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欺く華 [散歩・散走]

『古今集』
はちすの露をみてよめる 僧正遍昭

はちす葉のにごりにしまぬ心もてなにかは露を玉とあざむく

さて、本日のテーマは(ハス)。夏の花を訪ねて、宇治市に向かいます。


先週に引き続き、京都の夏の庭を訪ねます。
そこは「あじさい寺」としても知られるお寺さまなのですが・・・。

梅雨の晴れ間。カラッと晴れてはいないのですが、それがかえって蒸し暑さを招きそうな今日の京都地方。インバウンドな方々が来られなくなってひと頃ほどの混雑は無いとはいえ、長引く梅雨の中休み、市内の名所はそれなりに「密」になりそうな予感がする。それを避けて、今日は京都市を離れて、宇治市に向かいます。
京都の花の名所、その多くは社寺仏閣でもあって、「花の寺」として知られるところが幾つもあって、これから伺うのもそのひとつ。

千手観音菩薩をご本尊とし、西国三十三所第十番札所となっている明星山三室戸寺
あじさい寺」としても知られ、10,000株を数える紫陽花がそれぞれに白や青、紫ととりどりの色香を誇るのですが、あじさい園の開園期間、06月01日~07月05日には日程の調整がつかず、あじさい園の閉じられたあじさい寺となってしまって。
ですが、それを引き継ぐように、境内狭しと並べられるのが鉢植えのハス

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の花は午前中に開き、午後には閉じてしまう。出来れば早い時間に拝見したいところですが、三室戸寺の開門時間は09:00となっている。それまでは、ぶらぶらと宇治周辺の小径をお拾いで。
見た目こそ他と違いのない細道はそれぞれ「さわらびの道」、「かげろうの道」といかにもな名前が付けられ、それは『源氏物語』全五十四帖のうちの最終部、俗に「宇治十帖」と呼ばれるパートの巻名に由来して、「早蕨(さわらび)」が第四十八帖で、「蜻蛉(かげろう)」が第五十二帖。他の8巻分もあるのかしらとGoogleマップを広げてみましたがどうやらそれは無さげ。
源氏物語』は折にふれて何度か読み返してはいるのですが、現代語訳版でないと読めない悲しさ。ましてや、長大で、光源氏が主に洛内で多くの女性と逢瀬を重ねる前半から中盤は印象深く記憶していても、第三部だか第四部だか、紫式部以外の人物の手になるとも言われ、続編めいた後日談とも取れる、その子供や孫の世代となる「宇治十帖」までは集中出来なくて・・・。薫の君匂宮にケチを付けるつもりはありませんが、光る君あってこその『源氏物語』。華やかさ、雅やかさ、色っぽさ、艶っぽさよりものの哀れが勝っちゃって、ちょっと重苦しい気もして。近々じっくりと読み込んでみたいとも思うので、そのプレイベント(?)として宇治周遊。「さわらび」、「かげろう」を辿り、そこここに掲げられた『源氏物語』を紹介するモニュメントを探しながらの漫歩き。

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さわらびの道」に沿ってあるのは、宇治上神社宇治神社。二社一体、対になり、元は菟道稚郎子の離宮「桐原日桁宮」の旧跡であったと伝わり、創建年代などの起源は明らかになっていないそうなのですが、宇治上神社の本殿は1060年頃に建立された「現存最古の神社建築」であるそうな。拝殿と本殿は国宝となり、ユネスコの世界遺産にも登録されている。

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宇治といえばお茶。室町時代には宇治茶の栽培が盛んになり、茶畑は「宇治七名園」として整備され、お茶に不可欠な水も「宇治七名水」が指定されたが、他は枯れてしまって、現存するのは宇治上神社境内に湧く「桐原水」だけとなってしまっているらしい。
近代になって治水事業が進められ、河川の流れも変わり、氾濫や土砂災害は少なくなったのでしょうが、生活用水を求めて深い井戸を掘ったり、天然水ブームから地下水をガンガン汲み上げちゃったりしたのが原因で、地下の水脈の流れが大きく変わっちゃったのね、多分。
ヒトなど生物では気脈、血脈。地球など天体でそれに変わるのが水脈であったりマグマなどの流動性の構成物質。原油やガス、金属などの鉱物資源を求めて、世界中で掘って掘って掘り尽くしちゃったために水やマグマの流れが変わって、あるいは枯渇して、それで地震やら地殻変動やらが増えているんじゃないかしらと思ってしまう。豊富な地下水がその大きな水圧で抑え込んでいたのが枯渇してしまって、歯止めが効かなくなってきているのではないかと想像してしまう。

