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Rêverie [音楽のこと]

一週間に渡って開催された『大阪クラシック』とそれに続いて伺った『ワンコイン市民コンサート』で、随分クラシック音楽に浸ることが出来ました。『大阪クラシック』では普段あまり聴くことの出来ない変則的な組み合わせとなるアンサンブルがあったり、『ワンコイン市民コンサート』は「聴衆と演奏家の誕生」と題されたちょっと学術的な内容で、音楽について今一度考える機会を得た、面白い内容でした。
"作曲家=演奏家"であった時代から、時を経て、プレイヤーはその楽曲が作られた時代背景や作曲家の意思を考慮して演奏することとなった。もちろん、それは大切なことだとは思う。が、時代が巡って、楽器も進化し、聴衆から望まれる名演は必ずしも作曲当時の演奏の再現ではない・・・のではないかとも思ってしまうのです。

 

限られた者だけが作曲していた時代は終わり、限られた者だけが演奏家であった時代は去ってしまった。今や誰もがコンポーザーでプレイヤー。そして無論オーディエンスでもある。一人ひとり、それぞれの楽しみ方があると思う。
たしかに、作者の意思は尊重しなければいけないとは思う。思いはするが、楽譜に細かい指示があればいいが、厳格にガイドされているケースの方が実は少ない。研究や解釈が立ち入る隙が非常に大きい。そこが面白いところでもあるのだけれど、で、その隙間にナニを埋めるか。

ワタシの場合、非常に不遜なことではあるが、その隙間をノイズで埋めてしまいたい・・・場合がある。ええ、もちろん、その空所を"余韻"として味わえることもあるのだけれど、"残響"を楽しみたいこともあるのだけれど、その"間合い"に何かを加えてしまいたいと思うことが(多々)あるのです。

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フェンダー・ローズ・スーツケース・ピアノ

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ハモンドB-3オルガン
 
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フェンダー・ストラトキャスター
 
例えば、『大阪クラシック』最終日・第97公演で聴いたJ.S.バッハの協奏曲。弦楽器5本ではちょっとだけ物足りない。通奏低音のチェンバロに変えて、ステレオ出力したフェンダー・ローズ・スーツケース・ピアノ、ディレイとコーラスを薄ゥく効かせて、パンを左右に拡げて、バッソ・コンティヌオとしてしまう。

例えば、第5日・第71公演のチャイコフスキー幻想序曲ロメオとジュリエット」。指揮:大植英次/管弦楽:大阪フィルハーモニー交響楽団のによる演奏はそれだけでも十分圧巻だったのだけど、第1主題の弦部のパッセージに、ディストーションするエレクトリック・ギターエレクトリック・ベースギターハモンド・オルガンを加えたい。オーケストラの後ろにマーシャル・アンプを山と積んで、歪んだリフを被せたい。甘美な第2主題にはフェンダー・ストラトキャスターをユニゾンさせてしまいたい。

寂しいのとはちょっと違う。無伴奏チェロでも、それだけでいいと思う時もある。管弦楽を小編成のアンサンブルに編曲しても、なにも足したくないこともある。
無理やり何かを付加したいわけでもない。聴いていると、アタマの中、無意識に別の音が鳴り出して来るのだから仕方ない。こーいう風に鳴れば面白いと考えてしまうともう止まらない。
コンサバティヴよりプログレッシヴ、ハードロックやシンフォニック・ロックが好き・・・というワタシの音楽傾向によるところが大きいのだろうけど、それは作曲家や演奏家に対する冒涜となってしまうのでしょうか。
そーいうことは家で独りでしていろ・・・と言われればそれまでなのだけど、生音、生のオーケストラだからこそ、それが面白いこともあるのです。
思えば、エレクトーンは独りで演奏していても、内蔵されたリズム音源やアルペジエータが彩りを添えて、音の隙間も埋めてくれる。そのイメージが残っているのかもしれない。DTMやDAW、コンピュータを使えば、一人で出来てしまう。ベートーヴェンをピコピコ・サウンドでテクノな8ビートにし、モーツァルトをダンサブルな16ビートにして、グルーヴ出来れば気持ちいい。

思い返せば、昔むかし。当時高価な機材が揃えられず、NEC PC-98や8ビットのMSX、YAMAHA CX5で最初に打ち込んだのはヴィヴァルディの『四季』。容量が足りなくて、通奏低音抜き、強弱や表現も乏しくて、かなりショボイ仕上がりだった。それならいっそ、アレンジしてしまえ・・・で今に至るのかも知れない。

モダン・ピアノだからとか、モダン・フルートだからと工夫を要するのなら、例えばデジタル・ピアノやウインド・シンセサイザーでの演奏でもいいんじゃないかと思ってしまう。
研究・研鑽を重ねて、作曲家の意思に沿う演奏を目指すか、好きに聴いて、好きに演奏して、好きに楽しむか。演奏家なら、例えばアンサンブルなら全員の意識は統一しないといけないし、ソロでも聴衆の望む演奏を披露しないといけないだろうけど、聴衆として聴くのであれば、一人ひとり自由な感性で受け止めればいい。
作曲された当時にタイムスリップしたいわけじゃない、作曲当時の再現を望むわけじゃあない、今気持ちよくグルーヴ出来ればそれでいい、今このホールの中でいい感じに響いてくれるのであればそれでいい。
どうせオンガクはナマモノなのだもの、クラシックもポピュラも関係ない。研究・研鑽のうえに解釈や工夫を重ねて、今楽しめるスタイルに改めてしまえばいい。その中で、作曲家の意思をどれだけ表せるか、演奏者の意図を現せるか、聴衆の意識に訴えることが出来るか。

ワタシの場合、(時として)オーケストラの前に髪の毛を振り乱すロック・ミュージシャンが見えてしまう。いれば面白いんじゃないかと夢想してしまう・・・っと。

因に今、アタマの中を支配しているのは、第6公演で聴いたアストル・ピアソラブエノスアイレスの四季」にスタンダード・ナンバー「枯葉」を足して、「ブエノスアイレスの枯れ葉(Las Hojas Muertas)」(笑)。今年の第6公演で聴いたのは『』と『夏』なのだけど、季節柄か『』を想起して、そこに「枯葉」が舞い降りて・・・。


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moto_tip_sp

やっぱり音楽はライブで聞くといいですね。
私は先週のjazzが流れたので、この後の予定を組みなおしています。とりあえず来週は子供の中学の吹奏楽部の演奏会(子供は部員ではありません)があるのでそれを見に行き、10月は神戸jazzストリートに行く予定です。あとは10月末のアリスのコンサートとまだまだめじろ押しです。
あと年末に第9か年始にニューイヤーコンサートがあれば行きたいのですが。あとジルベスタコンサートもあればいいかな。
コンサート情報を要チェックです。
by moto_tip_sp (2013-09-21 20:37) 

JUN1026

モトさん、コメントありがとうございます。
オンガクはナマモノ。やはりライブがいいですね。イキのいい、ノリのいいオンガクを聴きたいものです。
そうそう、そろそろ"第九"の練習も始めないといけないですよ(笑)。
by JUN1026 (2013-09-21 22:51) 

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