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番外編はノスタルジック [音楽のこと]

週末ごとに雨降りと若干の体調不良続きで、計画のみに過ぎし幾つかの輪行ポタリングが果たせないまま。この調子では紅葉狩りどころではありません。かといって、部屋に引き籠っていては脳細胞まで錆びついてしまいます。
それを回避するべく、今日は懐かしい癒しと新しい刺激を求めて、池田市に在る逸翁美術館マグノリア・ホールへ向かいます。

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本日のマグノリア・サロンコンサートは、大阪フィルハーモニー交響楽団からヴァイオリニストとコントラベーシストがご出演で、ちょっと「大阪クラシック」番外編の様相。しかも、そのスピンアウトは、聴き慣れたモダン楽器ではなく、旧い時代の弦楽器(バロック・ヴァイオリンヴィオローネ)を使い、チェンバロ奏者を加えての古楽器トリオ。「大阪クラシック」でもなし得なかった・・・はず、ですよね??

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会場となる逸翁美術館マグノリア・ホール
13:15に開場となったそこに脚を踏み入れると、観客席のレイアウトもいつもと異なって、何より常設ピアノの姿も見えない。
ここの自慢は、逸翁こと小林一三が設置にまで立ち会って絶賛したとかしないとか、1905年製Steinway & Sons B-211。それがバックステージに隠されて、代わりに置かれるのが小ちゃく可愛いスピネット・チェンバロとコントラバス?
バスだと思ったそれは、よく見ると6弦あって、糸巻きの構造も違う。これがヴィオローネ。表側も見てみたいと思う間も無く、開演の14:00までまだ随分間があるというのに、その楽器が待つホールに奏者が登場。

本日のパフォーマーは、大阪フィルハーモニー交響楽団ヴァイオリン奏者の林佳南子さん、同コントラバス奏者で大阪芸術大学演奏学科非常勤講師の池内修二さん、オペラやオラトリオ、チェンバロ協奏曲、バロックダンスなど、初期鍵盤楽器を使用した演奏会に置いてソロ及び通奏低音奏者として活動されている吉竹百合子さん、のお三方。
常設のヴィンテージ・スタインウェイを裏に追いやって、チェンバロや古い弦楽器を使っての演目は、
ジョヴァンニ・パオロ・チーマヴァイオリン、ヴィオローネと通奏低音のためのソナタ
作者不詳グリンスリーブスによる変奏曲 ト長調
ハインリヒ・イグナツ・フランツ・フォン・ビーバー無伴奏ヴァイオリンのためのパッサカリア』」
ミシェル・コレット魅惑の恋人たち フュルスタンベール
アルカンジェロ・コレッリヴァイオリンソナタ 作品5-12 『ラ・フォリア』」
と、何れも古楽器に相応しい、ルネサンス~初期バロックの楽曲。

古い時代の音楽に用いられる古い楽器はメインテナンスが大変なようで、開場なった開演前、すでに観客が入っているにも関わらず、チューニングと音造りを怠れない様子。今日はあいにくの雨催いで、エアコンの効いた近代的なミュージアムのホールとはいえ、低い気温と冷たい雨の影響が甚大なようで、つきっきりの作業。手軽に持ち運べるバロック・ヴァイオリンは楽屋内でそれに当たられているのでしょうが、大きな通奏低音楽器はそうもいかないので、客前にも関わらず、開演時間ギリギリまで調律作業。ベーシストの池内さんが大きなヴィオローネを抱えてチューニングする傍らで、チェンバリストの百合子さんはスピネット・チェンバロの小さなボディを覗き込みながら、鍵盤を叩いては弦の張りを確認。
バロック・ヴァイオリンヴィオローネなどの古い弦楽器とその後に作られた弦楽器は、本体の素材、構成はさほどに違わないが、命ともいうべき弦の材料が異なって、近代ヴァイオリンが主に金属弦やナイロン弦であるのに対して、バロック期のそれはガット・・・羊の腸を縒り合わせた物を用いる。金属と生物の消化器官では吸水率が大きく異なる。だから、高湿度を何より嫌う。本体も、ニスが塗られているとはいえ木製なので、湿度の影響は少なからずある。
一方のチェンバロは、モダンピアノのような金属製のフレームは持たず、木製ボディに真鍮製の弦を直張りしているので、こちらも温度や湿度の変化に大きく影響される。ボディにしても、モダンピアノと比べると、随分と薄造り。ピアノは弦をフェルト製のハンマーで叩くが、チェンバロは鳥の羽軸などで引っ掻いて発音する。その羽軸も温湿度によって変質してしまうのでしょう。
産業革命以降の金属加工が進歩した時代の楽器に比べると、生物由来のパーツが多く、それがかなりデリケイト。楽器は、特に古い楽器は、ある意味生き物なのである。今日は登場しないが、木管楽器と言いながら金属製に変わってしまったのはそれが原因なのでしょう。

