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「刀剣男子」と「響縁」 [散歩・散走]

今日も京都散策。ですが、BD-1Rは伴っておらず・・・。


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今日は午後から京都幼稚園文中ホールで音楽イベントがあって、ワタシが月に一度通わせて頂いているジャワ・ガムランのワークショップ「日曜ガムラン」でご指導下さるガムラン・グループ「 Dharma Budaya(ダルマ・ブダヤ)」がそれにご出演されるとのことで、メンバーさんから観に来てくださいとお誘い頂いた。
京都を訪ねるに吝かではないが、16:30開場、17:00開演で、1時間程度のプログラムだけでは些か物足りない。どうせなら、朝から出掛けて京都市内をポタリングしようかと。

実は昨日に「京都輪行ポタリング」を予定していたのだけれど、別の小用で大阪市内へ出向いてしまった。京都ついでに二つを組み合わせれば話しは早いが、ホールでのイベント中に自転車を放置プレイするのもどうかと思い、思案の末に折衷案は、電車で京都まで行き、レンタサイクルで散策して、それを返却後、京都女子大に移動というパターン。

朝からの散策も、暑い日中にも掛かるし、ただ宛てもなく走る訳にもいかない。で、今回のミッションは「京都刀剣御朱印めぐり」。
先月15日より開始されているイベントで、京都市内に在る日本刀所縁の四神社、藤森神社粟田神社建勲神社豊国神社で、縁の刀剣名が記された御朱印帳に特別奉製した御朱印を押印して巡るというもの。何やら、スタンプラリー的・・・というと身も蓋もない?!

PC版プラウザゲームから端を発してメディアミックスに盛り上がる「刀剣乱舞」のヒットから、何やら「刀剣女子」と呼ばれる女性が増殖中。
動植物が擬人化するだけでは飽き足らず、戦闘機や軍用艦、城郭、武将が美少女化、楽器まではヒトのカタチを採るようになって、何故か刀剣はいわゆるイケメンに擬態し、それが若い女子衆を中心に受けているのだという。

一方で御朱印収集も一大ブーム。オシャレでカワイイ御朱印帳までヴァリエーション豊かに販売されるに至って、ナニが有り難いのか判断出来ないような状況。

で、その二つがミックスされたのだから当たらない訳がない。

ほぼほぼド平坦な京都市内で4社、直線的に繋げば僅かに20kmほど。バスや地下鉄を乗り継ぐのも面倒で、クルマだと都度駐車場を探すのが手間。と言って、炎天下をお拾いでという訳にもいかない。こういう場合の機動力は自転車が一番。距離もポタリングに最適な頃合いで、なんなら何より早く巡ることが出来るかもしれない。というわけで、「京都輪行ポタリングシリーズ・刀剣男子編」と相成ったのだが、上述のようにコンサートとダブルブッキングしちゃったので、自前の自転車を持ち込むのも憚る。で、レンタサイクル作戦にしたのだが、結果的には、コンサート中、BD-1Rを折り畳んで、園庭の隅なり、廊下の端っこにでも駐輪させてもらってもよかったかもしれない。

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というのも、JR京都駅近くのレンタサイクルで自転車をレンタルしたのだが、これが少々扱いづらい・・・というか走り辛い。
何車種か用意されているうち、一番軽いのをとリクエストしたら、どれも軽いという回答。どれも変速機がついているのでスイスイ走れますとの応え。車重やギアレシオのことではなく、走行フィーリングが問題なのだが・・・。
京都市内にMTBは大層、小径車はサイズ的に窮屈そうで、26インチ(?)のママチャリ的な車種の、内装3段と内装8段、2種在るうちのハイクラスだという8段仕様をチョイス。
問題は乗車ポジション。サドルがどこまで上げられるかしらン?!
以前レンタルした車種では、ワタシの細長ァァァい御御足に合わせてサドル・ポストを引っ張り上げたらスッポリ抜けてエライことになった。この車種はどうやら大丈夫。横では外国人の団体さんが同じようにサドル調整で四苦八苦してはるし・・・。
が、走り出してみると、ハンドルが低くて、それはいいのだが、近すぎて前傾姿勢にもならず、なんとも中途半端。ハンドルが近くて、おまけにバーエンドが手前に湾曲しているので、どうかするとワタシの細長~~~~~~~~~い御御足の膝っこぞうに当たってしまいそう。なんだか、子供用自転車に無理やり乗っているような有様。なんかカッコ悪くないか? ダイジョウブ?
普段乗り慣れたBD-1Rとはかなり勝手が違う。タイア幅が広く、路面抵抗が大きい。ダイナモが組み込まれたフロント・ハブも重ければ、8速のディレイラを内蔵するリア・ハブもなんとなくジャリジャリした感触。フィーリング的にかなり重い!! これでは飛ばせない!!!!
が、MTBも同じ内装8段で、やや前傾姿勢をとれるというだけのナンチャッテ仕様だし、走り出したら戻れない。まァ、時間はたっぷりあるし、のんびり行きましょう。

