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メアリー・エインズワース浮世絵コレクション [散歩・散走]

昨日、今日と少ォしずつ日の暮れも早まって、朝晩は(多少)涼しげな風も吹く・・・ような気もする「立秋」。
とは言え、昼の暑さは(全く)衰えを知らず、どころか残暑の方がいや増すようで、残酷なまでに酷暑なんてシャレにもならない。
何より殺人光線めいた陽射しが肌や眼を刺すので外出もままならず、自転車散歩、ポタリングなど以ての外と思えるほど。
暑さ対策に栄養を取らねばと思っても、胃腸障碍からそれも思うに任せず、口福が得られないならその分耳福、眼福をと、知的冒険、演奏会や絵画鑑賞に時間を費やして。
仮令、身体は痩せ衰えても、脳細胞に知識という栄養を与えてやらないといけなくて、自宅で勉強でもいいのだけれど、そこはそれ、出掛けないことにはブログのネタが拾えないので、陽射しを避けつつ、エア・コンディショニングされたホールやミュージアムを訪ねます。
今日も絵画を拝見するのですが・・・。

午前は天王寺公園内の大阪市立美術館にて、今日を初日として09月29日まで開催される『オーバリン大学アレン・メモリアル美術館所蔵 メアリー・エインズワース浮世絵コレクション - 初期浮世絵から北斎・広重まで』を鑑賞致します。

オーバリン大学メアリー・エインズワース浮世絵?!

常日頃、”血中仏蘭西人濃度128%”だとか、”フランス近代芸術好き”を公言し、いっ時は”ピエール”とアダ名されていたワタシではあるのですが、(お盆が近いこともあって?)今日はお里帰り? フランス近代絵画、就中「印象派(Impressionism)」に多大な影響を与えたとされる「ジャポニスム(Japonisme)」、その源流を訪ねる冒険。

反古として工芸品の包装に使われた風俗画は海を渡ってヨーロッパに齎され、その地で大変珍しがられて、「ジャポネズリー(Japonaiserie・日本趣味)」が爆発的なブームになり、「ジャポニザン(japonisant)」と呼ばれる日本美術工芸品収集家たちがそれら日本由来の逸品を奪い合う事態にまで発展。
感化されたのは画家だけでなく、作曲家クロード・ドビュッシーをして交響詩「『管弦楽のための3つの交響的素描(La Mer, trois esquisses symphoniques pour orchestre)」の楽譜表紙にHokusaiの「Les Trente-Six Vues du Mont Fuji」こと「富嶽三十六景神奈川沖浪裏』」を模写するに到り、彼の場合、「このくらいの絵ならボクでも描ける」と言ってそうな気もするのですが、その当時、それほど浮世絵は面白がられて、珍重されてはいたのでしょう。

フランス近代芸術への影響・・・を考え出すと「ジャポニスム」だけに留まらず、「シノワズリ(chinoiserie)」と呼ばれた中国趣味があって、考古学的発見から古代ギリシア古代ローマにロマンを求め、近代オリンピックも始まって、万国博覧会が開催されて、エトセトラ、et cetera。

そもそもが、旧くは「古典フランス(la musique française classique)」と独自性を掲げながらその規範はローマに求めていたり、クロワッサンやバケットなどのいわゆるフランスパンは実は「ヴィエノワズリー(Viennoiserie)」とウィーン風。

余所の美味しいところを真似ながらうちが一番と言うのがフランス?!
ラテン語圏の、カトリック圏の、というのが拘りどころになっちゃっていたのか、近代以前は意外に保守的で、余所の血を入れながら、それとともに文化も輸入し、それをソフィスティケイトさせることで恰も前々から持っていたかのように振る舞う。オーストリアからお輿入れされたお姫様が断頭台の露と消えてもその香りは永遠にそこに止まる。バラは、バラは、美しく散るゥ・・・ですな。

あれッ、なんの話しでしたっけ? 今日はフランス近代ではなく、それに影響を与えたとされる「ジャポニスム」のお勉強でしたな。

ヨーロッパの伝統が血統的に濃くなり過ぎて、欧州の外に血筋を求め出したのでしょう。それを全部書き出すと止まらなくなってしまう?! ので、今日のところは「日本趣味」の源流を知るに留めて。

ジャポニザン」な浮世絵コレクターはおフランスだけではなく、アメリカにもおられて、ミス・メアリー・エインズワース(Mary A. Ainsworth 1867-1950)もそのおひとり。
生涯独身を通した彼女は好きが高じて1905年に来日も果たし、以来約25年に渡って蒐集した浮世絵版画は1,500点以上にも及び、1938(昭和13)年に日本で作られた「番付表『古今東西浮世絵数寄者総番付』」の内「外人数寄者いろは番付」に記載された名だたる著名コレクター連の中に在って唯一の女性。
お生まれになったのが、パリで最初の万国博覧会が開催されて、日本国内においては大政奉還が成った年。

