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La Grande Vague de Hokusai [散歩・散走]

台風に
  神奈川沖の
    浪を観る
      (30点・才能なし)

俳句の才能はともかく、今日はあべのハルカス美術館で開催中の「大英博物館 国際共同プロジェクト 北斎-富士を超えて-」を観覧致します。


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本来なら、自転車と共に京都へ赴いて、少し早い紅葉狩り。「まだ全然青いじゃあねェか!!!!」と悪態をつきながら草餅を食べる算段だったのですが、台風が接近する中を輪行ポタリングでもないでしょうし、といって、自宅に籠っていちゃあ脳細胞までサビついちゃう。

では、何故、『HOKUSAI』か? 美術館「えき」KYOTOでは「ミュシャ展 ~運命の女たち~」もやってるというのに。

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葛飾北斎
といえば数多くの傑作を遺し、中でも広く知られるのは「富嶽三十六景」で、その揃物(そろいもの)の中でも一等有名(?)なのが『神奈川沖浪裏』。
ワタシは、浮世絵や日本絵画に造詣があるわけでもなければ、北斎さんとは一面識もないけれど、この作品はスペシャルに特別。

何故ならば・・・。

ワタクシの国(?)ではァ・・・、19世紀半ばに開催された万国博覧会へ浮世絵をはじめとする日本美術の品々が出品されたのをきっかけとして「ジャポニスム(Japonisme)」の一大ブーム。また、ジャポンから輸入される陶器のパッケージングに包装紙として使われていた「北斎漫画」に眼を留めたエッチング画家フェッリクス・ブラックモンらに因って、「ジャポネズリー(Japonaiserie)」と呼ばれる日本趣味が掻き立てられ、浮世絵のコレクションが流行することとなる。ジャポニザン(japonisant)・・・日本美術工芸品収集家たちがそれら日本由来の逸品を奪い合うことになり、作品収集だけではなく、芸術面でもその表現手法が多大な影響を与えることになる。
それはフランスだけに止まらず、英国やアメリカでも同様のムーヴメントとなり、絵画はもとより文学や音楽にまでインフルエンス。
そう。音楽。フランス近代音楽といえば、ワタシの場合、クロード・ドビュッシーで・・・。

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彼が1905年に完成させた管弦楽曲「交響詩『海』」こと『海 - 管弦楽のための3つの交響的素描(La Mer, trois esquisses symphoniques pour orchestre)』。その初版楽譜の表紙には『神奈川沖浪裏』の模写(?)があって、一部の資料によると、ドビュッシー北斎の浮世絵から着想を得た・・・云々と実しやかに書かれていたりする。マジか?! どうも、そうは、見受けられない気がする。
当時の、エドガー・ドガポール・セザンヌクロード・モネエドゥアール・マネピエール=オーギュスト・ルノワール等々、いわゆる印象派印象主義と呼ばれる芸術運動に与した画家たちや、オランダ出身で一時期パリでも過ごしたフィンセント・ヴィレム・ファン・ゴッホ、彼と共同生活したのちタヒチへと旅立ったウジェーヌ・アンリ・ポール・ゴーギャン、自身「富嶽三十六景」を真似て「エッフェル塔三十六景」を描いたフランスの浮世絵師ことポスト印象派アンリ・リヴィエールならともかく、音楽家、それもドビュッシー北斎
象徴主義の絵画や詩に影響されたというのも、印象派と呼ばれた所以も、知っている。万博で観たガムランに影響された・・・というのは確認出来る。古代ギリシアに魅せられて、それらしい楽曲を作ったというのも見知っている。彼方此方からモティーフを得ているとはいえ、しかし、浮世絵の影響は・・・。
コピーされた印刷物やインターネット上に散見する画像では確証を得られない。実物を拝見しなきゃあ。

で、「大英博物館 国際共同プロジェクト 北斎-富士を超えて-」。

10月06日(金)~11月19日(日)を会期としてあべのハルカス美術館で開催されるエキシビションは、稀代の浮世絵師、葛飾北斎の肉筆画を中心に還暦以降の30年に焦点を当て、九十歳まで描き続けた北斎が追い求めた世界に迫るというもの。

葛飾北斎(1760(宝暦10)年10月31日? - 1849(嘉永02)年05月10日)。「富嶽三十六景」や「北斎漫画」、「諸国滝廻り」に「諸国名橋奇覧」、「百物語」、「百人一首乳母が絵説」、et cetera。武者絵から名所絵、静物画、奇想画。美人画も描けば、お化け・妖怪や春画も描く。永田生慈著『葛飾北斎年譜』付録『版木、版画作品目録』に数えられるだけでも、その作品数は1,385点。肉筆画や挿絵なども加えると、生涯で30,000点以上も描いたとされる。さらに、改号すること30回、転居すること93回、数々の奇行でも知られる、江戸時代後期の代表的な浮世絵師。日本国内だけでなく、世界的にも著名で、多くの影響を及ぼしたお方。

