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「抽象世界」と「ジャコメッティと I」 [散歩・散走]

今日は土曜日だというのに、ジャワ・ガムランのワークショップ「日曜ガムラン」があって、それは午後から。
それに合わせて有給休暇・・・本当は出勤日なのですが、出ないといけないほどの急ぎの仕事も無かったので・・・を取っちゃったので、午前中も遊び倒さないと休んだ甲斐がない?!
という訳で、午前は知的冒険、NMAO:国立国際美術館を訪ねます。

本当は、午前中に花巡りポタリング、池田市に在る水月公園でハナショウブを鑑賞し、同市内の池田城跡公園でハナショウブとシラユリを観て、ランチの後、その脚で「日曜ガムラン」の会場である阪大豊中キャンパスへ向かうつもりでいたのですが、天候が今ひとつ思わしくない。黒くて重そうな雲が空を覆い、風もあって、雨が降りそうな匂いがする。
ポタリングを明日に譲り、NMAO(THE NATIONAL MUSEUM OF ART, OSAKA)国立国際美術館で開催中の「抽象世界 Abstraction: Aspects of Contemporary Art」、それと併設されるコレクション特集展示「ジャコメッティとI」を拝見に参ります。

どちらも会期は05月25日(土)から08月04日(日)まで。慌てることもないのですが、思い立ったが吉日、早く観たいのは観たいので・・・。

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シーザー・ペリ(César Pelli 1926年10月12日 -)が設計した、どこか巨大生物の骨格標本を思わせるような建物。地上部分はあくまで造形のためにあって、エントランスや講堂、カフェ・レストラン、ミュージアムショップなどは地下1階、展示室は地下2階と地下3階。
今回のエキシビションは、地下3階で「抽象世界」、地下2階で「ジャコメッティと Ⅰ」の併設。順路的には一番下から巡ることになる。
約半額の入場料でコレクション特集展示だけ拝見することも出来るのですが、主たるお目当ては「抽象世界」。もちろん、地下2階に展示された、主にフランスで活躍された彫刻家と彼の友人たちの作品も漏らさず鑑賞させて頂きます。

チケットを手に、まずは地下3階まで下ります。

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抽象世界」・・・とは随分漠然としたタイトルですが、その焦点は1980年以降これまでの40年間に制作された欧米の抽象芸術で、過去の概念や手法を柔軟に活用した新しい表現の在り方を紐解こうというもの。
「Art(アート)」とは何かと議論が続く中、二十世紀の幕開けとともに花開いた前衛芸術にあって、特に抽象芸術にみる表現方法。
1980年で区切られているのは、1970年代初めのいわゆる「絵画の死」、「The End Of Art(アートの終焉)」以降、それが本当に”死後の世界”なのか、それ以降に新しく興った表現法は如何なものか、それらはアートなのかという検証になるのでしょう。1940年前後に、ヨーロッパのアンフォルメル芸術やキュビスムの反動であるタシスム、思想活動でもあるシュルレアリスムからアメリカで興った抽象表現主義が、芸術の都を遷都させるに至り、フォルムと色という基本要素だけを残した「ハード・エッジ」が流行り出したのが1960年代。死んじゃったのは欧州的なアカデミスム、あるいは芸術の名を騙る束縛、足枷で、個々の芸術家、芸術作品はより自由を得た・・・ようにも感じられるのですが、どうなんでしょう。
抽象世界」を彩る絵画からそれを読み取りたいと思います。

絵画の死」を以って、近代(モダン)と現代(コンテンポラリー)を区切る・・・という説もあって、こうした企画にもなったのでしょうが、2019年現在、1980年前後の抽象絵画が注目、再評価されてもいるそうで。