江戸幕府が倒れて、明治政府が発足しようかという動乱時に遥々パリの万博に出展してたって、それはそれでどうなのよと思っちゃいますが、政治向きと文化面は別物、お役所仕事的に管轄、担当が違ったのでしょうし、役人に変わって、市井の商人や職人さんが奮起したのでしょう・・・とまた脱線しそうで、閑話休題。

ミス・エインズワースは、アメリカで最初の男女共学校となったオーバリン大学をご卒業。その縁あって、彼女が集めに集めた浮世絵版画版本は、彼女の死後、アフリカ系アメリカ人など有色人種まで真っ先に受け入れたというそのリベラル・アーツ・カレッジに遺贈されて、同校内アレン・メモリアル美術館のスペシャル・コレクションとなる。
多くの浮世絵を蒐集する中でも歌川広重が特にお好みであったらしく、また制作された数量から、1,500点のうち、その大半は江戸後期の「錦絵」となるようなのですが、その先駆でもある輪郭線だけの「墨摺絵」、単色刷り木版画からそれに赤い顔料などを着色した「紅絵」、版木に赤と緑を載せた「紅摺絵」、黒に漆を混ぜて光沢を持たせた「漆絵」、輪郭線を廃した「水絵」などなど、現存数が極端に少なく眼にする機会があまり無い貴重な初期の作品も含まれて、それらがお里帰り展として披露されるのが今回のエキシビション。
千葉で最初に公開されて、静岡を経て、大阪市立美術館へと巡回し、展示作品数は流石に1,500点まるっとという訳にはいかず、選りすぐりの約200点。それでも十分に凄い数。

フランス近代芸術への影響を探るためにアメリカ人女性がコレクションした日本の風俗画を鑑賞する・・・って、なんだかかなりの多重屈折?
クール・ジャパンな版画が涼を齎せてくれるのか、今日はインバウンド気分(?)でエキゾティック・ジャパンを拝見致しましょう。Go!! Go!!

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09h30の開館とともに大阪市立美術館に入場。一階フロアを全部使った特別展の約200点は、
第1章 浮世絵の黎明 - 墨摺絵からの展開
第2章 色彩を求めて - 紅摺絵から錦絵の時代へ
第3章 錦絵の興隆 黄金期の華 - 清長から歌麿へ
第4章 風景画時代の到来 - 北斎と国芳
第5章 エインズワースの愛した広重
と、ほぼほぼ時代に沿って様式の変化を紹介する構成で展示されて、六大浮世絵師(春信清長歌麿写楽北斎広重)の優品がハイライトとなる。

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大和絵」から分離独立を果たした風俗(版)画が「浮世絵」と呼ばれるようになったのは1680年ごろのこととされて、その頃は輪郭線を墨一色でプリントしたシンプルな様式。
江戸幕府が樹立し、それが安定した頃なのでしょうか。ご政道も江戸中心へと移行、社会的にも太平の世となって、それに伴って文化もそこが発信地となったのでしょう。そして、公家や武家などの大家に限定されていたアートやエンターテイメントが庶民へと拡がった時代。手描きでは需要に追い付かなくて、版画印刷が重用、多用されることになったのでしょう。
色彩を伴わない分、輪郭線がそれぞれの趣きを主張し、そこに描かれる人物の頭髪や容貌こそ繊細に描かれるものの、衣装や背景には大胆に太い線描が見られて、加えてのちの「錦絵」の片鱗も伺えるような画法。「水墨画」を印刷向き、版画向きにしたような印象でしょうか。
江戸にはまだ彫師や刷師の人手も足りず、その技術も十分ではなかったのでしょう。色彩を持たない、色塗りする前の「フォーヴィスム(野獣派)」といった面持ち・・・とも感じられるような筆致。
墨一色で摺られた後に、一点一点、丹や紅などで手彩色、それが「丹絵」であったり、「紅絵」と呼ばれたり。なんとなく、塗り絵みたいでちょっとカワイイ。
紅とのコントラストを高めるために、墨に漆や膠を配合して、黒い部分に光沢を持たせたのが「漆絵」。こだわりの玄。
黎明期の浮世絵は、技法を手探りするようでいて、のちの黄金期に至る作風を併せ持って、思いの外味わいは深い。現存するものは少なく、有っても退色が進んでいたり、のちに彩色が加えられたり、状態のいいものはほとんど残っておらず、希少性は高い。
それらの作品をものした絵師は、浮世絵の祖と呼ばれる菱川師宣鳥居清倍奥村正信西村重信などなど。
画題は、いわゆる「役者絵」として市川團十郎佐野川一松瀬川菊治郎などの歌舞伎役者、「美人画」のはしりとして名の売れた遊女などの女性像、故事や風習に題材を得たものもあって、我々がよく眼にするものと大きな違いはなく、そうしたテーマの物がその頃からよく売れたのでしょう。参勤交代で江戸へ出仕する地方大名に従う武家や使用人などが江戸土産として買い求めたりしたのでしょうか。

