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喪われた風景 ~ 高橋悠治+青柳いづみこ デュオ・コンサート [音楽のこと]

本日の「ワンコイン市民コンサート」は『四周年特別企画』。大阪大学会館のステージに4度目の登場となる青柳いづみこ先生が、今回は高橋悠治さんをパートナーとして、ピアノ・デュオ・コンサートをプロデュース。
方や、ピアニストにして、音楽博士で大阪音楽大学教授。方や、作曲家、ピアニスト。お二方とも多くの著作を著しておられる文筆家でもあって、羨ましいほど、多彩なタレントをお持ちになっていらっしゃる。
それに加えて・・・。

 

お二方での演奏は、仲良く肩を並べての連弾だけにとどまらず、大阪大学会館常設の1920年製Bösendorfer Model252に加えて、もう一台、Bösendorfer Model225を用意してのピアノ・デュオもあって、"ウィーンの至宝"2台によるピアノ・スペクタキュラーの様相。四周年特別企画らしく超贅沢な、これで"ワンコイン"とは超バーゲンなプログラム。

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ドビュッシー研究家でもある青柳いづみこ先生は「ワンコイン市民コンサートシリーズ第1回」から、これで4度目のご出演。過去3回はドビュッシーをテーマの中心とした公演であったが、今回は彼の作品を含むとはいえ、サティラヴェル高橋悠治の作品も交えたラインナップで、テーマは『喪われた風景』。

音楽会や講演会に赴く際に、事前の予習を(判る範囲)怠らない・・・つもりでいるワタシ。タイトルやプログラムから、それが意図するところを予め下読みしておく。それが独断、一人決めになってしまうこともなくはないけれど、前もって受け皿を用意しておく方が理解が速いような気がするし、ある程度心得ておいてパフォーマンスを受け止めるのがオーディエンスのマナーだと考える。お作法と言ってもいい。演奏曲のスコアを全部暗譜するとまでは言わないけれど、それがパフォーマーに対する礼儀だと思う。こちらから発信することはなくても、理解度を多少なりとも高めて、いいものはいい、悪いものは悪いと言えるだけの基準点を持って公演に臨むのがモラルなんじゃないかと考える。ワタシにとって音楽は全ての学問への窓口。音楽以上のものを得たくて、音楽会へ赴く。ただ聴くだけなら、会場に足を運ぶ意味はない。

で、『喪われた風景』について考えてみる。

フライヤーに記された仏語訳では、Les cités perdues・・・?? cités? paysageじゃないのン?! 英訳して"Lost Landscapes"? 漠然とした風景でなく、限定的でシンボリックなものを意味するのかしらン? ということは・・・。

フランス近代で"喪われた(失われた) ~ perdu"となると、マルセル・プルースト(Valentin Louis Georges Eugène Marcel Proust 1871年7月10日 - 1922年11月18日)が1913年から1927年までの長ァ〜い時間を費やして著した『失われた時を求めて(À la recherche du temps perdu)』を想起しないわけにはいかない。20世紀を代表する、7巻構成、総計3,000ページにも及ぶ、長い永い長ァ〜〜〜い、超長編小説。
プルーストは他の文学や芸術にも通暁し、音楽にも造詣があったとかで、フォーレと親しく交わり、ドビュッシーにも賛辞を送っていたそうなので、まんざら関わりがないわけでもない。時代的にも一致する。とはいえ、これが今回のテーマだとしたら、ちょっと手強い? 読み解くのに時間を要してしまう?!

"時(temps)"ではなく、"cités(風景)"。プルーストとは関わりがないのかしらン? 演奏曲目から謎にアプローチ。

エリック・サティ梨の形をした3つの小品』(連弾)
高橋悠治花簂』(ソロ)
モーリス・ラヴェルマ・メール・ロア』(語りつき・連弾)
モーリス・ラヴェル音で聴く風景」より『ハバネラ』、『鐘のなる中で』(2台4手)
クロード・ドビュッシーリンダラハ』、『白と黒で』(どちらも2台4手)

テーマの意味するところ、『喪われた風景』がうっすら見えてきた?!
ざっくりと予習を終えて、大阪大学豊中キャンパス内大阪大学会館に向かう。

四周年特別企画」で高橋悠治さんと青柳いづみこ先生のコンサートとあって、事前予約だけで満員札止めとなったそうで、開場時間が早まるとメールを頂戴して、いつも開場時間の30分前に会場入りするワタシが大阪大学会館に着いたのが13:45。が、すでに20名近くの行列がホワイエ前から階段に連なっていた!!
14:15に開場となって、受付を済ませて、いつものバルコニーA-32に着いて、頂いたパンフレットを開いてみると・・・。

