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止ん事無き二つの世界 ~ リヒテンシュタインと源氏物語 [散歩・散走]

立春を迎えたとはいえまだまだ冬の気配が色濃くて、空も曇った今朝は肌寒ささえ感じるほど。だからといって籠っている気は更々無くて、とびきりのお洒落をしてお出掛けしましょうか。


きょうの街散歩、ミュージアム巡り、まずはGo To Liechtensteinと参りましょう。
あべのハルカス美術館で開催中の「ヨーロッパの宝石箱 リヒテンシュタイン侯爵家の至宝展」を鑑賞いたします。

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リヒテンシュタイン
(Liechtenstein)。
オーストリアとスイスに挟まれた小さなちいさな国の名前でもあり、ハプスブルク家の重臣を太祖として現在まで続く侯爵家のご家名でもあって、元は12世紀に建てられた古い城郭の名称。
国としてみると、その面積は僅かに160㎢、ワタシが生まれ育った大阪府堺市(150㎢)とほぼほぼ同じくらいで、小さな国ランキングの第6位。
ヨーロッパのほぼほぼど真ん中、海には全く接しておらず、国土の2/3は山岳地帯で、かつては農業国、大戦後は国際金融に転じて「農夫が銀行家になった」と言われるお国。
タックス・ヘイブン(租税回避地)としても知られて、国内に籍を置くペーパーカンパニーの数は人口を上回るとも言われ、そのため国民は直接税を免れるのだとか。
国際連合(UN)や欧州自由貿易連合(EFTA)、世界貿易機関(WTO)には加盟し欧州経済領域(EEA)にはあるものの欧州連合(EU)には加わらず、公用語はドイツ語で、通貨はスイス・フラン、国内を走る鉄道はオーストリア国鉄と、ヨーロッパの真ん中で国際色豊かな永世中立国。
かつては広大な神聖ローマ帝国にあって、それが解体された際に独立を成した立憲君主国家で、この巡回展が始まった2019年で建国300年、そこを治めるのがリヒテンシュタイン侯爵

元はバーベンベルク家の家臣であったのが、辺り一帯をハプスブルク家が支配するようになるとその重臣となった家系で、それ以前から父祖代々の住まいとしていたのがオーストリア・ウィーン郊外マリア・エンツァースドルフに建つリヒテンシュタイン城であったことから、1608年に初代カール1世が皇帝マティアスからリヒテンシュタイン侯爵の名を賜る。以後、その称号と要職を引き継ぎ、神聖ローマ帝国解体後の1719年に現在の地に自らの名をそのままに侯国として立国。
そこは僅かな面積となる小国ながら、侯爵家が他の伯爵家や男爵家から買い取り国外の其処此処に所有する土地はその数倍、数十倍もあって、侯爵家や彼らが運営するリヒテンシュタイン銀行、リヒテンシュタイン財団が保有する私財は国家財産を上回ると言われ、欧州に並み居る君主の中では最大の資産を所有される大貴族にして超資産家。
かつての神聖ローマ帝国皇帝・ハプスブルク家がそうであったように、美術品は財産、至宝であるとして、歴代コレクションされた絵画や彫刻、陶磁器はヨーロッパ有数の規模を誇り、今回出展されるのはほんの一部。
第2代カール・オイゼビウス侯が遺した「美しい美術品を集めることにこそお金を使うべき」という家訓を今も守り受け継がれるコレクション。

現在は第15代となるハンス・アダム2世がご当主。
首都ファドゥーツに建つファドゥーツ城を居城、官邸としながらも、ウィーン中心部に都市宮殿(シティパレス)や迎賓館からリヒテンシュタイン美術館ともなった夏の離宮、庭園宮(ガーデンパレス)をお持ちで、マリア・エンツァースドルフに在るリヒテンシュタイン城ももちろん侯爵家の所有。オーストリア国籍も兼備されて、ウィーンにご滞在されていることも多いのだとか。
初代カール1世をさらに遡り、ご一家の始まりとなった頃からお住まいだったのが12世紀に建てられ相続されたリヒテンシュタイン城で、今もその名を頂き、そこが心の故郷なのでしょう。
石灰石で作られたそのお城は白く輝いて見えたことからLIECHTENSTEIN(Light Stone/光の石)と呼ばれるようになったそうですから、光石国の光石侯の光石城。今もご一族の誇りなのでしょう。

