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祈り:超絶技巧を超えて [音楽のこと]

先月開催予定の公演が中止となって、二ヶ月ぶりの「ワンコイン市民コンサート」。今月は、故郷チェコをはじめ、ドイツ、カナダ、アメリカ、日本、世界各地で活躍中のピアニスト、マルティン・カルリーチェク(Martin Karlíček)さんのリサイタル。

 

チェコ、プラハ音楽アカデミーにて修士課程修了。その後オランダ、ユトレヒト音楽院を経て、カナダ、マギル大学にて修士課程、博士課程を修め、現在は演奏活動の傍らマギル大学にてピアノ講師として後進の指導にあたっておられる由。
チェコの音楽の促進に力を入れているほか、定番の曲から現代曲までピアノ・ソロ、 室内楽ともに幅広いレパートリーを持つカルリーチェクさんが今日の「ワンコイン市民コンサート」のために用意したプログラムは、フランツ・リスト作曲「詩的で宗教的な調べ(Harmonies poétiques et religieuses)S.173/R.14」。

たった一曲?!

フランツ・リスト(独語:Franz Liszt,洪語:Liszt Ferenc, 1811年10月22日 - 1886年07月31日)が二十数年の時間を掛けて1853年に完成させたこの楽曲は、

  1. 祈り(Invocation)
  2. アヴェ・マリア(Ave Maria)
  3. 孤独の中の神の祝福(Bénédiction de Dieu dans la solitude)
  4. 死者の追憶(Pensée des morts)
  5. 主の祈り(Pater Noster)
  6. 眠りから覚めた子供への賛歌(Hymne de l'enfant à son réveil)
  7. 葬送曲 1849年10月(Funérailles)
  8. パレストリーナによるミゼレーレ(Miserere, d'après Palestrina)
  9. アンダンテ・ラクリモーソ(Andante lagrimoso)
  10. 愛の賛歌(Cantique d'amour)

の10曲からなるピアノ曲集で、演奏時間は約85分にも及ぶ大曲。

オーストリア帝国領内ハンガリー王国ショプロン県ドボルヤーンで生を受け、幼少期から音楽の才能を発揮したフランツくんは、ウィーンを経て、学びの場を求めてパリへと至り、そのサロンで多くの作曲家や詩人との交流を得て、フランス・ロマン派の詩人アルフォンス・ド・ラマルティーヌ(Alphonse Marie Louis de Prat de Lamartine 1790年10月21日 - 1869年02月28日)とも親交を深めることになる。仏蘭西近代抒情詩の祖と言われるラマルティーヌが1830年に著したのが「詩的で宗教的な調べ(Harmonies poétiques et religieuses)」。
その詩集に感銘を受けたフランツ・リストがピアノ曲集へと翻案、二十余年を掛けて、度重なる改訂を経て、完成させた。

これが難しい。

美しい調べ(harmony)であることは感じ得る。詩的(poétique)であるというのも読み取れる。が、宗教的(religieuse)な部分に理解が及ばない。なんとなく漠然とそうかなァと感じるに止まる。religieuse(ルリジューズ)というと、フランス菓子を思い出してしまうスイーツ男子なワタシ(てへぺろ)。

一部はよく知られ、単独で演奏されることはあっても、全曲通して耳にする機会が非常に稀な「詩的で宗教的な調べ」。今回の「ワンコイン市民コンサート」、『マルティン・カルリーチェク ピアノリサイタル ~ 祈り:超絶技巧を超えて ~ リスト作曲「詩的で宗教的な調べ」全曲演奏会』でどこまで理解を深めることが出来るのか。
大阪大学豊中キャンパスへと向かうことにしましょう。

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立秋の待兼山はまだ蝉時雨が降り頻る夏の盛り。梢の先の青葉に幾分か風を感じないでもないが、遠慮のない日差しが肌を焦がすよう。坂道を往くだけで汗が噴き出してしまう。

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大阪大学会館
に入り、ホワイエで受付を済ませ、開場後はいつものバルコニー席で開演の時を待つ。まだ席が埋まらない階下に眼をやると、カルリーチェクさんはワンコイン市民コンサート実行委員会代表の萩原先生と談笑中? 余裕綽々? ステージでBösendorfer252が寂しそうに今日のパートナーを待っていますよ。

