。我が子を見る思い・・・というには雲泥の差を感じてしまいそうなのですが・・・。

開演時刻となって、いきなり揚幕が跳ね上がり、囃子方ストリング・カルテットがスタンバイしていないうちから裕一さんの登場かと思ったら・・・。飛白の半纏に白足袋姿のプロデューサーが橋懸を摺足で進んで来られ、舞台のセンターにペタンと正座。
ご来場者皆々様にご挨拶と謝辞を手短かに。
そして、招き入れられるのが「第4公演」の演奏者、弦楽四重奏団。
その顔ぶれは何れも大阪フィルハーモニー管弦楽団のメンバーで、
ヴァイオリン(Vn):小林亜希子力武千幸
チェロ(Vc):石田聖子
コントラバス(Cb):松村洋介
という布陣。
演目は、
ロッシーニ弦楽のためのソナタ 第4番 変ロ長調
ヘンデル組曲 第2番 ニ短調 HWV437
ロッシーニ弦楽のためのソナタ 第2番 イ長調
牛フィレ肉風味の能楽となるのかしらン??
時代の違いこそあれ、イタリア語のオペラが得意な作曲家が作った室内楽曲繋がりやね。

ジョアキーノ・アントーニオ・ロッシーニが、オペラや管弦楽曲より先駆けて、弱冠12歳で物したという変則編成の弦楽四重奏曲「6つの弦楽のためのソナタ」。
早熟で大人顔負けのおませさんとはいえ、12歳の少年がハイドンやモーツァルトの作品をお手本として、友人と演奏するために書いたということを考えると、もう少しポップでヤンチャな感じがあってもいいかなァとも思うのですが、演奏者はもういい大人で、ましてや今日は能舞とのコラボレーション、しっとりとアダルトな印象。ベース・ラインをCbに委ねたVcもよく歌って、溌剌として晴れやかで、盤石な低音に支えられて壮麗なハーモニー。
一方、ドイツに生まれ、主に英国で活躍したゲオルク・フリードリヒ・ヘンデルがまだドイツに居た頃(ややこしい?)の「ハープシコード組曲第2集 第4番 ニ短調 HWV437」はもうちょっと深刻な印象。ハープシコード(チェンバロ、クラヴィーア、クラブサン)のための「サラバンド」を2Vn+Vc+Cb用にトランスクリプション。こちらもベースがよく効いて、淡麗さはそのままに、軽やかなチェンバロ独奏とは違った厳かな味わい。鍵盤曲を弦楽器に置き換えると、微妙にハーモニーが変わっちゃって、それが新鮮に感じられて、もちろんピュアで美しくもあり、なんかズルいんじゃないとさえ思えてしまう。元は超シンプルなのに、トリルに加えてヴィブラートでしょ。それが大仰ではなく、ごくさり気なく。まじ、ズルない?!

と楽曲に意識を集中しちゃいがちではあるのですが、大フィルメンバーによる息の揃った演奏だけに注力していてはいけません。意識の半分は舞台の上、揚幕に向けて、鏡の間からの舞い手の登場に備えないと。
というのも、唯一のシテ方となる裕一さんは出突っ張りというわけでは無く、要所要所、楽曲の調べに合わせて舞われるので、いつどこで出てくるかが分からない。

最初のロッシーニは演奏だけに終始し、舞い始めは2曲目から。
サラバンド」はテーマと2つのヴァリエーションからなる短い楽曲。主題をいわば前奏として、揚幕から橋懸を進んで本舞台。第1変奏になって、それに合わせたハコビで舞台を縦横に移動しながら所作を披露されて、第2変奏に乗せて本舞台から鏡の間へと退かれる。
能楽で用いられる謡曲と全然リズムの異なる「サラバンド」。元々ゆったりとした舞曲ですが、三部構成で、3/2拍子と6/4拍子の組み合わせ。日本の伝統芸能にこんな拍子は出てこないはず。それをどう解釈して振り付けを考えて、合わせているのでしょう。
後のインタヴュウで語られたところによると、弦楽四重奏団とは今朝のゲネラールプローベ、通し稽古が初顔合わせで、それまでは音源を聴いてイメージを膨らませ振り付けを考えていたのだとか。「クラシックと能」の監修をご担当された師父、大槻文藏さんのアドバイスもあったのでしょうが、昼夜2公演で数曲分の舞を創作するのは容易くはないはず。
ワタシ的には、能舞に理解が及ばず楽曲からの分析となることもあって、どうしてロッシーニヘンデルを選ばれたのか、裕一さんがこの楽曲で舞いたいと望まれたのか、四重奏団の方からこの曲はどうでしょうと提案されたのか、選曲理由を知りたかったのですが、インタヴュアーはプロデューサーでもあるマエストロ大植、企画の段階からご存知だったのでしょう、その点には触れられません。
能楽といえば衣装も気になるところ。
装束は着けず、面は掛けずに、紋付袴姿。その手には舞扇。ごくシンプルな出で立ちで、所作だけが勘所。
これもインタヴュウによると、動きが止まってじっとしているように見えても、視線だけで演技している由。ストリング・カルテットの演奏と半分ずつに視聴しているとそこまで追えないのが辛いところ。
おまけに、座席があまりに前過ぎて、すぐ目の前が大きなコントラバス。舞台が見渡しづらい。こういう設えなら、やや俯瞰で見下ろせる2階席の方が楽しめたかも知れません。

弦楽のためのソナタ 第2番 イ長調」では、その装いは少し変わって、薄い絹織りの狩衣をふわりと羽織って。
第1楽章Allegroを序曲に当てて、第2楽章Andanteが能装束での能舞のための伴奏曲、第3楽章Allegroを終曲として「第4公演」の幕切れ。
早いテンポに合わせた早い動きを示しては観客の意識がついてこれない? 今のご時世、あんまりバタバタと空気を震わせてはいけない? 感染防止対策まで考慮し、音楽と舞いの両方をゆったりと愉しんで頂こうという配慮でしょうか。緩徐な旋律に静謐な所作ハコビ

