Basso barocco バロック通奏低音トリオ?! [音楽のこと]
さて、今日は久方ぶりの「マグノリア・サロンコンサート」。
大阪府池田市にある逸翁美術館マグノリアホールを訪ねるのですが、ご出演されるのが、大阪フィルハーモニー交響楽団チェロトップ奏者で「大阪クラシック」でもお馴染み(?)の近藤浩志さんと、同じく大阪フィルハーモニー交響楽団コントラバス奏者の池内修二さんに、スピネット・チェンバロ奏者として吉竹百合子を加えたトリオ。
しかも、池内さんはバスからヴィオローネに持ち替えて、『“Basso barocco” ~バロック低音楽器の魅力~』と題されたコンサート。
何やら、「大阪クラシック」番外編のようでもあり、耳に馴染みの薄い古楽器演奏会でもあり、そして、デジャヴのようでもあるのですが・・・。
大阪府池田市にある逸翁美術館マグノリアホールを訪ねるのですが、ご出演されるのが、大阪フィルハーモニー交響楽団チェロトップ奏者で「大阪クラシック」でもお馴染み(?)の近藤浩志さんと、同じく大阪フィルハーモニー交響楽団コントラバス奏者の池内修二さんに、スピネット・チェンバロ奏者として吉竹百合子を加えたトリオ。
しかも、池内さんはバスからヴィオローネに持ち替えて、『“Basso barocco” ~バロック低音楽器の魅力~』と題されたコンサート。
何やら、「大阪クラシック」番外編のようでもあり、耳に馴染みの薄い古楽器演奏会でもあり、そして、デジャヴのようでもあるのですが・・・。
昨年の11月18日にも大フィル・メンバーによる古楽器アンサンブルがマグノリアサロンコンサートとしてご披露されて(→記事参照)、その時は池内修二さんのヴィオローネ、吉竹百合子さんのスピネット・チェンバロに、大阪フィルハーモニー交響楽団ヴァイオリン奏者の林佳南子さんがバロック・ヴァイオリンを和したトリオ編成でした。
今回は、ヴァイオリンの林佳南子さんに代って、チェロの近藤浩志さんが入った、低音の魅力溢れるアンサンブル?!
昨年もご解説頂いた、バロック音楽の要、通奏低音。
その起源や用いられるようになった経緯はよく分かっていないが、バロック時代が全盛で、その後はパッタリと姿を消してしまう。
何故でしょう?
ワタクシ思うに・・・、
教会音楽で使われた巨大なパイプオルガンのペダル鍵盤を、その後のサロン音楽ではチェンバロやヴィオローネが代役することになって、低いところでズゥ~~~っと鳴ってるだけじゃあ詰まらねェからと、チェンバロには和音なり即興的な裏メロまでやらせて、ヴィオローネやバス(低音)楽器にはそれなりの主張を持たせた・・・のではないかしらン。
恐らく、そのアイディア自体はルネサンスからバロックへ変化するときにイタリアやフランス辺りで閃いちゃったんでしょうが、すごい高みまで持ち上げちゃったのがヨハン・ゼバスティアン・バッハで、通奏低音も独立させずに全体の和声に取り込んじゃったらいいんじゃねと終わらせちゃったのも(多分)パパ・バッハ。
対位法的な動きから和声法的な重なりへと変遷させ(るキッカケを作っ)てしまったのではないか・・・っと。
さらには、チェンバロなどの和音の出せる楽器が演奏する通奏低音。即興的に弾くのはいいけれど、それが作曲者の意に沿えばいいが、そうでなければ、下手すりゃあ曲調、曲想を壊しかねない。バロックから古典派の時代に移り、職業作曲家が増える中で、勝手なアレンジするんじゃあねェと、通奏低音も和声の中に組み込んじゃった・・・のではないかと。
楽譜を書いて、それを出版する事で収入を得るとなったら、「即興で」とはいかず、キッチリ記譜しないといけない・・・という商業的理由(?)もあった・・・かも知れず・・・??