このエキシビションでは、その作品を年代順ではなく、テーマごとに5つのキャプターに分類、国内のみならず、大英博物館を始めとする世界中から集められた約200点が展示されている。少数ながら、応為こと彼の娘、お栄さんや彼に関わりのある絵師の作品も連なる。

初日から多くの観覧者を集めているとのことで、台風が接近して雨降りの今日でさえ、オープン5分前にあべのハルカス16階まで昇ってみると、入場口にはすでに長蛇の列。券売所にはより多くの人集り。
ワタシは予め前売券を入手しているので、混雑する券売所をスルーして、入場口へ。が、そこに連なる行列がなかなか進行しない。

薄暗い館内。そこには多くの作品が展示されて、肉筆画こそ掛け軸などに軸装されてそれなりの大きさがあるが、約半数は浮世絵、木版画。サイズがA4ほどで緻密に微細。その下絵となると、さらに小さくなって、一部はスマートフォンのディスプレイ並み。それらをひとつずつ覗き込んでいては捗る道理もない。

エキシビションは、「第1章 画壇への登場から還暦」、「第2章 富士と大波」、「第3章 目に見える世界」、「第4章 想像の世界」、「第5章 北斎の周辺」、「第6章 神の領域」に区切られて、武者絵、美人画、風景画、静物画、木版画もあれば肉筆画、天井絵の下絵に屋台絵、森羅万象を描いた北斎らしく画題も様々ならその形態も色々。春画は・・・無いのね(てへ)。
六歳で絵筆を持って以来、八十八歳まで描き続け、自らを「画狂人」と名乗ったほどであるから、生涯で30,000点(!!!!)、ここに集められたのは還暦以降に絞られるのも止むなしといったところでしょうか。

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お目当の『神奈川沖浪裏』は「第2章 富士と大波」の中。チケットやフライヤーにも使われているから、このエキシビションの目玉でもあるのでしょうが、さほど目立つ展示にはされていない。「富嶽三十六景」シリーズ自体、のちに追加された「裏富士」を含む46点全部が並ぶ訳でもなく、期間に因る入れ替えもあって、半分だけ。
おまけに、「立ち止まらずに、進みながらご覧ください」とアナウンスされて、その小さな浮世絵からドビュッシーの「La Mer」が聴こえてくるまで待っていられない、聴こえない・・・というか、やっぱり、この絵からインスピレーションを得たとはどうも思えない。

もしかしら、この木版画から着想して、この壮大な静止画を「時間芸術」に変換してみては、この大浪を動かすとどうなるか・・・というのが発想のキッカケだった・・・ということでしょうか。
着手したのは前妻リリー・テクシーの実家、海の見えないブルゴーニュでのこと。その際、アンドレ・メサジェに宛てた手紙には、三つの楽章・・・3つの素描は、「サンギネールの島々の美しい海」、「波の戯れ」、「風が海を踊らせる」とタイトルすると記している。神奈川県とブルゴーニュはあまりに遠い。神奈川港からサンギネール諸島までの優雅な船旅というわけでもない。
楽曲制作が難航する中、エンマ・バルダックとのW不倫、リリーの自殺未遂。この時期、ドビュッシーの私生活は波乱万丈の大時化状態。スキャンダルの荒波が襲いかかる。
完成をみたのは不倫相手のエンマやその子供たちと訪れたカレー海峡の向こう側、優雅なリゾート地、イーストボーンに於いて。
海の夜明けから真昼まで」、「波の戯れ」、「風と海との対話」へと表題も変更されて、恐らくその曲調も最初の構想とは違う仕上がりになってしまった・・・はず。
確かにその楽曲は絵画的でもあるけれど、「La Mer」に描かれたのは神奈川沖どころか太平洋ではなくて、大西洋の、カレー海峡(ドーバー海峡)か英領ジャージー島の情景。あるいは、オペラ『ペレアスとメリザンド(Pelléas et Mélisande) 』での成功を打ち捨てて、ゲス不倫に因るゴシップから逃れた先で感じた、感情の起伏、彼を取り巻く環境の変化。
ドビュッシーが描いた『』は彼の胸中に在って、その波浪は心の騒めき、水平線の上を戦ぐ風は彼を取り巻く風聞(スキャンダル)。そして、それはドビュッシーが創造した音楽宇宙の始まりの混沌。
それまで、どちらかというと詩的、絵画的であった作風が、大きな動きを伴った『映像』的になった?
初演の評判は芳しくなかったというが、『』という表題と『浪裏』を描いた表紙に惑わされちゃったんじゃあないかしらン。三つの楽章に現されたのは、ドビュッシーの人生。過去と現在と未来。『風と海の対話』に耳をそばだてなくては・・・。

