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Szymanowski's Adventures in Wonderland [音楽のこと]

夏真っ盛り。盛夏の「ワンコイン市民コンサート」は”オール・シマノフスキ・プログラム”な『デュオ・ヴェンタパーネ〈白石茉奈+マルティン・カルリーチェク ヴァイオリン・ピアノ・デュオリサイタル〉”不思議の国のカロル・シマノフスキ”』。
ヴェンタパーネ? シマノフスキ? てか、不思議の国ってドコですか?


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ワンコイン市民コンサートシリーズ第68回」はDuo Ventapane(デュオ・ヴェンタパーネ)こと白石茉奈さんとマルティン・カルリーチェクさんのデュオ・リサイタル。
マルティンさんと聞いてピン(!)と来たヒトは「ワンコイン市民コンサート」ファミリーを名乗れます。

マルティン・カルリーチェク(Martin Karlíček)さんは、チェコ、プラハ音楽アカデミーにて修士課程修了。その後オランダ、ユトレヒト音楽院を経て、カナダ、マギル大学にて修士課程、博士課程を修め、現在は演奏活動の傍ら同大学にてピアノ講師として後進の指導にあたっておられる由。
チェコの音楽の促進に力を入れているほか、定番の曲から現代曲までピアノ・ソロ、 室内楽ともに幅広いレパートリーを持つピアニスト。

で、昨年8月開催の「シリーズ第56回」では、『祈り:超絶技巧を超えて』と題されたピアノ・リサイタルとして、フランツ・リスト作曲の「詩的で宗教的な調べ S.173/R.14」を全曲、演奏時間約85分にも及ぶピアノ曲集を休憩なしのノー・インターヴァルでまるっとご披露くださったお方ですな(→記事参照)。

一年を経て、本日はパートナーを伴ってのデュオ・リサイタル。
そのお相手、白石茉奈(Mana Shiraishi)さんは、昨年の『ピアノ・リサイタル』でワンコイン市民コンサート実行委員会代表の萩原先生マルティンさんにインタヴュウする際に、英語と英語の会話に日本語の通訳として立ち会っておられたお方。
・・・ですが、本業は通訳者ではなく・・・、
桐朋女子高等学校音楽科、桐朋学園大学音楽学部、研究科在学中は江藤俊哉、徳永二男の各氏に師事。その後、マギル大学にてジョナサン・クロウ、マーク・フューアーの下、修士課程を修了。モントリオール大学にてローレンス・カヤレイの下、D.E.P.A.(Diplôme d'études professionnelles approfondies)を取得し、アパショナータ室内楽管弦楽団、マギル室内楽管弦楽団、アウリオルス四重奏団、クレオ・トリオ、デュオ・ヴェンタパーネのメンバー。ヨーロッパ、アジア、北アメリカ各地でソリスト、室内楽奏者として演奏活動をする傍ら、後進の指導にもあたっておられる。
デュオ・ヴェンタパーネは、2011年に行われたIBLA Grand Prizeにおいてスメタナ賞及びバルトーク賞を与えられ、2012年春、カーネギーホールなどアメリカ各地にて行われたツアーに出演した。近年の活動では、ポーランドの作曲家、K.シマノフスキのヴァイオリンとピアノのための全作品、「クライスラーの3つの顔」と題してF.クライスラーの多様な作品に焦点を当てた演奏会などを行っている。また、F.リストのヴァイオリンとピアノのための作品もレコーディングしている・・・ヴァイオリニスト。
そして、マルティン・カルリーチェク夫人でもあるお方。

で、お二人のユニット名・・・ヴェンタパーネといえば、ロレンツォ・ヴェンタパーネ(Lorenzo Ventapane)・・・でしょうか。
かつて、イタリアはナポリに在ったヴァイオリン工房。その親方さんのお名前がヴェンタパーネで、彼と彼の工房が作ったヴァイオリンは今もオールド・イタリアンの銘器として名を馳せる。茉奈さんが携えておられるのがそれでしょうか。その音色が気になるところ。

