想い出はカーテンコール? [散歩・散走]
今日の街散歩は、祇園・花見小路通が起点どして、お目当ては音羽山の木々も色づき始めたきよみずはん。さらに、その先は先日伺ごォた「フジタ」はんの展覧会を観ィに行くんどすけど、まずはブラブラとお拾いで・・・。
ようよう紅葉が見頃になるかと思う矢先に冬の気配が忍び寄って、日の出も遅なって、まだ明けやらぬ花見小路の朝は気温が7℃。平日の早朝とあってか、昼から夜の喧騒とはうって変わって、もの寂しげな初冬の風情。
別に寒いとゆうほどのことはあらしまへんのどすえ。自分で言うのもなんどすけど、"着道楽"どっしゃろ。この頃お気に入りのフリース・ジャケットの上に、ナイロン地のモッズ・コートをオーヴァーサイズに羽織って、襟元にストール。今時分から寒いてなことをゆうとったら、底冷えする京都の冬は超えられしまへん。
色づいた葉を落とすような冷やこい風が無いだけ、今朝はまだましどっさかい。
気温はまァよろしおすけど、なんや天気もはっきりせんと、降り出しそうな雲行き。
ポタリング日和とは言えんのどすけど、余計にどんならんことに身体の具合もあんまり良ろしのぉて、何やら心臓の1/3が正常に機能してへんとかで、血ィはでけへん、筋肉は作られへん、ちょっと動いただけで息が上がってしまう。血ィが足らへんせいか、自律神経のバランスも乱れてしもて、体重も体脂肪率も低下する一方で。
アタシの場合、自転車では、ゆっくり走るゆうことがでけへん性分どっしゃろ。奔り出した途端に、Apple Watchが心拍数警告のアラートを出しはるよって、それでこの頃は「知的冒険」と称して、美術館やらコンサート会場、映画館巡りばっかりになってしもうて。今日もこれから散歩がてらミュージアムに寄せてもらうんどす。
で、何やら近頃は心細いような、まさかお迎えが近いとゆう訳でもあらしまへんのどっしゃろけど、昔しの想い出が懐かしゅうて、恋しゅうて。
それで今日は、三十数年振りにきよみずはんどすわ。
ちょっと前までは、新しいアーキテクチャは知らんならん、新しいコンピュータ言語は覚えんならんで、その分昔しのことはどんどん忘れてしもおて、往日の追憶などは脳裏に浮かぶ間ァもあらへんかったんどすけど、人間落ち着いてしもおたら、あきまへんな。来し方が偲ばれて、なんや、えらい年寄りめいたことになって来たように思います。
昔しはよぉ、この辺りやら嵐山の界隈も、(誰方はんとやゆうたら奥様の悋気を誘いそうどすけど)誰かさんと手ェ繋いで歩いたもんどすけど、東の方から「そうだ、京都へ行こう」とお上りはんが来はるし、今はインバウンドゆうんどすか、外人はんもたんとお越しやすから、遠足や修学旅行で来はる学生はんらと相まって、うるさいやら混み合うやら。人の多い界隈は、脚が遠退いてしもて、ここら辺もほんまに久し振りどす。
バスやタクシーも増えて渋滞するわ、他所さんのクルマは迷てはるわ、おかげで繁華なところは自転車通行禁止どっさかい、えらい迷惑なことで、へェ。
古くからの観光名所ではあるんどすけど、今はパワースポットでっか、皆さん十分に元気そうやのに、それ以上パワーつけてどないしはるんやろと思うてしまいます。
人生を振り返るにはまだ多少ゆとりはあるとは思うんどすけど、祇園で夜遊びゆうたら奥様に叱られてしまいまっしゃろ、自転車で疾られしまへんやろ、京都国立近代美術館を訪れるついで・・・というと撥があたるか知れへんのどすけど、まだ誰もいてへんうちに若い頃よく歩いた東山、きよみずさんへ廻ってみようと思うた次第で。