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17世紀から5世紀に渡って蒐集されて、大戦中は財政難に見舞われ一時手放したコレクションも終戦後徐々に買い戻し、今尚所蔵数を増やし続け、その数は約30,000点にも及ぶとか。
その膨大極まりないLIECHTENSTEIN. THE PRINCELY COLLECTIONS・・・の僅かな一部が今回のエキシビション「ヨーロッパの宝石箱 リヒテンシュタイン侯爵家の至宝展」。

光石国から今回届けられた宝石箱に収められているのは、ピーテル・パウル・ルーベンスヤン・ブリューゲル(父)、ルーカス・クラーナハ(父)を含む北方ルネサンス、バロック、ロココを中心とする油彩画と、日本から齎された古伊万里や有田焼、中国の景徳鎮を含み、それに倣ったウィーン窯を中心とする優美な陶磁器などなど総数約130点。

地上300m日本一の超高層ビルあべのハルカスの16階にあるあべのハルカス美術館もこのご時世で平日の朝一番とあって人影まばら。
入口からの通路の壁や天井は都市宮殿のそれを模したプリントが貼られ、少ォしだけ侯国の佇まいを映す。
そこから先は7つのキャプション、7つの宝石箱。

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第1章は「リヒテンシュタイン侯爵家の歴史と貴族の生活(History of the Liechtenstein Family and Noble Life)」と題された、歴代侯爵、侯妃、侯世子、侯女のポートレイト集。
第3代ヨハン・アダム・アンドレアス1世の肖像メダルや第4代ヨーゼフ・ヴェンツェル1世の肖像画、以下、第8代フランツ・ヨーゼフ1世第9代アロイス1世侯女レオポルディーネ・アーデルグンデ侯妃ヨーゼファ・ゾフィーなどなどポートレイトのモデルが侯爵家ご一族なら、それを描いた画家はフランチェスコ・ソリメーナアレクサンドル・ロスランヨーゼフ・カール・シュティーラーフリードリヒ・フォン・アマーリングら、その当時の名人上手を各地から招いたのでしょう。
成人男女の肖像画は黒い背景で肌の白さ、金髪の輝きを際立たせ、1歳半の頃の侯女カロリーネ侯女ゾフィーのそれは背景を薔薇色として頬のピンクと調和させてお可愛いらしいこと。
個人のポートレイトだけでなく、ご家族での音楽会の情景を描いたものもあり、雅やかな暮らしぶりを伝える。

第2章は厳かに「宗教画(Christian Religious Subjects)」。
国の標語を「Für Gott, Fürst und Vaterland(神・侯・祖国のために)」とするカトリックのお国柄。こうした絵画コレクションも多数所蔵されるのでしょう。
ここには聖書のエピソードを写したイタリア・ルネサンスやバロックの作品が並び、描くのはルーカス・クラーナハ(父)にルーラント・サーフェリールネリス・コルネリスゾーン・ファン・ハールレムガエタノ・ガンドルフィロレンツォ・コスタマルコ・バザイーティイル・モレットことレッサンドロ・ボンヴィチーノ・ダ・ブレーシャペーテル・パウル・ルーベンスヤン・ブリューゲル(子)、ヘンドリク・ファン・バーレンベンヴェヌート・ティシ・ダ・ガロファロシモーネ・カンタリーニダニエル・グランなどなど。
画題は、イサクの犠牲楽園のアダムとエヴァゴリアテの首を持つダヴィデ東方三博士羊飼いの礼拝聖母子像洗礼者聖ヨハネ聖アンナマグダラのマリア等おなじみのもの。
見慣れたテーマも、逸話の中のワンシーン、それぞれに捕らえどころも異なって、表現に創意工夫も見受けられ、個々の特色もあって、見ていて飽きないのがこうした作品。そのエピソードを想い返して、何故このシーンを描いたかを読み解いてみる。

