いざ、「バベルの塔」へ。 [散歩・散走]
夏真っ盛りな八月。その最初の休日は「京都輪行ポタリング」を計画していたのだけれど、天気予報は午後から雨が降ると告げる。勢力の強い台風が近づいて来ているらしい。
うまくスケジュールが捌けないところにさして、身体が空いたときは天候が不順。
ところが朝早くに目覚めてみれば雨の気配もなく、チカラ押しでひと思いに出掛けてしまってよかったが、輪行となると最近の雨の降りようが気掛かり。雨に濡れるのもイヤだが、集中的な豪雨で交通が遮断されてしまったら、帰れなくなるかもしれない。明日は父の祥月命日で、それならお盆の法要も前倒しで一緒にしてしまえと、実家に帰る予定。お寺さんが午前7時前後に来て下さるとのことで、明日の朝も早い。
早々に「京都輪行」は諦める。
うまくスケジュールが捌けないところにさして、身体が空いたときは天候が不順。
ところが朝早くに目覚めてみれば雨の気配もなく、チカラ押しでひと思いに出掛けてしまってよかったが、輪行となると最近の雨の降りようが気掛かり。雨に濡れるのもイヤだが、集中的な豪雨で交通が遮断されてしまったら、帰れなくなるかもしれない。明日は父の祥月命日で、それならお盆の法要も前倒しで一緒にしてしまえと、実家に帰る予定。お寺さんが午前7時前後に来て下さるとのことで、明日の朝も早い。
早々に「京都輪行」は諦める。
「京都輪行ポタリング」が流れたとて、他のカードは幾らでも切れる。ネタに事欠くワタシではない。
短時間・短距離用の「ティファニー(・ブルー)で朝食を」シリーズもあれば、「(期間限定)正しい盛夏の過ごし方」シリーズもこの夏とっておきの切り札。
で、今日は「オレの庭」・・・大阪市内を散策する「正しい盛夏の過ごし方」から。
陽の高い時間帯に外を走り続けるのは愚行というか、蛮行。熱中症だとか脱水症状で逝ってしまうかもしれない。未だに五月の「意識消失」が尾を引いて、無理をするなと奥様のお小言が煩い。今だから言えるが、「茶源郷ポタ(→記事参照)」でも汗をかき過ぎたのか、天空カフェの予約表にサインをする際に右半身が痺れ出してペンが正しく使えなくなった。
こう暑くなると、自走時間より室内で過ごす時間を多く取ったプランにするのが「正しい」わけで・・・。まァ、概ねいつもそうなんですけど、ね。
というわけで、アートなポタリング。
国立国際美術館で開催中の『ボイマンス美術館所蔵 ブリューゲル「バベルの塔」展 16世紀ネーデルラントの至宝 - ボスを超えて -』観覧をメインに据えたショート・コース。老松町のアートサロンにも立ち寄りたいし、お宝級の絵画で目の保養、そのあとは美味しいランチで滋養を得ようというメニュー。
国立国際美術館がある中之島までは約7km。09:30に家を出ても10:00の開館に間に合ってしまう。っていうか、暑い中わざわざ自転車で行くほどのこともないといえばないのだけれど、今日乗っておかないと次はいつ乗れるか分からない。短い距離でも奔っておきたい。
奔り出してみると、暑さが募る。身体の内側からは運動エネルギーが熱エネルギーに変換された熱量。外側からはすでに殺人的な日差しを伴った熱風で、走行中はまだしも、信号で止まるたびに熱気が込み上げて、汗が滴り落ちるよう。
駐輪場に自転車を停めて、近くの喫煙所でタバコを一本喫ってから美術館まで歩を運ぶ。10時を20分近く過ぎて、入り口前に行列が出来ている・・・ということもなく、閑散とした気配さえ感じる。
が、一歩館内に入ると、券売所には多少の人だかり。展示会場となる地下へと向かうエスカレーターもそれなりに混雑。その人並みに続いて地下二階の特別展示室まで辿り着くと、そこはすし詰め・・・とまでは言わないが結構な賑わい。
会場はⅧつのエリア+αに区切られて、
Ⅰ 16世紀ネーデルラントの彫刻
Ⅱ 信仰に仕えて
Ⅲ ホラント地方の美術
Ⅳ 新たな画題へ
Ⅴ 奇想の画家 ヒエロニムス・ボス
Ⅵ ボスのように描く