最初の目的地は豊国神社
本来なら、一番北になる建勲神社か、一番南に当たる藤森神社をスタート地点にして、直線的に巡るのが効率的なのだが、両社とも肝心の御朱印帳がソールドアウトしているという。
今回のイベントに用意された御朱印帳は全部で10,000冊。それが一ヶ月半で残数僅か。建勲神社でも藤森神社でも底をつき、粟田神社も残り少ないらしい。他の御朱印帳ではダメなのだとか。

JR京都駅近くのレンタサイクル店を走り出した頃には、すでに殺人的な日差しが照りつけて、気温もかなり高くなっている。クルマの波に乗れるほどの速度を出せないので、なるべく信号のない、ヒトもクルマも少ない路を選んで、東山方面、粟田口を目指す。そこはそれ、京都市内は「オレの別邸」で、「オレの庭」となる大阪市内ほどではないが、勝手知ったるなんとか。(自称)京都ポタリングの達人は、自前のバイクでなくても余裕綽々。死ぬほど重たいけどな。

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息を切らして、豊国神社前に到着。
神号「豊国大明神」こと豊臣秀吉を祀る神社は、豊臣家滅亡とともに徳川家の命により廃絶となったが、明治天皇の勅命によって再興されて、今に至る。「大坂夏の陣」で豊臣氏が滅亡して以来250年も放置されて、草木の繁るままに荒廃していたのを、明治天皇が「天下を統一しながら幕府を開かなかったのは尊皇の功臣である」と讃えたことで完全復興。伏見城から移築された唐門国宝にも指定されて、かつての権勢を垣間見せる佇まい。左甚五郎作の「目無し鶴」や「鯉の滝登り」など観るべきものも多いが、暑くてそんな余裕もない。
とりあえずは参拝。それから、社務所で「京都刀剣御朱印めぐり」用の御朱印帳を頂戴する。すでに押印されているとのこと。

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表紙

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裏表紙

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カバー
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見開き
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豊国神社
にゆかりの刀剣は「骨喰藤四郎(ほねばみとうしろう)」。鎌倉時代中期の刀鍛冶、”藤四郎”こと粟田口吉光の作となる脇差。元は薙刀であったものを擦り上げて太刀へと直したという。「戯れに切る真似致すにも先の者の骨を砕き死する」と言われるほどの切れ味で、構えただけで相手の骨を砕いてしまう妖剣。
豊後国大友家に伝わる家宝であったものが足利尊氏に献上され、その後大友家に戻るが、九州平定を果たした秀吉に望まれて献上。大坂夏の陣に際し、堀中から無傷で回収されたのち、徳川家の所有となる。明治期になって豊国神社が再興されるに当たって奉納された。
刀剣類は戦国武将や大名にとってはある種ステータスで、コレクターズ・アイテム。この「骨喰」も多くの武将の手を渡った名物。

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御朱印帳を頂戴すると、オマケ・・・記念品が付いてくる。刀剣を想わせるメタリック・シルバーの袋とじ。中身は何かと言うと、透し彫りされた金属製のクリップ。4種類あるというから、各神社でひとつずつ頂けるのかと思ったら、さにあらず。御朱印帳のおまけで、どの神社で買い求めても、何が付いてくるかは分からないシークレット仕様。「春」、「夏」、「秋」、「冬」、京都の四季をイメージする4パターンで、それぞれ「梅にうぐいす」、「桐花に揚羽蝶」、「尾花と紅葉に有明の月」、「寒椿に鶴」、花鳥風月をあしらったデザインとなっている。4社を巡って、御朱印帳を4冊買ったところでコンプリート出来るかどうかは分かりません。
ワタシが頂戴したのは「春・梅にうぐいす」。ホーホケキョ!!