・・・と話しが随分大きく遠くなってしまいました。宇治に戻りましょう。時間も頃合い、三室戸寺に向かいます。

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開門と同時に境内に立ち入り、まずは本堂に向かって参拝してから。
秘仏となっている千手観音像をご本尊とし、伝説めいた創建伝承が残る三室戸寺は770(宝亀元)年に、光仁天皇の勅願により南都大安寺の僧行表が創建したとされる。火災による焼失や、足利義昭に味方し織田信長と敵対したことから寺領を没収されたりして、伽藍のほとんどは江戸期以降のもの。
宇治十帖」の重要人物、浮舟の念持仏とされる平安時代作の「浮舟観音像」があったり、元は「浮舟社」というお社があり、それが江戸期に石碑に改められた「浮舟の古蹟」があったりと、「人形」とされた悲恋の姫君と縁が深く、源氏物語ミュージアムもすぐお近く。

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長い永い物語、多くの女性が登場する中、克明に心の機微まで画かれた、一番リアルな浮舟さん。もしかしたら、何方かモデルとなる方が居られたのか、何がしか作者の思い入れがあって、あるいは「さむしろ(狭筵?)」での逢瀬に宇治川への入水、その儚げで泡沫の行く末が当時の読者の共感を呼んで奉納仏やお社が造られるに至ったのでしょうか。浮舟薫大将匂宮、不協和にも響く三重奏は愛憎渦巻く宇治川に翻弄される小さな舟。世阿弥作の能楽にもなって、浮舟の魂を鎮めてあげないといけないと思えるほど、現実的で身近に感じさせるものがあったのでしょうね。

・・・と、またまたテーマから外れてしまう。

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つつじ・しゃくなげ園
あじさい園を擁する「花寺」はその主役を紫陽花からに譲って、本堂前の蓮園には100種250鉢が並び、それぞれに丸い大きな葉と一層伸びやかに丈高い花茎を掲げ、姸を競うかのようで、6月から8月にかけては「蓮の寺」となる。
大洒錦大賀ハス古代バス青円寺ハス陽山紅ミセススローカム、et cetera。
インド原産で、仏教伝来とともに中国経由で輸入され、花びらが散った後の花托が蜂の巣のように見えることから「はちす(蜂巣)」、それが転訛して「はす()」と呼ばれるようになり、「水芙蓉」、「不語仙」、「池見草」などの別名を持ち、ヒンドゥー教や仏教など東洋宗教においては睡蓮とともに「蓮華」として清らかさや聖性のシンボルとされる。
根っこは言わずもがなの「蓮根」で、お花は「蓮茶(花茶)」に用いられ、種子や茎も食用にもなり、余すところなく、一片の無駄も出さないところは禅の教えにも通じるのでしょうか。
水底の泥の中に太く大きな根を広げ、そこから丈高い茎を伸ばし、水面より高く丸い大きな葉と艷やかな花を掲げる
不浄な泥地に在って美しく清らかな花を育てることから、「泥中の蓮」、「蓮は泥より出でて泥に染まらず」、五濁悪世にあっても悪しきに馴染まぬように生きよと教えに活かされて。

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さて、インド原産のハスは仏教と深く結び付き、極楽浄土に咲く蓮華(ハススイレン)は美しい生き方の見本(?)とされて、「法華経」など幾つかの経典にも読まれてはいるのですが、美し過ぎるが故に平安時代前期の歌僧、遍昭さんはちょっと疑念を懐いちゃったのね。

