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はなの色は・・・ [散歩・散走]

きょうの街散歩は洛内を外れ、洛南、伏見区から。
折しも『しだれ梅と椿まつり』が開催中の城南宮を訪ね、それらのお花を愛でるのですが、今日のテーマは「色」。そして、もうひとつ、大きなテーマは・・・?!


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城南宮
は京都市伏見区に在る方除の大社。
“鳴くよウグイス”な、西暦794(延暦13)年の平安京遷都に際し国の守護を願い造営され、国常立尊八千矛神息長帯日売尊に合祀し城南大神としてお祀りしたのが始まり。
その後、白河上皇が鳥羽離宮をお造りになってからは鎮守社として組み込まれ、京都御所の裏鬼門に当たることから方違えの宿所ともなり、方除けや厄除けの神として信仰を集め今に至る。
院政時代が終わり、応仁・文明の乱や鳥羽・伏見の戦いなどの兵火に焼かれ、昭和に入ってからも火災で本殿が焼失するなど、衰退した時期もあったそうですが、災害に見舞われるたびに復興が為され、今は観光名所となって多くのヒトを集める。
かつて離宮であったところは末社・摂社に譲られたり、あるいは広大なお庭となったのでしょう。そのお庭が整備されて、四季折々の草木で彩られた「神苑」となり、今の時期には『しだれ梅と椿まつり』が催される。

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楽水苑」と名付けられた神苑は「源氏物語 花の庭」とも呼ばれ、昭和の小堀遠州と称えられる造園家、中根金作氏による作庭で、5つのエリアで構成される。
入り口から順に、白河上皇が城南離宮造営の際、光源氏が四季の庭を巡らせた六条院をモデルとしたお庭の一部が「春の山」として残り、平安貴族の邸宅、寝殿造りの庭を参考にされた「平安の庭」、室町期の池泉回遊式庭園を模した「室町の庭」、水を用いず海を表した枯山水様式をなす「桃山の庭」、城南宮・城南離宮が最も華やかであった平安後期の様子を映す枯山水の庭園が「城南離宮の庭」。
国道で区切られて、今は「鳥羽離宮跡公園」となっている辺りは上皇さまの時代には「秋の山」があったというから、どれだけ広大だったか。

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中根
氏が生涯をかけて造園されたお庭には多くの草木が置かれているが、これから賑わいを見せるのが「春の山」。椿しだれ梅、三葉躑躅、桜などがそれで、見頃を迎えているのがツバキウメ。ツツジやサクラはまだこれから。
春の山」から「平安の庭」にかけて50種・約300本の椿があり、「春の山」を埋め尽くすように150本の枝垂れ梅があって、椿の方は品種ごとに早咲き、遅咲き合わせて長い期間楽しめるようで、は咲き始めのものを探しながら春の訪れを感じる探梅、満開の見事さを鑑賞する観梅、散りゆく様子を惜しむ惜梅、その折々に三様の風情を感じ取れるようにデザインされている。
で、今はまさに満開を迎え、観梅のとき。四年振りにそれを拝見いたします。

09h00の開苑に合わせて出掛けてきたのですが、すでに多くの人出があって、苑路は足の踏み場も無いほど!?
お花を撮影しようとiPhoneを向ける先にはどうしてもヒトの姿が入っちゃう。
仕事をサボって平日に来ようと画策していたのですが、公私共にバタバタしていて上手くスケジューリング出来なくて・・・、てか、サボったらアカンやろ。
それでも、ヒトは流れていくから、少し待てば誰もいない独り占め状態を演出出来るので、例年ほどの賑わいでもないのでしょうか。時間的な問題で、もう少し陽が高くなれば混み合ってくるのかしら。
室町の庭」と「桃山の庭」の間に建つお茶席「楽水軒」は感染防止対策として、巫女さんによるお茶のお振る舞いが出来ないようで寂しい限り。

そんなことより、人盛りより花盛り。

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しだれ梅は白とピンク・・・のように見えて、白は白梅で間違いないのでしょうが、ピンクは淡く薄い紅梅? 紅白がミックスされてのピンク?

