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Lodger in Kyoto・・・? [散歩・散走]

過ごし易い時季は足早に駆け抜けて、昨日、今日は「春暑し」というような陽気。
薄紅色したサクラの花びらが舞って、その蕊も散り、乙女色したツバキも落ちて、それに変わる彩りはハナミズキやツツジの少し濃ゆいピンク色。或いは藤のウィスタリア。そろそろ薔薇色の薔薇、ロゼ色のロゼも咲こうかという頃合い(まァ、他もいろいろありますが・・・)。立夏も迫り、八十八夜も目前で、四月と五月の間の花月、fiorire。
週末には目の保養、眼福を得るためにそうしたお庭の花を愛で、ミュージアムでアートを堪能しているのですが、再三再四、緊急事態になったとかで、こんなに行楽向きなお日和の中、不要不急な外出は控えないといけないのだとか。悠長にお花を眺めてられへん?
ゴールデン・ウィークに向けて、様々な催しに出向こうと、幾つか予約を入れているところもあるのですが、さてどうしたものやら。
きょうも数箇所に予約を入れて、外出する予定になっていて・・・。


きょうのテーマは、お花ではなく星、スタア、Star。
それも、数多のスタアの中から、とびきり拘りのRock Starのご紹介。カリスマ的で、ひときわスタアなアーティスト。

1947年01月08日に英国ロンドンはブリクストンで生を受け、1964年06月05日に「Davie Jones with the King Bees(ディヴィー・ジョーンズ・アンド・ザ・キング・ビーズ)」としてデヴュウし、その後バンド名やソロでの芸名を変え、アルバムを発表する度にその作風も変えて、時にMajor Tom(トム少佐)という宇宙飛行士になったかと思うと、異星からきたバイセクシャルなロックスター、Ziggy Stardust(ジギー・スターダスト)と名乗ったり、Tomy(トミー)ことThomas Jerome Newton(トーマス・ジェローム・ニュートン)の名を持つ宇宙人を演じてみたり、Thin White Duke(シン・ホワイト・デューク/痩せた青白き公爵)に扮してみたり、度ごとに異なる貌を現したDavid Bowie(デイビッド・ボウイ)ことDavid Robert Jones(デヴィッド・ロバート・ジョーンズ・1947年01月08日 - 2016年01月10日)。
2016年01月に発表された『Blackstar★』を最後に遺し、母星へと還られた永遠のロック・スタア。

そんな彼は大の親日家としても知られ、ツアーの一環であったり、CMの撮影であったり、再三に渡って来日を果たし、時にはプライベートに京都を訪れ、1980年ごろから「京都に住んでいる」という風説が流れた程。

そのスタアさんと親しくまみえ、プロモーション用の撮影から日々の暮らしぶりまでもスナップに収めた写真家が鋤田正義(1938年05月05日 - )さん。
福岡に生まれ、大阪の専門学校を卒業後は広告業界を中心として活躍されて、独立後にT.Rex(T・レックス)のMarc Bolan(マーク・ボラン)を撮影するために渡英し、マークからデイビッドを紹介されて、それを皮切りに多くのロック・アーティストやポップ・スターと親交することとなって、彼らが鬼籍に入るまでその交際は続き、今以て数多のクリエイターから信頼されているカメラマン。

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きょう訪ねる美術館「えき」KYOTOで開催中の『時間~TIME BOWIE×KYOTO×SUKITA 鋤田正義写真展』は、鋤田さんが撮影された京都の風景を取り混ぜて、京都と鋤田さんを繋ぐ媒介としてのデイビッドを紹介し、ある時京都に在ったデイビッドの行跡を訪ね、さらには鋤田さんとデイビッドのコラボレーションとしてロンドンやベルリンでの振る舞いを捉えた作品もともに展示される。
会期は04月03日から05月05日で、もっと早くに訪れてもよかったのですが、このエキシビションとタイアップする、鋤田さんの業績を捉えたドキュメンタリー映画『SUKITA 刻まれたアーティストたちの一瞬』が04月23日~29日の7日間だけ、それも1日1回限りの上映とあって、この機を逃すことが出来なくて・・・。
明日(以降)に予定していたら、どちらも開場しているかどうか、非常に心許ない状況。今は機を見るに敏、何をおいても開催期間、上映時間を直前ギリギリに再確認が必要で、場合によってはスケジュール調整を余儀無くされるのが面倒くさいやら都合が悪いやら。