"音は過ぎ去るもの。音楽は記憶のなかに響きの余胤からかたちづくられる風景。
『マ・メール・ロア』はこどもたちが弾くために書かれた。おとなたちが失って、二度と見つけ出せない魔法の道。
『耳で聴く風景』は記憶のなかのスペイン、妖しい鐘の乱打。
『リンダラハ』はラヴェルの『ハバネラ』を聞いてドビュッシーが想像したグラナダのアルハンブラ宮殿のバルコニー。作曲者の死後発表された。その頃サティは図書館で中世音楽を研究し、夜はカフェでピアノを弾いていた。
第1次世界大戦のなかで、かれらのヨーロッパは滅びていった。『白と黒で』はその時代に生まれた音楽。
花簂』は三味線奏者・高田和子を追悼するために、彼女のために書いた曲の断片から作られた。原曲の大半も死者を悼む音楽。(高橋悠治)"

と記されている。記憶の中の残響が音楽という時間芸術の風景を創生する・・・?! 戦火に因って一変したヨーロッパの風景、大きな争いの影響で激変した音楽環境。ひとつの時代が焼け落ちて、新しい時代が起こりつつある時節の風景。

Cites ~ 風景と括ってはいるけれど、やはり漠然とした景色ではなく、象徴的な特定の時空。"環境"としてもいいのかもしれない。『喪われた風景』は、言い換えれば、『偲ばれる面影』・・・でしょうか。フランス音楽的に表現すると、ワタシが過去2回にわたって記事にした『Tombeau』・・・か?
Ma Mère l'Oye』は、『Tombeau de enfance(幼少期を偲んで)』。
Les sites auriculaires』と『Lindarajaは、『Tombeau de capital ancien(古都を称えて)』。
En blanc et noir』の第2曲は世界大戦で戦死された陸軍軍人に献呈されているから、そのまま『Tombeau de Jacques Charlot(ジャック・シャルローを称える)』。
花簂 は、高橋さんがこの楽曲を提供した三味線奏者である、『高田和子を偲んで(Tombeau de Kazuko Takada)』。
プログラム全曲が、追憶の向こうの面影を偲んでいるような・・・。ん?! じゃあ、「梨の形」は?

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と考えている間、ステージでは、リハーサルを終えた2台のピアノの移設が行われ、本番に向けての準備が進行する。わずかに長さの異なるBösendorfer。一方は会館常設の1920年製Model252。では、もう一方は・・・?!
ステージ奥のスクリーンに投影された紹介文によると、それは1978年製Model225で、252と同じ92鍵を備えるとのこと。ちょっと古いModel252の方が、婉麗な脚線美を見せつける。
標準的な88キーのピアノより鍵盤が4つ追加された2台のBösendorferBlüthnerが高音域の音色をより煌びやかにするために「アリコートシステム(Aliquot System)」と呼ばれる共鳴弦を追加したように(→記事参照)、より深い響きを与えるために最低音域に付け足された4つのキーと4本の弦。それがどんな効果を生むのか、この2台がどう響き合うのか。
Model225がステージ奥に隠されて、前半は聴き馴染んだModel252による連弾となる様子。

15:00、開演時刻。いづみこ先生と高橋さんが万雷の拍手で迎えられ、二人が252の前に並ぶ。プリモがいづみこ先生で、セコンドが高橋さん。

最初の曲は、エリック・サティ(Erik Satie)の「梨の形をした3つの小品(3 Morceaux en forme de poire)」。タイトルでは「3つの小品」と言いながら、実際は"7つの小品"で、その構成は、
開始のひとつのやり方(Maniere de commencement)』
その延長(Prolongation dumeme)』
小品Ⅰ(Morceau Ⅰ)』
小品Ⅱ(Morceau Ⅱ)』
小品Ⅲ(Morceau Ⅲ)』
おまけにもうひとつ(En plus)』
言い直し(Redite)』
となっている。
ドビュッシーから作曲法についての忠告を受けて、皮肉屋さんからの進言にかなりの皮肉を含めて書いた返礼?
フランスで"梨"となったら、"ラ・フランス(正しくは、La poireね)"を思い出しちゃったりするのだけれど、良い意味では"ヴィーナス体形"で、悪い意味では"下膨れ"を表し、別の意味では"アホ"、"うすのろ"になるのだとか(多分、"頭でっかち"の逆の意味ね)。忠告を受けても、それに応えられない自らに対する揶揄・・・なワケはない。
ドビュッシーからのアドバイスを受け入れて、サティなりの「Tombeau de musique classique(古典音楽を称えて)」なのでしょうか。それとも、古い様式に拘らず、過去の形式に囚われず、「古典音楽の墓」を意図したのか?
サティの場合、ドビュッシーが考えるよりもっと古い時代に範を求めて、それで記譜法まで変則的になって、彼独自のレトリックを作り出したんじゃあないかしらン? ドビュッシーに対して、そんなことも解らないの・・・と仰りたい?

