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Je connaissais Sarah Bernhardt [散歩・散走]

今日は午後から「ワンコイン市民コンサート」があって阪大豊中キャンパスへ伺うのですが、午前中を無駄に過ごせなくて、大好きなフランス近現代芸術に触れるため、阪急うめだ本店で開催中の「サラ・ベルナールの世界展」を訪ねます。

サラ・ベルナール(Sarah Bernhardt 1844年10月22日? – 1923年03月26日)は、当時一世を風靡した・・・どころか多くのアーティストに愛され、国際的な人気を博したフランスの舞台女優。
ビクトル・ユゴー(Victor-Marie Hugo 1802年02月26日 - 1885年05月22日)をして「黄金の声(la Voix d'or)」と評され、ジャン・コクトー(Jean Cocteau 1889年07月05日 - 1963年10月11日)からは「神聖な怪物(monstre sacré)」と称され、「 - 聖なるサラ(la Divine)」、「劇場の女帝(Impératrice du théâtre)」などなど、数々の二つ名を与えられたベル・エポック(Belle Époque)の花形で、アール・ヌーヴォー(Art nouveau)の中心人物、世界最初の国際スターとされる。
五大陸に渡る巡業を成功させて、ある時、世界は彼女を中心にして廻っていた・・・と言っても過言ではない、大々々女優。

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阪急うめだ本店
・9階 阪急うめだギャラリーで、03月16日~25日に開催されるのが、「パリ世紀末 ベル・エポックに咲いた華 サラ・ベルナールの世界展 - ミュシャ、ラリック、ロートレックとともに -」。

その長いタイトルにあるように、稀代の大女優は、芸術家の才能を開花させるパトロンでもあって、多くのアーティストに愛されながら、また愛顧することで彼らを育てたことでも知られる。
女優業の傍ら、演出も手掛け、さらには絵画や彫刻でも才能を発揮。マルチタレントのはしりでもあったわけですな。
自ら表現者であり、そして他のアーティストの表現物ともなった、まさに美と芸術の化身。
ポスターなどの絵画や写真、彼女が身に着けていた舞台衣装や装身具、彼女のメゾンを飾った調度品が展示物で、画家や写真家のエキシビションではなく、そのモデルとなった、彼らが愛したアイコンをテーマとした展覧会。

19世紀末のパリは「ベル・エポック(Belle Époque・良き時代)」の渦中。芸術の都として、もっとも繁栄した華やかな時代。
プロイセン王国との戦争に敗れたフランス王国はパリ・コミューン革命とともに復興を遂げ、その激動期に、父親を知らず、誕生日すら定かでなく産まれた少女は修道院生活からフランス国立音楽演劇学校(Conservatoire national supérieur de musique:CNSM)の演劇科を経て、コメディ・フランセーズ(Comédie-Française)に入座。些細な諍いから退団、復帰、退職。自らの劇団を率いて世界を股に掛ける。

・・・とサラが語る身上は、ファンシーでファンタジーで、(多分)とってもヴァニティ。
それでも、スターとなり、大女優としての地位を確立したのは間違いのない事実で、自己宣伝、セルフ・プロデュースに長けた彼女は、自身がモデルとなるポスターを作らせ、舞台衣装姿だけでなくプライベートまで写真に撮らせ、自身が、その私生活が作品となっていく。

彼女のポスターを多く描いたのはアルフォンス・ミュシャ(Alfons Maria Mucha 1860年07月24日 - 1939年07月14日)。
印刷工場で挿絵画家として働いていた彼がひょんなことから大仕事を引き受けることになり、そのデコラティヴな作品は話題となり、サラと切っても切れない関係を続けながらアール・ヌーヴォーを代表するデザイナー・画家となった。
ミュシャと同い年、宝飾デザイナー・金細工師のルネ・ラリック(René Lalique 1860年04月06日 - 1945年05月01日)は、サラを引き立てるための装身具を一手に引き受け、それだけに止まらず、彼女のメゾンはラリックが作った調度品で溢れかえり、そこには多くのアーティストが集い、その様子をナポレオン・サロニー(Napoleon Sarony 1821年03月09日 - 1896年11月09日)やナダール(Nadar)ことガスパール=フェリックス・トゥールナション(Gaspard-Felix Tournachon 1820年04月06日 - 1910年03月21日)が写真に収め、アンリ・ド・トゥールーズ=ロートレック(Henri Marie Raymond de Toulouse-Lautrec-Monfa 1864年11月24日 - 1901年09月09日)がデッサンする。

そんな彼女の生活ぶりを反映するかのように、ここに集められたコレクションは一見とりとめの無さを感じさせるほど多種多様。肖像画やポートレイト写真、身に着けたドレスやアクセサリー、彼女を取り巻いた無機物たちがサラのスキャンダルまで浮き彫りにし、活きるサラ・ベルナールを蘇らせるような・・・。
大袈裟で空想的でスキャンダラス。「ベル・エポック(Belle Époque・良き時代)」を象徴するようなシンボルでもあったのでしょう。
彼女の死後は、美の中心を失ったことによるのか、レ・ザネ・フォル(Les Années Folles 狂乱の時代)となった狂騒の20年代(Roaring Twenties)。文化・芸術とともに、政治・経済の中心は徐々にアメリカへと移り、ジャズ・エイジ(Jazz Age)が「黄金の20年代(Golden Twenties)」を謳歌することになる。
それもぴったり1929年の世界恐慌で終りを迎えて、そのあとは・・・混沌。何でもかんでも数値化、数量化されて、その数字が実体を置き去りにして先走るようでもあって、世界の在りようまで変化していく。
主にアメリカ・ハリウッドを中心にセックスシンボルの台頭によって、サラ・ベルナールの幻影も歴史の影に消えていく。

数値化、数量化で思っちゃったのですが、サラ・ベルナールって「虚数(imaginary number)」、あるいは「想像上の数(nombre imaginaire)」のような存在だったのかしらン?! ・・・と、なんでも、数字、数学的に考えちゃうワタシってば、超今時の花形? 「ベル・エポック」には生きられない・・・かも。

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