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タイトルが『時間~TIME』とされているように、1980年03月28日~29日のデイビッド・ボウイ来京時の様子と、それから40年の時を経た2020年現在の京都、同じ場所を撮影した作品が展示される。印画紙に焼き付けられて引き伸ばされたデイビッドが居た時間。それを懐かしむだけじゃあ終われない。
フィルム撮影されたモノクロームの1980年と(恐らく)デジタル撮影された高画素フルカラーの2020年。在りし日のデイビッドを偲びながら、40年の時間を隔てた京都の佇まいを見比べる写真展でもあるわけですな。

1980年の来日時といえば、大阪で生まれた某20th Century Boyが、ボウイが京都にいてはるらしいとの噂からママチャリで京都市内を走り回ってた時・・・でしたか。誰とは言えへんのですが・・・。
何しろ、物心ついた時からのブリティッシュ・ロックかぶれ?! 小学生時分から髪の毛を肩まで伸ばして、当時オシャレな子供服なんてなかったから女性物の衣服をリメイクして頂いたり、ロンドンブーツ代わりにやはり女性物の厚底履を履いてみたり、ちょっとエキセントリックなコドモでもあったわけですな。誰とは言えへんのやけど・・・。
ええ、それもこれも、デヴュウ直後のデイビッド・ボウイの影響。
インターネットも無かった当時。僅かな情報を手掛かりに、見様見真似の”扮装”をしていたわけですな。
Angie Bowie(アンジー・ボウイ)ことMary Angela Barnett(メアリー・アンジェラ・バーネット)との間に生まれた子、Duncan Zowie Haywood Jones(ダンカン・ジョーンズ)を載せたパラムビュレイタを押すのにロングヘアには女優帽、ヒラヒラしたワンピースをお召しになったり、スーパーワイドパンツをお履きになっておられたり、ポップ・スターとしての衣装なのかプライベートでもそうであったのかなんて御構い無し。
女性だってパンツ・ルックになるし、チュニックやキュロット、パンプスも近代以前は男性の衣服。髪型や着ているもので性別を区別、差別するのはおかしい・・・なんてナマイキなガキだったのですな。誰とは言いませんが・・・。
ワタシのことはともかく、1980年と言えばカルトなロック・ヒーローがカリスマ・アーティストに変貌を遂げようとしていた頃。
米国に移り、『The Elephant Man(エレファント・マン)』を演じた頃で、ベルリン三部作からニューウェーヴなスタイルに変わる頃。
Let’s Dance(レッツ・ダンス)』が大ヒットとなったり、映画『戦場のメリークリスマス』で英軍将校ジャック・セリアズとして坂本龍一演じるヨノイ大尉とキスしちゃうちょっと前。

1980年03月28日の京都に在ったデイビッドは黒い革のトレンチ・コートをダンディに着こなした、一見フツーの小綺麗な外国人男性。それが、デイビッド・ボウイとしての扮装なのか、素顔のデヴィッド・ロバート・ジョーンズなのか、観光客でもなく京都で普通に暮らす外国人でもあるかのように、古川町商店街でお買い物をしてみたり、画材屋の店内から聴こえてきた店主が吹く篳篥の音に惹かれて入店したり、焼き立ての厚焼き卵や鰻の蒲焼きを店頭でそのまま頬張ってみたり、クラブ(?)で踊ってみたり、阪急京都線烏丸駅から梅田行きの電車に乗ってみたり・・・。極々庶民的な、スタアの日常生活といった感じでしょうか。「ベルリン三部作」の直後だけに、「Lodger in Kyoto」とも見えちゃったり。
なんにせよ、キワモノ扱いされていた初来日の頃とは隔世の感があるような・・・。
街頭の公衆電話ボックスで、右足で扉を開け放ったまま咥えタバコで電話を掛けるポーズなんて、俳優デイビッド・ボウイ、やっぱり”演じている”ようにも見えるのだけど、これは鋤田さんへのサーヴィスですかね。
翌29日の朝は宿泊する旅館に鋤田さんを呼んで、浴衣姿で戯けるところを撮らせてみたり。
ちょっと気になるのが、そのポートレイトの中のデイビッドは常に火のついたタバコを持っていて、旅館で浴衣の時も、烏丸駅の券売機前でもプラットフォームでも、路端の電話ボックスでもそれが手放せないようなところ。一時薬物に依存もしていて、そうした嗜好品が無いと落ち着けない、かなりナイーヴなヒトではあったのでしょう。トム少佐ジギーシン・ホワイト・デュークを演じないとパフォーマンス出来ない。幼子を載せたパラムを押すにしても写真に撮られるとなったら女装してみないと収まらない。京都での撮影は”京都在住の外国人”を演じてみせたのかも。
でも、その直後、洛北の禅寺、臨済宗南禅寺派吉祥山正伝護国禅寺(正伝寺さん)のお庭「獅子の児渡し庭園」で撮影された宝焼酎「純」のCMでは全然面差しが異なるから、鋤田さんの前では素顔のデヴィッドだったのかしらン。
まァ、どっちにしろいちいちカッコイイからいいんですけど。

