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My Generation [散歩・散走]

今日のシネマはとびきりオシャレなスウィンギング’60s・・・1960年代に「スウィンギング・シティ」と呼ばれたロンドンへのいざない。
シネ・リーブル梅田で『My Generation(マイ・ジェネレーション ロンドンをぶっとばせ!)』を観賞いたします。

それ以前のロンドンは退屈。
新しさを求めた若者が文化の中心となって、退屈な旧体制をぶっ飛ばして、世界を変えてしまったのが1960年代で、その激動の10年間、音楽、ファッション、アートなどなどポップ・カルチャーの中心地、首都となったのがSwinging CityことLondon

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「以前のロンドンは退屈。僕らが求めたのは”新しさ(new beginning)”だ」
そう語るのはこの映画の案内人で、製作も担当した俳優のマイケル・ケイン(Sir Michael Caine CBE 1933年03月14日 - )。
仕事を選ばず、スケジュールが空いていればどんな役柄でも引き受けて演じてしまう。
多くの出演作品、幾多の代表作を持ち、二度のアカデミー賞・助演男優賞をはじめ、様々な映画賞にノミネートまたは受賞し、長年に渡る功績に拠って1993年にはCBE勲章(Commander of the British Empire)を女王陛下から授与されて、2000年にはKnightに叙され、Sirの称号を得た名優。
最近では『Batman(バットマン)』シリーズでの、ウェイン家の有能な執事アルフレッド・ペニーワース役や『Interstellar(インターステラー)』のブランド教授で知られる彼も、1960年代はマイケル・スコット(Michael Scott)という芸名でデヴュウしたばかりの駆け出し舞台俳優。
コックニー訛りが酷い労働者階級の出身で、その矯正に苦心しながらも、時にはそれを役柄に活かし、映画界にも進出し、『The Ipcress File(国際諜報局)』でのアンチヒーローな主人公ハリー・パーマー役が、同じ英国の諜報部員007ことジェームス・ボンドのアンチテーゼとして人気を博してスターダムにのし上がり、『Alfie(アルフィー)』のタイトルロールを演じては全米映画批評家協会賞 最優秀男優賞 受賞、アカデミー主演男優賞 ノミネート。俳優としての地位を固め、セレブリティの仲間入り。

因みに、ワタシはショーン・コネリーからダニエル・クレイグまで続く『007』シリーズよりデヴィッド・ニーヴン、ピーター・セラーズ、ジャクリーン・ビセットが出演した『Casino Royale(007 カジノロワイヤル)』か『The Ipcress File(国際諜報局)』の方がお気に入り。
そうそう、だいぶ後になって観た、マイケル・ケイン主演の『The Italian Job(ミニミニ大作戦)』でMINIにハマっちゃって、その999ccの小さなクルマを買って随分走り回ったもの。エアコンもオーディオも付いてない。夏場はオーヴァーヒートを避けるためにヒーターを回して、限界まで超シャコタンにしちゃったから火花を飛ばしながら、ほぼ直管のエキゾーストパイプから爆音轟かせてちょこまかと走っておりました・・・って、ワタシの想い出はどうでもよろし。

My Generation』の中で1960年代の想い出を語るのはマイケル・スコット改めマイケル・ケインと彼のフレンズ。
因みに、同じ名前(Michael Scott)の俳優が既にいたので、デヴュウ後にスコットからケインに改名したそうな。
2017年、84歳のマイケル・ケイン卿が『007』のボンドカー、ジェイムス・ボンドが愛したAston Martin DB5で現在のロンドンを走ると風景はスモッグで煙る60’sへとタイム・スリップ。
大御所俳優がエレベータに乗り込んで、そのカゴが地下(?)に着いて、ドアが開いた時に降りてくるのは『The Ipcress File(国際諜報局)』のハリー・パーマーこと若き日のマイケル・ケイン
高級スポーツカーやエレベーターがタイムマシンになって、現代と60年代を行ったり来たり。