抽象世界」を構成する作品、その出品作家は、
エルズワース・ケリー(Ellsworth Kelly 1923年05月31日 - 2015年12月27日)、
ラウル・デ・カイザー(Raoul De Keyser 1930年08月29日 - 2012年10月06日)、
ダーン・ファン・ゴールデン(Daan van Golden 1936年02月04日 - 2017年01月10日)、
フランツ・ヴェスト(Franz West 1947年02月16日 - 2012年07月25日)、
ジョン・アムレーダー(John Armleder 1948年07月24日 - )、
ギュンター・フォルグ(Günther Förg 1952年12月05日 - 2013年12月05日)、
ミハエル・クレバー(Michael Clever 1954-)、
クリストファー・ウール(Christopher Wool 1955-)、
ハイモ・ツォーベルニク(Heimo Zobernig 1958-)、
ウーゴ・ロンディノーネ(Ugo Rondinone 1964年11月30日 -)、
トマ・アブツ(Tomma Abts 1967-)、
スターリング・ルビー(Sterling Ruby 1972-)、
リチャード・オードリッチ(Richard Aldrich 1975-)。
不勉強で、存じ上げない名前も幾つかあるのですが、まずは現代美術の主流辺りといったところでしょうか。
絵画だけでなく、僅かですが彫刻も数点展示されて、総数は42作品。
開館と同時に入館し、まだほとんど人のいない静かなホールの中央で四方を見廻し、まずは「抽象世界」に馴染むところから。

ワタシの場合、いわゆる古典より近代から現代の作品の方が、より好みでもあって。
というのも、古典の場合、対象物がはっきりあって、それらが明確に表現されてはいても、約束事が多くて、寓意や暗喩を含んでいたりもして、それらを理解するには歴史を知っておかないといけない、強く依存しているから当時の宗教観も理解しておかないといけない、それらが描かれた頃の社会情勢や地理もある程度頭に入れておかないといけない、単に綺麗、美しいだけでは済まされない、表現技法以外の部分がこの頃ちょっと面倒臭く感じてしまう。年齢を重ねるに連れ、気が短くなってきているのかもしれません。もっと直感的な美を求めます。
職人や工房によって描かれた宗教(的)絵画が個人的な肖像画や風景画に変遷、これら抽象画はさらに進んで、作者の心柄をそのまま写すようにより内面的で内省的、ある種概念的というべきでしょうか。近代芸術に見られるやや曖昧な造形の、さらに作者の心象、スピリットだけを抽出したような。
ワタシの審美眼、眼識がようやく大人のそれになったのでしょうか。ええ、すっかり老視になって、リーディング・グラスが無いとブログも綴れない。
眼は悪く、遠くなっちゃったのですが、その分、心眼が効く・・・というほどの眼力ではないのですが、アブストラクションされた作品の中に具象や事象を見出そう、それらが意図するところを感じようとして、シナプスだかニューロンだかがグリグリ動いて、カラダ中に電気が疾る思いがする。違法薬物的な中毒性もあって、ちょっとキケンが危ないのですが、ショコラミント的な爽快感を伴う刺激・・・としておきましょう。
抽象画にも幾つかの傾向があって、熱い抽象・・・表現的抽象、冷たい抽象・・・表現的抽象、動的あるいは静的なそれらの中には見方によっては、上賀茂神社(賀茂別雷神社)にある「立砂(たてずな)」を見るような、もしくは禅の教えや侘び寂びにも通じるような精神性が感じられて、それが(静かな)刺激となるのでしょう。

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「芸術(アート・art)」は、作者(やイベンター、プロモーター)がそう宣言するものではなく、時代的価値や画力の優劣でもなく、カンバスの大きさや使われる絵の具の量でもなく、ましてやオークションで付けられた単価でもなく、鑑賞者がそう感知、認知するものだとワタシは考えます。その作品をワタシがどう捉えるか、どう受け止めるか、芸術性とはその感銘の度合いだと考えます。それと対峙することで鑑賞者の心柄を映し出す鏡と認識します。あるいは知覚を研ぎ澄ませてくれる砥石のようなもの。
はっきりとした対象物が描かれていない抽象画は、よく磨かれた鏡。部屋に飾って(もちろん複製画だったりしますが)、起き抜けに眺めては、その日の心延えを測る物差し。それがワタシにとっての、抽象絵画。
その多くは、表題を掲げずに、「Untitled(無題)」。心象風景に一定のタイトルは付けづらいのでしょう。それを"先入観を持たないで"と解釈します。
作者の心象は鏡となって鑑賞者の心象を写すのでしょう。それで時に嫌悪感を感じたりもするのでしょうが、その波動がピタリと重なった時の気持ち良さ。はっきりとした形を示さない心象が鑑賞者とシンパシー、シンクロした途端に何か具象めいたものが観えるような・・・。