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暑さが半端ないので、バテる前に先を急ぎましょう。
次に向かったのは最北の建勲神社豊国神社から約8㎞で、しかもじんわりと上り勾配。BD-1Rならほんのひと息でも、今日は借り物のママチャリ、そうもいかない。加えて、それを鳥居横に駐輪してから、船岡山の中腹まで長い石段を登らないといけないわけで・・・。
建勲神社・・・、一般には”けんくんさん”、けんくん神社として親しまれているが、正しくは”たけいさお神社”で、以前は健織田社(たけしおりたのやしろ)を名乗り、神号「建勲(たけいさお)」こと織田信長公を主祭神とする。が、創建は1869(明治2)年、「日本が外国に侵略されなかったのは、天下統一を目指して日本を一つにまとめた信長のおかげ」とした、明治天皇の命による。

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建勲神社
ゆかりの刀剣は「薬研藤四郎(やげんとうしろう)」と「宗三左文字(そうざさもんじ)」の二振り。
薬研」はその名の通り、”藤四郎”こと粟田口吉光の作。吉光は短刀をよくしたとのことで、こちらも脇差。「骨喰」が骨を砕くなら、こちらは石で出来た”薬研”を貫通するほどの切れ味を誇る。1493(明応2)年、明応の政変に際して、敵軍に包囲され追い詰められた、室町幕府管領、畠山政長が自害しようとこの短刀を用いたが、何故か腹に刺さらず、政長が怒りに任せてこれを投げ捨てると、傍にあった薬研に当たり、それを貫いたという。「切れ味が鋭くとも主人の腹を切らない忠義の刀」との逸話を残す。その後将軍、足利義輝の所有になり、松永久秀に奪われ、織田信長に献上。信長本能寺の変で落命するまでこれをそば近くに置いていたとされる。変事に際して焼失したとも伝わり、あるいは秀吉徳川家に伝えられたとも言われるが、現在は所在不明。
もうひと振り、「宗三左文字」は左衛門尉安吉(左文字源慶)作と伝えられる太刀で、三好政長(宗三)から武田信虎に贈られ、その娘婿となった今川義元へと渡り、桶狭間の戦い義元は討ち死にし、戦利品として信長の手に落ちる。元は二尺六寸あったが、短く擦り上げられて、「織田尾張信長」、「永禄三年五月十九日義元討補刻彼所持持刀」の金象嵌銘が入り、以後、信長の愛刀となるが、本能寺の変を経て、豊臣家徳川家と渡り、建勲神社創建に当たって徳川家から奉納された。別名を「三好左文字」、「義元左文字」。

その建勲神社船岡山の麓まではママチャリでも来られるが、最初の鳥居近くに駐輪してからお社のある山頂まで長い石段を登らないといけない。炎天下なら、ちょっとした・・・いや、かなりの苦行。重いママチャリもキツイが、長い石段はもっとキツイ!! 参拝し、御朱印を頂くまで、汗は噴き出すやら、息は上がるやら、我ながら、ご苦労なことで・・・。標高111.7メートルでは風が通るというほどでもなく、かつてはそこにあったという船岡山城の面影も希薄。平安期には鳥葬などが行われていた葬送地。今日は日干しに枯死しそう。早々に退散しようっと。

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ぶっ倒れてしまう前に走り切ってしまおうと、三社目の粟田神社へ折り返す。
こちらの創建は清和天皇の御代、876(貞観18)年。兵災や疫病が多く続いた都を憂い、国家と民の安全を願って、現在の八坂神社感神院祇園社で執り行われた祈願会。七日七晩祈り続けた、その満願の夜に勅使、従五位上出羽守藤原興世の夢枕に大己貴神がお立ちになり、そのご神託から勅命により創建されたという。また、一説には奈良朝よりこの地を治めていた粟田氏の氏神が始まりであるとも言われている。戔嗚尊大己貴命を主座とする。
粟田口は「京の七口」のひとつであることから旅の守り神とされるが、境内には鍛治神社があり、そちらは刃物、鍛冶及び勝運、開運の社として、製鉄神である天目一箇神とともに刀工三条小鍛冶宗近粟田口藤四郎吉光が祀られている。

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こちらに所縁となるのは、その三条宗近の作となる「三日月宗近(みかづきむねちか)」。刀身に三日月型の打除けが数多くみられることから「三日月」の号をもち、天下五剣の中でも最も美しいとされる。豊臣秀吉の正室、高台院が所蔵し、その死後は徳川秀忠に贈られ、以来徳川家の所蔵となり、太平洋戦争終結時にさる個人の元へ渡り、1992(平成4)年に東京国立博物館に寄贈され、国宝に指定される名物中の名物。古さと美しさから、秀吉の手元に渡るまでの伝来は諸説あり、今もってはっきりしない。
もうひと振り。同じく御神霊として祀られる粟田口藤四郎吉光が鍛えた「一期一振(いちごひとふり)」。藤四郎作は短刀ばかりで、太刀はこの一振りに限られることから「一期一振」と呼ばれたとされる。
但馬国朝倉氏が所有していたが、その滅亡後は毛利氏のものとなり、毛利輝元豊臣秀吉に献上、秀頼に相続され、大坂城落城時に「一期一振」も焼身となるが、徳川家がそれを回収、越前康継によって打ち直され、尾張徳川家に伝わることとなり、幕末時に徳川茂徳から孝明天皇に献上された。以降は歴代天皇が皇位とともに相続する御由緒物として宮内庁で管理される。