19世紀の産業革命以降化石燃料の使用量増加に伴い、石炭を燃やした後の煤や煙が小さな水粒と共に地表近くに留まり、1950年代になって、それまでの路面電車をより自由に動けるディーゼルバスへと事業転換したことや、1952年12月05日から12月10日の間、高気圧がイギリス上空を覆ったことで地表近くには冷たい霧が発生。あまりの寒さからロンドン市民は暖房のために通常より多くの石炭を使用し、一気にSOx濃度が高まって10,000人以上が死亡するに至ったのが1952年の、いわゆる「ロンドン・スモッグ」。
アメリカより先んじて「大気浄化法」が制定されたのが1956年。燃料規制や排煙処理の義務化がなされ、大戦後の復興とそれに付随するアジア、アフリカでの独立戦争などへの対応、多くの貴族やブルジョワ、知識人層がそれらの対策に追われる中、工業地帯で働く労働者階級、分けても当時の若者・・・戦後のベビーブーム、全人口の約半分を25歳以下が占めたという時代の、若いジェネレーションがそこに立ち込めるスモッグと共に旧態を払拭しようかと花開かせたのが新しい「ポップ・カルチャー」で、それがスウィンギング・シティロンドンの原動力にもなって、「ブリティッシュ・インヴェイジョン(British Invasion)」として世界中に伝播。
ハイカルチャーを担った世代が疲弊する中、カウンターカルチャーの勃興目覚ましく、その中心にあったのが音楽とファッションだとこの映画では紹介される。

このドキュメンタリーは、若い頃のマイケル・ケインのバイオグラフィ、フィルモグラフィを追いながら、それだけに止まらず、その時代の風俗、特に音楽とファッションとアートを、当時の映像と現在のインタヴュウ、それらをコラージュのように重ねて描き出す。
映画をナビゲートする彼のフレンズとして登場するのも錚々たる顔ぶれ。

リヴァプール出身の4人組がThe Beatlesとしてデヴューしたのが1960年。
1957年にジョン・レノン(John Winston Ono Lennon 1940年10月09日 - 1980年12月08日)が前身となるバンド「The Quarry Men」を結成し、1960年に「The Beatles」と改名、レコード・デヴュウを果たしたのが1962年10月05日。
Beat musicBritish beatMerseybeatなどと呼ばれた、マージーサイド州リヴァプールを発祥とする新しい音楽エンターテインメントは世界中を席巻、全地球規模のヒット曲を連発し、当時リヴァプールには200とも300とも存在したと言われるロック・バンドの中から彼らに続けと雨後のタケノコ、The SearchersGerry and the Pacemakers、さらには英国各地からも、幾多のバンドがデヴュウ。
1961年にハートフォードシャー州で産声をあげたのがThe Zombies
1962年にロンドンで結成されたのがThe Rolling Stones
ニューキャッスルからは、1963年にThe Animals
ロジャー・ダルトリー(Roger Harry Daltrey CBE 1944年03月01日 - )を中心に、メンバーチェンジしながらも、1964年にメジャー・デビュウを果たしたのがThe Who
エリック・クラプトン(Eric Clapton CBE 1945年03月30日 -)やジェフ・ベック(Jeff Beck 1944年06月24日 - )、ジミー・ペイジ(Jimmy Page OBE 1944年01月09日 - )ら、いわゆる世界三大ギタリストを輩出したのが、1962年結成のThe Yardbirds
レイ(Ray Davies CBE 1944年06月21日 -)&デイヴ(Dave Davies 1947年02月03日 - )のデイヴィス兄弟は、メンバーを募って、マスウェル・ヒルで1964年にThe Kinksとなる。
その他、マンチェスターからFreddie and The Dreamers、ロンドンの下町トッテナムではデイヴ・クラーク(Dave Clark 1942年12月15日 - )がThe Dave Clark Five(DC5)を結成。et cetera、エトセトラ。
のちにLed Zeppelinとなるメンバーやジェフ・ベックをバックバンドとして率いていたのは、フォークからロックへと転身を果たしたスコットランド出身のドノヴァンことドノヴァン・フィリップス・レイッチ(Donovan Philips Leitch 1946年05月10日 - )。
中流階級出身者も多く、全員が労働者階級というわけでも無かったのだけど、地方訛りもそのままに歌う姿がいかにもワーキングクラス、多くの支持を得て、英国内だけに止まらず、50年代に黒人音楽から始まったロックンロールやブルース、ロカビリーを多く抱える本場アメリカのお株を奪うかのように輸出され、「ブリティッシュ・インヴェイジョン(British Invasion・英国の侵略)」と呼ばれた。
この映画の中に登場するそれらインヴェイダーは、黒人音楽が主流となりつつあったアメリカを、そして瞬く間に世界を侵略してしまう。
映像として、エルヴィス・プレスリー(Elvis Aron Presley 1935年01月8日 - 1977年08月16日)のロンドン公演から、その返礼、ビートルズのアメリカ公演の様子。そのフィーヴァー振りを伝えるかと思えば、ピート・タウンゼント(Pete Townshend 1945年05月19日 - )が火のついたギターをステージに叩きつけての破壊パフォーマンス。
その何れもが鮮烈なら、デヴュウしたてのディヴィッド・ボウイ(David Bowie 1947年01月08日 - 2016年01月10日)が一際異彩を放つ。もう、かっこいいったらありゃしない!!
アイドル担当(?)は、エンジェル・ボイスとマーズ・バー・スキャンダル、ミック・ジャガー(Sir Michael Philip Jagger 1943年07月26日 - )の恋人としても知られ、あの峰不二子のモデルともなった(と言われる?)、マリアンヌ・フェイスフル(Marianne Faithfull 1946年12月29日 - )。
それから、「裸足の女王」ことサンディ・ショウ(Sandie Shaw MBE 1947年02月26日 - )に、ルル(Lulu Kennedy-Cairns OBE 1948年11月03日 – )、ペネロピ・トゥリー(Penelope Tree 1949年12月02日 - )。
そのバックにはもちろん、当時の楽曲が次々と流れ、貴重なライヴ映像だけでなく、インタヴュウも挿入される。
当時彼らの音楽を電波に乗せて流していたのは、海賊放送の語源となった、海の上の違法放送局。それらインディーズがメジャーになるのに、それほど時間を要しない。
自分自身のことを自分たちの言葉で語り、ビートに乗せた、等身大の音楽。チープでもあるのだけれど、そんな価値観さえ払拭するようなグルーヴが受けたんでしょうなァ。乗り遅れたワタシでさえすっかり感化されちゃったくらいですから。
そうそう、タイトルになっている『My Generation』はThe Whoのヒット・チューンから。