そのデリケイトな楽器3台による演奏は、開演を告げるベルを待つ間も無く、公開チューニングからいきなりの開演で、チーマ作「ヴァイオリン、ヴィオローネと通奏低音のためのソナタ」から。
通奏低音・・・、イタリア語のバッソ・コンティヌオ(Basso continuo)の訳語で、伴奏楽器が間断なく演奏し続けることで、この楽曲ではスピネット・チェンバロが担うことになるが、鍵盤を弾く両の手のうち、それは主に左手の役割り。左手が絶えず低音域でベースラインを演奏するから通奏の低音。右手はそれに彩りを添えるために、かなり自由に動いて、譜面に記されていないオブリガード(助奏)で主旋律を補ったり、いわゆる”オカズ”を加えたり・・・。その辺りは奏者に委ねられているので、ルネサンス後期~バロック期の音楽はある意味ジャズ的な、あるいはフリー・セッション的なノリであったらしい。ベースラインをヴィオローネとシェアしながら、メイン・メロディーを受け持つヴァイオリンをフォロー、アンサンブルを引き締め、場合によっては演奏の色合いを左右するほどの役割り。縁の下の力持ち、という以上の働き。縁側にまで顔を出し、屋台骨か大黒柱的。

曲間にはベーシスト池内さんの楽曲解説が入るレクチャアコンサート(?)なのですが、2曲目を前にヴァイオリニスト佳南子さんが退場。ちょっと・・・、いや、かなり寂しくなるが・・・。

次の曲は、ヴィオローネチェンバロのデュオで、「グリンスリーブスによる変奏曲 ト長調」。
グリンスリーヴス(Greensleeves)」は、エリザベス朝(1558年 - 1603年)に起源を持つと言われるイングランド民謡で、作曲者については諸説あるものの、何れも確たる証拠もなく、作者不詳となって今に伝わり、そのどこか郷愁を誘うメロディは広く知られる。今日はそれを池内さんがヴィオローネのための変奏曲として、チェンバロがそれに通奏低音と彩りを加える。
あとになって楽器の説明が入るのですが、ヴィオローネは形状こそ似ているものの、コントラバスと違って、ヴィオール属・・・ヴィオラ・ダ・ガンバなどにより近しい仕様で、今日用いられるのは6本の弦が張られたもの。高音側から4本はガット・・・羊の腸を縒り合わせたもので、低い2本はそれに銀をコーティングした弦。この楽曲では低い2本はあまり使われないせいか、ガット弦の優柔な調べが、金属弦のコントラバスほど重厚な響きではなく、一層耳に優しい。それに、通奏低音を演じつつ、中高音域で和音を添え、時にキラキラとしたアルペッジョ。わずか4オクターヴとちょっと(51鍵?)で、トイピアノみたいにやッたら可愛いのに、チェンバロがいい仕事をしています。

三曲目は選手交代して、ヴァイオリニスト佳南子さんの独壇場でビーバーの「パッサカリア(passacaglia)」。
スペイン発祥の舞曲であったものが、イタリア、フランス、オーストリアと伝わるうちにソフィスティケイトされたサロン・ミュージックとなって、今日演奏されるのは、作曲家にして元祖(バロック・)ヴァイオリンのヴィルトゥオーソ(超絶技巧奏者)が書き残した代表作「ロザリオのソナタ集」の最後を飾る第15番。
演奏前に池内さんが、この楽曲が今日の”メダマ”とハードルを上げて、ちょっとハラスメント(?!)・・・なのですが、まァ、メダマと呼んでいいでしょう。のちの時代の、例えばニコロ・パガニーニなどを知るワタシたちにとっては、超絶技巧感は薄いけれど、その分、もの悲しげに胸を打つ。悪戯な風に翻弄される落葉の儚さを想わせて、これぞ”秋の日のヴィオロン”・・・といった風情。
秋の日の
ヰ゛オロンの
ためいきの
身にしみて
ひたぶるに
うら悲し。
血中仏蘭西人濃度の高いワタシの脳裏にはポール・ヴェルレーヌの「秋の歌」が浮かんじゃう(と言いながら、思いっきり上田敏訳の日本語詩)。
よく知るヴァイオリンの音色と比べるとかなり質素に響くのだけど、それがこの曲にはしっとりとマッチして、ひときわ優美なバロック・ヴァイオリン独奏。拍手するより、拝んでしまいたくなるほど神々しいような演奏でした。