そういえば、ヴィオール属がヴァイオリン属に取って代わられるとともに通奏低音も衰退。チェンバロが(ハンマー)クラヴィーアに籍を譲る頃には完全に絶滅。関連があるのでしょうね。
まァ、そんな小難しいことは抜きにして、今日は「大阪クラシック」番外編として、秋の古楽器演奏会として、楽しませて頂きましょう。
昨年は冬初めの雨催いで、温度・湿度の変化に弱い古楽器、ヴィオローネもスピネットも開演前、開演中もチューニングにかなりの時間を割いておられたのですが、さて、今日はどうなるのでしょう。
13:15開場。
マグノリアホールには、見慣れた1905年製Steinway & Sons B-211に代って、三角形したスピネット・チェンバロ。それとヴィオローネが置かれて。
スピネットは、4オクターブほどの鍵盤を1段にとどめた、小さく可愛いチェンバロ。少しでも弦長を稼ぐために、キーボードに対して、内部の金属弦は斜行する。それを鳥の羽軸などから作ったプレクトラムで引っ掻いて発音する、撥弦鍵盤楽器。外側のルックスこそ(ベビー)グランドピアノに似ているものの、内部構造は全くの別種、別物で、ルネサンス~バロック期に、主に通奏低音楽器として使われた。
ヴィオローネは、ヴィオール属の最低音を担う、コントラバスのご先祖様。
ヴァイオリン属のコントラバスが4弦であるのに対して、こちらは5~6本の弦を持ち、それらは羊の腸を縒り合わせたガット弦を使用する。やはり、主にバロック期以前に通奏低音楽器として用いられた。
これらに、オーケストラでは中低音域を受け持つチェロが加わったら、『低音楽器の魅力』ではあるのでしょうが、誰が高らかに華やかに歌うのでしょう?
今日も、吉竹さんは開場後も開演ギリギリまで音作り。
んン?! そういえば、ヴィオローネはほぼ放置されたままで、昨年拝見したものとは違うようにお見受けするのですが・・・??
14:00開演。
まずは、簡単な挨拶とメンバー紹介から始まって、世にも珍しい”通奏低音トリオ(?)”結成に至った経緯など。
大フィルのコントラバス奏者にして大阪芸術大学演奏学科非常勤講師でもある池内さんは、古楽器の演奏、研究も意欲的に行っておられるとのことで、古楽器が活躍したバロック期の音楽、それに欠かせない通奏低音楽器にフォーカスすれば面白いのではないかと、大フィルの同僚、近藤さんに声を掛けて、今日のコンサートになったとのこと。
『“Basso barocco” ~バロック低音楽器の魅力~』とあって、全曲バロック時代の楽曲となって、プログラムは、
アントニオ・ヴィヴァルディ/チェロソナタ 第1番 変ロ長調 RV47
ドミニコ・ガブリエル/チェロソナタ 第1番 ト長調
ジローラモ・フレスコヴァルディ/カンツォン
作者不詳/フォリアによる変奏曲
ジョバンニ・バティスタ・ペルゴレージ/シンフォニア へ長調
アントニオ・ヴィヴァルディ/チェロソナタ 第6番 変ロ長調 RV46
と、オール・イタリアン。
この頃、文化、芸術面の最先端といえばイタリア。諸外国はイタリアに学んでいた時代。その後、フランスはバロックから離れて独自の「フランス古典音楽」を築き上げて、英国はフランスと同様にちょっと独自で、ドイツはイタリアやフランスに追い付け、追い越せと躍起になっていた頃。
宗教音楽中心のルネサンスから、絶対的な権威を持つ君主やそれに類する貴族たちをパトロン、庇護者として、音楽の様式も移り変わった頃。
・・・で、華やかなイタリアン・バロックの楽曲を集めて・・・。
うち、「カンツォン」はヴィオローネとスピネットのデュオ。「フォリア・ヴァリエーションズ」はスピネットのソロ。他の「ソナタ」や「シンフォニア」は、チェロがメイン・メロディーを受け持つトリオで。
演奏する楽器の指定も有ったり無かったり、テンポなどの指示も有ったり無かったりする、大らかな時代の楽曲。今日は決め事も厳密には詰めず、リピートもするかしないかその時の気分次第で、即興伴奏となる通奏低音の真骨頂、チェロがリードし、ヴィオローネとスピネットがそれに応じて合わせていくというアクロバティックともいえる、まるでジャズのアド・リブみたいなバロック・セッションとしたそうで、時折りアイコンタクトはとるものの、即興とは思えない、一期一会な時間芸術の真髄。
チェロの抑揚が大きく変化、テンポも適度に揺れるのに合わせて、ヴィオローネ、スピネットとも戸惑うことなく応じていく。スピネット・チェンバロは強弱が付けられないから音数を変えて、ヴィオローネは鳴らす弦を咄嗟に変えて対応しているのだと思ったのですが、どうなんでしょう。
先週「ワンコイン市民コンサート」で若いトリオの演奏を聴いたばかり(→記事参照)。そちらのフレッシュな緊張感も初々しくて清々しくてよかったのですが、こちらはこちらで大人の余裕。安心して聴いていられる?
