SSブログ

妄想的お花の鑑賞?! [散歩・散走]

今日は午後から「OCCA ワンコイン市民コンサート」があって、大阪大学豊中キャンパスまで出向くのですが、そのついで、ちょっと脚を伸ばして池田城跡公園を訪ねます。

先週「お花見ポタリング・2019ハナショウブ編 Part2」で、水月公園から池田城跡公園へとハシゴするつもりでいたのですが、開門時間の確認を怠っていて、門前払いの憂き目に遭って、ならばそのリベンジ果たさずおくべきか・・・とそこまで大層でもありませんが、とにかく季節のお花を見たくって。

IMG_3507.jpg
IMG_3508.jpg
IMG_3510.jpg
IMG_3511.jpg
IMG_3512.jpg
IMG_3513.jpg
IMG_3514.jpg
IMG_3515.jpg
IMG_3516.jpg
IMG_3517.jpg
IMG_3518.jpg
IMG_3519.jpg
IMG_3520.jpg
IMG_3521.jpg
IMG_3529.jpg
IMG_3530.jpg
IMG_3531.jpg
IMG_3532.jpg

室町時代から戦国時代の頃、現在の池田市、箕面市、豊中市周辺を支配していた豪族、摂津池田氏により五月山山麓に築城された池田城。池田家内でのクーデターやらなんやらで、織田信長の命により1580(天正8)年に廃城。その後どうなっていたものか、1989(平成元)年に発掘調査が実施され、その遺構は公園として整備されて今に至る。
復元された礎石や井戸、枯山水があって、南西に寄った一角には櫓を模した展望休憩舎があって、足元の池から遥か遠方の風景まで眺望することが出来る。
反対側にはお茶室。
池にはピンク色したハスが浮かび、鯉などが泳ぐ。元はせせらぎと通じていたのか、それらしい流れを演出するような拵えにもなっている。

さて、今日のお目当ては、いまが見頃だという白ゆり花菖蒲
白ゆりは城内に設えられた日本庭園の一角に植えられて、その数、5,000株!! ちょっと密集し過ぎな気もするが・・・。

IMG_3522.jpg
IMG_3523.jpg
IMG_3524.jpg
IMG_3525.jpg
IMG_3526.jpg
IMG_3527.jpg
IMG_3528.jpg

テッポウユリ
タカサゴユリの仲間でしょうか。何れにしても、恐らく、園芸品種だと思われる、穢れを知らないような純白の花。
その花弁は・・・。んン?! 6枚?!
先週ハナショウブで観たように、花弁の数は「フィボナッチ数(Fibonacci number)」、である・・・はず・・・?!

ハナショウブもそうだったように、花弁が6枚あるように見えて、メルツェデス・ベンツの「スリーポインテッド・スター」かミツビシの「スリーダイヤ」、あッ、季節柄三ツ矢サイダーのマークでもいいですね・・・を反対向きに重ね合わせたみたいな形状。
本当の花弁は内側の3枚で、これが「内花被」。その外側の3枚は萼片で「外花被」。それが組み合わさって、3×2=6に見える仕掛け。
まさかご時世だからと、Instagram映えを狙って盛っているわけではないでしょうから、花弁と同じように見せる意図はなんなんでしょう。受粉を促す昆虫たちへのアピールなんでしょうか。
それとも、テッポウユリというくらいで、マスケット銃の銃口みたく喇叭管状になっていたら風に花粉を飛ばすのに都合がいいのでしょうか。
お花が繁殖するために不可欠なのは小胞子葉由来の雄蕊大胞子葉由来の雌蕊。植物の花粉媒介は、風媒水媒自動同花受粉もあるけれど、その殆どが動物媒受粉。昆虫や動物をポリネーター(送粉者)としてこっそり使っちゃって、その媒介者を誘うのが艶やかな花弁で、一番外側にあってそれらを守り包むのが萼片
ザックリ言うと、そういう役割分担。
古い古い種はきっと、子房雄蕊雌蕊をガードするための部位だったであろう萼片花弁のように変化させて、甘い蜜の香りとともに、それはポリネーターを誘う手口なのでしょうが、そのデザインが素晴らしく美しいと感じる。