人気役者や美人に色が無いのは艶消し・・・ということでもないのでしょうが、肉筆画に負けるなとばかり彫師や刷師が各々に工夫を凝らし技巧を高め、版木に色を載せたのが「紅摺絵」。
一点ずつ手彩色はしてられない。とはいえ「錦絵」ほどのカラフルさはなく、まだ赤と緑を版摺りに加えた程度。
面白いのは、「水絵」と呼ばれるもので、墨による輪郭線を廃して、ベタ塗りの多色刷りで物体や風景を表したもの。版木の作成が間に合わなかったのか、水彩画みたいな雰囲気を得たかったのか、淡い色彩が涼しげでもあって、それが「錦絵」へと発展するキッカケでもあったのでしょう。リトグラフ(石版画)のようにも見えて、よォく見ると版木の木目が写されて、それが微妙なグラデーション、微かな陰影を生んで、空気遠近法的な効果もあって、手彩色と違った趣きでもある。
第2章に陳列されるのは、石川豊信奥村政信鳥居清満鈴木春信などのお作。
描かれるのは主に人物像で、役者あるいは芝居の中の登場人物、すらりとした女性像に子供の成長を祈っての母子像。幼子を慈しむマドンナが何れもお美しく映えて。

第3章で紹介されるのはよく知られた作品群で、「浮世絵」の代表格(?)となる「錦絵」。
この時代になると、解説書、指南書的なものやファッション誌、カタログ雑誌的なグラビア風、イラスト付きカレンダーとなる「絵暦」、子供のための「遊び絵」だとか、あらゆるものが印刷出版されていたはずですが、ミス・エインズワースのお好みなのか、そこに並ぶのは、鳥居清長鳥文斎栄之喜多川歌麿歌川豊国らの「錦絵」作品で、六大と言いながら、それに列する東洲斎写楽のお作は一点だけ?!
江戸名物となり、ブームになり、その反動でご禁制となったり、移り変わり、様変わりも激しくて、売れっ子絵師は浮き沈み?!
題材はやはり役者や美人、あまり変化はないのですが、多色刷りとなって、鮮やかさ、艶やかさは数層倍。容貌は白さを増して、衣装はカラフルで、色合いがファッショナブル。それらがズラリと並ぶと、圧倒するくらいに絢爛な風情。オールスターラインナップ的な様相。
解説書なり、カタログ誌として精細さが求められもしたのでしょう。グラビアとして、美々しさが必要であったのでしょう。多色刷りに耐える高質紙も開発されて、版元の指示のもの、下絵師、彫師、摺師の分業体制が整備されて、各々にさらなる工夫も重ねられて、それぞれの技巧も高まり、プロダクションとして確立したのでしょう。
表に出るのは絵師や版元の名前だけでも、それに関わった彫師、摺師も江戸職人の心意気、良いものを作ろうという気概が伝わってくるような気がします。
多くは人物画ですが、チラホラと風景画も加わって、それが特集されるのが次の第4章。

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庶民の暮らしも豊かになったのか、旅行ブームを受けて「名所絵」が発展。
葛飾北斎の「富嶽三十六景」や「諸国瀧廻り」、「諸国名橋奇覧」、「琉球八景」、「詩哥写真鏡」。
対する歌川国芳は、「東都名所」に「二十四孝童子鑑」。
何れも、好評を得て、シリーズ化したもの。
が、「三十六景(+十景)」など「揃物」全部が並ぶわけでもなく、それぞれシリーズを代表して数点ずつ。北斎国芳だけに集中させないという配慮でしょうか。何れ、「メアリー・エインズワース浮世絵コレクション パート2」としてご披露されるのでしょうか。
とにかく、今回は、「富嶽三十六景」から十一点、「諸国名橋奇覧」から五点、「詩哥写真鏡」から九点、あとはそれぞれ1、2点ずつ。網羅されていないとはいえ、こうしてカウントすると相当数になって、陳列されるとなかなかに圧巻。
黄金期からさらに進んで、円熟期といえるような画面構成、色使いで、下絵師の仕事も見事なら、それを版木に彫り紙に摺った職人技もここが極点といった出来栄え。
同じ時代に描かれた西洋画と比べると平面的で、写実性では劣るが、初期の「墨摺絵」からすると格段の差。より高度な物が求められ、北斎国芳は西洋画の研究もしたのでしょう。陰影を帯びて、風景画ということもあって、線遠近法も取り入れられて、奥行き感は高まって。
需要が増えるに従って、それに関わる職人の数も増えたのでしょう。そこに競争原理が生まれもしたのでしょう。顧客を独占しようと、コレクターズアイテムとしてコンプリートしてくださいねというような「揃物」。美術工芸品が大きな経済効果を齎すということを誰かが気付いちゃったのね。