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約500種にもなるというしだれ梅と呼ばれるものも多くあって、何れも長く垂れ下がった枝に、一重または八重のお花を付けて、ここに多く観られるには「緑蕚枝垂(りょくがくしだれ)」や「藤牡丹枝垂(ふじぼたんしだれ)」などでしょうか。数え切れないほどの花数で、枝にあっても艶やかですが、すでに散り落ちた花弁は苔の緑に淡い斑となってそれはそれで淡雪のようにも見えてコントラストが美しい。

の原種は恐らく一重の白いお花を持つものだったのでしょう。そのうちに、同じバラ科サクラ属のスモモなどと自然交配しちゃって紅く染まって変わり種。それらがヒトの手でさらに品種改良されて、八重咲きになり濃い紅色だとか薄紅だとかヴァリエーションを増やして500種類。

でね。
濃紅、薄紅とはいうけれど、白梅はきっぱりと白? 濃白、薄白って無いのん!?
それって、なんで?

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「花の色はうつりにけりないたづらに わが身世にふるながめせしまに」
お花の色はそこに含まれる色素によって決まるわけですが、野生種の多くは白がかっていて、その色を決定づけているはずの白い色素というものは無いのだという。
紅梅の赤色はアントシアニンで、葉の緑色はクロロフィル。白は・・・?
色素には各々、可視光を吸収または放出する波長の領域があって、それによって色目が決まるが、白い色素は存在せず、白いお花はアントシアニンにも近しいフラボノイドを多く含み、それは「無色の色素」ともなって、光を吸収せずに全ての色を乱反射させるから白く見える・・・のだとか。
さらには、紫陽花が顕著な例となるように、色素はその草木が生える土壌のpH値、酸性だとかアルカリ性だとかの影響を受けて変化もするし、光があってこその色の映え、光合成で生成される化学物質によって容姿まで変えてしまう。
花弁の枚数や雄蕊、雌蕊の数などにはフィボナッチ数が隠れていたり、お花はそれ単体でも数学や化学、物理で構成されて、さらには光学や地質学までが関わる。
そこが興味深く面白いところ。
色ということだけしても、鑑賞者の色覚、視覚にも関わるので、一期一会にして、千言万語を費やしても表現出来ない奥深さ。演奏者の機微、鑑賞者の心柄によって聴こえ方が変わる音楽のようでもあって、お花は音楽、芸術的。
単に、キレイ、カワイイというだけでは、関心を持つことはない・・・かも知れない。
ワタシにとって、芸術とは疑義を誘ってくれるもの。不思議でなければ興味を持てないし、不明であるから自分なりの解明、解釈をしてみたくなる・・・わけですな。
あまりに露骨に、赤裸々にウケ狙いというのはちょっと・・・。ミステリアスが魅惑的?!

「白い色素」が本当に透明なのか、ついつい白いお花をみると陽に翳してみたくなって、それであえて逆光の写真を撮ってみたり。一重は薄く、八重は濃く、それは紅色でも同じ。
遠い時代、位階、身分差を可視化表現するために官人の表着は各々色が定められ、面白いことに深紫に浅紫、深緋に浅緋、深縹に浅縹、濃淡が対になっていて、それは律令制度によっても変わるのだけど、推古天皇の御代には濃白と薄白も使われていた由。
色素に知識が及ばなくても光学的に濃く見えたり薄く見えたりするということを感覚で感じ取っていたのでしょうね。自然に存在する色目を再現しようと、染織によってそれらの濃淡を調整し、衣服に仕立てたのでしょう。
さて、そちらの色目の意味合いは・・・。