トリオ編成に戻って、コレット魅惑の恋人たち フュルスタンベール」。
「メダマ」に心撃たれて、その後、またチューニングに長い時間を要したためか、ちょっと印象が薄くなったような・・・。血中仏蘭西人濃度が高いと言いながら、このフランス人作曲家は、演奏される機会も少なくて、耳にすることもほとんどなくて・・・というかワタシの勉強不足で、よくは存じ上げません。
でも、イタリアともドイツ~オーストリアとも違う、それは紛れもなく「フランス古典音楽」で、そこはかとなくエレガント。緊張感の高い無伴奏ヴァイオリンの後だからか、ほっと人心地、優雅なサロン・ミュージックに、夢見るような心もち。

ここでようやく3台の古楽器の解説が入ります。前述の弦のお話しやチェンバロについて。
弓の形状も後の時代とは異なり、棹(スティック)の反り方が逆で、古いガット弦は切れてしまうのでそれほど高い圧力を掛けられないため半円形であるのに対して、新式の金属弦ではより大きな音量を得るために、弓の形状に工夫を凝らし、逆反りとなってそれが一般化。
鍵盤楽器や管楽器に較べて変化が少ないように見受けられる弦楽器も長い目で見ると様々な変遷を経て、音楽の主流がプリミティヴな舞踊伴奏からソフィスティケイトされた器楽演奏へと移る中、音楽会や演奏会の花形へと進化したのでしょうね。

そして、プログラムの最後は、コレッリラ・フォリア」。
これは先週、「ワンコイン市民コンサート」でラフマニノフによるヴァリエーションを聴いたばかりの、そのオリジナル。ヴィンテージ・Bösendorfer252での演奏もいいけれど、古楽器トリオでの味わいひとしお。耳に聴こえる感触とは別に、胸に迫る優美なメロディーとハーモニー。奇を衒うこともなく、旋律も和声も比較的単純なのだけど、その端正な調べはやはり、耳を通してではなく直接胸に届くような。
フォリア(foria)」はイベリア半島・・・ポルトガルないしはスペイン発祥の舞曲が起源とされて、その意味は「狂気」。神がかったように狂おしく乱舞する舞姫の、その舞踊のための伴奏だったものが、器楽曲へと磨き上げられて、イタリアで大流行。中でも極限まで研磨されて、燦然と輝くのがこの楽曲。スピネット・チェンバロヴィオローネに支えられて、躍るヴァイオリンの優美さ!! 眼を閉じて聴いていると、舞姫の姿が瞼の裏に浮かぶような。

アンコールは、ダスティン・ホフマン主演のアメリカ映画「卒業(The Graduate)」のサウンドトラックス、サイモン&ガーファンクルの歌唱でも知られる「スカボロー・フェア(Scarborough Fair)」。
その原典は英国の伝統的なバラッドで、スカーバラの市場でハーブばっか買ってこいと命じる歌詞は、その昔から在ったらしい。
ワタシがまだ幼気な少年時代、お優しいお従姉さまからギターの手解きを受けていた時に、二人で弾き語りしていたのが何故かこの楽曲・・・のサイモン&ガーファンクル版。"Parsley, sage, rosemary, and thyme”、そんなに野菜ばっかり買わなくても・・・と子供心に染み付いた、忘れられない遠ォォォい憶い出。まさか、古楽器演奏会でワタシの古い記憶が呼び起こされるとは思ってみなかった。(フランス)近代音楽もいいけれど、古い音楽は、ノスタルジーを目覚めさせる魔力を秘めている?!

演奏を耳にするだけでなく、楽器を、殊に貴重な古楽器を眼にするだけでも、今日は得難い体験をさせて頂きました。現代の楽器は繊細な調整が可能になって、演奏の幅が広がった分、その進化がかえって音作りを難しくして、駒の高さや弦の選定、弓毛の張り・・・、音色に拘りすぎて、音楽本来の大らかさを忘れつつあるのではないか・・・とも思っちゃいました。一周回って、古楽器が注目されているのも解らなくもありません。出来ればシリーズ化して頂けたらと思います。

そうそう古楽器、バロック・ヴァイオリンというと・・・、
来年1月21日(日)の「ワンコイン市民コンサート」は『寺神戸亮 無伴奏バロックヴァイオリン・リサイタル 〈シャコンヌへの道〉』が予定されています。全曲無伴奏ヴァイオリン・ソロで、ビーバーの「パッサカリア」もプログラムされているとのこと。ご興味のある方は是非ぜひ(と我田引水?)。

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