当時の音源や映像だけでなく、その頃を振り返り懐かしむのは今もご健在なマイケル・ケインのフレンズ達。
若い頃の映像に現代の声がコラージュされて、ただ懐かしむだけでなく、今もその熱気が続いているかのよう。鬼籍に入られた方も多いのですが、半世紀の間輝きを放ち続けているスターで、カリスマで、アイコン。老いて益々盛ん?! なんて言ったら失礼。老いを感じさせません。もう、全然、断然、カッコイイ!!

当時世界を席巻したのはロンドン発の音楽だけでなく、ロック・アイコンとも関わりの深いファッション。
60’sと言えば、ミニスカートとサイケデリック。その担当はツイッギー(Twiggy 1949年09月19日 - )にマリー・クヮント(Mary Quant CBE 1934年02月11日 - )、バーバラ・フラニスキ(Barbara Hulanicki OBE 1936年12月08日 - )、ヴィダル・サスーン(Vidal Sassoon 1928年01月17日 - 2012年05月09日)。
膝上丈の短いスカートやホットパンツにカラフルなタイツ。そして、ボブ・カットからの発展形、サスーン・カット。

今だから語れる黒歴史(?)なのだけど、60年代に間に合わなかったワタシの十代は、それに憧れて、肩まで伸ばした髪に女性物の衣装。当時カワイイ子供服なんてまだ殆ど無くて、母の手作りも有ったのだけど、サイズの合う女性服で、例えばピンク色のパンタロンやベルボトム。さすがにミニスカートにタイツという訳にはいきません。ロンドン・ブーツなんて買えないから、やっぱり女性物の厚底靴で誤魔化して・・・。今でこそ(というか十代後半こそ)、身長が6フィートまで育ちましたが、十代前半は154㎝程度の文字通りチビッコ。ウエストサイズも60センチも無くて、体重だって40kgにも満たなくて、まさに「小枝」?・・・Twiggyで、エキセントリック(?)、ちょっとかわった男の子だった・・・って、そんなことはどうでもよろし。
今でもボブ・カットが一番好みでしょうか。

ロック・スターやファッショナブルなモデル、アイドル、60'sキューティーズの姿を撮影し、アートとして今に残すのは、テリー・オニール(Terence Patrick O'Neill 1938年07月30日 - )やファッション誌『Vogue』でも腕を振るったディヴィッド・ベイリー(David Royston Bailey CBE 1938年01月02日 - )。