そして、シマノフスキ
カロル・マチエイ・シマノフスキ(Karol Maciej Szymanowski 1882年10月06日 - 1937年03月29日)は激動の時代に激動のポーランドに生を受け、音楽家としての素地をワルシャワで修め、その後ベルリンやライプツィヒで研鑽を重ね、ローマ、シチリア等々を経てパリ、ロンドンを歴訪。その間に後期ロマン派の作曲家から影響を受け、ストラヴィンスキーに出逢い、最初の大戦勃発時に帰郷。郷に入れば、郷に従え・・・(?)的に作風を変えながらも、当時最先端のヨーロッパ音楽とギリシアやイスラムなどの古代の文化・文明を融合させた印象的な作品を物する。
祖国に戻ってからは、同地の民族音楽を研究。
ワルシャワ音楽院の院長となり、ポーランドの音楽教育の改革を推し進めようとするが守旧派と対立し、院長を辞任。その心労からか病いを得て、療養のためにスイス~フランスへとリロケーション。ローザンヌが終焉の地。
コンサヴァティヴを嫌って、プログレッシヴ&アヴァンギャルドであろうとしたのか、生来のボヘミアンであったのか、アドレスもスタイルも変わり続けたお方。交響曲に協奏曲、オペラやバレエ音楽、ピアノ曲や室内楽、歌曲まで手掛けているが、少々捉えどころがない・・・というと語弊があるが、それ故か紹介される機会が少ないのが残念なところ。
彼を知るには、「不思議(の国)」がキーワード・・・なのでしょうか?!

まさか、カロル・シマノフスキ(Karol)からルイス・キャロル(Carol)を連想しての「不思議の国」・・・なァんてオチではないでしょうね?! まァ、それでもいいんですけど・・・。

とにかく今日の「ワンコイン市民コンサート」は、ファンタジックでエスニック、ミステリアスでワンダリングワンダーランドなコンサートになりそうな。それを確かめに、大阪豊中キャンパス大阪大学会館へ伺いましょう。

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14:30開場。ワタシはいつもの席で演奏が始まるのを待つ。
15:00開演。茉奈さんをエスコートして来たマルティンさんが会館常設の1920年製Bösendorfer252に向かって、短いチューニングの時間。A音が不思議の国の扉を開く。
茉奈さんが一歩踏み出して、ヴァイオリンを構えて、冒険が始まる。

本日のデュオ・リサイタルはカロル・シマノフスキ没後80年を記念してのオール・シマノフスキ・プログラム。用意された演目は、

3つのパガニーニ・カプリース 作品40 (1918年)
    ‐第20番 ニ長調
    ‐第21番 ホ長調
    ‐第24番 イ短調

ヴァイオリンとピアノのためのソナタ ニ短調 作品9 (1904年)
    ‐第1楽章 アレグロ・モデラート:パテティコ
    ‐第2楽章 アンダンティーノ・トランクィロ・エ・ドルチェ
    ‐第3楽章 フィナーレ:アレグロ・モルト、クアジ・プレスト

神話 作品30 (1915年)
    ‐第1番 アレトゥーサの泉
    ‐第2番 ナルシス
    ‐第3番 ドリヤードとパン

夜想曲とタランテラ 作品28 (1915年)
    ‐夜想曲 レント・アッサイ
    ‐タランテラ プレスト・アパショナート

最初の楽曲は、ニコロ・パガニーニが遺した、超絶技巧を要するヴァイオリン独奏のための奇想曲で、のちにフランツ・リストロベルト・シューマンがピアノ練習曲に、ヨハネス・ブラームスセルゲイ・ラフマニノフなどがピアノのための変奏曲にアレンジメントしたことでも知られ、『第24番 イ短調』はつとに有名。管弦楽版や他の楽器でのソロ・ヴァージョンまで含めると、いったいどれほどあるのやら。
そっち方面の向きには、「四月は君の嘘」の中で宮園かをりちゃんがコンクールで演奏した曲として知られる? フィギュア・スケートの浅田真央さんが2009-2010シーズンのエキシビジョン用プログラムとしていましたな。
今日演奏されるのは、単に技巧的であるだけでなく、その旋律の美しさ、主旋律だけでなく、対旋律からそれを引き立てるハーモニーまでヴァイオリン一挺で完成させた構成力。名だたる演奏家、作曲家を魅了した名曲を、シマノフスキがヴァイオリンとピアノのデュオとして編曲したもの。
祖国を離れ、ローマやシチリアに遊んだ頃に作られたのか、パガニーニの悪魔的魅力に魅入られたのか、その人気に肖ろうとしたのか、シマノフスキのデュオ・ヴァージョン。ヴァイオリンの特殊奏法・・・重音やピチカートは活かしつつ、ピアノとのバランスを按配した書法はワンダフル。ただ、ソロほどの緊張が感じられないのが惜しい・・・かなァ。
今度もし、機会があれば、パガニーニ・オリジナルのヴァイオリン・ソロ、リストシューマンラフマニノフのピアノ・ソロ、シマノフスキのデュオ版。多くの楽器を集めるのは無理だとしても、ヴァイオリンとピアノで弾き競べ、聴き較べというのも面白いかもしれませんね。