Ⅶ ブリューゲルの版画
Ⅷ 「バベルの塔」へ
東京藝術大学COI拠点複製画「バベルの塔」コーナー
3DCG映像シアター
・・・お目当てで、お宝級で、メインで目玉となる「Tower of BABEL」まではかなり長い道のり。そこに至るまで絵画と彫刻が合わせて計約90点。そのほとんどがボイマンス美術館ことオランダ・ロッテルダムにあるボイマンス・ファン・ベーニンゲン美術館のコレクション。その膨大な所蔵品からピーテル・ブリューゲルⅠ世やヒエロニムス・ボスを始めとする16世紀ネーデルラント美術を選りすぐってのエキシビション。
主題となるパパ・ブリューゲルの最高傑作と名高い「バベルの塔」は24年ぶりの来日。
それがメインとなるから、彼の他の代表作は他の美術館所蔵ということもあって、”農民ブリューゲル”と渾名された面影は薄く、ボスから引き継いだ奇想絵画やサイズの小さな版画作品が多く並ぶ。約半数は、ボスやブリューゲル以前のネーデルラント所縁の絵画や彫刻。
ワタシの専門分野(?)はフランス近代(音楽)芸術。
“近代”の序開に当たるとはいえ16世紀、ルネサンスより少し前で、ましてやネーデルラントは管轄外とも思えるが、その影響は19~20世紀のフランスまで及んでいる・・・かも知れず、クロード・ドビュッシーや象徴派芸術家がリスペクトした古代ギリシアの美術の影響力を探るために先達ては『古代ギリシャ展』に足を運び(→記事参照)、1900年の『パリ万博』でドビュッシーが大きなインパクトを得たとされるジャワ・ガムランも研究対象(?)として自演までしているのだもの、16世紀ネーデルラント美術も観ておいて損にはならないだろうし、この機を逃すと、次の24年先は観られるかどうか、ワタシの健康面がかなり怪しい。
そういえば、ネーデルラント連邦共和国は、フランス革命戦争でフランス王党派や神聖ローマ帝国、ロシア帝国、スペイン王国、etc.と手を結んでフランス共和国に敵対したために崩壊してしまったのですな。嗚呼!!
傷みやすい古美術が多いことから展示室内の照明は淡暗く、彫刻や絵画の細部や小さな文字で添えられるキャプションが読み辛い(っと、後で気付いたらサングラスのまま入館していた!!)。
ルネサンス以前は、音楽もそうだが、絵画や彫刻も宗教的題材が多く、第Ⅰ部の彫刻も聖人や使徒がモデル。
第Ⅱ部も「信仰に仕えて」の副題通りに、幼子を抱いたヴァージンや大きな十字架に釘付けされた裸体の男性を題材にした絵画が並ぶ。
続く第Ⅲ部も現代のオランダ西部・・・アムステルダム、ロッテルダム、ハーグなどで製作された作品で聖人や宗教的エピソードがテーマ。母子像はともかく、磔刑や悪魔による聖人への誘惑を描いた作品はちょっと背中がゾクゾク。マリア様が幼子イエスを抱く絵に添えられた天使が奏でる数種の楽器。その中にまだ三弦しかないヴィオール(ヴィオラ・ダ・ガンバ)があったのが、ちょっと興味深い。
第Ⅳ部でようやく一般人(?)の肖像画や風景画になって多少ホッと出来るが、第Ⅴ部のヒエロニムス・ボス、彼の作品の模倣が並ぶ第Ⅵ部は、聖書に記された寓話に基づくとはいえ、奇想天外で幻想的で怪異、っていうかちょっとグロテスク。まァ、20世紀初めの、フランスを中心に起こったシュルレアリスムにその影響も見受けられる気もするし、観ておいて損はない。
聖書に書かれたエピソードをモティーフとする寓意画。西洋音楽を理解するために聖書にも目を通したとはいえ、具さに全てを認識しているわけもなく、ただただその精緻で微細な画力に感心するしかないのが悲しい。もう少し予習してくるべきだった。
それにね。宗教的教訓を読み解くより、もっと後の時代の、輪郭線の曖昧な風景画や輪郭のくっきり太い立体的なポートレイトから好意・悪意を読み取る方がワタシ的には好ましいかなァ。
