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旅するフランス風景画 ~ プーシキン美術館展 [散歩・散走]

本日は、知的冒険心を満たす旅。
ヨーロッパ最大の美術館、所蔵作品数ではエルミタージュ美術館に次ぐ世界2位を誇る国立A.S.プーシキン造形美術館(Государственный музей изобразительных искусств имени А. С. Пушкина, Pushkin State Museum of Fine Arts)へ参ります。

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と言って、ロシアまで遠征するにはお休みが足りません。有給休暇が取れません(怒)。プーシキンの方からお越し願おう。
と言う訳で、07月21日から10月14日を会期として、国立国際美術館で開催中なのが、『プーシキン美術館展』。パスポートも不要な、中之島までのお出掛けになります。

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常日頃、クロード・ドビュッシーがどうした、フランス近代芸術がこうしたと言っているワタシが、先達ての「サム・フランシス展」に続いて、次はロシアの美術館?
ふふん、エキシビションのタイトルは『旅するフランス風景画』と続いて、プーシキン美術館が誇る膨大なフランス絵画コレクションの中から、17世紀から20世紀にかけて製作された風景画65点を選りすぐっての出張展示。
初来日となるクロード・モネ(Claude Monet 1840年11月14日 - 1926年12月05日)の『草上の昼食』を始め、テオドール・ルソー(Théodore Rousseau 1812年04月15日 - 1867年12月22日)、クロード・ロラン(Claude Lorrain 1600年代 - 1682年11月23日)、フランソワ・ブーシェ(François Boucher 1703年9月29日 - 1770年05月30日)、ジャン=バティスト・カミーユ・コロー(Jean-Baptiste Camille Corot、1796年07月17日 - 1875年02月22日)、ピエール=オーギュスト・ルノワール(Pierre-Auguste Renoir 1841年02月25日 - 1919年12月03日)、ポール・セザンヌ(Paul Cézanne 1839年01月19日 - 1906年10月23日)、ウジェーヌ・アンリ・ポール・ゴーギャン(Eugène Henri Paul Gauguin 1848年06月07日 - 1903年05月08日)、et cetera。他にも錚々たる顔ぶれで、時代を超越したフランス絵画のオールスター選抜。
ワタシ的には、印象派以降の近代〜現代が好物ではあるのだけれど、そこに至る過程も知っておきたい、そこからの発展も見届けねば・・・っと。

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会場となるのは、大阪市北区中之島にある、独立行政法人国立美術館が管轄する美術館で、第二次世界大戦以後の国内外の現代美術を多くコレクションする国立国際美術館。以前は吹田市の万博記念公園内にあったものが、2004年に中之島へ移転。
シーザー・ペリがデザインした建物は殆どが地下に埋没されて、地上には出入り口を囲む、動物の骨格を思わせるような金属製構造物のみ。
如何にも近代的で、うかっとしているとエントランスが見つけられないのだが・・・。

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チケットは事前に入手してあるので、10時の開館とともに地下3階まで降り、そこから会場をひと巡り。人出はそれなりで、大混雑でもないが閑散としている訳でもなく、マァ、ゆっくり閲覧出来るペース。

会場はパーティションで区切られて、
第一部 風景画の展開 ~ クロード・ロランからバルビゾン派まで
第1章 近代風景画の源流
第2章 自然への賛美
第二部 印象派以後の風景画
第3章 大都市パリの風景画
第4章 パリ近郊 - 身近な自然へのまなざし
第5章 南へ - 新たな光と風景
第6章 海を渡って/想像の世界
・・・とほぼほぼ製作年代順で、グループ分けさせて、展示の流れも工夫されたもの。

第一部として紹介されるのは、クロード・ロランエウロぺの略奪」1655年、フランソワ・ブーシェ農場」1752年、ユべール・ロべール水に囲まれた神殿」1780年代、などなど、26点。
神話や聖書の中のエピソードを画題とする時代の歴史画や宗教画に描かれた背景は、その前景で展開する物語の、刺身のツマ的な、いかにも添え物。それが17世紀のオランダに於いて「風景画」として独立。フランスの画家たちもそれに倣って”絵画の中の自然美”に目覚め、情景画から風景画雅宴画(フェート・ギャラント・fêtes galantes)に発展。主題となる人物(神物?)や動物たちと同様に、精緻で微細に書き込まれた風景。
風景を絵画的に盛り上げるために、ありのままではなく、例えば建物の配置を実際と異なるレイアウトにしちゃったり、例えばポセイドン神殿を海の上に浮かべちゃったり・・・ちょっと小狡いことまでして、少々演出過多? とはいえ、その演出力が画力とともにその作者、画家たちの作風、個性となっていったのでしょう。
自然への賛美”・・・、あらゆるものに神が宿るとした日本古来の宗教観にも似て、そこに描かれた木々の葉擦れや水面の揺らめきまでが神々しいような描写力。
例えるなら、協奏曲の、独奏するピアノやヴァイオリンを支える管弦楽までびっちり、なんならソロ・パートを凌駕しちゃうんじゃないかというくらい、一分の隙もないほど緻密に音を詰め混んだような・・・。だから、まァ、情報量の多いこと!! オーケストレーションの爆発。
じっくり観ていると知恵熱出ちゃう?!
それが少し落ち着くと、前景と後景が渾然一体となって、交響曲的な、あるいは文学的要素を含んだ交響詩。一枚の絵画の中の重厚で壮大なハーモニー。
ん? 絵画を拝見しているんだか、音楽を拝聴しているのか分からなくてなってきましたね。

でも、ね。

ワタシの”壊れた耳”にはそうした音楽が聴こえてくるのだから仕様が無い。「突発性難聴」以来、視力と聴力が補い合って、絵を観れば音が聴こえて、音楽を聴けば色彩や情景が浮かんでくるのだもの。発病以来、唯一のメリット・・・かなァ?