そうそう、そういえば、11月の「ワンコイン市民コンサートシリーズ第71回」は、アレンジメントされてトランスクリプションされた楽曲がプログラムされる『松尾久美ピアノリサイタル〈全改編曲プログラム〉』が予定されています。どんな曲が取り上げられるのか、楽しみですね(とさりげなく告知しておきます)。

続く「ヴァイオリンとピアノのためのソナタ ニ短調 作品9」は若い・・・22歳ごろ、ワルシャワの音楽学校を卒業後、ベルリン、あるいはライプツィヒに滞在中に作られたのか、優等生的な側面と若さゆえの粗雑さと、先人の影響を垣間見せながらもそれを咀嚼、消化、独自のスタイルを創ろうとした意欲作。
色んなものを貪欲に取り込んで、自分の世界を作ろうとの奮励は見えるが、それがまだ完成に至っていない不均衡。その危なげなところが面白いといえば面白い。不思議の国の序でを手探りで進むような・・・。

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インターミッションを挟んで、後半は「神話 作品30」。
休憩中に「神話」についてのキャプションがスクリーンに投影されるが、文字が小ちゃくて、全然見えませェん。
この当時の芸術家たちがハマりにハマった古代ギリシアの故事を題材としながら、それらとは少し離れた、不思議感に満ちたシマノフスキ・ワンダーランドの真髄・・・のような楽曲。
アレトゥーサアルペイオスの、エコーナルシスの、牧神パンドリヤードの、かなり変則的な(?)ファンタジック・ラヴ・ストーリー。かなり一方的な、一歩間違うとストーカー的な・・・、悲恋?
成就する完全な恋愛物語・・・ではないからか、ヴァイオリンとピアノも近く遠く、付かず離れず、すれ違いながらも絡んでいく。それぞれ別の言語を語らいながら、それが噛み合っているような、微妙な間合い、距離感。
視覚的には、茉奈さんがアレトゥーサドリヤードなどのニュンペー(ニンフ精霊)、マルティンさんがその相手役・・・と見えてしまうが、演奏は異なる。“ナルシスのテーマ”といったライト・モティーフ的なものも見られないし、それぞれが役を振られているわけではなく、2つの楽器で情景・・・あるいは叙情的にそのラヴ・ストーリーを語っている? ただ、ヴァイオリンが奏でるフレーズに”シューリンクス”・・・牧神が吹く“パンの笛”が聴こえたような・・・。

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その余韻の中、ここでワンコイン市民コンサート実行委員会代表の萩原先生Duo Ventapane(デュオ・ヴェンタパーネ)こと白石茉奈さんとマルティン・カルリーチェクさん、お三方でのシマノフスキ分析と楽曲解説を兼ねた鼎談。今回も日本語に通訳するのは、茉奈さんのお仕事。
ステージ後方のスクリーンには「神話」のスコアが投影されて、その難度の高さが示される。
何にも似ていない、シマノフスキ独自の語法・書法はどこに由来するのか? ・・・と荻原先生
マルティンさんが応えるには、祖国の先達であるフレデリック・ショパン、そして”ロシアのショパン”と呼ばれたアレクサンドル・スクリャービンの影響が見られる云々。

ワタクシ思うに、それだけではない・・・はず。若い頃の作品には確かに、ショパンスクリャービンシュトラウスブラームス辺りの影がちらつくが、こと「神話」に至ってはもっと超越的なものを感じてしまう。神話だけに神がかっている・・・とかは申しません。「不思議の国」的に、諸国を巡って拾い集めた玉石を錬金術で目映い宝石に変えてしまった。・・・というのなら話しは早いのでしょうが。
誰が聴いてもショパンだと判る色彩感溢れる「ピアノの詩人」独自の和声と、スクリャービンの「左手のコサック」と呼ばれる独創的なフレージングを間近に見て、それを原因とした結果、それらを凌駕するレトリックを創り出したかった・・・はず。造り出そうとしたはず。
では、そのために彼は何を為したか、その結果何を成したか。
ヨーロッパ諸国(とアフリカの一部)を外遊して得た知識とその影響。
ショパンスクリャービンへの憧憬。
それよりもっと大きなファクターが、祖国ポーランドの地理的、歴史的・・・社会科的な要因。それが彼をアルカイックな方向に導いた。ウィーンやパリにとどまっていたら、こうはならなかった・・・はず。
彼はある種使命感を持って作曲に取り組んでいたんではないかと思う。自らの錬金術をアドヴァンスさせんがために諸国を巡り、見聞を深め、アルケミーのためのエレメントを拾い集めた・・・ンじゃないかと。
それらを書き出すと、長大になってしまって、ブログの域を超えてしまう・・・ので、日を改めて『シマノフスキ幻想あるいはワンダーランド・ミステリー』としてリリースしたいと思います。