展示室の最奥部に飾られた「バベルの塔」。ブリューゲル作品では1563年製作版と1565年版があって、今回展示されているのは後者。前者はオーストリア・ウィーンの美術史美術館所蔵となっている。それぞれのサイズから「The (Great) Tower of Babel」、「The (Little) Tower of Babel」と呼び分けられて、方や114cm×155cm(45in×61in)、もう一方は60cm×74.5cm(24in×29.3in)。絵画のサイズとしては小さくなったが、そこに描かれるタワーはより巨大化し、その分筆致は緻密を極める。
現物が小さいから、部分的に拡大した写真やより大きく拡大し壁紙状にしたパネルも添えられているが、それですら虫めがねや顕微鏡が必要なほどに微細。
思いの外「Little」であるからしっかり見ようと思うとかなり近寄らないといけないが、混雑するため、立ち止まっての鑑賞は許されない。その絵の前は数珠繋ぎの行列になる。
バベルの塔については語るまでもなく・・・、
五千年前、宇宙人バビルが宇宙船の故障により地球に不時着。その科学力と超能力を以って、時の権力者を動かして作り上げようとした、超高性能コンピュータが管理する巨大な塔。砂の嵐と三つのしもべに守られる。
・・・というのは、バビルの塔?横山光輝・・・でしたな(アニメ版が「バビルの塔」で、原作では「バベルの塔」)。
全ての地は、同じ言葉と同じ言語を用いていた。東の方から移動した人々は、シンアルの地の平原に至り、そこに住みついた。そして、「さあ、煉瓦を作ろう。火で焼こう」と言い合った。彼らは石の代わりに煉瓦を、漆喰の代わりにアスファルトを用いた。そして、言った、「さあ、我々の街と塔を作ろう。塔の先が天に届くほどの。あらゆる地に散って、消え去ることのないように、我々の為に名をあげよう」。主は、人の子らが作ろうとしていた街と塔とを見ようとしてお下りになり、そして仰せられた、「なるほど、彼らは一つの民で、同じ言葉を話している。この業は彼らの行いの始まりだが、おそらくこのこともやり遂げられないこともあるまい。それなら、我々は下って、彼らの言葉を乱してやろう。彼らが互いに相手の言葉を理解できなくなるように」。主はそこから全ての地に人を散らされたので。彼らは街づくりを取りやめた。その為に、この街はバベルと名付けられた。主がそこで、全地の言葉を乱し、そこから人を全地に散らされたからである。
「創世記」11章1-9節
旧約聖書の「創世記」に、”空想的で現実不可能なもの”の例えとして描かれる巨大な塔。紀元前6世紀のバビロン・マルドゥク神殿に築かれた聖塔がそのモデルともされる。
それによると、新素材・新技術で作られた巨大な塔は”壊された”訳ではなく”完成し得なかった”ことになる。神の怒りを被り、言語が乱れて、ことを成し得なかった。
ワタクシ思うに、”言語の乱れ”とは個人主義化していくことの比喩。"教え"を別解釈し、多様化し、分化し、散逸する”祈りの言葉”。ひとつの"祈り"に結集しないと"成就"を見ない・・・ということを表したかったのかしらン?
それだとすごく東洋的で全体主義的で、キリスト教的には矛盾を孕むことになってしまう。”口々に勝手なおしゃべりしていないで、先生の言うことを聞いていなさい”的な教え?
まァ、簡単に解釈出来るものでもないし、考え出すとすんごい時間が必要。今日のところはブリューゲルの絵画に集中、シューチュー。
改めて実物を眼にして、それを拡大したものを示されて、細部をジックリと観察してみる。アリンコよりも小さな人物が千数体。それぞれが何らかの作業に従事しているが、16世紀当時のリアルな建築風景であるという。
で、気になったのが、聖書の中で新素材とされるレンガと漆喰を階上へと搬送するパート。レンガが欠損して赤い流れが出来ている。漆喰が霧散して白い流れが出来ている。
それが血液とリンパ液、血管とリンパ腺に見えて、巨大な塔が生き物にも見え・・・なくもない。ホムンクルスとかゴーレムとかを連想してしまう。ボスが描いたのが樹木人間なら、ブリューゲルはレンガと漆喰で巨大なゴーレム?!