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椿
の方も、白、紅、ピンクに斑入り。と同様に一重や八重。交配が容易であるから観賞用として多く作出されて、花の形や大きさも様々で、一説には2,200もの園芸種があるのだとか。アレクサンドル・デュマ・フィスもジュゼッペ・フォルトゥニーノ・フランチェスコ・ヴェルディ&フランチェスコ・マリア・ピアーヴェもビックリやわ。
椿の花の貴婦人(La Dame aux camélias)』ことマルグリット・ゴーティエはどの椿? あッ、ヴェルディ&ピアーヴェ版の『ラ・トラヴィアータ(La traviata)』ではヴィオレッタ(スミレ)でしたね。
2,200のヴァリエーションを生み出した技芸をすごいとは思うし、面白いとも感じるのだけれど、八重咲きを過ぎた千重咲き、花弁の形を歪に変えてしまった獅子咲きなんて少々オーヴァー・デコラティヴ。お花本来の美しさをかえって損ねてしまいかねない危険性も孕んでいるようにも思います。何と無くですが、お花の細胞を癌化させているように感じます。
ロマン派のロマンティークな楽曲だからとやたらに甘ったるく演奏しちゃうプレイヤーみたい? 誰とは言えへんけど。過ぎたるは及ばざるが如し。
椿は散り落ちる際に、花弁がバラバラに分離するのではなく、多くの品種では花の姿のままに落花して、それが苔の上にある様は確かに絵になる趣き・・・ではあるのですが、だからと言って、泉水の石の上に置いちゃうのは少々演出過多。近くに枝が無いのに、花だけ落ちているのは不自然。椿三十郎もビックリやわ。

にしろ椿にしろ植物は、光や土壌、交配によって、それだけ簡単に変化しちゃうということは、相当にデリケートというか、ナイーブなんでしょうね。
自らの力だけでは移動することが叶わない植物たち。環境に適応することで生き残ろうとする自然の知恵、サヴァイヴァル術なんでしょうか。環境の変化に抗うより、全てを受け入れそれに順応出来る、とてもフレキシブルではあるのでしょう。
ちょっとしたことで右往左往しちゃうワタシたち(ン?! ワタシだけか?)がとても愚かしく思えてしまう。物言わぬお花にそれを教えられ・・・。

色の話しから逸れてきちゃいましたか。
お花は沢山に拝観出来たので、午後はヒトの手による色の冴え、染織の技巧を拝見しようと思います。

左京区までワープして、岡崎公園界隈。
平安時代には六勝寺・・・六つの巨大寺院があった故地で、明治の御代には平安遷都千百年紀念祭や内国勧業博覧会が開催されて、会期後は平安神宮として整備され、京都市動物園が開園し公園となって、その広大な敷地内に図書館や美術館、コンサートホールなどが建設されて今に至る。
美術館だけでも、「京都ミュージアムズ・フォー(Kyoto museums 4)」のうちの二つ、京都国立近代美術館と京都市美術館改め京都市京セラ美術館が相並び建つ広大な公園。
京都は旧い文化、古い芸術も多く残すところ。ミュージアムズ4以外にも大小様々な博物館・美術館が点在し、これから伺うのもそのひとつ。

・・・とその前に、お昼どす。
今日は和食の気分だったので岡崎公園の上、聖護院辺りまで回ってみたのですが、お目当のお店はコロナ禍の自粛要請を受けてお休み中。
無駄にウロウロしてはいけないので、あれこれ迷うより、いっそ美術館を目指します。

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午後は細見美術館。そちらで開催中の『特別展 日本の色 吉岡幸雄の仕事と蒐集』を拝覧いたします。
が、1階の窓口でチケットを購入してから、すぐ横のエントランスへ進まずに、地下2階まで降りちゃいます。
地上3階、地下2階からなる比較的こじんまりとして見える外観の、表からは見えない底面は中庭のような造りで、ミュージアム・ショップとカフェ・レストランが隣接する。
最上階には庭園とともに、茶室「古香庵」が設えられているのですが、こちらも感染拡大防止対策として休業中。
夜にはレストランに変わるカフェでは演奏会が催されるのでしょうか。誰弾くともなく、テラス席にグランド・ピアノ、屋内にはアップライト・ピアノが置かれる音楽的なスポット。
今回のエキシビションに合わせた落雁とグリューワインティーのセットも用意されているのだけれど、取り敢えずは先ず、お腹を拵えてから。