花見小路通を下ってどんつきが建仁寺はん。途中、草間彌生はんのエキシビション『永遠の南瓜展』を開催してはる、FMOCA フォーエバー現代美術館 祗園・京都の前を通って、庭内に水玉模様の大きな赤い"オカボ"が置かれてるのが眼に止まって、ちょっと惹かれたんどすけど、まだ開いてしまへん。それに今日はFoujitaはん再訪どすから。
随分と昔しのことではあるんどすけど、路は脚が覚えてると言うんどすか、京都市内の主だったとこへは大体地図(アプリ)無しでも行けるんどすえ。観光地化が進んで、至る所に案内図はおまっしゃろ、標識もたんと出てますよってに。
建仁寺に突き当たって、東に折れて、東大路通の交差点には安井金比羅宮の角鳥居。その向こうは東山へと至る緩やかな登り坂。
御門脇に紅葉を戴くのは日本画家、竹内栖鳳はんの広い邸宅跡。それから一念坂、二寧坂(二年坂)、三年坂(産寧坂)、多少なりとも標高が上がるにつれ息も上がって、コートも邪魔になるんどすけど、冷たい雨がポツポツと落ちて、フードが無いとフェルト製のベレー帽が濡れてしまいます。
昔しは、ここらをよく歩いた10代の頃は、息が上がるどころか駆け上がっとったと記憶してるんどすけど、今は音羽山清水寺の仁王門前で座り込んで息を整えんとこの先の散策どころやあらしまへん。仁王さんに笑われてしまいます。
かつては法相宗に属し、現在は独立して北法相宗大本山を名乗る音羽山清水寺は、平安遷都以前からここに在って、開基は延鎮、千手観音をご本尊とし、古くから観音霊場として盛え、西国三十三所観音霊場の第16番札所ともなって、そこに配置される建造物やそれに納められた仏像、美術工芸品の多くは国宝または重要文化財にも指定されて、古都京都の文化財としてユネスコ世界遺産にも登録されてはります。
今は、京都を訪れる者で知らぬもの無し、年間550万人が参拝する観光スポット、パワースポットとして賑おうてるんどすけど、日の出間もない早暁、まだ静けさの中にあらはります。
何れも国の重要文化財に指定されている仁王門、西門、鐘楼、三重塔。それを抜けた先には大きな舞台を備えた本堂。
「清水の舞台」としても広く知られ、国宝に指定されている本堂は今、50年に一度の大改修工事が行われてはって、少々無粋にも見えるんどすけど、これはこれ、舞台には緞帳が必要、ステージにはカーテンが付き物、今だけの幕間劇、インテルメディオ(intermedio)やと見立てたら、それはそれ、面白いんと違いますか。
先の改修、昭和の時(?)は記憶してまへん。この先の改修は恐らく見ることは叶わへんと思います。改修前と再来年の改修後が見せてもらえるんは今だけやと思います。でもまぁ、カーテンが取り払われた後はぎょうさん人が来はってえらい賑わいになるんどすやろな。少なくとも再来年(2020年)までは元気でいたいと思います。
ステージの中央にはカーテン(や足場)の無いところも設けられて、高さ約13メートルの舞台からの眺望は気持ちよろしいことで、音羽山の標高と合わせて、京都の街中も一望、飛び降りたろかと言うより、勢いつけたら飛び立てるんちゃうやろかと思てしまいます。
その眼下にはまだほんの少し早い紅葉も観られて、お天気が生憎どすけど、キリッと締まった初冬の風情が感じられて、ここまで息を切らせて上って来た甲斐があったというもの。
本堂を抜けて、阿弥陀堂、奥の院から音羽の滝、子安塔。この辺りの、それも裏手に回ったら、誰も居てはれへんシークレット・ガーデンみたいなところどしたんえ、昔しは。今朝はまだどなたも来てしまへんよってに静かで、日中賑わう音羽の滝も朝のお掃除の最中で。
お水もひんやり冷とおて、それこそ心が洗われるようどすえ。
紅葉、黄葉。