それに癒された思い。
存分に堪能させて頂いた気もしますが、せっかくサボタージュしてナンバまで来ているのですもの、マチネだけでは元が取れない?! ソワレの「第5公演」も楽しませて頂きます。
昼と同じ座席に着くわけにはいかず、夜は「1階G列32番」。バスが立ちはだからないかわりに、ちょっと遠くてチェリストの背中を拝む位置。その分、舞台は見渡せる。
舞台の設えは変化なく、クラシック演奏者だけが大阪フィルハーモニー管弦楽団員によるストリング・カルテットから関西フィルハーモニー管弦楽団員によるストリング・トリオにバトンタッチ。
ヴァイオリン(Vn):岩谷祐之
ヴィオラ(Vla):中島悦子 
チェロ(Vc):日野俊介
能楽師:大槻裕一
となって、プログラムはオール・バッハ
主よ、人の望みの喜びよ
無伴奏ヴァイオリン・ソナタ 第3番 BWV1005より 第3楽章 Largo
無伴奏チェロ組曲 第1番 ト長調 BWV1007より Ⅰ.Prelude
無伴奏チェロ組曲 第3番 ハ長調 BWV1009より Ⅴ.Bourree Ⅰ - Ⅱ
ゴルトベルク変奏曲 BWV988より抜粋

んン?! こちらもズルい演目ですこと!!
主よ、人の望みの喜びよ」は教会カンタータ『心と口と行いと生活で』の第2部第10曲の合唱コラール「イエスは変わらざるわが喜び」をピアノ版に改めたものを弦楽三重奏用にトランスクリプションでしょ。
ゴルトベルク」は通称で、パパ・バッハがお付けになったタイトルは「2段鍵盤付きクラヴィチェンバロのためのアリアと種々の変奏」。まァ、今時2段鍵盤はあまり用いられないとはいえ、鍵盤楽器のためのヴァリエーションズのお手本、教本、聖典。
それにヴァイオリンとチェロ、それぞれの独奏曲を交えて。
まァ、パパの楽曲はどうアレンジメントしても美味しく頂けるということでもあって、飽きさせないという工夫でもあるのでしょう。弦楽三重奏曲自体少なく、知られた楽曲となると限られてしまう。『大阪クラシック』では、オーケストラ団員が通常あまり演奏しない楽曲に挑んでみようという試みでもあるのかしらン。ましてや、今日は能舞とのコラボレーション。このプログラムは演奏家からのご提案のような気がしますね、知らんけど。
何れにせよ、耳馴染みした楽曲ぞろいで、楽しみではあります。膝の上に架空のキーボード(実は手ぬぐい)を広げて、指がメロディーをトレースしちゃう。

夜公演でも、演奏に先駆けてプロデューサーの前口上があって、演奏されるお三方のご紹介。
その演奏・・・、
ストリング・トリオによる合奏コラールは厳かに。
切れ味鋭いレイピアを想わせるような無伴奏ヴァイオリンの調べ。
それより逞しい豪剣のようでいて、低音から高音、変化に富んだ表情を示すチェロ独奏
過剰な演出や無駄な装飾はかえって風合いを損ねてしまう。ベーシックな部分をきっちりと当たり前に演奏してこそというのがこれらヨハン・ゼバスティアン・バッハ作品の難しいところでもあるのでしょう。「ゴルトベルク」は(高難度な)エチュードでもあるわけですし、体操やスケートでいうところの規定演技みたいな位置づけ。トランスクリプションやアレンジメントはお好きにどうぞだけど、その分勘所はきっちりと押さえなさいということなのでしょうね。
そして、「ゴルトベルク」。

とのコラボレーションを忘れて聴き入ってしまって、まさかチェロ独奏曲能舞の伴奏を担うとは思いのほかの想定外。昼公演と違って、オール・バッハは全編通してゆったり緩徐。どこでシテ方、大槻裕一さんがご登壇されてもいいわけだが・・・。
無伴奏チェロ組曲」では昼と違う色合いの紋付袴姿。
ゴルトベルク・ヴァリエーションズ」にはこちらも昼と色違いの能装束。インタヴュウ時にマエストロが巫山戯てそれを羽織っておられたのですが、金とプラチナがふんだんに使われてかなり重い物だとか。
楽曲が異なるため昼とは違う振り付けであるのは分かっても、それが何を表現しているのか読み取れないのが哀しいところ。来年までに勉強しておこう。

アリアと種々の変奏」からのトランスクリプション作品は、時間的都合で全曲通してとはいかずに32のうち11だけ。主題のアリアから第1変奏、第9、10、17、19、21、24、26、30、お仕舞いのアリア。拍子も都度変わり、カノンだったりフーガだったり形式も異なって、変奏らしさは味わえて、それも鍵盤楽器独奏ではなく弦楽三重奏版、Vnが歌い上げるかと思うとVlaとVcのデュオになったり、やっぱりズルいくらいに聴きどころ満載。1/3抜粋でもお腹いっぱいに愉しませて頂きました。

アンコールはチャールズ・チャップリン作曲、映画『モダン・タイムス』のテーマでもある「スマイル」。もちろんストリング・トリオ・ヴァージョンで。
マイク貰って歌いましょうか?

能楽は不勉強でその表現を十分に読み取れないままお仕舞いとなりましたが、眼の保養、耳の滋養にはなりました。
来年は「ピアノ・スペクタキュラー公演」と「クラシックと能」で二日有給休暇を取らないといけないような・・・。

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