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禅庭に遊ぶ [散歩・散走]

さて、今日もきょうとて京都の夏の庭のお花を拝見に参ります。
本日訪ねるのは禅寺のお庭ではあるのですが、若しかしたら、そこで静慮することで禅那に至ることが出来る・・・かもしれませんよ??


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先週に引き続き右京区の、本日は花園界隈からきょうの街散歩、夏の庭を散策しようという算段で、先ずは妙心寺を訪ねます。
今も地名として残る花園花園上皇の離宮・・・萩原殿が在ったところで、上皇が落飾されて法皇となられた際に離宮を禅寺に改めたのが妙心寺の始まり。
臨済宗妙心寺派大本山正法山妙心寺は、第95代花園天皇を開基とし、関山慧玄が開山に当たり、釈迦如来をご本尊とする寺院。
花園御所西の御所とも呼ばれる広大な敷地には適度な間隔をおいて伽藍が立ち並び、それを取り囲むように46もの塔頭寺院が配置され、花園大学を筆頭に高校、中学で構成される花園学園まで有し、全国にある臨済宗寺院約5,650箇寺のうち約3,350が妙心寺派で、日本最大の禅寺派閥、その組織運営の徹底から「妙心寺の算盤面」とも言われるそうな。
南北朝時代、1337(建武4)年の開創で、未だそのご威光は衰えることはないのでしょうが、御多分に洩れずこちらの伽藍、建築群も応仁の乱などで焼失し、一時は寺号を改めたりもしたものの復興を遂げて、今に遺るのはのちに再建されたものや他所から移築されたもの。
日本最古の紀年銘鐘である梵鐘を始め国宝や重要文化財となるものも多くあって、お宝級の美術工芸品も多く収められているのですが、ワタシのお目当ては史跡・名勝の、花が咲くお庭。
今日は塔頭寺院のひとつ、退蔵院のお庭を拝見致します。

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退蔵院
は、妙心寺第三世の無因宗因を開山として別の地に創建され、のちに妙心寺山内に移されて今に至る。
退蔵院と言えば、(現存する)日本最古の水墨画とされ、国宝に指定される「紙本墨画淡彩瓢鮎図」を所有することで知られているが、本物は京都国立博物館に寄託されて、方丈の南側広縁に掲げられているのは模写品。

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大相公
のご下命により、画僧、大巧如拙が描いた水墨禅画。
元々は屏風仕立てであったそうで、画と賛が背中合わせであったものがのちに一幅の掛物に改装されて、31名の禅僧が寄せ書きした賛詩も遺るが漢字ばっかなうえ、部分的に欠落しちゃっていて読めません。ニホンゴ ムツカシクテ ヨメナイデェスッ!!
大相公・・・Grand Masterこと足利義持(であるらしい)の思いつきとはいえ、当時のそれこそマスタークラスな高僧が32名も関わっちゃったのですから、国のお宝にもなるのでしょう。
禅の「公案」の中から「スベスベするヒョウタンでヌルヌルしたナマズを抑える方法」、problemではあるのでしょうがquestionというより少々ナンセンスなquizのようでもあり、時の室町幕府第4代将軍は何故こうしたものを作らせたか??
家内を振り返れば家督継承問題があって、出仕すれば幕府役人の人事問題があって、ご府内では南朝派が、関東・鎌倉府では上杉家がそれぞれに平安を乱し、室町幕府の最高位にあって頭の痛いストレスフルな日々からの現実逃避・・・だったのかも?
知識があって知恵者でもある禅僧32名に何らかの分別を委ねたかったのかしら?
諸問題解決に当たって相談役となる、そうしたマスタークラスな禅の傑僧をブレーンとするための、ある種採用試験だったのでしょうか?
何れにしても、義持が求めたのは捕獲法ではなく、独自のユーモアだったのでしょう。にしても、ヒョウタンでナマズって!?
ワタシ的には、瓢箪の中には麻痺を齎らす薬剤(薬液)が入っていて鯰だけではなく川に居る水生動物を一網打尽・・・なんてことをするとそれこそブラック・ユーモアで環境問題でしょうから、大きめの瓢箪を縦半分に割いてそれで鯰を押さえる若しくは挟み込んじゃう・・・とまァ、面白くもなんともない回答しか思い浮かびませんな。知識を持たず知恵が足りないから、気の利いたユーモアなんて浮かびやしない。

・・・と、公案を解きに来たわけでなく、お庭散策でしたね。

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模写版「ヒョウタン・ナマズ」が置かれた広縁から振り返ると小さな庭があって、狩野元信が作庭したことから「元信の庭」と呼ばれる枯山水様式のお庭。
方丈の西側へと続く、画聖が創ったその庭の全様は特別拝観が許された時しか眺めることが出来ないようで、ハスの鉢が並ぶ方丈南庭を観て取れば順路の先へと促され、その先は「余香苑」と名付けられた池泉回遊式庭園。
1963(昭和38)年から3年を費やして、造園家、中根近作氏が設計・施工。伝統的な配置の現代庭園であって、何処から水を引くのかひょうたん池を中心に、それを紅しだれ桜や藤、サツキ、蓮、金木犀、楓などなど多くの植栽が取り囲み、四季折々の風情を楽しめるお庭。桜の季節や紅葉の時候はさぞや混雑することでしょう。