冬が近こうなって、低温低湿になって、光合成の効率低下による、クロロフィルやらカロテノイド、アントシアニンなどの光合成色素の化学変化した様・・・と言うてしまうと、色気はおへんけど、赤や黄、見た目には色鮮やかなことで。
植物が育とう、種を残そうとする中で、いかにミネラルの回収効率を上げるかと思案しはった進化の結果。化学的に見ても、自然の営みの素晴らしさ。季節を感じ取り、時期を弁え、それに柔軟に対応しながら、永らえることを優先させる植物たちに学ぶべきところは大きいと感じます。
それにしても、アントシアニンの赤が艶やかなこと。
ここ京都には、若かりし日の想い出が紅葉のごと色鮮やかに、それが落葉のように風に踊り、其処彼処に散り落ちてるんどすえ。こうした季節の営みを眼にする度に、それらが胸を撃つほど偲ばれて・・・。
地主神社で二世を契こおたヒトとはそれが果たせんことになってしもおて、信心が足りへん、きっと神さんがヤキモチ焼かはったんやと考えとったんどすけど、ご縁が無かったんどっしゃろなァ。
折角しんみりとノスタルジィークな感慨に耽っていると言うのに、修学旅行どっしゃろか、あの頃のアタシたちくらいの年恰好の学生さんらがたんと来はってキャピキャピとえらいお賑やかになってきました。そろそろここを退去することにしまひょか。
上って来た坂道を逆に下って、高台寺さん横、通称「ねねの道」。
二寧坂や三年坂の沿道のお店はまだいっこも開いてぇしまへん。昔しよく食べに寄せてもろたお好み焼き屋の(元)おねーさんはどうしてはるんやろか。コーヒーぜんざいが名物やった喫茶店はまだあるんやろか。なんや、はろーきてぃはんとかスタジオジブリはんとか、見慣れへんもんも並んで。
円山公園を抜けて、知恩院前は神宮道。それを仁王門通まで上がれば、平安神宮。先達て観覧した京都国立近代美術館での『没後50年 藤田嗣治展』をもぉいっぺん観させて戴くんどすえ。時間もちょうどええ頃合いどす。
ほな、続きは改めて。ごめんやす。おおきに。
別に寒いとゆうほどのことはあらしまへんのどすえ。自分で言うのもなんどすけど、"着道楽"どっしゃろ。この頃お気に入りのフリース・ジャケットの上に、ナイロン地のモッズ・コートをオーヴァーサイズに羽織って、襟元にストール。今時分から寒いてなことをゆうとったら、底冷えする京都の冬は超えられしまへん。
色づいた葉を落とすような冷やこい風が無いだけ、今朝はまだましどっさかい。
気温はまァよろしおすけど、なんや天気もはっきりせんと、降り出しそうな雲行き。
ポタリング日和とは言えんのどすけど、余計にどんならんことに身体の具合もあんまり良ろしのぉて、何やら心臓の1/3が正常に機能してへんとかで、血ィはでけへん、筋肉は作られへん、ちょっと動いただけで息が上がってしまう。血ィが足らへんせいか、自律神経のバランスも乱れてしもて、体重も体脂肪率も低下する一方で。
アタシの場合、自転車では、ゆっくり走るゆうことがでけへん性分どっしゃろ。奔り出した途端に、Apple Watchが心拍数警告のアラートを出しはるよって、それでこの頃は「知的冒険」と称して、美術館やらコンサート会場、映画館巡りばっかりになってしもうて。今日もこれから散歩がてらミュージアムに寄せてもらうんどす。
で、何やら近頃は心細いような、まさかお迎えが近いとゆう訳でもあらしまへんのどっしゃろけど、昔しの想い出が懐かしゅうて、恋しゅうて。
それで今日は、三十数年振りにきよみずはんどすわ。