抽象世界」に浸り過ぎていると抜け出せなくなりそう。午後からの予定もあるし、そろそろ「ジャコメッティと Ⅰ」へ移動しましょう。

ジャコメッティ.jpg

アルベルト・ジャコメッティ
(Alberto Giacometti 1901年10月10日 - 1966年01月11日)はスイス国内のイタリア語圏ボルゴノーヴォ出身ながら、イタリア・ローマを経て、フランス・パリに滞在し、そこを活躍の場とした、彫刻家で画家、版画家、製図家。
彼の代表作となるのは、やたらと縦に長く引き伸ばされたような人物像。なんだか、他人とは思えないようなそのフォルムにワタシのことではないかと思ってしまう。ええ、もちろん、ワタシではありません。

ジャン=ポール・サルトル(Jean-Paul Charles Aymard Sartre 1905年06月21日 - 1980年04月15日)の仲立ちからジャコメッティと深く親交を重ねたのは、哲学者で評論家の矢内原 伊作(やないはら いさく 1918年05月02日 - 1989年08月16日)。
実存主義的造形がご縁となったのでしょうか。矢内原は度々渡仏し、ジャコメッティ作品のモデルにもなれば、彼との対話集や彼に関する著作も多数。彫刻家から呼び出しがある度に、日本から遠路遥々駆けつけるのですから、相当に親密だったのでしょう。
2017年に英国で製作された映画『Giacometti(ジャコメッティ 最後の肖像)』ではジャコさんの奥様アネットを間に挟んだ矢内原との三角関係(?)が描かれてもいましたが、そういうゲスい詮索は・・・。まァ、ねェ。サルトルやその内縁の妻、シモーヌ・ド・ボーヴォワール(Simone de Beauvoir 1908年01月09日 - 1986年04月14日)とも親しいとなったら・・・。
矢内原はモデルとなりながら、ジャコメッティは彼の姿を彫刻に写しながら、延々と「実存は本質に先立つ(l’existence précède l'essence)」的な難しい話しをしていたのだというから、単にアーティストとモデルの関係ではなく、良き話し相手、撃てば響く論敵同士でもあったのでしょう。
1956年から1961年までジャコメッティのアトリエを訪ねては、都度10数時間にも渡ってモデルを務めながら、完成に至った「矢内原像」は僅かに2つ!? 全ての鋳造を合わせても7体しか現存しないのだとか。お話しに夢中になり過ぎたのね?
見えるものを見えるとおりに」創りたいとする拘りのアーティストのアトリエは書きかけの絵画と「度重なる失敗作」で溢れかえっていたとも言われ、その完成した貴重な「ヤナイハラ Ⅰ」が先ごろ(2018年)国立国際美術館の収蔵となったことから今回のコレクション特集展示が実現したそうで。
こちらのエキシビションでは、その「ヤナイハラ Ⅰ」を中心に、ジャコメッティの絵画作品や、矢内原が彼との会話を書き留めた多数のノートや写真、それに加えてジャコメッティと同じ頃にパリで活躍したアーティスト、パブロ・ピカソレオナール・フジタの人物画作品が花を添える。

観念的、概念的な難しいことはワタシには分かりかねますが、その観念的なものを彫刻という実像に表そうとしたジャコメッティの苦悩は少ォしだけ、ちょびっとだけ感じ取れたような気がします。

同時開催された「抽象世界」と「ジャコメッティと Ⅰ」、どちらも十分に刺激的で堪能させて頂きました。

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