池内さんの興が乗ったのか、ヴィオローネは羊の腸を縒り合わせたガット弦を使っていて、それは倍音が豊かで綺麗でピチカートもいい音で鳴ると、それだけでプログラムに無い楽曲を演奏してみせたり、ほぼ全曲で主旋律を演奏するもソロの見せ場がないチェロ、近藤さんに「バッハの無伴奏を弾いてみろ」とムチャブリ(?!)し、近藤さんは近藤さんでさらっと「無伴奏チェロ組曲 第1番ト長調 BWV1007」から『サラバンド』を譜面無しで弾いてみせ、吉竹さんはスピネットの解説の中でお琴の親戚ということで「春の海」の冒頭を演奏してみせたり・・・。
この辺り、バロックの大らかさというより、「大阪クラシック」的なサーヴィス精神、和やかさ。
曲間の楽曲解説や楽器のご紹介は、主に池内さんのご担当。芸大の先生らしいアカデミックなお話しで、所々、チェロやスピネットについては近藤さんや吉竹さんのフォローが入って、観客の反応を見ながら、言葉を選んでのご説明。
ヴィオローネ、昨年見たのと違うと思った通り、レプリカを新造し、この8月に出来上がったばかりで本日が初のお披露目になるとのこと。
新造品とはいえ、大きな図体の割りに絶えずチューニングが必要なほどデリケートだと思ったら、繊細なのはガット弦。温度、湿度の変化に敏感で、リハーサルの無観客状態と100名のオーディエンスが入った状態で変わってしまうのは当然として、スポットライトの熱にも反応しちゃうというナイーヴさ。
大きさもチェロとコントラバスの中間程度にし、調律はほぼチェロと同じ音域になるようにされたそうで、それでチェロと合わせたら面白いのではないかと、近藤さんをお誘いしたそうで。
旧いはずのヴィオール属ヴィオローネが2018年製で、対する近藤さんのヴァイオリン属チェロは1730年代のイタリア製、いわゆるオールド・チェロ。こちらはモダンな金属弦ながら、ヴィオローネと合うように、一番緩い弦を選んだとのこと。
スピネット・チェンバロも当時のものはあまりにデリケート過ぎるからと、こちらもレプリカを新造。終演後に内部の構造を拝見、解説頂いたのですが、プレクトラムは羽軸製は欠けてしまうからと新素材、樹脂製となっている。
新旧逆転?!
構造がシンプルで小型のスピネットはバラバラに分解して、バッグに入れて持ち運べるのだとか。元祖モバイル・キーボード?!
血中フランス人濃度が高いワタシ。ジャン=バティスト・リュリや大クープラン、マルカントワーヌ・シャルパンティエ、マラン・マレに親しみを感じて(?)、普段あまり聴くことのないイタリアン・バロック。
と言いますか、我々フランス人は志しが高くて(気位が高いとも申しますが?)、「baroque、barocco(いびつな真珠)」など認めない。あくまで、どこから見ても美しい真球。神々しいまでの輝きが必要なのです・・・てか。
とはいえ、ヴィヴァルディや、ヴィオールに変わってチェロがブームとなったのは事実。避けて通れない大きなムーヴメント。
普段耳にする機会が少ないピリオド楽器(新造品ですが)を使った演奏会。いいものはいいし、新鮮でしたし、存分に楽しませて頂きました。
通奏低音、数学的でもあるし、どこかガムランに通じるものも感じました。そのあたりの解析は今後の課題といたしましょう。
アンコールは、ヴィヴァルディ繋がり。近藤さんが初めて人前で演奏した想い出の楽曲という「チェロソナタ 第3番 ホ短調 RV40」から「第1楽章」。
ヴィオローネを新造されたということは、このコンサートはシリーズ化されて、来年も拝聴することが出来るのでしょうか、ね。そちらも楽しみ。
来週は、会場をB-tech Japan Osakaに移した「ワンコイン市民コンサート 特別公演『佐藤卓史ピアノリサイタル』」。これは『世界の二大ピアノ』、1898年製Steinway & Sons Model Cと1978年製Bösendorfer Model225の弾き比べ、聴き較べ。これも超楽しみ。
再来週はいよいよ、ガムラン奏者として出演させて頂く、ドキドキの大阪大学豊中キャンパスでの秋の大学祭『まちかね祭』。
その次は、大阪大学会館での「ワンコイン市民コンサート 第83回公演『加藤幸子リサイタル』」。
さらにその次はマグノリアホールでまたも「大阪クラシック番外編」となる『小林亜希子/Vn&諸岡拓見/Vc&笹まり恵/Pf サロンコンサート』。
音楽三昧はいいのだけれど、自転車に乗る暇がない!! バイクよりリズム、ライドよりグルーヴ・・・てか。
今回は、ヴァイオリンの林佳南子さんに代って、チェロの近藤浩志さんが入った、低音の魅力溢れるアンサンブル?!