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前菜とパスタを頂くとそれでお腹いっぱいで、落雁ひと粒入らしまへん。ランチ・セットにもお茶が付いていたので、そんなにお茶ばかりも頂けェしまへん。
スペシャルなお茶セットは観覧後に取っておいて、腹ごなしに階上へ向かいます。

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特別展 日本の色 吉岡幸雄の仕事と蒐集』は、京都に生まれ一昨年九月にお亡くなりになった、「染司よしおか」五代目当主にして、染織史家で美術図書出版「紫紅社」代表であった吉岡幸雄(1946年04月02日 - 2019年09月30日)さんを追悼する企画展で、彼の73年に渡る生涯の、その業績を回顧するもの。
染め人、染め屋の主人として染色に携わるだけではなく、古来伝統の色、植物染め(草木染め)、テキスタイルを研究されて、それを現代に復元し、色に関わる多くの著作を残され、古都の社寺に伝わる文化財の復旧、修造にも尽力されたお方。

ワタシが何故、この回顧展に脚を運んだかというと・・・、

彼の著作の中に『源氏物語の色辞典』という一冊があり、それは『源氏物語五十四帖』に記された色・・・それは80色余りにもなる・・・を、平安王朝の雅びな装いであった「襲(かさね)の色目」、その染色法を研究・再現しようと試みた記録でもあって、再現物は作品としてこのエキシビションにも出展されて、それがお目当て。

午前中に拝観したのが「源氏物語 花の庭」、午後に拝覧するのが「源氏物語の色」。
昨年夏の蓮華探訪なお庭巡りから始まって、「浮舟」所縁の宇治や六条院があったとされてそのモデルとなった源融邸跡にある渉成園枳殻邸を歩き、先達ては『源氏絵』や『源氏系図』を拝見しました。
源氏物語』を原文で読めるようになりたいと願いつつ、先ずはヴィジュアル・イメージ先行。
光る君やそこに登場する多くの女性たちがどんなお衣装を纏ってどんなところで生活していたのか。「源氏絵」だけでなく、実際のお庭やお召し物を拝見して脳内でVirtual Reality化、Augmented Reality化?
紫式部が書いた小説に、より色彩感を加え立体感・触感まで与えようと試みる訳で、そうなると小説世界に現実的な情報を追加するから逆・仮想現実? 逆・拡張現実? 現実虚構? 要は、テキストを立体的に拡張しちゃおうってことですな。
何によらず、カタチから入るのが宜しいかと。色をリアルに感じられたら、雅やかな王朝文学が一層華やかに読めるでしょ。
そういう思いから描かれたのが「源氏絵」なのでしょうが、今時はやっぱり3D化しないと物足りない?
タカラヅカ、TVドラマや映画もいいけれど、現実のお庭のお花と染織からイマージュして、『源氏物語』を紐解く際に脳内VR化、猶々華やかで雅やかな色香を付与しようという作戦。