三社を巡って、時刻は12時前。そろそろランチを考えないといけない頃合いではあるが、東山界隈のちょっと知られたレストランやカフェの前は何もすでに長い隊列が出来ていて、自転車を停めるのもままならない。炎天下の行列に加わるなど以ての外。暑さに任せて冷たいものばかりクチにして、それほど空腹というわけでも無いのでひと思いに藤森神社まで走ることにして、重いママチャリを南に走らせる。

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藤森神社
の創建年代や祭神には諸説あって、社伝では203(神功皇后摂政3年)、三韓征伐から凱旋した神功皇后が、山城国深草の里藤森に纛旗を立て、兵具を納め、塚を作り、祭祀を行ったのが当社の発祥であるとしている。中世に近隣、深草郷に在った真幡寸神社藤尾社塚本社の合祀が行われたと考えられていて、それがために、本殿(中座)に主祭神である素盞嗚命と、別雷命日本武命応神天皇神功皇后武内宿禰仁徳天皇を祀り、東殿(東座)に天武天皇崇道尽敬皇帝(舎人親王)を、西殿(西座)に崇道天皇(早良親王)と伊予親王井上内親王、と多くの御霊神を祀る。

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境内に足を踏み入れると、何やらただならぬ気配。見ると、開けた場所には鎧櫃が並べられ、兜や鎧が投げ出されている。振り返って、拝殿には陣笠とお揃いの直衣が干されている。どこかに素っ裸の武士集団が潜んでいるのかと、思わず身構えてしまう。・・・が、落武者が潜んでいるような息遣いは感じられない。
と言って、「刀剣女子」向けのコスプレ衣装の即売会・・・なわけはない。祭礼に向けての虫干しだと思うが、こうも日差しが強いと、溶解てしまうのではないか。ダイジョウブ?!

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こちらにゆかりとなるのは、「鶴丸国永(つるまるくになが)」。平安期の刀工、国永作の太刀。先の「一期一振」同様、皇室経済法第7条に規定する「皇位とともに伝わるべき由緒ある物」とされる、宮内庁管理の名物。この太刀の伝来も不明な点が多く、余五将軍の物であるとか、織田信長が所有し家臣に与えたとか・・・、云々。江戸時代には、どこをどう伝わったか、仙台藩伊達家の所有となって、伊達宗基から明治天皇に献上され、現代に至る。その伊達家所有となる前は、藤森神社で神事に用いられていた・・・らしいが、それもはっきりしない。
失われてしまった太刀拵に鶴の文様があったとされ、それが「鶴丸」の号の由来。
国永は刀工、五条兼永の子で、三条宗近の弟子とも伝えられるが、それもはっきりせず、その作刀はわずかに四口のみ現在に遺る。

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これで四社を巡って、4つの御朱印を頂戴した。コンプリートの證として最終頁に「満願成就」の印と今日の日付を頂いて、四社六口のご威光を賜って、ワタシも多少レベルが上がった?

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繁華な市街地、JR京都駅まで戻り、レンタサイクルを返却したら、少し遅いランチタイム。午後の予定、京都幼稚園でのコンサートまでまだ時間はたっぷり。それまで脚を休めて、体力を回復させる。
お昼時の京都は観光客やら旅行者でごった返すようで、食事処はどこもイッパイ。地下に潜ってサー・トーマス・リプトン ポルタ店。ティールームでのランチは「旬の賀茂茄子のフリット・カレー」。まァ、無難な欧風カレーに京野菜、賀茂茄子のフリットが彩り。悪くは無いけど、刺激に欠ける。セットになるドリンクを飲み干したら次の場所へ。

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京都幼稚園
京都女子大の構内。近くにはオシャレなカフェなどあるだろうと、そちらに向かうが、日陰を拾って歩いていたら、ひと筋間違えたようで、お店は無いわ、幼稚園の裏手に出てしまう。女子大の敷地をぐるっと迂回して表通り、正門前を降った辺りで足休め。
オーダーした抹茶のかき氷はイマドキ風のゆるふわではなく、昔ながらの(?)ガリシャリ食感。シロップと練乳がボトルサーヴィス(?)、好きなだけ掛けられるとはいえ、あまりにヴォリューミーで飽きること。
しかし、いい時間つぶしにはなって、そろそろ文中ホールに向かわないといけない時間。そのコンサートの模様は、次のページで。


本日の結果

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