そうして、徐々に客席も埋まり、開演の時。

静かに淡々と、『祈り(Invocation)』から。
作曲家であると同時に"魔術師"と呼ばれるほどの超絶技巧を誇るピアニストでもあったリスト。演奏会の度に多くの女性を失神させたというヴィルトゥオーゾらしさはこの楽曲では見受けられない。華麗な指の冴えでピアノを歌わせるのではなく、ピアノの向こうにあるラマルティーヌの詩篇、さらにその先にあるスピリチュアルなものへの心からの語りかけ。のちに僧籍に身を置くことになるリストがここで対話するのは、鍵盤楽器でもなく、おそらく聴衆でもなく、彼が信仰の対象とするもの。

それがワタシには視えない。

カルリーチェクさんの演奏は、繊細さと大胆さを併せ持ち、ダイナミックにピアノを歌わせる。とてもドラマティックで、詩的というより劇的でさえある。
先月がお休みで、先々月は旧い鍵盤楽器にステージを譲り、三ヶ月ぶりとなるBösendorferの、その声音は解き放たれたようにホールに広がる。その祈りの音は、重おもしく荘厳・・・というより、時に軽妙にさえ聴こえるのだけれど、粒立つほどに明瞭で、リリカルでロマンティック。神聖なるものへの寡黙な祷り、聖母への嘆美、尊きものへの憧憬、そしてその応え。

リストが奏でた10曲の崇高な調べ。このうちの幾つかは、それ以前に男声合唱曲として作られたもので、幾度となく改訂を重ねたのちに、ピアノ曲にトランスクリプションし、この曲集に組み入れた。
ラマルティーヌの影響だけではないのだろうが、リストは共感したその詩集を何度も読み返すうち、自身の作品から宗教的な楽曲を集めた、いわば(今風に言えば)セルフ・カバー、セルフ・トリビュートな"祈りの詩集"を編もうとしだのだろうか。
男声合唱に頼むのではなく、自らの声で祈りたい。

リストが生きた十九世紀のヨーロッパは、中世から近代に向かう動乱の中。ひとりの英雄は欧州統一を果たせず、流刑の身となり、その後は繰り返される革命や内乱。リストが憧れた音楽の都も芸術の都も疲弊し、混乱の渦中にあって、癒しを求めていたのだろう。
そして、彼自身パリに遊んでも、そのサロンで時代の寵児ともて囃され、美しい人たちと浮名を流しても満たされることはなく、かえって虚ろになる胸の内。一方では田舎者扱いされていたのかもしれない。その母国もハプスブルク朝の下にあるオーストリア帝国からの独立を目指して、革命から独立戦争へと至った。
帰る国もなく、語る母国語も持たないパリのボヘミアンは、安寧を求め、帰るべき故郷は神の御元と定めたのかもしれず。"ピアノの魔術師"とまで言われるほどの超絶技巧の裏で一層虚しくなる心中を満たすのは祈りの言葉。信仰とラマルティーヌの著作が心の拠り所だったのかもしれない。
サロンや演奏会で求められるのはヴィルトゥオーゾなピアニストであるリスト。しかし、それとは裏腹に、彼自身はスピリチュアル・コンポーザーであろうとしたのかもしれない。あるいは、言葉を音楽に変えた祷り手。その集大成が、文字どおりトリビュートな曲集となった「詩的で宗教的な調べ(Harmonies poétiques et religieuses)」。

西洋音楽の歴史の大筋は宗教音楽の歴史。祭事の場から始まって、聖歌になって、複雑な宗教曲へと発展していく。音楽は常に、神とその代理人の傍にあって、ラマルティーヌは祷りの中に調べを聞き、リストは音楽の中に祷りを求めた・・・などとまとめてしまうと、なんとなく安手の小説か映画みたくなってしまう?