というわけで、「源氏物語の色」。

古来の文献をひもとき、伝世の染織遺品をはじめ古今東西の美術工芸を研究して伝統の色彩を求め、各地に伝わる染料・素材・技術を訪ねて、その保存と復興に努め、社寺の祭祀、古典文学などにみる色彩や装束の再現・復元にも力を尽くされた吉岡幸雄さん。
今回の追悼展では、
第1章 祈りの色 荘厳の色彩
第2章 王朝文学の色
第3章 神に捧げる 季節の彩り
第4章 古裂の美 - いにしえをたずねて
とした展示構成で、第1章には東大寺や薬師寺、法隆寺での祭祀に奉納された伎楽装束や幡、修二会に奉納された染和紙製のお花が並び、第2章には吉岡さんが教科書とした『源氏物語』から再現された草木染めの装束が飾られて、第3章では聖徳太子没後1380年に際して復元された「四騎獅子狩文錦」、それを織り師三人掛かりで織ったという「空引機」が紹介されるとともに石清水八幡宮に奉納された供花神饌や五節句の飾り物、染料となる植物、「染司よしおか」四代目の常雄さんが著した書物などが展示され、第4章では常雄さんと五代目の幸雄さん父子がコレクションした「正倉院裂」、「金更紗」、「小袖裂」、「古代印度更紗」などなどカタログ状に目録化したものが置かれる。
こうして列記するとカラフルな色の洪水のようでもあるのだけれど、何れも天然由来の草木染め、植物染めで眼に優しくて、地球環境にも優しいものばかり??
供物として作られた紙細工のお花は精巧で可愛いし、襲(かさね)の色目を再現し目録状の屏風に仕立てたものは現代アートのようにも見えて面白いし、何より『源氏物語』中の光る君明石の姫君がお召しになっておられたお衣装なんてもう色香が漂ってきそうに感じられて・・・。
それらは会期に合わせたのか「桜」をイメージする襲(かさね)なのですが、表が薄い白で裏が鮮やかな緋色、それが重なって午前に見たしだれ梅のピンクにも似て濃く薄く、なんともいい塩。恐らく、動くたびに薄白が翻って緋色が躍って、優艶でエレガントに見えるのでしょう。明日海りおに着せたいわ!?
桜色や紅梅色などは平安時代から愛用された色目で重ね着の配色として自然の風物の色を採り入れたもの。襲(かさね)の色目として標本化、カタログ化されていたというのが、ワタシたちが知る、RGBカラーモデルやCMYKカラーモデルなど数値化されたWEBカラーやカラーチャート、カラーマネージメントにも似て面白い。それらは三原色のバランスを数値化するのですが、古のカラーチャートはどうした染料をどれ程の分量で用いるかという配合表、一種のチャートではあったのでしょう。

そうそう、紅梅というと濃ゆい赤を想像しちゃうのですが、王朝時代の紅梅色というのは朝に見掛けたピンクよりもまだ淡く薄い色目。花の色は移ろいゆくもの?
紅梅色に近しい、由来の色目だけでも、薄紅梅重、一重、雪下紅鼠などなど。実に多彩で繊細。

聖徳太子の冠位十二階から摂関政治の頃まではその官位や役職によって衣袍の色目、服色、当色(とうじき)が厳密に規定されていて、この展示にもそれを再現したものが「澪標(みおつくし)」として第2章に置かれる。
冠位十二階から七色十三階、七色二十六階、四十八階、・・・。
ひと目で序列が分かるようにという工夫でもあるのでしょう。高貴な紫色から若々しく初々しい縹色。
のちの摂関政治の頃になると、一位から四位まで同じ黒色にしちゃったのは、高位の方々が暗殺や襲撃されるのを恐れて紛れさせちゃおうということだったのかしら。

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因みに、ワタシが休日に黒尽くめ、黒重ねになっているのは、フォースのダークサイドに落ちちゃった黒い薔薇・・・というセッティングではなく、黒衣(こくい)の黒衣(くろご)。役職や肩書きを全部外した素の状態。ステージには上がるけれど、役が付かない裏方。見えないことになっている者、そこには居ないことになっている者であろうとしてのこと。言わば、忍び。忍れど・・・。
平日はお仕事や夜遊び(?!)で自分の色を発揮しないといけないけれど、休日はこうしたエキシビションやシネマの展示作品が主役、ライヴ・パフォーマンスを演じる方々が花形で、それらより目立たないようにしようと慮って。
自分なりのドレス・コードではあるのだけれど、往年のカラス族、ディスコティックやクラブ、キャバレーの黒服みたい?
真っ黒過ぎて、浮いちゃってるんだけどね。

あッ、展示で胸がいっぱいになって、展覧会限定メニュー「紅セット」を頂くのを忘れちゃった!! 嗚呼。

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