はちす葉のにごりにしまぬ心もて なにかは露を玉とあざむく
遍昭さんは六歌仙三十六歌仙に選ばれている歌人。桓武天皇のお孫さんで、歴代天皇にも寵遇されエリート官僚でもあったお方。仁明天皇崩御に際し35歳で出家し、75歳で卒去されるまで雲林院宮の僧官に任じられ僧正までなられた。
若い頃は貴種でエリート高官、和歌もよくして、「天つ風雲のかよひ路吹きとぢよ 乙女の姿しばしとヾめむ」と詠んでおられたくらいですから、深草少将とも渾名されたご本人もさぞやヴイヴイ謂わしてたのでしょうが、僧籍に入られてから何か思い当たるところがあったのか、「泥中の蓮」でさえ「露を玉とあざむく」なぞと仰る。
聖性を秘めた美しい浄土の花でさえそうなのだから、見目に欺かれず、物事の本質を知らなければいけないよ・・・ということなのでしょう、多分。
ハスのその大きな葉は突起微細構造と化学的特性によって、濡れることなく、表面についた水をコロコロと丸い水滴にし、かつ、表面に付着した汚れまで水滴とともに転がし洗い流す自浄作用まで備わって、「泥中の蓮」でありながら「蓮は泥より出でて泥に染まらず」、ロータス効果(ハス効果Lotus effect)と呼ばれる超撥水性能を有する。で、それをして、東洋の宗教では純粋さや善性、聖性のシンボルとされて、五濁悪世にあっても悪しきに馴染まぬように生きよとの説法にも利用された。
遍昭さんはもちろんお釈迦様の教えを心得ておられるでしょうし、数多の経典にも精通されておられたのでしょうが、ハスでさえ欺くと詠んでみせる。
ハスは性典の中では女陰の象徴とされているし、ご出家される前の良岑宗貞だった時代に女性関係でご苦労されたのかしら。「乙女の姿」に謀られたりもしたのかしら。天女に見えた「新嘗祭」の巫女さんたちは案外イケイケだったのかしら。違ったら、ごめんなさい。
繊細な感受性がハスの中にエロティックかつグロテスクなものを感じ取っちゃったのでしょうか。
兎にも角にも、経文の教えよりさらに踏み込んで、見た目だけに囚われず、本質を見抜く眼を持ちなさいと、高僧らしい教義的意味合いを込めた和歌なのだとワタシは解釈します(個人的意見です)。

歌学(かがく)の時代の歌僧、歌人を魅了し、それよりさらに以前のお釈迦様の時代から着目されていた「ロータス効果」。化学(かがく)の時代の我々がその構造を理解してもなお不思議で面白いと思えるのだから、それが解明されるまでは霊的、あるいは宗教的と考えられたのは宜なるかな。スピリチュアルな浄土のお花と呼ばれる由縁。
でも、エリート官僚時代に世の中の「五濁悪世」を見てこられた遍昭さんは「ハスでさえ」とお考えになられた。