問題は、ブリューゲルは何故、新素材アスファルトではなく旧来の漆喰を描いたのか。知らなかった訳でもなく、間違えた訳でもないはず。ワタシにはそれが、レンガの赤い流れと対をなして、血液とリンパ液、あるいはゴーレムを生成するための精液に思える訳で・・・。
マァ、それが何を意味するのか、その絵に何を読み取るのかは鑑賞者次第・・・ということで、こういうSF的妄想でもいいじゃん。
バベルは巨大な生育器。乱れた言語とはプログラムのバグ。暴走するゴーレムによって、バベルは内部から瓦解し、世界は混乱へと至る・・・。
このアイディア、ハリウッドで買ってもらえませんかねェ。
と、暑さに浮かれた妄想はともかく、多くの展示品を観て廻って、気がついたら2時間以上経過して、お昼どき。お腹が空いた・・・というより、アタマが疲れてきた。そろそろ脳細胞に栄養補給が必要。
退館しようとゲートまで来ると、奇怪なフィギュア。ピーテル・ブリューゲルⅠ世が下絵を描き、 ピーテル・ファン・デル・ヘイデンが版刻した『大きな魚は小さな魚を食う』に登場する魚人間?
鼻腔やエラはないし、背びれ、胸びれ、腹びれもないし、魚じゃあないぞ!! これじゃあ、カエルに変態途中のオタマジャクシ・・・っと、ツッコミどころはソコじゃあない?!
この展示会のマスコット「タラ夫」なのだとか。へんに大きくて着ぐるみめいて動き出しそうで、ちょっとキショイ。
夏の滋養補給。明日は”ドヨウウシ”。土曜牛?
が、奥様からお肉禁止令が出ている。
ならば素直に土用丑?
老松町のアートサロンに用事があって、そちらに向かうついでに西天満の志津可へ立ち寄る。と、時分どき、店頭に溢れる順番待ちの列。国立国際美術館近くのリーガロイヤルホテルに行っておけばよかったかと思ってもあとの祭り。とりあえず予約表に署名して、順番を待つ間にアートサロン山木へ。
昨年の『亜細亜龍魚救済計画』開催時にオーダーしたのが大熊猫シリーズの湯呑み茶碗(→記事参照)。注文通りに作陶し仕上がりまで順番待ちで八ヶ月掛かると言われ、それが10月22日で、もう九ヶ月以上経過している。私の「大熊猫」は「バベル」と化したのかしらン? その確認に訪ねてみる。
たまたま作者の粟田尚子さんが在廊されていて、ワタシのことも覚えてくださっていて、ワタシのオーダーも記憶してくださっていて、しかし仕上がりはまだとのこと。すんごく恐縮されておられたが、事情のあること故、待ちついでにもう少し待たせて頂くことにして、パンダさんを待つ間にワタシの首がキリンさんみたく長くなる・・・っと。
細長いモノ。そうそう、そろそろウナギの順番待ちに戻らないと。
土用丑を明日に控えて、今日も混雑していて、お昼の分はワタシの直後で売り切れ、オーダーストップ。ギリギリの滑り込み。
霧島山麓の天然水で育てられた宮崎県産と鹿児島県産の鰻を江戸流と呼ばれる調理法を用いて作られる「鰻重」にありつけたのは14:00ごろ。約140~150グラムの身のよく引き締まった細い鰻を丸々一匹分使ったヴァージョンに肝吸いとお漬物が付く。それを四畳半のお座敷を独り占めにして頂く贅沢。
満たされた気分になって外に出ると、遠くから雷鳴!! アッチでもコッチでも順番待ちしているうちにお天気のことをすっかり忘れておりましたな。
樹木人間にマス夫くん、パンダでキリン、土曜のウシでウナギとか言ってたらライオン・・・雷音か?!
何れにしても食後のお茶を楽しむ余裕はなさそうで、急ぎ帰宅しないといけないかという間も無く雨が落ちて来る。雷も怖いけれど、濡れネズミで帰ると奥様のカミナリがさらに恐ろしい。生きた心地もありませんな。飛ばすぞ!!