とまれ。ワタシの思考回路が暴走し始めて、その間にステージ上ではお話しが進行している。

鼎談のテーマは、ユニット名、ヴァンタパーネの由来からお二人の馴れ初め、カナダ・モントリオールでの暮らしぶりへと移っていくが、お三方の声はVentapane ViolinoBösendorfer252ほどには明瞭じゃなくて・・・(以下自主規制)。
おしゃべりもいいけれど、そろそろヴァイオリンとピアノに唄っていただきましょう。

プログラム最後は「夜想曲とタランテラ 作品28」。
シマノフスキ不思議の国を辿ってリングワンダリング(輪形彷徨)。巡り巡って帰り着いたのは、故国の憧れフレデリック・ショパン?!
遍歴を重ねたシマノフスキにとっては、憧憬もその行脚の一部。窯変して、ノクターンショパンのそれとは趣きを違える。スクリャービンのそれとも異なる。ショパンに倣った同時代のドビュッシーやフランス人作曲家によるノクチュルヌとも様相が違う。「神話」へと繋がるような、不思議の国の夜想曲。それがイタリア由来の舞曲と組み合わされて、「神話」が悲恋的に全うしない調和なら、こちらは毒グモの毒に痺れて自ら流れを寸断する旋律。
フォーレドビュッシーが”回帰”ならこちらはあくまでプログレッシヴ。ン、怪奇?!

しかし、まァ、シマノフスキの楽曲はクセが強い・・・のはともかく、難易度高いのを度外視しても、演奏家の技量に懸かる割合が大きくて、プレイヤーごとにニュアンスが異なるように感じられる。”正調”ってどれになるかは分からないけれど、そこが面白いところでもある。
で、デュオ・ヴァンタパーネの演奏は・・・、まず、そのオールド・ヴァイオリンの声音は、繊細なようで深みのある音色。華奢なようでいて、決して薄っぺらくない、立体的で広がりのある音。(誰とは特定しがたいが)若手のソプラノ歌手を連想するような清しい清涼感のある声音。
対するヴィンテージ・ピアノは、リードするというのとも違う、バックアップするというのとも違う、ふんわりと包み込むような、ちょっとツンデレなヴァイオリンをバックハグするような印象がなんとも優しげ。よく溶け合った二つの音は心地よく響いておりましたよ、ええ。

鳴り止まない拍手に応えてのアンコールは、シマノフスキではなく、ドビュッシー!! 「ヴァイオリン・ソナタ」より。
こちらもたっぷり聴かせて頂きたいところではあるが、それは次回のお楽しみ?
ドビュッシーに、ヴァイオリンとピアノのための楽曲は限られるからなァ。

次回といえば、来月、9月17日(日)の「ワンコイン市民コンサート」もチャレンジングなプログラム。
柴田由貴・ヴァイオリン・リサイタル〈バッハとイザイ〉』のタイトルが示すとおり、全曲が無伴奏ヴァイオリン。ヨハン・ゼバスティアン・バッハの「ソナタ 第1番 ト短調 BWV1001」と「パルティ―タ 第3番 ホ長調 BWV1006」に、ウジェーヌ=オーギュスト・イザイ作曲の「無伴奏ヴァイオリン・ソナタ 作品27」を全曲まるっと、「第1番 ト短調」から「第6番 ホ長調」まで。

秋風の
ヴィオロンの
節ながき啜泣
もの憂き哀しみに
わが魂を
痛ましむ。

・・・となるのかどうか。とにかく、果敢なソロ・リサイタルになる模様?
御用と御急ぎでない方は、是非是非ご覧候へ。

と言いつつ、当日のワタシはまたまたコンサートをダブル・ブッキングで、その翌週も音楽イベントが2つ重なってしまう。何やら、どこやらの狂言師的状況?! お母さん、ヘリコプターをチャーターしておいてください。

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