昨年もご解説頂いた、バロック音楽の要、通奏低音。
その起源や用いられるようになった経緯はよく分かっていないが、バロック時代が全盛で、その後はパッタリと姿を消してしまう。
何故でしょう?
ワタクシ思うに・・・、
教会音楽で使われた巨大なパイプオルガンのペダル鍵盤を、その後のサロン音楽ではチェンバロやヴィオローネが代役することになって、低いところでズゥ~~~っと鳴ってるだけじゃあ詰まらねェからと、チェンバロには和音なり即興的な裏メロまでやらせて、ヴィオローネやバス(低音)楽器にはそれなりの主張を持たせた・・・のではないかしらン。
恐らく、そのアイディア自体はルネサンスからバロックへ変化するときにイタリアやフランス辺りで閃いちゃったんでしょうが、すごい高みまで持ち上げちゃったのがヨハン・ゼバスティアン・バッハで、通奏低音も独立させずに全体の和声に取り込んじゃったらいいんじゃねと終わらせちゃったのも(多分)パパ・バッハ。
対位法的な動きから和声法的な重なりへと変遷させ(るキッカケを作っ)てしまったのではないか・・・っと。
さらには、チェンバロなどの和音の出せる楽器が演奏する通奏低音。即興的に弾くのはいいけれど、それが作曲者の意に沿えばいいが、そうでなければ、下手すりゃあ曲調、曲想を壊しかねない。バロックから古典派の時代に移り、職業作曲家が増える中で、勝手なアレンジするんじゃあねェと、通奏低音も和声の中に組み込んじゃった・・・のではないかと。
楽譜を書いて、それを出版する事で収入を得るとなったら、「即興で」とはいかず、キッチリ記譜しないといけない・・・という商業的理由(?)もあった・・・かも知れず・・・??
そういえば、ヴィオール属がヴァイオリン属に取って代わられるとともに通奏低音も衰退。チェンバロが(ハンマー)クラヴィーアに籍を譲る頃には完全に絶滅。関連があるのでしょうね。
まァ、そんな小難しいことは抜きにして、今日は「大阪クラシック」番外編として、秋の古楽器演奏会として、楽しませて頂きましょう。
昨年は冬初めの雨催いで、温度・湿度の変化に弱い古楽器、ヴィオローネもスピネットも開演前、開演中もチューニングにかなりの時間を割いておられたのですが、さて、今日はどうなるのでしょう。
13:15開場。
マグノリアホールには、見慣れた1905年製Steinway & Sons B-211に代って、三角形したスピネット・チェンバロ。それとヴィオローネが置かれて。
スピネットは、4オクターブほどの鍵盤を1段にとどめた、小さく可愛いチェンバロ。少しでも弦長を稼ぐために、キーボードに対して、内部の金属弦は斜行する。それを鳥の羽軸などから作ったプレクトラムで引っ掻いて発音する、撥弦鍵盤楽器。外側のルックスこそ(ベビー)グランドピアノに似ているものの、内部構造は全くの別種、別物で、ルネサンス~バロック期に、主に通奏低音楽器として使われた。
ヴィオローネは、ヴィオール属の最低音を担う、コントラバスのご先祖様。
ヴァイオリン属のコントラバスが4弦であるのに対して、こちらは5~6本の弦を持ち、それらは羊の腸を縒り合わせたガット弦を使用する。やはり、主にバロック期以前に通奏低音楽器として用いられた。
これらに、オーケストラでは中低音域を受け持つチェロが加わったら、『低音楽器の魅力』ではあるのでしょうが、誰が高らかに華やかに歌うのでしょう?