雨に濡れたのか汗に塗れたのか、湿った身体を見つからないようにバスルームに潜めて今日のポタリングは終了。
明日は実家に帰省するついでに堺市立文化館 堺 アルフォンス・ミュシャ館で「企画展『あこがれ アルフォンス・ミュシャに魅せられた人々』」を拝見予定。
「正しい盛夏の過ごし方」シリーズとして、佐川美術館での「アルフォンス・ミュシャ展 麗しきアール・ヌーヴォー」と兵庫県立美術館での「怖い絵展」にも行かなきゃ。そうそう、滋賀県守山市の佐川美術館まで赴くのであればJR守山駅近くのカフェレストランに煮込み料理を求めて再訪しなくては。九月は音楽三昧だし、身体が幾つあっても足りませんな。アートという割りにはちっとも優雅じゃないような・・・。嗚呼!!!!
本日の結果
Mx:35.20km/h、Av:16.80km/h、Dst:19.52km、Tm:01:09:40
短時間・短距離用の「ティファニー(・ブルー)で朝食を」シリーズもあれば、「(期間限定)正しい盛夏の過ごし方」シリーズもこの夏とっておきの切り札。
で、今日は「オレの庭」・・・大阪市内を散策する「正しい盛夏の過ごし方」から。
陽の高い時間帯に外を走り続けるのは愚行というか、蛮行。熱中症だとか脱水症状で逝ってしまうかもしれない。未だに五月の「意識消失」が尾を引いて、無理をするなと奥様のお小言が煩い。今だから言えるが、「茶源郷ポタ(→記事参照)」でも汗をかき過ぎたのか、天空カフェの予約表にサインをする際に右半身が痺れ出してペンが正しく使えなくなった。
こう暑くなると、自走時間より室内で過ごす時間を多く取ったプランにするのが「正しい」わけで・・・。まァ、概ねいつもそうなんですけど、ね。
というわけで、アートなポタリング。
国立国際美術館で開催中の『ボイマンス美術館所蔵 ブリューゲル「バベルの塔」展 16世紀ネーデルラントの至宝 - ボスを超えて -』観覧をメインに据えたショート・コース。老松町のアートサロンにも立ち寄りたいし、お宝級の絵画で目の保養、そのあとは美味しいランチで滋養を得ようというメニュー。
国立国際美術館がある中之島までは約7km。09:30に家を出ても10:00の開館に間に合ってしまう。っていうか、暑い中わざわざ自転車で行くほどのこともないといえばないのだけれど、今日乗っておかないと次はいつ乗れるか分からない。短い距離でも奔っておきたい。
奔り出してみると、暑さが募る。身体の内側からは運動エネルギーが熱エネルギーに変換された熱量。外側からはすでに殺人的な日差しを伴った熱風で、走行中はまだしも、信号で止まるたびに熱気が込み上げて、汗が滴り落ちるよう。
駐輪場に自転車を停めて、近くの喫煙所でタバコを一本喫ってから美術館まで歩を運ぶ。10時を20分近く過ぎて、入り口前に行列が出来ている・・・ということもなく、閑散とした気配さえ感じる。
が、一歩館内に入ると、券売所には多少の人だかり。展示会場となる地下へと向かうエスカレーターもそれなりに混雑。その人並みに続いて地下二階の特別展示室まで辿り着くと、そこはすし詰め・・・とまでは言わないが結構な賑わい。
会場はⅧつのエリア+αに区切られて、
Ⅰ 16世紀ネーデルラントの彫刻
Ⅱ 信仰に仕えて
Ⅲ ホラント地方の美術
Ⅳ 新たな画題へ
Ⅴ 奇想の画家 ヒエロニムス・ボス
Ⅵ ボスのように描く
Ⅶ ブリューゲルの版画
Ⅷ 「バベルの塔」へ
東京藝術大学COI拠点複製画「バベルの塔」コーナー
3DCG映像シアター
・・・お目当てで、お宝級で、メインで目玉となる「Tower of BABEL」まではかなり長い道のり。そこに至るまで絵画と彫刻が合わせて計約90点。そのほとんどがボイマンス美術館ことオランダ・ロッテルダムにあるボイマンス・ファン・ベーニンゲン美術館のコレクション。その膨大な所蔵品からピーテル・ブリューゲルⅠ世やヒエロニムス・ボスを始めとする16世紀ネーデルラント美術を選りすぐってのエキシビション。
主題となるパパ・ブリューゲルの最高傑作と名高い「バベルの塔」は24年ぶりの来日。