信仰心のない、祈る言葉を持たないワタシの理解は及ばない。西洋に生まれて、西洋音楽の中で育って、そこで教育を受けたカルリーチェクさんはどんな心持ちでこの楽曲に接してきたのだろう。そこをお尋ねしたかった。

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というわけで、演奏時間85分の大曲を一気に弾き終えたカルリーチェクさんにインタヴュー。インタヴュアは実行委員会代表の萩原先生。
と、カルリーチェクさんと萩原先生の間に割って入るひとりの女性。英語と英語の対話に、変則的な通訳として、インタヴューのフォローをするのはヴァイオリニストの白石茉奈さんことマルティン・カルリーチェク夫人。お二人はDuo Ventapane(デュオ・ヴァンタパーネ)としても活躍されておられる。
さて、その鼎談の内容はというと、カルリーチェクさんの活動や暮らしぶりについて、そして、リストのエピソードへとつながる。
演奏会で聴衆を失神させたと言われるリスト。実は、その女性たちは仕組まれた、いわゆる"サクラ"で、間を外して卒倒し忘れた時には仕方なしにリスト自身が失神していた・・・と暴露しちゃうが・・・。
そんな逸話を聞かされると、神がかったリストの神性が崩れちゃうじゃん。そんな話しを聞いちゃうと、男声合唱隊を率いての宗教曲演奏会は大変だから、コンサート用にピアノ・ソロに改めてみた・・・のかなと、見方が穿ってしまう。

間違いなく敬虔な祈りの音楽だった・・・はず。

アンコールはヤナーチェク。癒しの音楽にココロ安らいで、久し振りのBösendorferも堪能し、満足の終演。

マルティン・カルリーチェクさんは、近く「詩的で宗教的な調べ(Harmonies poétiques et religieuses)」を全曲レコーディング、程なく発売されるのだとか。いずれじっくり聴き直してみたい。Duo Ventapane(デュオ・ヴァンタパーネ)の息の合ったところも聴いてみたいし、楽しみが増えました。

来月の「ワンコイン市民コンサート」は『藤村匡人・宮崎貴子 デュオリサイタル「ことたまの音」ドイツ歌曲の魅力』と題された、バリトンとピアノの共演で09月11日(日)、14:30開場、15:00開演。
う〜ン、楽しみなんだけど、「大阪クラシック 第1日」と同じお日にち。『第1公演』直後に、大阪市中央公会堂から大阪大学会館までワープします。

 


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コメント 2

オギハラサトシ

マルティンの弾くリストは、歌が基本にあるのだと思いました。彼のレガートは美味しいフランス菓子のようにとろけそうでした。あの日のBoesendorferは特別な音が響いていましたね〜。ピアノの場所も工夫しました。弱音がホールの隅々まで届いたそうです。もう一つ発見。リストが素晴らしいメロディーメーカーだということ。おぼろには感じてきたことですが、彼から超絶技巧を奪ってしまうと、なんと溢れ出すメロディーの美しさ!
by オギハラサトシ (2016-08-24 11:18) 

JUN1026

オギワラ先生、コメントありがとうございます。
仰る通り、マルティンさんのピアノはたっぷりの歌心、それも優しげで詩情豊か、それも淡々と歌うのではなく、ドラマティックでさえありました。ブレス(bleath)さえ聞こえそうなほどリアルな歌で、ブレス(bless)を感じさせるほどに神々しくて・・・。

ある種シンプルで、無駄な音を省いたメロディが美しいからこそ、超絶技巧的な装飾音が活きてくるのだと感じます。枝葉末節が大層に繁茂しても、根幹がしっかりしていないと、倒れてしまいます。芯になる旋律がきっちりと素晴らしいからこそ、即興的な装飾音を多分に加味しても過剰に響いたり、グズグズに崩れてしまったりしないのでしょうね。
リストは作曲家である以上に演奏家だったのだとも感じます。即興的な部分が多くて、後々改訂を加えることになったのではないのでしょうか。
この楽曲でさえ、もしかしたら彼自身が演奏する際は、時にはオブリガートやフィルイン、アドリブが加えられて、案外超絶技巧的な演奏を披露していたかもしれません。
そんな考察はともかく、あの日のマルティンさんとBösendorferは本当に素晴らしかった。デュオ・ヴァンタパーネとしての再演も今から楽しみです。
by JUN1026 (2016-08-24 22:41) 

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