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ピアノはいつピアノになったのか? [音楽のこと]

ピアノはいつピアノになったのか?
そのタイトルに惹かれて手に取った一冊の書籍。
帯には「ピアノはもっと面白い」とあって、「歴史的なピアノの音」を収めたCDが付録としてつく。
あらまッ、興味津々!!

 

"誕生したばかりのピアノはどのような音色だったのだろうか?
ハイドン、ベートーヴェン、シューベルト、ショパンなどはピアノにどのような可能性を見出していたのだろうか?
"と帯書きされる。「音楽史を編みなおす待望の一冊」とまで書かれたら、紐解いてみないわけにはいきますまい。

ピアノは、数多ある楽器の中でかなり異質な存在で、オルガンほどではないにしろ、構造も複雑なら、持ち歩けないほど巨大な発音装置である。
そして、楽器としては比較的新参者で、フィレンツェのメディチ家に仕えたイタリア・パドヴァ出身の技師バルトロメオ・クリストフォリ・ディ・フランチェスコが最初の「フォルテピアノ」を制作したのが1700年ごろ。
それ以前にも見た目のちょっと似通った楽器は幾つかあった。鍵盤楽器としてはオルガンが大先輩。弦を発音させるものとしてはクラヴィコードやチェンバロが先んじて存在した。
オルガンは別途動力とそれを操作する人手が必要。クラヴィコードやチェンバロは、あまりに音が弱く、表現力に乏しい。
クリストフォリが発明した「フォルテピアノ」はドイツにも伝わり、オルガン制作家ゴットフリート・ジルバーマンがそれを改良。
18世紀後半にはウィーンを中心に盛んに制作されるようになり、より広い音域、より大きな音量、より多彩な音色、より豊かな表現力を求めて、日々改善の手が加えられ今日に至る。

ピアノはいつピアノになったのか?.jpg


伊東信宏 編
/松本彰,渡辺裕,村田千尋,シルヴァン・ギニャール,岡田暁生,小沼純一,三輪眞弘 著『ピアノはいつピアノになったのか?』は、ピアノ300年の歴史に沿って、その改良の変遷を綴るとともに、ピアノの構造などの技術面だけでなく、その変化によってピアノ曲の作曲技法、演奏技法がどのように遷移したか、作曲家とその作品の変遷も綴る。

第1講 ピアノの誕生
第2講 ハイドンの奇想
第3講 ベートーヴェンのもう一つの顔
第4講 シューベルトの悩み
第5講 鍵盤の上のベルカント ショパンとオペラ
第6講 ヴェルトゥオーソ狂詩曲! 社交界とオペラとサロンの一九世紀
第7講 千九二〇年代/ピアノの諸相
第8講 自動演奏ピアノ(ピアノ・ロボット)を巡って

ピアノの歴史はそのままピアノ音楽の歴史。目次に目を通すだけでココロ躍ってしまう。

ジルバーマンピアノには「音楽の父ヨハン・ゼバスティアン・バッハが関与した。
交響曲の父弦楽四重奏曲の父フランツ・ヨーゼフ・ハイドンは「新しい楽器」の前で苦悩した。
楽聖ルードヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェンはより繊細な表現を模索しながら「新しい楽器」の改良を促した。
歌曲の王フランツ・ペーター・シューベルトも歌声をリードするために多様な表現力を求めた。
ピアノの詩人フレデリック・フランソワ・ショパンプレイエルという伴侶を得て、それとともに唄った。
フランツ・リストが「ピアノの魔術師」と呼ばれるようになったのは、それら先駆者が「フォルテピアノ」や「ハンマークラヴィーア」をよりモダンな「ピアノフォルテ」へと進化させたからに他ならない。

ピアノはいつピアノになったのか?』ではそれら作曲家の楽曲を、譜例を添えて解説する。彼らが「新しい楽器」に何を求め、どう関わったか。日々改新されるピアノがそれにどのような影響を与えたのか。
ピアノ
の構造的解説だけなら退屈。ピアノ曲の変遷だけなら以前から幾つも存在する。その両方をうまく塩梅しながら、ピアノの歴史とピアノ音楽史を説示するところが、新しくて興味深い。