それがメインとなるから、彼の他の代表作は他の美術館所蔵ということもあって、”農民ブリューゲル”と渾名された面影は薄く、ボスから引き継いだ奇想絵画やサイズの小さな版画作品が多く並ぶ。約半数は、ボスやブリューゲル以前のネーデルラント所縁の絵画や彫刻。
ワタシの専門分野(?)はフランス近代(音楽)芸術。
“近代”の序開に当たるとはいえ16世紀、ルネサンスより少し前で、ましてやネーデルラントは管轄外とも思えるが、その影響は19~20世紀のフランスまで及んでいる・・・かも知れず、クロード・ドビュッシーや象徴派芸術家がリスペクトした古代ギリシアの美術の影響力を探るために先達ては『古代ギリシャ展』に足を運び(→記事参照)、1900年の『パリ万博』でドビュッシーが大きなインパクトを得たとされるジャワ・ガムランも研究対象(?)として自演までしているのだもの、16世紀ネーデルラント美術も観ておいて損にはならないだろうし、この機を逃すと、次の24年先は観られるかどうか、ワタシの健康面がかなり怪しい。
そういえば、ネーデルラント連邦共和国は、フランス革命戦争でフランス王党派や神聖ローマ帝国、ロシア帝国、スペイン王国、etc.と手を結んでフランス共和国に敵対したために崩壊してしまったのですな。嗚呼!!
傷みやすい古美術が多いことから展示室内の照明は淡暗く、彫刻や絵画の細部や小さな文字で添えられるキャプションが読み辛い(っと、後で気付いたらサングラスのまま入館していた!!)。
ルネサンス以前は、音楽もそうだが、絵画や彫刻も宗教的題材が多く、第Ⅰ部の彫刻も聖人や使徒がモデル。
第Ⅱ部も「信仰に仕えて」の副題通りに、幼子を抱いたヴァージンや大きな十字架に釘付けされた裸体の男性を題材にした絵画が並ぶ。
続く第Ⅲ部も現代のオランダ西部・・・アムステルダム、ロッテルダム、ハーグなどで製作された作品で聖人や宗教的エピソードがテーマ。母子像はともかく、磔刑や悪魔による聖人への誘惑を描いた作品はちょっと背中がゾクゾク。マリア様が幼子イエスを抱く絵に添えられた天使が奏でる数種の楽器。その中にまだ三弦しかないヴィオール(ヴィオラ・ダ・ガンバ)があったのが、ちょっと興味深い。
第Ⅳ部でようやく一般人(?)の肖像画や風景画になって多少ホッと出来るが、第Ⅴ部のヒエロニムス・ボス、彼の作品の模倣が並ぶ第Ⅵ部は、聖書に記された寓話に基づくとはいえ、奇想天外で幻想的で怪異、っていうかちょっとグロテスク。まァ、20世紀初めの、フランスを中心に起こったシュルレアリスムにその影響も見受けられる気もするし、観ておいて損はない。
聖書に書かれたエピソードをモティーフとする寓意画。西洋音楽を理解するために聖書にも目を通したとはいえ、具さに全てを認識しているわけもなく、ただただその精緻で微細な画力に感心するしかないのが悲しい。もう少し予習してくるべきだった。
それにね。宗教的教訓を読み解くより、もっと後の時代の、輪郭線の曖昧な風景画や輪郭のくっきり太い立体的なポートレイトから好意・悪意を読み取る方がワタシ的には好ましいかなァ。
展示室の最奥部に飾られた「バベルの塔」。ブリューゲル作品では1563年製作版と1565年版があって、今回展示されているのは後者。前者はオーストリア・ウィーンの美術史美術館所蔵となっている。それぞれのサイズから「The (Great) Tower of Babel」、「The (Little) Tower of Babel」と呼び分けられて、方や114cm×155cm(45in×61in)、もう一方は60cm×74.5cm(24in×29.3in)。絵画のサイズとしては小さくなったが、そこに描かれるタワーはより巨大化し、その分筆致は緻密を極める。
現物が小さいから、部分的に拡大した写真やより大きく拡大し壁紙状にしたパネルも添えられているが、それですら虫めがねや顕微鏡が必要なほどに微細。
思いの外「Little」であるからしっかり見ようと思うとかなり近寄らないといけないが、混雑するため、立ち止まっての鑑賞は許されない。その絵の前は数珠繋ぎの行列になる。
バベルの塔については語るまでもなく・・・、