で、ね。

最初に、太古の昔にこれらの種子を蒔いたのは創造主(?)なのかも知れないけれど、より美しくなろうとしたのはこうした植物たちの意思なのではないかとも思ってしまう。
自ら動くことのない植物。昆虫や動物を媒介として広く繁栄し、この世にヒトなるものが登場するや彼らを使役してより美しく変わろうと品種改良を促す。
動物にしろ植物にしろ、生物の最大の目的は「種の保存」。自らは切り花や食用になろうとも、次の世代により美しい姿態を引き継がなければならない。光合成で酸素を供給するかたわら、翅の生えた小さなポリネーターに頼るより、高い知能とより高い行動力を持つ者に自らの種の繁栄を委託する。自身は食用、観用として消費されようと、次の世代の興隆、まさに開花を狙って・・・。
それこそ、神の御技。このシステムを考えちゃったものこそ神なんじゃないのかな。
ワタシは無神論者で、アブナイお薬を服用している訳でもないのですが、最近お花を観るにつけ、そうした想像・・・妄想(?)に駆られてしまいます。
そうした技を会得した花々や植物こそ神・・・かどうかは分かりませんが、神性が宿っているのではないかと思ってしまいます。
同じ種内でもより強い遺伝子、より良質な遺伝子を残すために淘汰するのですから、群生するユリ同士が、ワタシの方がゴージャスでしょっという虚栄心半分に咲き誇っているのではないかと想像してしまいます。カメラを向けるにしても、どれが一番器量良しかと選んじゃいますものね。
ちょっとファンタジーに過ぎますか。
また、マサマティカルからスピリチュアルな方向へ脱線してしまいましたね。お花には数学も潜んでいるけれど、そうしたスピリットが宿っているのですよ、多分。
色素の研究が進んで花の色は(ある程度)解明出来ても、この造形美、芸術性は奇跡としか言いようがなくて、数学や化学だけでは何故そうなるかが説明出来ません。
万物に神が宿る・・・と言うのはそうしたことを指すのでしょうか。

こんなことを声を出して他人に話すとヘンなヒトとウワサされちゃいそうですね。えッ、すでにヘンなヒトと噂されている?! そう言えば最近、クシャミが止まりません。花粉のせいか、人の浮評によるものか・・・。

それでもやっぱり、Artificial Intelligence(AI)な時代に生きるインテリジェントなワタシとしては、神秘より「万物は数なり」、宇宙のすべては数の法則に従うと仰ったピタゴラス先生(とその教団)の教えに倣いたいと思います。職業柄(エンジニアですから)、奇跡を望むより、数学や化学を信じます。

IMG_3534.jpg
IMG_3533.jpg
IMG_3535.jpg
IMG_3536.jpg
IMG_3554.jpg
IMG_3555.jpg

全盛時の池田城の全容はとても広大だったそうですが、現在「池田城跡公園」として残るのはごく限られた範囲で、ここら辺りが一番中心の城郭があった場所なのでしょう。小高い五月山に在って、周囲を堀で囲われて。
公園に入る東門はかつての大手門で、そこに掛かる橋から覗くと、その下は空堀。今は散策路となっている。
タケノコと呼ぶには丈高く育って、ワタシの細長ァ~〜い御御足みたいにすらっとした若竹があったり、見上げたら青モミジがグラデーションの天蓋になっていたり。マサマティカルだったりスピリチュアルな想像を巡らせるにはいいところ。

IMG_3537.jpg
IMG_3538.jpg
IMG_3539.jpg
IMG_3540.jpg
IMG_3541.jpg
IMG_3542.jpg
IMG_3543.jpg
IMG_3544.jpg
IMG_3545.jpg
IMG_3546.jpg
IMG_3547.jpg
IMG_3548.jpg
IMG_3549.jpg

南門
から階段を下ると空掘の南端は菖蒲園。種類も花数もそれほど多くはないのだけれど、それでも十分に眼の保養。紫や白の花が葉の緑とコントラストして浮かび上がる。
ハナショウブについては、先週とその先にも触れているのでもういいでしょう。

菖蒲園の脇に咲く紫陽花に眼を移しましょう。
アジサイ。これも不思議なお花。お花?!
先週、アジサイは4枚(ずつ)のように見えるけど、全部を合算すると「フィボナッチ数」だったりするのか・・・と前フリしておいて見過ごす訳には参りません。

IMG_3550.jpg
IMG_3552.jpg

アジサイ属
は日本原産で、より原種に近いのが「ガクアジサイ(H. macrophylla f. normalis)」。
装飾花」と呼ばれる、花弁のように変化した萼片花序・・・花軸についている花の配列状態・・・の周囲を飾ることから「額紫陽花」。
「萼アジサイ」ではないところが日本語の難しいところですな。なまじ”学”があると、”額”を”萼”と間違える?!
その額の中、萼片に囲まれて、プチプチとpetitなビーズのように見えるのは「両性花」と呼ばれる部分。
そして、花弁に見せかける萼片が「装飾花」。
ガクアジサイ」の「装飾花」はやはりポリネーター(ズ)ご一行を誘惑するため、訪花を促がすため。