プログラム構成が、事前の案内と少し変わって、2曲目にモーリス・ラヴェル(Joseph-Maurice Ravel)「マ・メール・ロア(Ma Mère l'Oye)」。 "マ・メール・ロア"とは、"鵞鳥婆さん"のことで、英語にすると「Mother Goose(マザー・グース)」。英米の童謡集として知られるが、Ma Mère l'Oye、それより先にフランスの童話作家シャルル・ペローの作品の中に見ることが出来る。
ピアノ連弾組曲「Ma Mère l'Oye」は、子供好きながら独身であったラヴェルが友人の二人の子供のために書いた作品。ペローや古いおとぎ話を読み聞かせる代わりにピアノ曲にしてプレゼント。なんとも微笑ましい逸話ではあるが、その楽曲は子供たちの手に余り、初演は大人が担った。それが受けたのか、その芸術性の高さから、すぐに管弦楽版やバレエ音楽に発展。その内訳は、
第1曲 眠れる森の美女のパヴァーヌ(Pavane de la belle au bois dormant)』
第2曲 親指小僧(Petit Poucet)』
第3曲 パゴダの女王レドロネット(Laideronette, impératrice des pagodes)』
第4曲 美女と野獣の対話(Les entretiens de la belle et de la bête)』
第5曲 妖精の園(Le jardin féerique)』
の5曲からなる。「スリーピング・ビューティ」に「ビューティ&ビースト」、なにやらディズニー的? でも、結末はディズニー・アニメーションと違って、アーティスティックだけど、ずっと残酷。
それぞれ何がしかのおとぎ話からの引用となるフレーズが付くが、その和訳版をいづみこ先生のナレーションで。

3曲目は高橋悠治さんのソロ演奏で、彼の自作曲「花簂 Ⅱ」。オリジナルは三味線奏者、高田和子さんのために作られたが、彼女は演奏することなく亡くなってしまい、ピアノ独奏版に改めたものが今日演奏される。これも組曲で、
1 カケリ
2 夕顔
3 三絃
4 水
5 顧み
6 影媛
という構成。
花筺(はなかたみ)」、なんとも美しい語感のそれは、フラワーバスケットだけではなく、別れの贈り物、追悼曲をも意味するのだとか。儚くなってしまったものたちのための音楽。静謐でありながら、何か脈動する強い"意志"を感じさせる。

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休憩を挟んだ後半は、2台のBösendorferModel252Model225の共演。
高橋さんがステージ手前の225いづみこ先生が252で演奏されたのが、ラヴェル耳で聴く風景(Les sites auriculaires)」。
ラヴェルが母から聞かされた、その血脈の歴史と、かつてイスラム・スペインに在った古えの都の印象。筆舌では語り尽くせいないそれら印象風景を音に変えて、ハイチ発キューバ経由でスペインに齎されたリズムに乗せて、あるいはアンダルシア・グラナダに響いた鐘の声を模して。ノスタルジックで、ファンタジック。かつて観た風景ではなく、(ラヴェルが思い描く)幻想風景。

少し製作年代の異なる2台のBösendorferは見た目以上に、その声音は異なる。耳に馴染んだ252はまろみの中にきっちり響く芯がある、角が取れた、包み込むような優しさが顕れているように感じられるのに対して、225は、新しい・・・というより、若々しい印象。やんちゃとまでは言わないが、溌剌さと煌びやかさが感じられる。
252が壮年期の熟んだダンディズムなら、225は思春期のまっすぐなブリリアンス。252が柔軟なら、225は強硬。それが年式の違いなのか、弦長の差なのか、それとも、設置した位置によるものか。音楽専用ホールでない大阪大学会館では、ピアノの位置が少し変わるだけで、バルコニー席に届く音のフィーリングは随分と変わる。今回は、225がステージの手前、252がその奥側であるためか、225の方がよく響いて、音の硬度差がより如実に感じられるような。225は大屋根(上蓋)を取っ払っちゃってたからか?