平面的と言いながら、「水絵」で空気遠近法、「名所絵」では線遠近法も取り入れて、立体視する方法は心得ていたはず。
飛鳥~平安期に多く作られた仏像などでリアルな三次元立体造形を経験し、それはその後も工芸品に活かされて、それらがあって、印刷物はあえて平面的、二次元的に表そうとしたのじゃないかしらン?! ・・・とワタシは考えます(個人的見解です)。
紙の上に、どうせ二次元化されるのなら、完全な写実を目指すより、デフォルメ、抽象化の面白さを楽しんじゃえ!! ということなんじゃないかと。
木版画で表現出来ることという制約もあったのでしょうが、「仏画」に描かれる神仏ならその本質を、「役者絵」や「美人画」などのポートレイトならその特徴を、「名所絵」ならばその景観の、それぞれ美味しいところだけを抽出しちゃえ、とある種記号化、標準化。要はニュアンスが伝わればいいという要領でしょうか。
浮世絵」以前の「水墨画」などでも、(低分解能的な)デジタル風に「近景」、「中景」、「遠景」の「三景」に分解して描いてみせていました。
動き、躍動感が控え目に見えるのも、動作というより歌舞伎舞踊などの「所作」、あるいは「」を写した印象。連続するアナログ的な運動の一部を切り取るのではなく、デジタイズ、デジタル化あるいはビット化した、ひとつのビットを捉えたという要領に思えます。
低分解能デジタイズの段階で不要と思える線や色を落とし、より重要なニュアンスを印象的に浮かび上がらせる。
紙芝居からマンガやアニメーション。今日「クール・ジャパン」として広く知られるヴィジュアル・コンテンツの基礎は古くからあった伝統文化だと捉えることが出来るのではないかと、それらを拝見して思います。
そういえば、グラビア(gravure)もデフォルメ(déformer)もニュアンス(nuance)もフランス語由来。「gravure(グラヴュール)」は「版画」を意味する。感性が近しいのか、そうした要素がすごくモダンに見えて面白がられて、近代フランスで受けちゃった・・・とほぼほぼ仏蘭西人なワタシは思っちゃう(個人的見解です)。
そうしたことから、印象主義象徴主義などの近代美術だけでなく、キュビスムからオルフィスムフトゥリズモバウハウス、あるいは抽象表現主義などの現代美術の源泉・・・のひとつと数えられるのではないかしらン。
開国で日本が西洋化する一方で、包装紙として流出した「浮世絵」が西洋に日本文化を知らしめて、カルチャーのシャッフル。文化の交雑、異種交配が起こって、近代フランス(や西洋先進地域)ではハイブリッド的な表現方法が幾つも生まれた・・・っと。
あら、まとめちゃったよ。

展示はまだまだ続きます。
最後は、『エインズワースの愛した広重』と、歌川広重のお作が40点ほど並べられ、「東都名所」に「東海道五拾三次」、「近江八景」に「京都名所之内」、「浪花名所図会」、「名所江戸百景」の「揃物」から数点ずつ。観光ガイドのような風景画集。
クロード・モネがコレクションし、パクっ影響を受けたのは、その構図の面白さ、配色の妙から。フィンセント・ヴィレム・ファン・ゴッホが模写したのは肉筆画でしたでしょうか。
構図を考え、配色を案配したのは広重なのでしょうが、その作品は彫師や摺師との工房的なプロダクション製品。「浮世絵」というヴィジュアル・コンテンツの完成形。
北斎の風景画共々、見たままを写実するのではなく、そこにある要素を一度分解し、それらを改めてコラージュするかのような画法が、画面をファンタジックにし、シンプルな木版画に深みと奥行きを与えているように感じられます。

女性のコレクションだからでしょうか、それらは秘蔵されちゃっているのでしょうか、「春画」の類いこそ観られなくて、「あぶな絵」が数点ある程度。ですが、初期の「墨摺絵」から江戸後期の「錦絵」まで網羅した約200点の「浮世絵」。見応えは十分で、近代フランスの芸術家がそれに魅せられ、コレクションしちゃった所以を観る思いがしました。
ミス・エインズワースのコレクション総数は1,500点。あと6〜7回は「お里帰り展」が開催出来る?

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午後も「浮世絵」鑑賞なのですが、所を大阪歴史博物館に移し、主役はニャンコ?! 昼食を挟んでの移動です。

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