今日も、吉竹さんは開場後も開演ギリギリまで音作り。
んン?! そういえば、ヴィオローネはほぼ放置されたままで、昨年拝見したものとは違うようにお見受けするのですが・・・??
14:00開演。
まずは、簡単な挨拶とメンバー紹介から始まって、世にも珍しい”通奏低音トリオ(?)”結成に至った経緯など。
大フィルのコントラバス奏者にして大阪芸術大学演奏学科非常勤講師でもある池内さんは、古楽器の演奏、研究も意欲的に行っておられるとのことで、古楽器が活躍したバロック期の音楽、それに欠かせない通奏低音楽器にフォーカスすれば面白いのではないかと、大フィルの同僚、近藤さんに声を掛けて、今日のコンサートになったとのこと。
『“Basso barocco” ~バロック低音楽器の魅力~』とあって、全曲バロック時代の楽曲となって、プログラムは、
アントニオ・ヴィヴァルディ/チェロソナタ 第1番 変ロ長調 RV47
ドミニコ・ガブリエル/チェロソナタ 第1番 ト長調
ジローラモ・フレスコヴァルディ/カンツォン
作者不詳/フォリアによる変奏曲
ジョバンニ・バティスタ・ペルゴレージ/シンフォニア へ長調
アントニオ・ヴィヴァルディ/チェロソナタ 第6番 変ロ長調 RV46
と、オール・イタリアン。
この頃、文化、芸術面の最先端といえばイタリア。諸外国はイタリアに学んでいた時代。その後、フランスはバロックから離れて独自の「フランス古典音楽」を築き上げて、英国はフランスと同様にちょっと独自で、ドイツはイタリアやフランスに追い付け、追い越せと躍起になっていた頃。
宗教音楽中心のルネサンスから、絶対的な権威を持つ君主やそれに類する貴族たちをパトロン、庇護者として、音楽の様式も移り変わった頃。
・・・で、華やかなイタリアン・バロックの楽曲を集めて・・・。
うち、「カンツォン」はヴィオローネとスピネットのデュオ。「フォリア・ヴァリエーションズ」はスピネットのソロ。他の「ソナタ」や「シンフォニア」は、チェロがメイン・メロディーを受け持つトリオで。
演奏する楽器の指定も有ったり無かったり、テンポなどの指示も有ったり無かったりする、大らかな時代の楽曲。今日は決め事も厳密には詰めず、リピートもするかしないかその時の気分次第で、即興伴奏となる通奏低音の真骨頂、チェロがリードし、ヴィオローネとスピネットがそれに応じて合わせていくというアクロバティックともいえる、まるでジャズのアド・リブみたいなバロック・セッションとしたそうで、時折りアイコンタクトはとるものの、即興とは思えない、一期一会な時間芸術の真髄。
チェロの抑揚が大きく変化、テンポも適度に揺れるのに合わせて、ヴィオローネ、スピネットとも戸惑うことなく応じていく。スピネット・チェンバロは強弱が付けられないから音数を変えて、ヴィオローネは鳴らす弦を咄嗟に変えて対応しているのだと思ったのですが、どうなんでしょう。
先週「ワンコイン市民コンサート」で若いトリオの演奏を聴いたばかり(→記事参照)。そちらのフレッシュな緊張感も初々しくて清々しくてよかったのですが、こちらはこちらで大人の余裕。安心して聴いていられる?