五千年前、宇宙人バビルが宇宙船の故障により地球に不時着。その科学力と超能力を以って、時の権力者を動かして作り上げようとした、超高性能コンピュータが管理する巨大な塔。砂の嵐と三つのしもべに守られる。
・・・というのは、バビルの塔?横山光輝・・・でしたな(アニメ版が「バビルの塔」で、原作では「バベルの塔」)。
全ての地は、同じ言葉と同じ言語を用いていた。東の方から移動した人々は、シンアルの地の平原に至り、そこに住みついた。そして、「さあ、煉瓦を作ろう。火で焼こう」と言い合った。彼らは石の代わりに煉瓦を、漆喰の代わりにアスファルトを用いた。そして、言った、「さあ、我々の街と塔を作ろう。塔の先が天に届くほどの。あらゆる地に散って、消え去ることのないように、我々の為に名をあげよう」。主は、人の子らが作ろうとしていた街と塔とを見ようとしてお下りになり、そして仰せられた、「なるほど、彼らは一つの民で、同じ言葉を話している。この業は彼らの行いの始まりだが、おそらくこのこともやり遂げられないこともあるまい。それなら、我々は下って、彼らの言葉を乱してやろう。彼らが互いに相手の言葉を理解できなくなるように」。主はそこから全ての地に人を散らされたので。彼らは街づくりを取りやめた。その為に、この街はバベルと名付けられた。主がそこで、全地の言葉を乱し、そこから人を全地に散らされたからである。
「創世記」11章1-9節
旧約聖書の「創世記」に、”空想的で現実不可能なもの”の例えとして描かれる巨大な塔。紀元前6世紀のバビロン・マルドゥク神殿に築かれた聖塔がそのモデルともされる。
それによると、新素材・新技術で作られた巨大な塔は”壊された”訳ではなく”完成し得なかった”ことになる。神の怒りを被り、言語が乱れて、ことを成し得なかった。
ワタクシ思うに、”言語の乱れ”とは個人主義化していくことの比喩。"教え"を別解釈し、多様化し、分化し、散逸する”祈りの言葉”。ひとつの"祈り"に結集しないと"成就"を見ない・・・ということを表したかったのかしらン?
それだとすごく東洋的で全体主義的で、キリスト教的には矛盾を孕むことになってしまう。”口々に勝手なおしゃべりしていないで、先生の言うことを聞いていなさい”的な教え?
まァ、簡単に解釈出来るものでもないし、考え出すとすんごい時間が必要。今日のところはブリューゲルの絵画に集中、シューチュー。
改めて実物を眼にして、それを拡大したものを示されて、細部をジックリと観察してみる。アリンコよりも小さな人物が千数体。それぞれが何らかの作業に従事しているが、16世紀当時のリアルな建築風景であるという。
で、気になったのが、聖書の中で新素材とされるレンガと漆喰を階上へと搬送するパート。レンガが欠損して赤い流れが出来ている。漆喰が霧散して白い流れが出来ている。
それが血液とリンパ液、血管とリンパ腺に見えて、巨大な塔が生き物にも見え・・・なくもない。ホムンクルスとかゴーレムとかを連想してしまう。ボスが描いたのが樹木人間なら、ブリューゲルはレンガと漆喰で巨大なゴーレム?!
問題は、ブリューゲルは何故、新素材アスファルトではなく旧来の漆喰を描いたのか。知らなかった訳でもなく、間違えた訳でもないはず。ワタシにはそれが、レンガの赤い流れと対をなして、血液とリンパ液、あるいはゴーレムを生成するための精液に思える訳で・・・。
マァ、それが何を意味するのか、その絵に何を読み取るのかは鑑賞者次第・・・ということで、こういうSF的妄想でもいいじゃん。
バベルは巨大な生育器。乱れた言語とはプログラムのバグ。暴走するゴーレムによって、バベルは内部から瓦解し、世界は混乱へと至る・・・。
このアイディア、ハリウッドで買ってもらえませんかねェ。
と、暑さに浮かれた妄想はともかく、多くの展示品を観て廻って、気がついたら2時間以上経過して、お昼どき。お腹が空いた・・・というより、アタマが疲れてきた。そろそろ脳細胞に栄養補給が必要。
退館しようとゲートまで来ると、奇怪なフィギュア。ピーテル・ブリューゲルⅠ世が下絵を描き、 ピーテル・ファン・デル・ヘイデンが版刻した『大きな魚は小さな魚を食う』に登場する魚人間?