ちょっと前までは、新しいアーキテクチャは知らんならん、新しいコンピュータ言語は覚えんならんで、その分昔しのことはどんどん忘れてしもおて、往日の追憶などは脳裏に浮かぶ間ァもあらへんかったんどすけど、人間落ち着いてしもおたら、あきまへんな。来し方が偲ばれて、なんや、えらい年寄りめいたことになって来たように思います。
昔しはよぉ、この辺りやら嵐山の界隈も、(誰方はんとやゆうたら奥様の悋気を誘いそうどすけど)誰かさんと手ェ繋いで歩いたもんどすけど、東の方から「そうだ、京都へ行こう」とお上りはんが来はるし、今はインバウンドゆうんどすか、外人はんもたんとお越しやすから、遠足や修学旅行で来はる学生はんらと相まって、うるさいやら混み合うやら。人の多い界隈は、脚が遠退いてしもて、ここら辺もほんまに久し振りどす。
バスやタクシーも増えて渋滞するわ、他所さんのクルマは迷てはるわ、おかげで繁華なところは自転車通行禁止どっさかい、えらい迷惑なことで、へェ。
古くからの観光名所ではあるんどすけど、今はパワースポットでっか、皆さん十分に元気そうやのに、それ以上パワーつけてどないしはるんやろと思うてしまいます。
人生を振り返るにはまだ多少ゆとりはあるとは思うんどすけど、祇園で夜遊びゆうたら奥様に叱られてしまいまっしゃろ、自転車で疾られしまへんやろ、京都国立近代美術館を訪れるついで・・・というと撥があたるか知れへんのどすけど、まだ誰もいてへんうちに若い頃よく歩いた東山、きよみずさんへ廻ってみようと思うた次第で。
花見小路通を下ってどんつきが建仁寺はん。途中、草間彌生はんのエキシビション『永遠の南瓜展』を開催してはる、FMOCA フォーエバー現代美術館 祗園・京都の前を通って、庭内に水玉模様の大きな赤い"オカボ"が置かれてるのが眼に止まって、ちょっと惹かれたんどすけど、まだ開いてしまへん。それに今日はFoujitaはん再訪どすから。
随分と昔しのことではあるんどすけど、路は脚が覚えてると言うんどすか、京都市内の主だったとこへは大体地図(アプリ)無しでも行けるんどすえ。観光地化が進んで、至る所に案内図はおまっしゃろ、標識もたんと出てますよってに。
建仁寺に突き当たって、東に折れて、東大路通の交差点には安井金比羅宮の角鳥居。その向こうは東山へと至る緩やかな登り坂。
御門脇に紅葉を戴くのは日本画家、竹内栖鳳はんの広い邸宅跡。それから一念坂、二寧坂(二年坂)、三年坂(産寧坂)、多少なりとも標高が上がるにつれ息も上がって、コートも邪魔になるんどすけど、冷たい雨がポツポツと落ちて、フードが無いとフェルト製のベレー帽が濡れてしまいます。
昔しは、ここらをよく歩いた10代の頃は、息が上がるどころか駆け上がっとったと記憶してるんどすけど、今は音羽山清水寺の仁王門前で座り込んで息を整えんとこの先の散策どころやあらしまへん。仁王さんに笑われてしまいます。
かつては法相宗に属し、現在は独立して北法相宗大本山を名乗る音羽山清水寺は、平安遷都以前からここに在って、開基は延鎮、千手観音をご本尊とし、古くから観音霊場として盛え、西国三十三所観音霊場の第16番札所ともなって、そこに配置される建造物やそれに納められた仏像、美術工芸品の多くは国宝または重要文化財にも指定されて、古都京都の文化財としてユネスコ世界遺産にも登録されてはります。
今は、京都を訪れる者で知らぬもの無し、年間550万人が参拝する観光スポット、パワースポットとして賑おうてるんどすけど、日の出間もない早暁、まだ静けさの中にあらはります。
何れも国の重要文化財に指定されている仁王門、西門、鐘楼、三重塔。それを抜けた先には大きな舞台を備えた本堂。