その流れを受けて、第3章は「神話画・歴史画(Mythological Subjects)」。
古代ギリシアや古代ローマの神話からはヘラクレスエウロパペルセウスとアンドロメダバッカスとアリアドネディアナが、そして歴史に名高い大アンリ良王アンリことフランス国王アンリ4世のお姿。
大アンリがここに在るということは、リヒテンシュタインでもカトリックへの信仰と和平、王国(侯国)平定、当時のフランスに肖ろうとされたのかしら?
それらは、ガロファロヘンドリック・ファン・バーレンペーテル・パウル・ルーベンスフランチェスコ・マジョットフランチェスコ・ズッカレッリの手になる作品。
併せて展示されるのがウィーン窯(帝国磁器製作所)による、上絵付、金彩、鍍金を施された硬質磁器のカップや受皿、絵皿に陶板。
こちらはグイド・レーニアンゲリカ・カウフマンロッソ・フィオレンティーノルーベンスの作品を原画とした絵画作品でもあって、ディアネイラクビド(キューピッド)、オレイテュイアとボレアスなどなどを主題とした、とても微細なエナメル画。

第4章は焼き物尽くし、「磁器 - 西洋と東洋の出会い(Porcelain: Orient meets Occident)」。
Orient meets Occidentとある通り、ここには中国の景徳鎮窯や日本の有田窯で焼かれた磁器にウィーン窯(帝国磁器製作所)、フランス産やマイセン窯、オランダ・デルフト窯などで作られたものも並ぶが、東洋から齎されたそれらはそのままでも芸術的価値が高いものを、古伊万里の金襴手様式からの劇的な展開なのでしょうか、金鍍金を施した金具が付けられて、ちょっとオーヴァー・デコレーションなくらいに豪華な誂え。元は多分お花生けであったものは大きな金具によって燭台に変型転用されていたり、小さな壺や蓋物に大きな取っ手が付けられてトロフィーみたくなってるものがあったり、白い生地に藍色の釉、それが黄金の金具と絶妙なコントラスト、意匠が面白い。
実用的というより装飾的で、多分とても高価なものだったのでしょう。この章に添えられるのは割れた陶磁器や銀器を描いた静物画。
壊れて王侯貴族のお部屋から捨てられちゃったものを色目や文様が面白いからと画家がくすね拝借しちゃったのね、多分。
筆を取ったのは、ヤン・ダーフィツゾーン・デ・ヘームピーテル・クラースなどなど静物画を得意とする画家たち。招かれて肖像画を描く合間にそうしたものを描いたのかしら。

第5章は「ウィーンの磁器工房(Porcelain: The Vienna Porcelain Manufactory)」。
デュ・パキエがマイセンに続いて・・・というか、マイセン工房から職人さんをヘッドハンティング、土もそこから輸入して、ヨーロッパで二番目に起こした磁器工房。
ハプスブルク家の庇護のもと発展を続け、女大公マリア・テレジア(フランス王妃マリー・アントワネットのママ!!)の時代には帝室直属の帝国磁器製作所となったアトリエ。
ハプスブルク家と命運を共にし、一旦は閉鎖、その後再興されて今に至る。
その工房はかつてウィーン、リヒテンシュタイン家の夏の離宮の隣りにあったそうで、幾種類ものディナー・セットやティー・セットなど侯爵家のキッチンにもかなりの数が保有されたのでしょう。デュ・パキエの時代の物とコンラート・フォン・ゾルゲンタール男爵に率いられた帝国磁器製作所時代の物が展示される。ほとんどがエナメルの上絵付と金彩で、白磁と相まって、鮮やかで艶やか。
旧いものはともかく、今いまの新作ならワタシにも買えるプライスだと思うのだけど、割っちゃうのが怖くて使えないと奥様が仰るような微妙な価格。ホット・チョコレート・カップがカワイくて欲しいのだけど、アンティークなそれらは多分買えないくらいのお値段?

第6章は「風景画(Landscape Painting)」。
ほぼ全てがかつての帝国領域の、ウィーンの森やアルプスの山塊に湖、その眺望に鷹狩りや鹿狩りの様子を描いたものなど。海なし国だからか、オランダの運河や海辺など、水辺の風景も好まれたようで。
ルーカス・ファン・ファルケンボルフルーラント・サーフェリーヤン・ブリューゲル(父)、フィリップス・ワウウェルマンサロモン・ファン・ロイスダールウィレム・ファン・デ・フェルデ(子)、ハインリヒ・ラインホルトフェルディナント・ゲオルク・ヴァルトミュラーらの油彩画作品とベルナルド・ベロット作品を原画とする絵皿が並ぶ。
先の宗教画や歴史画にも背景として精緻な場景が書き込まれていたのですが、それらから神様や天使、聖人、貴人、目立った人物を廃し、風景を主題とした絵画作品。聖書や神話のエピソードではなく、市井の人々を描いた情景画。ありのまま、見たままのランドスケープがテーマ。ピクチャレスク・・・絵に描いたような(絵画的)風景(画?)。