第二部は、近代になって、神話や聖書の予備知識が必要でなくなって、少々カジュアル。
第3章第4章は、おフランスの、芸術の都、光の都であるパリが舞台。パリ近郊の地図が壁に大きく張り出されて、その位置関係まで紹介される。
クロード・モネ草上の昼食」1866年、ジャン=バティスト=カミーユ・コロー夕暮れ」1860-70年、ピエール=オーギュスト・ルノワール庭にて、ムーラン・ド・ラ・ギャレットの木陰」1876年、ジャン=フランソワ・ラファエリサン=ミシェル大通り」1890年代、クロード・モネ白い睡蓮」1899年、アンリ・マティスブーローニュの森」1902年、ポール・セザンヌサント・ヴィクトワール山、レ・ローヴからの眺め」1905年、アンドレ・ドラン港に並ぶヨット」1905年、et cetera。
そうですねェ。これらから聴こえてくるのは、機能和声の束縛から解放された無調性な音楽。前景・後景の渾然一体からさらに進んで、それぞれの輪郭線さえ曖昧模糊となって、メイン・メロディーとハーモニーの区別さえ難しいような・・・。よく眼を凝らさないと、人物が描かれていることさえ気付けないような・・・。
音楽と絵画、同じ時代の芸術はそれぞれ影響し合って、”共感覚”のもとに進行しているんじゃないかと感じてしまう。
“共感覚(シナスタジア)”ではあるのだけれど、”共感(エンパシー)”ではなく、それぞれがそれぞれに強烈な個性を持っているのが面白いところでもある。

で、ね。

最後に置かれたパブロ・ピカソの作品を覗き込んでいたら、ガムラン的な、というか東洋的な音楽が聴こえてきたのだけれど・・・。
印象派以降の近代フランス絵画は浮世絵などの日本絵画の影響を受けて云々というので、昨年秋から美術館巡りでそれを検証してきたのだけれど、今日感じたのは、フランスから見た東洋、それもかなり漠然としたもの。ジャポネーゼもジャワネーゼもカンケイねぇぜ的な?! キュビスムの中に東洋の音楽を見つけちゃったんですけど。
偶々今は、ワタシもジャワ・ガムランに親しんで、東洋の音楽というとガムランになっちゃうのですが、それが聴こえた・・・ような・・・幻聴?? ガムランのような、雅楽のような・・・。そう、対位法的な・・・キュビスム

先達て見た映画「二重螺旋の恋人」の中で、主人公クロエちゃんが勤めるミュージアム、彼女はそこに展示されたグロテスクな現代芸術に引き込まれて意識が混濁・・・。
ワタシもセラピストのところに通わないといけないのかも? それより耳鼻科か?

第5章第6章は、光を求めて南へ旅立ち、さらにはフランスを飛び出して東洋ではなく南洋に画題を求めたり、フランスに居ながら想像の中のエキゾチィークを描いたり。先達てアサヒビール大山崎山荘美術館で拝見した「サム・フランシス展」の、それらの抽象絵画へと至る少し手前のアンフォルメル(Art informel・非定型芸術)のさらにちょっと手前。「光彩のオーケストレーション」への序曲。
ポール・ゴーガンマタモエ、孔雀のいる風景」1892年、アンリ・ルソー馬を襲うジャガー」1910年、など15点。
ガス灯や電気照明が発明される前は余程に暗くて、「もっと光を!!」と懇求していたのかしら? 夜行性のワタシには、ましてや、昨今の焦がすような陽射しのもとにあっては、眩しいを通り越して、眼が痛い、頭が痛いとなりそうですが、古典の中の秘蹟、神秘が時代を経るに従って白日の元に曝されて化学変化(科学変化)しちゃったと思えば、それはそれで、興味深くもあり面白いとも思えます。

芸術の都、光の都に強い憧憬を抱いた近代ロシア。そこに居たコレクターが膨大な数のフランス絵画を買い漁り、途方も無いコレクションとしていたものをロシア革命後モスクワに遷都するにあたり世界に誇れる近代的な美術館が必要となって収蔵された名画たち。そのやり方はかなり強引ではあるのだけれど、こうして一堂に会して拝見出来るのだから、まァ、有り難いことではあるのでしょう。十分に見応え・・・どころか、色んな音が犇めいているような気がして、耳が疲れた。やっぱり、耳鼻科・・・ですか?!

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国立国際美術館
の地下2階で併設されていたのが、同館コレクションを展示する「コレクション1:2014→1890」。2014年から約1世紀を遡り、現代美術の源泉を探るというエキシビション。
アンディ・ウォーホルパブロ・ピカソポール・セザンヌ横尾忠則池田満寿夫、et ceteraな現代美術展。
そこで聴こえるのは、単旋律での独奏、あるいは「無音」。観ていると胸が騒つくような色彩感溢れる作品も多い中、「空白」めいたものもあって、『フランス絵画』よりシンパシーを感じちゃったのは内緒です。
来週は、ピカソです、・・・多分。

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