1980年のKYOTOと2020年の京都。電話ボックスこそもう無くなってはいるものの、彼が佇んだ街の風景は、40年の時を経ても、大きく変わることがない・・・ようにも見える。ハロゲン化銀を感光材料とする旧い写真とCCDだかCMOSだかの個体撮像素子が捉えた風景とでは、モノクロ、カラーという以上に風合い、空気感が異なるようにも感じられる。
臨済宗南禅寺派大本山 瑞龍山太平興国南禅禅寺(南禅寺さん)の境内にある「水路閣」やその近所の「ねじりまんぽ」こと「蹴上トンネル」、「粟田口隧道」を写した作品も掲げられて、彼はその辺りにも出没していたのでしょうか。だとしたら、彼の匂いをクンカクンカと探ってチャリンコで走り回っていたのは、当たらずとも遠からず。ニアミスしていた・・・かも知れへん。禅寺で修行されている・・・との情報から、京都五山の別格となる南禅寺さん辺りをウロチョロと。
まァ、修行しはるんやったら、もっと人目につかへんところやろうね。

BOWIE×KYOTO×SUKITA』となる京都市内で撮影されたフォトグラフに加え、『BOWIE×SUKITA』として、ロンドンの自宅前だったりベルリンのハンザ・スタジオでのレコーディング風景なども展示されて、日本(東京?)で撮影されてアルバム『Heroes(ヒーローズ)』のジャケットを飾ったポートレイトや、山本寛斎デザインの衣装を纏って奇抜なメイクアップを施したお姿の宣材写真(?)も大きく引き伸ばされて並んでいるので、アイコニックなアイドル、在りし日のデイビッド・ボウイを偲んでキャアキャアキュンキュンとミーハーな気分に浸れます?!
40歳若返って、十代に戻ったような気になれる・・・か(うッ、歳がバレちゃう)?
当時は、髪を短くして化粧も落として奇矯な衣装も脱いじゃったデイビッド・ボウイデイビッド・ボウイなのかしらとか思っていたりもしてたのですが、それで作品のクオリティが下がることもなく、むしろ維持したままポピュラリティが高まったのですから、それはそれですごいこと。同じスタイルに固執している方がおかしいと今になって思います。
トム少佐ジギーシン・ホワイト・デュークというキャラクターと決別し、デイビッド・ボウイとしてパフォーマンス出来るようになったということでもあるのでしょう。
まァ、ワタシはオールド・スタイル、Ronno(ロノ)ことMick Ronson(ミック・ロンソン)が傍らにいた、The Spiders from Marsの時代が好きなのですがね。

映画の方に日にちを合わせたら写真集が売り切れちゃってて、そちらも残念ではあるのですが、別途入手する方法はあるようで、今日のところは懐かしいトキメキだけを頂いて次へ行きましょう。

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美術館「えき」KYOTO
から、鶏尽くしカレーなランチ・ブレイクとスイートなティー・ブレイクを挟んで、午後は烏丸駅近くのCOCON KARASUMA(古今烏丸)内にある京都シネマ
15:55から上映されるのは相原裕美監督作品となるドキュメンタリー映画『SUKITA 刻まれたアーティストたちの一瞬』。
刻まれたアーティスト・・・スプラッターなヴァイオレンス・ホラーかしらって、そんな訳はない。