ここまででざっくり100点。
約500年に渡るコレクションは、一時戦禍を逃れて疎開していたものの、概ねお城や宮殿で愛蔵、秘蔵されていたのか、どれも保存状態がとても良く、今いま描かれたのかと思えるほど、絵具が乾いてないのではと見えるくらいに瑞々しくて美しい。磁器物にしても欠けどころか、彩色の禿げたところもなくて。
15代に渡って伝統と格式、信仰を受け継ぐ中、「美しい美術品を集めること」という遺志は「美しいものを美しいままに後世に伝える」となって、家宝として扱われていったのでしょう。趣味、好みも受け継がれたのか、どの時代をとってみても写実的で、派手過ぎずに上品で、お花や植物があしらわれ、適度な野趣を伴って落ち着いた画風のものが多いように感じられました。
美術品としての価値だけでなく、その時代、その空間を記録し、後世に遺すという意図が含まれているのかもしれません。

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そして最後の第7章は「花の静物画(Flower Painting)」。
ヤン・ファン・ハイスムフェルディナント・キュスフェル ディナント・ゲオルク・ヴァルトミュラーらの油彩画に、ゾルゲンタール時代のウィーン窯(帝国磁器製作所)による硬質磁器が百花繚乱のお花尽くし。華やかに春めいて。
リーフレットやチケットのメイン・ヴィジュアルにも使われて、このエキシビションのメダマでもあるのでしょう。ワタシのお目当てもこのお花尽くし。
しかも、これらの作品は何れも写真撮影可となっていて、お花(の静物画と磁器)を撮影してテイクアウト出来るというサーヴィスで、ハッシュタグを付けてSNSで拡散してねということらしい。
どなたのお好みなのか、やはり気高い品位の象徴なのでしょう、薔薇の花が多く描かれて、♪ バラは バラは 気高くゥ咲ァいィてェ~ ♪ な気分が味わえます?!
まァ、紅きばら一つ 誇らかに咲くでも、白きばら一つ清らかに咲くでもいいのですが、紅薔薇に白薔薇、一層愛らしいのがピンクの八重咲き。おフランスはベルサイユでなくても、薔薇は優美にして「光る石」の城に映えていたのでしょう。
♪ 嗚呼、リヒテンシュタインにバラが咲くゥゥゥ~ ♪ では語呂が悪いぞ。
その頃、少女漫画やタカラヅカはまだ無いのだけれど(?!)、いわゆる「ベルばら」の時代の後、フランス皇后であらせられたジョゼフィーヌ・ド・ボアルネの影響でしょうか。夫が戦争をしている傍らで、その敵国とバラに関する交信をされておられたり、250種もの原種の収集をなさっていたりした・・・らしいし、この頃から人為交配が盛んになって、現在見られるようなバラらしいバラ(?)が多く作られ始めた時代。
ここに掲げられる「花の静物画」8点が描かれたのはいわゆる「ウィーン体制」の時代、「ウィーン会議」から「諸国民の春」こと1848年革命」までの間。平和な時期は短かったものの、その象徴でもあったのか、ゴージャスなお花が侯爵家のお庭やお部屋を彩っていたのでしょう。
ナポレオンも軍を率いたりせず、奥方連のバラ外交(?)に委ねていれば、硝煙の臭いより薔薇の香り、世界は違っていたでしょうに。
そうそう、余談ですけど、社交界の花形ジョゼフィーヌの元のお名前はマリー・ジョゼフ・ローズ・タシェ・ド・ラ・パジュリ(Marie Josèphe Rose Tascher de la Pagerie)。ローズ(薔薇)と名乗った、魔性の女。真の「ベルサイユの薔薇」? 色々と"止ん事無き"ことが多かったのね。このひと、なかなか面白い。