ワタシがインタレストしたのは、楽聖さまが意外にも繊細な音、デリケートな音色を求めたというところ。
ベートーヴェン
と言うと、ンジャジャジャジャーン!!・・・的な、ダイナミックなイメージを想起するが、より精緻で微細な音色を要望したのだとか。
いつかの「大阪クラシック『ピアノ・スペクタキュラー』」でマエストロ大植英次が再現したように、聴力を失ってからは、ピアノの脚をぶった切ってボディを床に直置きして、床を共鳴盤として、そこに寝転がって作曲したとかしてないとか。そんな逸話はこの書籍には記されていない。より聴き取りやすくするためにボディの底板に穴を穿っていたらしい・・・というに留まる。
彼が求めたものは、管弦楽の精細さ、その精彩さ。作曲するにあたって、鍵盤の上にオーケストラを再現したかったのだろうか。それまでに(ハンマー)クラヴィーアやそれに類する楽器では、その音は弱くてすぐに減衰してしまう。
ベートーヴェンはその生涯に渡って、自身が使うピアノを幾つも取り替えていたそうで、知られているだけでも15〜16台。都市ごとに、工房ごとに積み重ねられていた制作技術が国際化の波を受けて、より大きく変化する中で、彼は自らが表現したい音を具現化してくれる楽器を探し、また、それを要望、依頼した・・・のだそうだ。ピアノ・アクションのメカニズムが変化し、その音色に変化を齎すレジスターの構造も変わり、音域も広がり、音量も増幅されて、高性能化したのがベートーヴェンの時代。

なんとなくだけど・・・、あの「不滅の恋人」とは「新しい楽器」のことなんじゃあないか・・・とか思ってしまった。

「古典派」から「ロマン派」への扉を開いた"改革者"はピアノをも改新した・・・というと、楽聖さまだけの功績のように思えてしまうが、その時代、他の作曲家なりピアノ製作家がアドヴァンスを探っていた・・・のでしょうな。それには産業の発展が大きく寄与したことも間違いない。加工技術の向上が発音装置であるピアノをより精密に仕上げた。
作曲技法が変わり、演奏技法が変わり、楽器が変化した。それは音楽の聴かれ方が変わって、音楽の在り様そのものが変容したということでもある。教会やサロンでの演奏から大きなホール、あるいは野外で用いられるようになり、より大きな音量、より精緻なダイナミクスが必要となった。
大きな音と微細な表現力、相反する要素と汎用性を求められて、大型化、複雑化したピアノ。
ピアノ(piano)・・・弱く(優しく)、フォルテ(forte)・・・強く。ダイナミクス、ニュアンスの振幅が広がることで、様々な演奏スタイルに対応しながら、19世紀後半にはモダンピアノへと進化し、「楽器の王様」に昇格したピアノ。

最近は、その楽曲が作曲された頃の音を再現しようと、旧い時代の「フォルテピアノ」や古楽器が復興されている。
個性を際立たせたヴィンテージピアノやそれよりもっと旧い時代の楽器には、規格化された現代のモダンピアノでは得られない味わいがある・・・ように思う。
表現力が高まった分、表現の幅が広がった分、そのが曲をどう解釈してどう演奏するか、苦慮することになる。他の演奏家と違って、ピアニストは自前の楽器を持ち歩くことは少ない。会場に備えられたピアノで、自分のイメージする音が得られるか。そこにピアノの難しさと、それと裏腹の面白さがあるのではないか・・・?

毎月通う『ワンコイン市民コンサート』の会場、大阪大学会館には1920年製Bösendorfer252、マグノリアホールには1905年製Steinway & Sons B211。「ワンコイン」では復刻されたGottfried Silbermannのレプリカや1920年製のErardの演奏を拝聴することが出来た。ピアノはいつピアノになったのか?』を読んで、それらの音を耳にする。尊く得難い、100年の重みを聴く思い。

近く(1月23日)には『ピアノはいつピアノになったのか?』の補遺として、レクチャーコンサート『ドビュッシーとピアノの謎』が催される。そちらも楽しみ、心待ち。

ピアノはやっぱり、面白い!?

そうそう、『ピアノはいつピアノになったのか?』の「第6講」、その扉(173頁)を飾る1920年製Erardは2013年06月16日 の「ワンコイン市民コンサートシリーズ第14回 Collage Piano ~ Ten Hands Dance on Two Piano(→記事参照)」で使われたものですよね? 違います?


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