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で、ワタシの眼から観れば・・・、
ロータス効果」の不思議はともかく、生存競争の結果に泥地を勝ち取ったのか追いやられたのか、他の草木が犇めき合う陸生を放棄し、清流に流されるより濁泥にシッカリと太く大きな根を張る方が良いと・・・植物に意思、意識はないとは思いますが、そうした土地に根付いたハス。水面に大きく丸い葉を掲げ、さらに高く花茎を伸ばす。
水棲動物に影を与えるかもしれませんが、少なくとも他の水生植物にとっては大迷惑? 大きく太い根っこが四方に蔓延り、他の光合成を脅かすよう水面上を覆い尽くほどに大きな葉や花を繁茂させて、植物にとっての命の源、水と光を独り占め。美しいけれど我が強い、美しい分強過ぎるようにも思えます。
麗しい花を育てるのだから、丸い大きな葉で光と水を集めて、その化学変化から得たエネルギーを太い根っこに蓄えなくちゃいけないのと宣う我儘(傲慢?)で豊満な麗華。自浄はしても他者を思いやっていない・・・のではないか・・・と。美し過ぎるが故に、思い遣りと配慮に欠ける?
午前中に開いて午後には閉ざす花弁。それを3日間繰り返して、4日目には散ってしまう。儚いようでいて、残った花托には大きな種子がしっかり抱かれている。
約2000年前、弥生時代の遺跡で見つかった種子が再生、発芽し古代バス大賀ハスとなっているのですから、生命力も強く、なかなかにしぶとい。
ヒトに例えるなら、美しさとともに才長けた、ちょっとモーレツ(死語?)っぽい才色兼備で帰国子女的バリバリ・キャリアウーマンみたいな・・・? スーパーウーマンかワンダーウーマン?
そう考えると日本的な大和撫子(死語?)には程遠くて、かつては乙女好きだった(?)僧正遍昭もインド原産の外来種らしさが鼻についてちょっとディスってみたくなったのかもしれませんね。
リスペクトされるべきものをあえてディスリスペクトしてみせる。お花の美しさを讃えつつ、ロータス効果の不思議に関心を寄せつつ、その奥底にある品性を見極めなければいけないよと。
歌学と化学(自然科学)。宗教や仏教学を通して哲学に通じるのでしょうが、遍昭さんもそうした深いお考えがあってそれを三十一文字に込められたのでしょう、多分。個人的見解ですが・・・。

・・・と難しいことを考えていると、強い陽射しと相まって、アタマが頭痛。そろそろ日陰に避難しないと熱中症になっちゃいそう。

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宇治川
に掛かる宇治橋を渡って平等院
ここの住所は、「京都府宇治市宇治蓮華」と、ハスに関わる聖地?
光源氏のモデルともいわれる左大臣・源融の別荘であったものが宇多天皇に譲られ、源重信を経て、摂政・藤原道長の所有する「宇治殿」となり、その息子、藤原頼通が寺院に改めたのが「平等院」。
山号は朝日山、開山は天台宗の僧、明尊で、阿弥陀如来坐像をご本尊とする。
1052(永承7)年の創建時は大日如来をご本尊として祀る本堂宇治川の岸辺近くにあって、翌年1053(天喜元)年に西方浄土を模した阿弥陀堂が建立されて、それが現在、国宝にも指定されている鳳凰堂。それを取り巻くお庭は「浄土式庭園」と呼ばれ、天災や人災が続き、その不安から当時流行った末法思想ゆえに現世の極楽浄土を形作るとされているが、幾度かの戦火にも見舞われ、焼け残ったのは鳳凰堂のみで、頼通さんが夢に見た極楽浄土の様相、「観無量寿経」の所説をコンセプトとする明尊さんの設計思想は僅かな面影。それでも国宝や重要文化財とされ、ユネスコの世界遺産にも指定されている。
鳳凰堂全体は十円硬貨表面のデザインに取り入れられて、屋根の上に立つ鳳凰像は一万円札にプリントされているのだから随分お金に縁の深いところ?!
それを中島とする阿字池は極楽にあるという宝池を模しているそうで、水面にスイレンが浮かんで、周囲の所々に鉢植えのハスが置かれ、蓮華咲く浄土を演出されているのですが、今日は陽射しが熱くて暑くて灼熱地獄を想ってしまう。立っていられず、宝物館に変わる平等院鳳翔館へと一時避難。
そこは、国宝となる「梵鐘」や重要文化財の「十一面観音菩薩立像」を始め、国宝「雲中供養菩薩像」26躯や「鳳凰像」などとともにコンピュータグラフィクスを使った堂内再現映像が展示され、コンクリートとガラスで再現された極楽浄土のようでもある。創建当時の出土品も夢の跡。
どういった想像でそれらの仏像や霊鳥が形作られたのか、機会があればデザイン・コンセプトを探ってみたいと思います。本来なら教義を紐解き、そこからそうした宗教芸術といったものを考証しないといけないのでしょうが、難しそうで時間が掛かりそうなので、お庭の造作や造形物から教えを読み解いていこうかと考えます。
が、暑すぎてアタマがオーヴァーヒートしてしまいそう。続きはまたの機会に。
というわけで、京都のお庭探訪はしばらく続きます・・・かしらン?!

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