止まれ。『』の解釈している場合じゃなかった。今日はドビュッシーではなく北斎でしたな。

富士や大浪を捉えた名所絵、スラリとした美人さんを描いた浮世絵もいいのだけれど、多く展示された作品の中で、ワタシがココロ惹かれたのは、「第3章 目に見える世界」に並べられた静物画の、特に植物を描いた錦絵。百合に芥子、芙蓉と雀、牡丹には蝶々、桔梗には蜻蛉、芍薬とカナアリ、垂桜には鶯、朝顔と蛙・・・。力強く迷いのない輪郭線や鮮やかな色彩は他の作品と類するが、日本画の伝統手法に拠って立体感こそ希薄ながら、印象的に描かれた草花やそれに寄り添う鳥などの生物が端正で魅力的。ただ美しいだけでなく、それらはどことなく、アルフォンス・ミュシャの絵画を想わせて・・・。
正確には、ミュシャの描く草花や美人画(?!)が北斎のそれに似ているというべきですね。

ここに掲げられた作品をよくよく見れば、先に挙げたフランス人画家たちや、さらにはアンリ・マリー・レイモン・ド・トゥルーズ=ロートレック=モンファジョルジュ・ブラックパブロ・ピカソラウル・デュフィなどなどのレトリックがそこに見受けられて、印象派(Impressionisme)だけにとどまらず、それを批判した立体派(Cubisme)や野獣派(Fauvisme)、フランス近代の源流は北斎に代表される日本絵画にあるのじゃないかと思えてしまう。
それだけ、衝撃的で魅力的だということなのでしょう。奇抜な構図、艶やかな色彩、精緻な技法。陶器の包装紙が一夜にしてお宝になったかと思うと、それはまるでウイルスのようにフランス芸術界に蔓延、侵食。ジャポネスムのパンデミック。
元来、西欧にはない異質なものはオリエンタルあるいはエスニック、辺境のものと捉えていて、シノワズリー(中国趣味)に続いて着目した日本文化。西洋の厳しい戒律にそぐわないものは異端とする一方で、その相容れないものの中に感じられる、ある種の憧憬を誘うエキゾチスム(exotisme)。

ドビュッシー作品と関わりの深い詩人のシャルル・ボードレールも日本趣味にご執心で、「朱色のさおぶちで縁どられた、子羊のなめし皮のようなものの表面に見られるこの効果のすばらしさといったら、私がそれを保証します」と、浮世絵に対して絶大なる賛辞を添えて、自ら集めたコレクションを友人・知人に分与していたそうだから、ドビュッシーが知ったのは「富嶽三十六景」の『神奈川沖浪裏』ではなく、フランス語訳された「Les Trente-Six Vues du Mont Fuji」の『La Grande Vague de Kanagawa』。で、その変換過程で、Mont Fujiも、Kanagawaも消えちゃった?! 異端な(傷んだ)部分は切り捨てて、美味しいところだけつまみ食い?? ・・・などと日本語のシャレが通じる相手ではない。

またまた意識がおフランスに飛んでしまった。とにかく、ワタシが好物とするフランス近代芸術に多大な影響を与えた葛飾北斎をはじめとする日本美術。その結びつきは今日確証を得たように思えます。
著名な作品だけでなく、北斎描くところのお花を沢山に拝見出来たのが一番の収穫。『神奈川沖浪裏』からドビュッシーの音楽は聴こえてこなかったけれど、それについて考えるキッカケは頂きました。混雑の中へ踏み入っただけの価値は十分あったと思います。
浮世絵や日本美術がジャポニスムとなって、様々な主義・主張が百花繚乱、鬩ぎ合ったフランス画壇でどう咀嚼されて、どう消化されたのか、もう少しこのシリーズを続けたいと考えます。
折しも、美術館「えき」KYOTOでは「ミュシャ展 ~運命の女たち~」、神戸市立小磯記念美術館では特別展「ユニマットコレクション フランス近代絵画と珠玉のラリック展-やすらぎの美を求めて-」 、佐川美術館では「百花繚乱 浮世絵十人絵師展」 、久保惣美術館では「ピカソと日本美術 - 線描の魅力 -」 が其々開催されて、お勉強の場に事欠かない今日この頃。ただ、会期終了までに足を運べるかどうか・・・。
遊んでばかりもいられないのだけれど、これも勉強の一環ということで・・・。

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