「清水の舞台」としても広く知られ、国宝に指定されている本堂は今、50年に一度の大改修工事が行われてはって、少々無粋にも見えるんどすけど、これはこれ、舞台には緞帳が必要、ステージにはカーテンが付き物、今だけの幕間劇、インテルメディオ(intermedio)やと見立てたら、それはそれ、面白いんと違いますか。
先の改修、昭和の時(?)は記憶してまへん。この先の改修は恐らく見ることは叶わへんと思います。改修前と再来年の改修後が見せてもらえるんは今だけやと思います。でもまぁ、カーテンが取り払われた後はぎょうさん人が来はってえらい賑わいになるんどすやろな。少なくとも再来年(2020年)までは元気でいたいと思います。
ステージの中央にはカーテン(や足場)の無いところも設けられて、高さ約13メートルの舞台からの眺望は気持ちよろしいことで、音羽山の標高と合わせて、京都の街中も一望、飛び降りたろかと言うより、勢いつけたら飛び立てるんちゃうやろかと思てしまいます。
その眼下にはまだほんの少し早い紅葉も観られて、お天気が生憎どすけど、キリッと締まった初冬の風情が感じられて、ここまで息を切らせて上って来た甲斐があったというもの。
本堂を抜けて、阿弥陀堂、奥の院から音羽の滝、子安塔。この辺りの、それも裏手に回ったら、誰も居てはれへんシークレット・ガーデンみたいなところどしたんえ、昔しは。今朝はまだどなたも来てしまへんよってに静かで、日中賑わう音羽の滝も朝のお掃除の最中で。
お水もひんやり冷とおて、それこそ心が洗われるようどすえ。
紅葉、黄葉。
冬が近こうなって、低温低湿になって、光合成の効率低下による、クロロフィルやらカロテノイド、アントシアニンなどの光合成色素の化学変化した様・・・と言うてしまうと、色気はおへんけど、赤や黄、見た目には色鮮やかなことで。
植物が育とう、種を残そうとする中で、いかにミネラルの回収効率を上げるかと思案しはった進化の結果。化学的に見ても、自然の営みの素晴らしさ。季節を感じ取り、時期を弁え、それに柔軟に対応しながら、永らえることを優先させる植物たちに学ぶべきところは大きいと感じます。
それにしても、アントシアニンの赤が艶やかなこと。
ここ京都には、若かりし日の想い出が紅葉のごと色鮮やかに、それが落葉のように風に踊り、其処彼処に散り落ちてるんどすえ。こうした季節の営みを眼にする度に、それらが胸を撃つほど偲ばれて・・・。
地主神社で二世を契こおたヒトとはそれが果たせんことになってしもおて、信心が足りへん、きっと神さんがヤキモチ焼かはったんやと考えとったんどすけど、ご縁が無かったんどっしゃろなァ。
折角しんみりとノスタルジィークな感慨に耽っていると言うのに、修学旅行どっしゃろか、あの頃のアタシたちくらいの年恰好の学生さんらがたんと来はってキャピキャピとえらいお賑やかになってきました。そろそろここを退去することにしまひょか。
上って来た坂道を逆に下って、高台寺さん横、通称「ねねの道」。
二寧坂や三年坂の沿道のお店はまだいっこも開いてぇしまへん。昔しよく食べに寄せてもろたお好み焼き屋の(元)おねーさんはどうしてはるんやろか。コーヒーぜんざいが名物やった喫茶店はまだあるんやろか。なんや、はろーきてぃはんとかスタジオジブリはんとか、見慣れへんもんも並んで。
円山公園を抜けて、知恩院前は神宮道。それを仁王門通まで上がれば、平安神宮。先達て観覧した京都国立近代美術館での『没後50年 藤田嗣治展』をもぉいっぺん観させて戴くんどすえ。時間もちょうどええ頃合いどす。
ほな、続きは改めて。ごめんやす。おおきに。
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