池内さんの興が乗ったのか、ヴィオローネは羊の腸を縒り合わせたガット弦を使っていて、それは倍音が豊かで綺麗でピチカートもいい音で鳴ると、それだけでプログラムに無い楽曲を演奏してみせたり、ほぼ全曲で主旋律を演奏するもソロの見せ場がないチェロ、近藤さんに「バッハの無伴奏を弾いてみろ」とムチャブリ(?!)し、近藤さんは近藤さんでさらっと「無伴奏チェロ組曲 第1番ト長調 BWV1007」から『サラバンド』を譜面無しで弾いてみせ、吉竹さんはスピネットの解説の中でお琴の親戚ということで「春の海」の冒頭を演奏してみせたり・・・。
この辺り、バロックの大らかさというより、「大阪クラシック」的なサーヴィス精神、和やかさ。
曲間の楽曲解説や楽器のご紹介は、主に池内さんのご担当。芸大の先生らしいアカデミックなお話しで、所々、チェロやスピネットについては近藤さんや吉竹さんのフォローが入って、観客の反応を見ながら、言葉を選んでのご説明。
ヴィオローネ、昨年見たのと違うと思った通り、レプリカを新造し、この8月に出来上がったばかりで本日が初のお披露目になるとのこと。
新造品とはいえ、大きな図体の割りに絶えずチューニングが必要なほどデリケートだと思ったら、繊細なのはガット弦。温度、湿度の変化に敏感で、リハーサルの無観客状態と100名のオーディエンスが入った状態で変わってしまうのは当然として、スポットライトの熱にも反応しちゃうというナイーヴさ。
大きさもチェロとコントラバスの中間程度にし、調律はほぼチェロと同じ音域になるようにされたそうで、それでチェロと合わせたら面白いのではないかと、近藤さんをお誘いしたそうで。
旧いはずのヴィオール属ヴィオローネが2018年製で、対する近藤さんのヴァイオリン属チェロは1730年代のイタリア製、いわゆるオールド・チェロ。こちらはモダンな金属弦ながら、ヴィオローネと合うように、一番緩い弦を選んだとのこと。
スピネット・チェンバロも当時のものはあまりにデリケート過ぎるからと、こちらもレプリカを新造。終演後に内部の構造を拝見、解説頂いたのですが、プレクトラムは羽軸製は欠けてしまうからと新素材、樹脂製となっている。
新旧逆転?!
構造がシンプルで小型のスピネットはバラバラに分解して、バッグに入れて持ち運べるのだとか。元祖モバイル・キーボード?!
血中フランス人濃度が高いワタシ。ジャン=バティスト・リュリや大クープラン、マルカントワーヌ・シャルパンティエ、マラン・マレに親しみを感じて(?)、普段あまり聴くことのないイタリアン・バロック。
と言いますか、我々フランス人は志しが高くて(気位が高いとも申しますが?)、「baroque、barocco(いびつな真珠)」など認めない。あくまで、どこから見ても美しい真球。神々しいまでの輝きが必要なのです・・・てか。
とはいえ、ヴィヴァルディや、ヴィオールに変わってチェロがブームとなったのは事実。避けて通れない大きなムーヴメント。
普段耳にする機会が少ないピリオド楽器(新造品ですが)を使った演奏会。いいものはいいし、新鮮でしたし、存分に楽しませて頂きました。
通奏低音、数学的でもあるし、どこかガムランに通じるものも感じました。そのあたりの解析は今後の課題といたしましょう。
アンコールは、ヴィヴァルディ繋がり。近藤さんが初めて人前で演奏した想い出の楽曲という「チェロソナタ 第3番 ホ短調 RV40」から「第1楽章」。
ヴィオローネを新造されたということは、このコンサートはシリーズ化されて、来年も拝聴することが出来るのでしょうか、ね。そちらも楽しみ。
来週は、会場をB-tech Japan Osakaに移した「ワンコイン市民コンサート 特別公演『佐藤卓史ピアノリサイタル』」。これは『世界の二大ピアノ』、1898年製Steinway & Sons Model Cと1978年製Bösendorfer Model225の弾き比べ、聴き較べ。これも超楽しみ。
再来週はいよいよ、ガムラン奏者として出演させて頂く、ドキドキの大阪大学豊中キャンパスでの秋の大学祭『まちかね祭』。
その次は、大阪大学会館での「ワンコイン市民コンサート 第83回公演『加藤幸子リサイタル』」。
さらにその次はマグノリアホールでまたも「大阪クラシック番外編」となる『小林亜希子/Vn&諸岡拓見/Vc&笹まり恵/Pf サロンコンサート』。
音楽三昧はいいのだけれど、自転車に乗る暇がない!! バイクよりリズム、ライドよりグルーヴ・・・てか。
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