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オープン台地、ここはドコ? [散歩・散走]

先日、2月4日(土)に開催された「上町台地サイクリングマップでめぐるオープン台地自転車ツアー」。上町ヒルズの魅力を再発見しようと企画された「上町台地のまちびらき ~ オープン台地 in OSAKA vol.2 」の一環で、自転車で上町台地を巡るのだが、途中途中に「オープン台地」の他番組のために特別公開されている名所旧跡を尋ねて廻った(→記事参照)。
その中に高津宮の境内、高津のとみ亭で開かれた「上町台地タイムトリップ ~ 古写真でめぐる上町台地の過去・現在」というプログラムがあった。
関西大学都市遺産研究センターに集められた、昭和初期から戦後にかけて撮影された風景写真が展示されていて、その写真のコピーと簡単な地図を手に撮影地を尋ねて歩こうという企画であった。当日ワタシたち自転車組はツアーのコースから外れる場所もあることから写真と地図を頂いただけに留まっていた。
くじ引きによってそれぞれ3~4枚の写真と1枚の地図を頂くのだが、ワタシが頂いたのはこちら。

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目印となるような高層建築が映っていないが手がかりとなる被写体が無くはない。

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まずは1枚目。
坂の途中にある神社であると思われるが、ヒントは画面右、"結婚式場 入江会館」という立看板。
待て、ヒルズに"入江"なんて地区はない。そんな名称の社寺もない・・・はず。
もしや"入江"ではなく"大江"か? ならば答えは簡単、愛染坂にある「大江神社」ですな。最近よく伺うところで阪神タイガース(・ファン)御用達(?)で狛虎さんが置かれた神社。

2012020503.jpg

2枚目も簡単。"閻魔堂建設地"という立看板が目印。大阪、上町ヒルズ~寺町界隈で"閻魔堂"といえば「合邦辻閻魔堂」。
かつての「逢坂」、現在の国道25号線から撮影されたと思われる"閻魔堂"。もとは聖徳太子開基と伝えられるが当時の大伽藍は度重なる兵火によってすでになく辻堂となり、明治の中頃に道路拡張のため今の融通念仏宗西方寺の境内に移されたとのこと。ちなみに、"合邦"は"合法"と書き、聖徳太子と物部守屋が仏法について論じ合ったところだったとか。天王寺の学校院があった古蹟で"学校辻"とも記された、何れにしろ昔から開けたところではあったよう。
この写真は、おそらく空襲で焼失したあと再建する前の状態だと思われる。祀られている閻魔さんもその際に大念仏寺から譲り受けたものであるらしい。
浄瑠璃の演目「摂州合法辻」の舞台で、病いから視力と失った俊徳丸がこの地で回復したとかで、今も病気平癒の参詣者があとを断たないらしい。

2012020504.jpg

3枚目は難しいぞ!!  目印となる建造物もなく他の2枚のような立看板の類いもない。寺町ゆえに墓地はあちこちにある。手掛かりは奥に見える細い参道とそれに続く石段。
頂いた地図に記されたポイントは3ヶ所。すでに2つは目星がついて、残るはひとつ、「高津宮」前の星印。となると写真に写る参道と石段は「高津宮」の表参道の風景。

2012020502.jpg

Googleマップでそれぞれの位置を確認する。写真を頂いた翌日、日曜日にでも確認に出掛けたかったがインフルエンザ少年に捕まっていてそれが叶わず、答え合わせは今週末。さてどうなりますやら。

あッ、今週末だと地図に示された場所を見に行くことは出来ても、「オープン台地」は2月3〜5日の限定企画。答え合わせはして頂けないのか?
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コメント 2

yosshu0715

写真見ていても・・・全く分からない・・・。
目星がつくだけでもすごいです・・・!!(笑)
by yosshu0715 (2012-02-07 08:25) 

JUN1026

yosshu0715さん、コメントありがとうございます。
眼を閉じれば浮かんで来る幼少期の記憶・・・ってワシャあ幾つやねん!!
瞼の裏に蘇る前世の記憶・・・ってウソです。
街ポタするのに古地図や旧い資料を参考にさせて頂いているおかげです。
大阪は飛鳥時代の遺跡やら太閤さんの頃の遺構やらあるし、兵火や空襲で様変わりを繰り返し、歴史の断片がそこかしこに散乱しているで、それを探して徘徊するのが面白いです。
by JUN1026 (2012-02-07 12:19) 

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