意識がリヒテンシュタインからベルサイユに飛んじゃってますね。そろそろ次へ移りましょう。
空いていたこともあって、ゆったりと観ることが出来て、そこを出たのが正午頃。
美術館のすぐ上、ハルカス19階にある大阪マリオット都ホテルのラウンジでは今回のエキシビションに合わせたスイーツとお茶のセットが頂けたりもしたのですが、それだけじゃあお腹が満たされないということもあって、中之島へ行くついでにダイビル本館1Fのカフェへ立ち寄り。LiechtensteinからBayernへ。

かつてはバイエルン王室およびドイツ帝国皇帝から王室御用達として重用された、創業300年を誇るヨーロッパ最大デリカテッセン、ダルマイヤー(Dallmayr)。
元は雑貨屋さんで、今は独自ブレンドのコーヒーや紅茶、パーティー用のケータリングに自動販売機の販売などを商うデリカテッセンビジネスの大手。
ミュンヘンにあるスタムハウス「DerDallmayr」の他、世界各地でショップやカフェも展開し、中之島にあるDallmayr Café&Shopもそのひとつ。
大阪は梅田の外れに領事館がある割りにはその近隣にドイツ料理店が少なくて、しかもビール抜きでとなるとかなり難しい。
リヒテンシュタイン候となる以前の始祖がバイエルンのご出身だとかなんとかで、何れにせよ今日はドイツ風。
ほんとはこの後フェスティバルタワー内にある中之島香雪美術館に行くのでそのついで。

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本日頂くのは「ミュンヘンプレート」。
4種類のハムとソーセージ、本場のプレッツェルを贅沢に盛り合わせたワンプレートメニュー。んン、ビールが欲しくなる?!
適度な大きさのプレッツェルは歯応えしっかりとした食感で、その下にはハムステーキが敷かれ、にゅうっと2本あるのは皮がパリッとして肉汁たっぷりなソーセージ。薄く切られたハムの向こう側はマッシュポテトとザワークラフトとピクルス。
プレッツェルやハム、ソーセージは苦味を伴ったオトナ味で、プチっと弾けるソーセージの肉汁が甘味を伴って濃厚に感じられる。ポテトやザワークラフトはあっさり控えめなお味。
これだけでもお腹いっぱい・・・なのですが、お目当てはスイーツ、数量限定の「アプルシュトゥルーデル」。林檎を使った焼き菓子に眼がなくて。バターたっぷりなパイ生地は重いしヘルシーじゃないでしょ。薄い薄いシュトゥルーデル生地でないとね・・・って、アイスクリームが付いていて、これも結構カロリー高め? セイロンティーとセットで頂きます。

さて、旧神聖ローマ帝国・ドイツ連邦にはここでAuf Wiedersehen、お別れを言って
同じ雅びやかでハイソサエティな世界でも、午後はぐっと趣きを変えて、しゃなりしゃなりと『源氏物語』の世界へタイムトリップ。光り輝く石の国から光り輝く君のもとへ。

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源氏物語』は紫式部が著した、平安時代中期の長編物語。
光源氏やその子、孫、四代に渡る、恋愛、栄光と没落、政治的欲望と権力闘争など、当時の貴族社会を映した時代小説。
多くの写本が作られ、やんごとなき方々に愛読されて、一種の教養本ともなり、絵画化されたものは『源氏物語絵巻』など「源氏絵」としてひとつのジャンルを形成するほど。その多くは絢爛豪華、現存するものの幾つかは国宝にも指定されている。
中之島フェスティバルタワー・ウエスト4階にある中之島香雪美術館で現在開催中の特別展は「源氏物語の絵画 - 伝土佐光信『源氏系図』をめぐって」。
源氏物語』をヴィジュアル化したのが「源氏絵」なら、長い長い物語を読み進めるために書き添えられたのが『源氏系図』。登場人物の紹介を記した副読本、解説本といったところでしょうか。
テキストからヴィジュアル化、小説から漫画化、実写化、アニメーション化、テレビ・ドラマや映画などに展開されて、その解説本が発行されて・・・。千年前も現在も、媒体こそ変われど、やってることはあんまり違わないのが面白いところ。
今ならウィキペディアなどで捕捉説明を拾いながら、電子書籍化された小説をコンピュータやタブレット端末で読み進める感じ?
当時は印刷すらない手書きの時代。多く作られた写本はそれぞれに贅を尽くし、外題は誰が書き、詞は誰に書かせて、絵筆は何方に託しましょうと、様々なヴァリエーションが生まれ、やがて独り歩きし始めた絵画は「源氏絵」となって絵巻物になり、あるいは軸装され、扇面画になり、屏風絵に仕立てられ・・・。
このエキシビションで紹介されるのはそれら『源氏物語』の絵画・・・「源氏絵」に、香雪美術館が所蔵する「伝土佐光信『源氏系図』香雪本」をメイン・コンテンツとして。