いづみこ先生と高橋さんがポジションを入れ替えて、ドビュッシーの「リンダラハ(Lindaraja)」と「白と黒で(En blanc et noir)」を続けて。
自らピアニストを目指していたドビュッシーはピアノ独奏曲こそ多く残したが、ピアノ・デュオはこの2曲のみ。ピアノを2台用意しないといけないから、演奏される機会が少ないのが残念。今日は「四周年記念」だからこそ?
リンダラハ」、ドビュッシーがハバネラのリズムに乗せて、2台のピアノに歌わせる異国の姉妹の物語り。
かつてジョルジュ・ビゼーが「カルメン」の中で引用し、カミーユ・サンサーンスがヴァイオリンに歌わせた、多国籍的で多民族的な舞曲。それは元を辿れば、英国やフランスにルーツを見ることが出来るが、それがハイチに流れ、キューバに飛び火し、スペインに齎されて、そこでブームとなって、スペイン舞曲として定着。巡り巡って、フランス人作曲家もそれに魅了されて、オペラのヒロインが歌うアリアになり、メランコリックなヴァイオリン曲になり、郷愁的で幻想的なピアノ二重奏曲になり、ドビュッシーの「リンダラハ」はラヴェルからパクったラヴェルの「ハバネラ」に触発されて書かれたとかなんとか。異国情緒を感じさせながらも、どこか懐かしいそのリズムが大流行とあっては、ドビュッシーも無視出来なかった・・・に違いない。ラヴェルが帰伏してしまったイスラム宮殿に思いは馳せているのなら、ドビュッシーはそこに遊んだ姉妹の面影を夢想して。
白と黒で」は、ドビュシーにしては感情の起伏が如実に表れているようで、表情が、曲調が目紛しく変わる。身体を蝕む病と、接近してくる戦火への恐れ、哀願と忌避・・・"光と影"のカプリース。

アンコールはModel225での連弾で、モーリス・ラヴェル亡き王女のためのパヴァーヌ(Pavane pour une infante défunte)」と、エリック・サティパラード(Parade)」より『郵便船のラグタイム(Rag-time du paquebot)』。キレのある225の声音と相まって、幼い王女の踊る姿が目に浮かぶような愛らしさのパヴァーヌとちょっとジャジーで踊り出したくなるようなラグタイム

ワタシが好むフランス近代音楽を中心としたプログラムに、独創的で忘れがたい「花筺」。2台のBösendorferによるデュオは四周年特別企画」という以上に耳の贅沢をさせて頂いた。
思い返せば、昨年の「三周年特別企画」の折りに、"公認"広報に任じられて、ワタシにとっては"一周年記念"?! また忘れがたいコンサートのメモリーが追加されたという思い。Je vous dis encore mersi.

で、来月の「ワンコイン市民コンサート」は、『武久源造「ピアノの発見」第二章 「父と息子の対決=バッハ家の場合:あなたの中に、父は生きているか?」』。
昨年8月30日に催された『武久源造「ピアノの発見」第一章』の続章で、大バッハの家庭事情に迫るコンサート?
音楽の父」ことヨハン・ゼバスティアン・バッハは、生涯に2度結婚し、総勢20名の子を為した、まさに"ビッグ・ダディー"な大バッハ。その半数は夭逝してしまったが、成人した子供達の中で4人は父を継いで作曲家となった。偉大な"父"とその息子達、その作品を聴き比べ、その対比の中にどれだけ父の影響が見らえるか・・・を探るのが「第二章」のテーマ。
"父と息子の対決"、大バッハとその息子達の作品を、当時の鍵盤楽器で再現するプログラムは、

ヨハン・ゼバスティアン・バッハ
イタリア風協奏曲 ヘ長調
半音階的幻想曲とフーガ ニ短調
インヴェンションとシンフォニア」より

ヴィルヘルム・フリーデマン・バッハ
2台の鍵盤楽器のためのソナタ ヘ長調
独奏鍵盤楽器のための12のポロネーズ」より

カール・フィリップ・エマヌエル・バッハ
2台の鍵盤楽器のためのデュオ

他、父と長男と次男の作品が並ぶ。で、前回同様、ステージには2007年に制作された1747年式ゴットフリート・ジルバーマンや1993年制作の1728年式フィリップ・タイアー・クリスティアン・ツェルなどの、レプリカではあるけれど、大バッハ時代のフォルテピアノやジャーマン・チェンバロが登場し、再現力を高める。
さらに今回は、「2台の・・・」とあるように、宮崎貴子さんが賛助出演し、今月の「四周年記念特別公演」に劣ることのない、華やかで豪華なコンサートになりそうな・・・。
そして、これも前回同様、翌日には「武久源蔵マスタークラス」が開催予定。今回は『ピアノで歌う技術』をレクチャー。贅沢にも4台の鍵盤楽器が舞台に並んで、それらをいかに歌わせるかという講習会。すでに受講は定員に達して受付を終了しているが、聴講は可能で、9時から17時の講義中に出入り自由で聴講料は¥2,000。付随レクチャー『音楽修辞学実践』も興味深げ。御用とお急ぎのない方は是非是非是非どうぞ。

武久源造「ピアノの発見」第二章』が6月18日(土)、14:30開場、15:00開演。
武久源蔵マスタークラス」が6月19日(日)、09:00〜17:00

それでは、来月も、大阪大学会館でお逢いしましょ。


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