ミニスカートの語源? MINIと言えば、60年代は英国発のモータリゼーションも見逃せません。
モッズ(Mods)のスクーター群が走り抜ければ、ロッカーズ(Rockers)なモーターサイクルが爆音をあげて、今観れば懐かしいクルマたちがスクリーンを占拠する。
ワタシも、ミニも長く乗ったけれど60年代の英国車が好き過ぎて、今時のクルマには興味も関心も持てなくて・・・。環境問題や維持コストを考えたら、もうそれらは夢の中に消えつつあるのだけれど・・・。だからと言って、今のミニはミニじゃ無いし、いわゆるブリティッシュ・ライトウェイトは絶滅しちゃうし、現在のアストンマーティンやロータスはちょっと手が出ない・・・というか、奥様がお許しにならない。まァ、名前はそのままでも、中身はマルッと別物ですし。
50年の間にロンドン・スモッグは消え去ったのかも知れませんが、環境を考慮するあまり、活気や熱狂まで拭い去ってしまったような気も(少しだけ)します。

映画は、『第1幕 漂う気配(Something in the Air)』、『第2幕 私は自由(I Feel Free)』、『第3幕 すべてが見た目と違った(All was not as it seemed)』と3つのシノプシスに分かれ、ほぼ時系列、マイケル・ケインの俳優人生を追うように進行するのですが、それらはそれぞれ『勃興』、『最盛』、『終焉』となるのでしょうか。
LSDやマリファナが濫用されて、ドノヴァンが逮捕されたかと思えば、The Rolling Stonesキース・リチャーズ(Keith Richards 1943年12月18日 - )宅が家宅捜査されて、オーヴァードースで昏倒したマリアンヌ・フェイスフルミック・ジャガーと破局に至り、ブライアン・ジョーンズ(Brian Jones 1942年02月28日 - 1969年07月03日)は命を落とし、The Beatlesは70年に解散。呆気ない幕切れ。
おクスリが、見えないものを観せてくれる、聴こえない音を聞かせてくれる・・・という信仰? 抗いきれない大きな力に抗おうとして、抗いきれずに疲弊しちゃったんでしょうか。



プレゼンターでプロデューサー、マイケル・ケインがドキュメンタリーを得意とするディヴィッド・バッティを監督として、6年がかりで50以上のインタヴュウを集めて作り上げたコラージュは、ドキュメンタリー映画という枠を超え、半世紀の時を超えた60'sトリビュート・ムーヴィー。

もちろん、これが60年代の全てでは無いのでしょう。

1960年代。カウンターカルチャーが退屈をぶっ飛ばして、大戦後の世界を変えた・・・のは変えたのだけど、その狂乱の影には冷戦からのベトナム戦争にキューバ危機、ベルリンは壁で分断されちゃうし、アメリカの大統領は暗殺されちゃうし、中東での火種は消える気配を見せないし、東欧やアジアもグジュグジュしてるし、フランスや中国がこれ見よがしの核実験を実施するし、そうそう、パリでの「五月危機(五月革命)」も60年代でしたっけ。
変えたというより、変えられると夢見ていた時代・・・なのかも知れません。あるいは、そういったキナ臭い現実から眼を背けたかったのかも知れません。変えられると思ったものが変えられず、セックスやドラッグへと逃避。
それまでが退屈だったとマイ ジェネレーション達が新しい時代を作ったのだけど、それで退屈が一掃されたはず・・・だったのだけど、その後ボク達の世代になって、The Clashが『London’s Burning(ロンドンは燃えている)』で、退屈で燃え上がっているって歌ってる。
~ Everybody’s sitting 'round watching television ~
つづく70年代はパンク・ロック(Punk Rock)とニューウェイヴ(New Wave)の時代。「非社会的変革」から「反社会的変革」。でも、本当にそうした新しい文化が世界を変えたのかというと・・・。
結局、「冷戦体制」だとか「ドル・ショック」だとか、政治的、経済的な秩序変革の方が多大な影響を与えるいるようにも思うのだけど・・・、今にして思えば、ねェ。表層的な退屈の裏で巨大な陰謀が暗躍する・・・なんて言ったら、陰謀論者みたいですな。当時はチビッコだったから、全然何も分かってなくて、ただただ遠い海の向こうに憧憬の眼を向けていただけ。
60's〜70'sを生きた世代が、変えたかどうだか微妙でも、変えようとした、変えたいと望んだというのは事実。今はそんな気運すら感じない?

今ならさしずめ、スマートフォンばっか見て退屈、ものぐさってことになっちゃう? 今も巨きな陰謀が蠢いているのン?!

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