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苑の入り口付近の左右には、Garden in Garden?な「陰陽の庭」。左に白色ベースの「陽の庭」、右に黒い「隠の庭」、敷砂の色が対照的な2つの枯山水。
その間には葉だけになった紅しだれ桜があって、奥へと続く苑路と水路があって、一番奥に藤や楓に囲まれたひょうたん池。春から夏、秋へと巡る設えでしょうか。

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ナマズが居ないひょうたん池にはスイレンが浮かび、ワサワサと繁茂するというほどではないのだけれど、手に取れるほど小さく纏まって、それはそれで愛らしい。何よりヒトの居ないお庭の一番奥の藤棚の下、鯰相手に首を捻るより緑が映える庭園の池に浮かぶ睡蓮に微睡み覚えるのが心地よくて。秘密で避密ですから。

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密を回避の非常事態宣言を受けて、庭園内の売店や「大休庵」と命名されたお茶席も休業中。
鳥さえ声を顰める中、水路だけが見た目以上の音を立てて、気配と言えるものもない。静かな今がチャンスでしょうか、こちらの名物「水琴窟」へ進みます。
江戸中期に作られた際は現在非公開となっている書院の中庭に在ったもので、20年ほど前に「余香苑」内に移設。その際に地中の甕も新造された由。
これがねェ。両耳とも突発性難聴で壊れちゃって、聴力が極端に落ちた耳にはほとんど聞こえなくて、iPhoneで拾ってやっと。まァ、今日は目の保養ですから。

退蔵院をあとにして、もう少し西洛にきょう散歩を続けます。
妙心寺の広い境内を北に抜けて、同じく臨済宗妙心寺派の寺院、大雲山龍安寺を訪ねます。
開基が細川勝元、開山を義天玄詔として、1450(宝徳2)年に建立された妙心寺の境外塔頭で、ほんの二ヶ月ほど前(→記事参照)にも来たのですが、春から夏へ風情を変えた「石庭」を眺め、新たな解釈(?)を加えてみたいという想いから。

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こちらも、円融天皇朱雀院上皇となられ離宮とされたその跡地でとても広大。建築物はやはり応仁の乱で焼けちゃって、大半が移築や復興されたもの。
方丈前の枯山水「石庭」がよく知られるのですが、境内南半分を占める池泉回遊式庭園も古くから知られていたとかで、今の季節はその中心の「鏡容池」に睡蓮が咲く。
屋号に掲げる薔薇は別格、クロード・モネを特別リスペクトするわけでもないのですが、スイレンやハスはワタシにとってのヒーリング・フラワー。ココロが荒み切っちゃって、清浄を求めるのでしょうか。悪いことばっかしているからですと奥様は仰るのだが・・・。

ワタシのことはともかくとして・・・、

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青もみじが自然の天蓋、それを戴く参道脇は深い緑の苔が天然の絨毯となって、その向こうには巨きな「鏡容池」。樹々の間から覗いてみると、その一面はほぼ睡蓮で埋め尽くされて、池の中ほど「伏虎島」にいる水鳥も水に遊ぶことを躊躇うようにも見える。

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岸から橋が架けられているのは「弁天島」。
鏡容池」には霊力が満ちるとして太閤秀吉弁財天をお祀りし、小さな祠と鳥居が今も残る。
その橋から望むと橋から南側には睡蓮が繁茂し、北側にはそれがなく名前通りに鏡のようで波ひとつ立たない。

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池の東側を辿って、方丈。その南庭は「石庭」と呼ばれる枯山水様式。
室町時代の禅宗寺院で始まった抽象的表現のこうした様式自体は方々の禅寺で眼にすることが叶うのですが、こちらのそれはちょっと異質。
何方が、何時、何の為に、誰に作らせたのか分からない「石庭」。
虎の子渡し」を表しているとも、石の配置から「七五三」であるとか、「」の字を示している、大海や雲海に浮かぶ島々や高峰を象っていると言われるが、作者の意図は分からない。
お寺さんにあって、そうした記録が一切残っていないというのも不思議なら、その解釈を巡って様々な説が唱えられ、型通りに教義の中に答えを見出そうとする向きもあれば、三角形を幾つも組み合わせてみたり、やれ黄金比、フィボナッチ数やフラクタル、幾何学的に解明しようとする学者さんがおられたり、未知のもの、難解なものを何とかインタープラティションしようとして、未だ謎は解明されず。解けないナゾがロマンとなって、多くの観光客を集めるのでしょう。