IMG_3551.jpg
IMG_3553.jpg

オーナメンテーションとでもいうのでしょうか、小さな「両性花」の殆ど総てを「装飾花」に変えて、手毬やくす玉状になったのが「ホンアジサイ」や「セイヨウアジサイ」。原種からかけ離れて、本来の姿ではないのに「本紫陽花」とはこれ如何に。やっぱり、ワタシ、ニホンゴワカリマセン・・・はともかく、これらもヒトの手による園芸種。
プチプチのpetitなビーズ、「両性花」だけの姿になったのは「小紫陽花」。
両性花」や「装飾花」。全部がお花のようで、花弁ではない偽りの花。
全部が「装飾花」化されちゃった「ホンアジサイ」などは、雄蕊雌蕊が不完全化してしまい、植物本来の意義である生殖が果たせず、果実を付けることがない。
艶やかさ、婀娜やかさを得た代わりに種を残すことが出来なくなって、ソメイヨシノがクローン栽培されるのと同じように、ヒトの手に依って挿し木や株分けされることで繁栄することになる。
ワンコやニャンコが小型化されて繁殖力が落ちるのに似ているようなのだけど、植物の場合、自らの力、意思では種を残せず、ヒトを使役して増殖する・・・って感じで、スピリチュアリティなのかサイキックと言うべきか、神聖な神性とともに、何故かエイリアン的にも思えてしまう??
だって、さァ。ワンコやニャンコ、ヒトが出現する遥か以前からこの星を支配していたんでしょ。これだけヒトを魅了する、蠱惑的な表情の下にサイキックな能力を隠し持っているのかも(妄想?)。
人が用いるのか、人を使うのか。ファンタジックホラーが一本書けそうですな。

(どんどん脱線しそうなので、軌道修正して)で、紫陽花の特徴というと、色の変化。

お花の色目はそれらが持つ色素、フラボノイドカロテノイドベタレインクロロフィル、4種類の色素の配合、配分に細胞内のpH(酸性度)だとか金属イオンなどの影響による。
紫陽花の色はそれが植えられた土壌のpHで変わることは広く知られているが、それはフラボノイドの一種、アントシアニンの作用によるもの。
土壌の酸性度が高いとアルミニウムがイオンとなって溶け出して、それが根っこを通じてアジサイに吸収されちゃうとアントシアニンと結合して青くなる。
土壌のpHが高くない場合は、アントシアニン本来の赤に近い色目。
リトマス試験紙的な、それらを細かく説明し出すとブログの域を超えて論文になっちゃって、ブロガーからドクターに肩書きが変わっちゃいそうで、面倒なので端折っちゃう。
・・・と理屈、仕掛け、そのシステムは理解出来るんです、ワタシでも。多分、昔むかしに学習したはず。
で、ね。
なんでそんなシステムになっているのか?
土壌の酸性度なら他のお花も同じこと。紫陽花は、デリケートでナイーヴで、他より一層繊細に出来ているということなのでしょうか。
ハナショウブの様々な色目も色素の作用。白ゆりの白も、色素を持たない訳ではなく、無色の色素、フラボノイドによる白。
科学変化のその奥底、なんのためにという動機が知りたい。事象には必ず動機なりキッカケがあるはず。
アジサイ属には未だはっきりとは解明されていない毒性が有るとか無いとか。中毒症状を齎らし、場合によっては死に至ることが有ると無いとか。
もしかしたら、ひょっとしたら、花()の色の違いは毒性の強さを示していたりしないのかしらン?!
アルミニウム・イオンで色素が分解される際に毒性が発現し、昆虫などが蜜を吸う程度ならいいけれど、例えば脊椎動物が花()や葉を食べるとキケンが危ないですよという警告・・・だったりするのかも、知らんけど、分からんけど。逆に、何らかの薬効の有る無しなのかもしれないし。
アジサイにみる萼の色の違いにおける毒性の差」、研究課題としては面白そうですが、かなり危険が伴うような気もしてオススメは出来ませんな。
やっぱり、「アジサイの装飾花の枚数にみる『フィボナッチ数(Fibonacci number)』」ですか。これすら、毒性とやらが気になりますが・・・。

上の写真の「ガクアジサイ」の花びらに見える「装飾花」の萼片の数は4×8=32枚? 32だと「フィボナッチ数」ではないことになるが、よく見たら「中性花」も小さな萼片を持っているようにも見えるし、それらを全部数えないといけない? ・・・無理です。
ホンアジサイ」の方もとてもじゃないが数えられるものじゃない。
もしかして、「ガクアジサイ」もひとつの額ではなく、「ホンアジサイ」も手毬状のひと塊りではなく、ひと株全部の花弁=萼片を数えないといけないとなると・・・。眼が霞んできましたァ。

お花を観ているだけで、数学や化学、芸術に加えてちょっと霊的なことまで想像が及んで、飽きることを知りません。

IMG_E2271.jpg
IMG_E2272.jpg
IMG_E2273.jpg

・・・が、アタマをフル回転させ過ぎてお腹が空いてきたようで、お昼時は、花より団子というか、肉食いたい。
ハンバーグステーキ・ランチを食べ終えたら、大阪大学会館に向かいます。

nice!(0)  コメント(0) 
共通テーマ:日記・雑感

nice! 0

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

Facebook コメント