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朝日新聞社
の創立者で政治家でもあった村山龍平は茶人、数寄者として玄庵香雪と号し、美術収集家でもあって、兵庫県神戸市東灘区にある旧村山邸の一部はそれらを収蔵する香雪美術館となった。
大阪市にも縁が深く、大阪朝日ビル・朝日新聞ビルがフェスティバルタワーとして建て替えられた際にそこに作られたのが分館に当たる中之島香雪美術館
リヒテンシュタイン侯爵家ほどではないにしろ、日本画、中国画、彫刻や工芸品に加えて、書跡や古文書もあり、香雪翁が遺したコレクションに村山家から寄託される物を含めて、所蔵品は総数にして約2,000点。
その中から『源氏系図』に関わる「源氏絵」コレクションを出展。合わせて、石山寺や各地のミュージアム、個人から借り出した『源氏物語』の絵画、土佐派を中心とした展示がなされる。
石山寺にお籠りになって執筆される紫式部を描いたものや、小さな蒔絵箪笥に収められた『源氏物語五十四帖』が2組あるかと思うと、金泥も煌びやかな六扇の金屏風二隻一双、六曲一隻などが何組もあって、物語中のエピソードを描いた扇面や画帖が並び、作中で詠まれた和歌をカルタに仕立てたものまであって、平安から鎌倉、室町、江戸、長い時を重ねて、広く愛読され、絵画や工芸品にまで発展し、ストーリーだけでなくその中で読まれた歌まで識られて一般教養化、浸透していたのでしょうね。
源氏絵」を見てはこれはどの帖のどうした場面であるかを想ってみたり、カルタを広げてはこの歌は誰が何処で読んだかを語り合ったりしていたのでしょうか。

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さて、肝心の「伝土佐光信『源氏系図』香雪本」。
」とあるのはそれが土佐光信の真筆であるのかどうかが微妙であるらしい。
彼が表紙絵を描いた『源氏物語五十四帖』があって、おそらくそれに添えられたものであろうということ。
土佐派の絵師の紹介とその画業をまとめた資料『本朝画事』には、光信版『源氏物語五十四帖』の記述はあるが、『系図』については触れられていないようで、その真偽の判定がつきかねるのでしょう。『五十四帖』セットの一部だとかオマケとして含まれて、それで記載がないのかも。豪華な54巻揃いだもの、おまけのひとつも付けて欲しい。
この展覧会では「源氏絵」、絵画だけではなくそうした資料も展示され、村山コレクションから木版墨刷『本朝画事 住吉弘賢訂正本』も出展されている。
絢爛豪華な「源氏絵」も眼の保養ではあるのですが、『源氏系図』やそうした『本朝画事』などの資料までが書き写され、木版からプリントまでされて流布していたことを考えると、文学や芸術の枠に収まらず、知識、教養として親しまれていた、当時の文化水準の高さを思い知らされたようで・・・。
ワタシもそうした古来の文芸に親しみたいと願いつつ、活字に慣れた眼では連綿体は文字として判読することすら難しく、草書体はおろか楷書体でさえ漢字ばかりが続くと眩暈がしちゃって・・・。ニホンゴ、トテモムツカシクテ、ワッカラナイデェス!!
デジタル化した「源氏絵」に活字体で、それも現代語訳が精一杯? 古文の勉強をやり直します?

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中之島香雪美術館
には常設展示として、国指定重要文化財「旧村山家住宅」に建つ茶室「玄庵」の写しが路地を含めて再現されていたり、館内に併設された村山龍平記念室では朝日新聞社村山龍平の足跡や旧村山家に関する資料があったり、何れ機会があれば神戸市東灘区御影にある香雪美術館(旧村山家住宅)も拝見したくなりました。

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