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先達て訪れた時は桜の時期でもあってそれなりに混み合ってもいたのですが、今は平日の午前とあってかヒトの姿はなく方丈も「石庭」も貸切状態で、白砂に15個の石が配置された枯山水庭園は風さえ戦がず、時折り鳥の声が聞こえるばかり。
誰方も居られないのをいいことに、濡縁を西から東、折り返して端から端へ、iPhone片手に東西が約25mで、南北が約10mの「石庭」の測量(?)から。
前回は幽かな雨が降って、覗き込む様に枝を広げる枝垂桜の花弁が舞っていたりもしたのですが、今日は移ろうものも無ければ木葉一枚翻らない。諸行無常というけれど、時さえ止まってしまったように想える。

無作法なことをするより、考えるより感じろ、縁側に端座して庭に対峙してみる。
色不異空、空不異色、色即是空、空即是色。
組石が色、白砂が空。砂紋は変化し、白砂が結晶化して岩と成って、組石はやがて風化して砂に還る。宇宙の始まりと終わり。物質と反物質、粒子と反粒子、プラスとマイナス、陰と陽。それらが対消滅なり対生成を起こして色と空は絶えず入れ替わっちゃっている?
無ではなく空。何も無いように見えて、そこにはエナジー・・・気が満ちて、それが転換して色を為す・・・のかも。

止まれ!! ヘンなことを考え出しちゃうと、戻って来れなくなる。
実は、実体的な意味は無くて、「瓢鮎図」と同じように、鑑賞者に対して何に観えるか考えを述べよと訴え掛ける立体造形的公案・・・なのかも知れないし。
知識を持たず、知恵の足りないヤツが知ったようなことを言うんじゃ無いとお叱りを受けそう。
精々ざっくりした測量から幾何学に留めておかないと、物理学まで持ち出しちゃうと収集がつかない。何せ、(今のところ)正解が何処にも無いのだし。
前回はヒトの騒めきもあって、桜の彩りもあって、現代抽象絵画を観る想いがしたのですが、今日は静寂過ぎて、独りで端座していると碌なことを考えない。

立ち上がって、もう一度濡縁を往復してみる。
んン?
こちらの枯山水、15個の石が用いられているが、それを一望することは出来るの出来ないのと言われているらしい。小さい石が大きい石の傍らに寄り添って、ワタシは15個あることを知らずにいましたが・・・。
15の石は5組の石組。五和音・・・九の和音(9th chord)かしらと思ったりもして。
左から順に、根音(Root)、Ⅲ、Ⅴ、Ⅵ、Ⅶ? ルートに従う小さな岩はトリルかグレイスノート? Ⅶはフラットしているから減七? そうなると三度もちょっと低くて、長三度でもなく、短三度でもなく。逆からなら、Ⅰ、Ⅱ、Ⅲ、Ⅴ、Ⅶにも見えて、add9か。
濡縁を歩むとそれが時折り重なり合って、微妙に不協和なハーモニー。
ハーモニー(harmony)はギリシア神話のハルモニア(Harmonia、‛αρμονία)を語源として、その意味は調和、一致、連結。
調和の表現? あるいは、ある音律を示している? ・・・と捉えるのも悪くない・・・かも。
作者も知れず、製作意図も不明で、どのみち禅の教えも知らず、それを理解する知識も知恵も持たないのだから、現代抽象芸術を観る要領で、自分なりの解釈でもいいんじゃないかと思う・・・なんてことを公言するとお叱りを頂戴しちゃいますかね。

立体造形的公案は現代抽象美術に通じて、その時々でどう観えるか、何を感じ取れるか、ある種自分の意識を映す鏡の役割り。矯めつ眇めつ、得心のいくまで眺めていれば、何れか自分なりの答えを見つけられるように思います。
誰か来られたようで、貸し切りの独り問答はお仕舞い。次は紅葉の頃に、どう観えるかを試してみようと思います。

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方丈の西側、非公開の仏殿との間にある「知足の蹲踞」を観てから再び「鏡容池」を巡る苑路、今度は池の西側を辿って。
こちら側に二つ並んだ石は「水分石(みくまりいし)」。池の水位を知るための目印であるとか。
細川勝元の山荘となる以前は徳大寺実能のそれで、さらに遡れば円融天皇の御願寺である円融寺であって、池の歴史はそれより古く、鴛鴦が暮らすおしどり池であり、近隣を潤す灌漑施設でもあったのだとか。
鏡容・・・のかたち、すがた(と読んでみます)。はゆるす、いれるとも読めるから、鏡に写った我が身を許容する、受容するってことでしょうか。自己受容(Self-acceptance)。自勝者強 知足者富、「吾唯足知」と刻まれた蹲踞に通じる名称なのでしょうか。
単純に、(水面が)鏡のようだということなのでしょうか。
禅寺のお庭に遊ぶと、つい小難しいことを考えたくなっちゃうのですが、ニホンゴ ムツカシクテ ヨクワッカラナイデェスッ!!
雨が落ちてきましたね。頭を冷やして還ります。

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