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1938(昭和13)年05月05日に福岡県直方市で生まれた鋤田正義氏。
高校生の時に母に買ってもらったカメラを手に家族や近くの子供たちを撮っていたのが、大阪の写真専門学校に進学し、卒業後は棚橋紫水に弟子入り、そこを離れた後は主に広告分野でご活躍されて、1970年にフリーになるとともに単身渡英し、T・レックスマーク・ボランを筆頭に、多くのアーティストたちと親交を深めることとなる。
傘寿を目前に帰郷することを決意されて、それまでの総決算、50年余に渡る彼の業績を振り返るドキュメンタリー・フィルム。
福岡の炭鉱町で生まれた彼が帰郷するまでの記憶が鋤田正義としてのストーリー。
もうひとつのストーリーはSUKITAが関わったミュージシャンやアーティスト、クリエイターたちとのトーク・セッション。
初の渡英でマーク・ボランデイビッド・ボウイと出逢い、親交を深め、ツアーに随行するまでになり、カメラマンSUKITAの名前が世界的に知られるようになった一方で、鋤田さんが撮影したマークデイビッドが世に広まって、多くのフォローワーを産むことになる。
マークデイビッドに憧れてギター少年となったのは、デイビッドとの共演も果たし、今はカリスマのひとりとして名を連ねるアーティスト布袋寅泰で、サウンドではなくヴィジュアルにインパクトを感じたのだと語る。
ロンドン在住のHOTEIとともにロンドン郊外のバーンズを訪れ1977年09月に自動車事故で亡くなったマークを偲びながら当時の想い出を語り合い、カメラマンとしてツアーにも同行。ドキュメンタリーはそうした仕事ぶりも追い掛ける。
マークデイビッドは本当のお星さまになっちゃって、鋤田さんの作品を通して紹介されるだけにはなったのですが、二人に代わって鋤田さんに賛辞を送るのは、現在も活躍する各界のスタアたち。鋤田さんとの関わりを語り、彼の作品にどれだけ刺激されたか、彼とのセッションを振り返る。
デイビッドを通じて鋤田さんと親しく交わることになったのが、山本寛斎高橋靖子立川直樹Chris Thomas(クリス・トーマス)にIggy Pop(イギー・ポップ)、Jonathan Barnbrook(ジョナサン・バーンブルック)。この映画が作られた時にはまだ寛斎さんもご存命で。
すでに鬼籍に入られてはいるが、一時期、鋤田さんとともにあったのが寺山修司忌野清志郎
彼ら以外にも、彼の人柄、業前から撮影を依頼し、今も彼を讃えるのが、Sir Paul Smith(ポール・スミス)、糸井重里PANTAアキマツネオ細野晴臣坂本龍一高橋幸宏Jim Jarmusch(ジム・ジャームッシュ)、是枝裕和箭内道彦リリー・フランキー永瀬正敏MIYAVIに、DRUM TAOのメンバーたち。
ミュージシャンはアルバム・ジャケットやそのプロモーションのためのフォトグラフ撮影の様子を語り、映画関係者、監督や俳優はスチールカメラマン鋤田正義の手際を讃える。
それぞれがカメラの前でインタヴュウに応えるだけでなく、鋤田さん自ら彼らのもとを訪ね、当時を懐かしみながら語りあう、ギグかジャムのようなトーク・セッション。
デイビッド・ボウイをして、「SUKITAはまったく献身的で素晴らしいアーティストである。私は彼をマスター(巨匠)と呼ぶ」と言わしめて、プライベート・フォトまで撮らせたのですから、彼に続くミュージシャンたちが全幅の信頼を寄せるのも無理からぬこと。

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鋤田
さんが撮影したポートレイトをジャケットに使った、1977年リリースの11枚目のアルバム「Heroes」。
そのアートワークがデイビッドのアルバム中一番印象的であるとしてジョナサン・バーンブルックが2013年に10年ぶりのオリジナルとして発表された「The Next Day」のジャケットに再利用。
普通、こんなにされちゃったら怒りそうなものなのに、鋤田さんもデイビッドもそれを面白いと許しちゃう。そうした人柄も多くのクリエイターから慕われる訳柄なのでしょう。

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多くのミュージシャンが登場するとあって、サウンドトラックスとして、彼らのサウンドがBGMに流れる。T.RexDavid Bowieを一緒に聴くことはあっても、そこにYMOや、ましてやDRUM TAOを重ねることは無いからね。

そうしたサウンドも良いのだけれど、アルバム・ジャケットのアートワークも懐かしく(・・・って実家にまだ残っている・・・はず)、どのエピソードもちょっと慕わしいような。午前に観た『時間~TIME BOWIE×KYOTO×SUKITA 鋤田正義写真展』とともに20th Century Boy的ノスタルジアを呼び起こされたような。
傘寿を前に引退という文字が頭によぎったと言われる鋤田さんは、故郷に戻ったとはいえ、今以て現役。ワタシが憧れたアイドルやスタアは本物のお星さまになっちゃったとはいえ、鋤田さんの作品の中で永遠の時を刻むのですから、有り難いことで。
とりあえず、写真集『BOWIE×KYOTO×SUKITA』は買っとかな、ねッ。

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