鼻腔やエラはないし、背びれ、胸びれ、腹びれもないし、魚じゃあないぞ!! これじゃあ、カエルに変態途中のオタマジャクシ・・・っと、ツッコミどころはソコじゃあない?!
この展示会のマスコット「タラ夫」なのだとか。へんに大きくて着ぐるみめいて動き出しそうで、ちょっとキショイ。
夏の滋養補給。明日は”ドヨウウシ”。土曜牛?
が、奥様からお肉禁止令が出ている。
ならば素直に土用丑?
老松町のアートサロンに用事があって、そちらに向かうついでに西天満の志津可へ立ち寄る。と、時分どき、店頭に溢れる順番待ちの列。国立国際美術館近くのリーガロイヤルホテルに行っておけばよかったかと思ってもあとの祭り。とりあえず予約表に署名して、順番を待つ間にアートサロン山木へ。
昨年の『亜細亜龍魚救済計画』開催時にオーダーしたのが大熊猫シリーズの湯呑み茶碗(→記事参照)。注文通りに作陶し仕上がりまで順番待ちで八ヶ月掛かると言われ、それが10月22日で、もう九ヶ月以上経過している。私の「大熊猫」は「バベル」と化したのかしらン? その確認に訪ねてみる。
たまたま作者の粟田尚子さんが在廊されていて、ワタシのことも覚えてくださっていて、ワタシのオーダーも記憶してくださっていて、しかし仕上がりはまだとのこと。すんごく恐縮されておられたが、事情のあること故、待ちついでにもう少し待たせて頂くことにして、パンダさんを待つ間にワタシの首がキリンさんみたく長くなる・・・っと。
細長いモノ。そうそう、そろそろウナギの順番待ちに戻らないと。
土用丑を明日に控えて、今日も混雑していて、お昼の分はワタシの直後で売り切れ、オーダーストップ。ギリギリの滑り込み。
霧島山麓の天然水で育てられた宮崎県産と鹿児島県産の鰻を江戸流と呼ばれる調理法を用いて作られる「鰻重」にありつけたのは14:00ごろ。約140~150グラムの身のよく引き締まった細い鰻を丸々一匹分使ったヴァージョンに肝吸いとお漬物が付く。それを四畳半のお座敷を独り占めにして頂く贅沢。
満たされた気分になって外に出ると、遠くから雷鳴!! アッチでもコッチでも順番待ちしているうちにお天気のことをすっかり忘れておりましたな。
樹木人間にマス夫くん、パンダでキリン、土曜のウシでウナギとか言ってたらライオン・・・雷音か?!
何れにしても食後のお茶を楽しむ余裕はなさそうで、急ぎ帰宅しないといけないかという間も無く雨が落ちて来る。雷も怖いけれど、濡れネズミで帰ると奥様のカミナリがさらに恐ろしい。生きた心地もありませんな。飛ばすぞ!!
雨に濡れたのか汗に塗れたのか、湿った身体を見つからないようにバスルームに潜めて今日のポタリングは終了。
明日は実家に帰省するついでに堺市立文化館 堺 アルフォンス・ミュシャ館で「企画展『あこがれ アルフォンス・ミュシャに魅せられた人々』」を拝見予定。
「正しい盛夏の過ごし方」シリーズとして、佐川美術館での「アルフォンス・ミュシャ展 麗しきアール・ヌーヴォー」と兵庫県立美術館での「怖い絵展」にも行かなきゃ。そうそう、滋賀県守山市の佐川美術館まで赴くのであればJR守山駅近くのカフェレストランに煮込み料理を求めて再訪しなくては。九月は音楽三昧だし、身体が幾つあっても足りませんな。アートという割りにはちっとも優雅じゃないような・・・。嗚呼!!!!
本日の結果
Mx:35.20km/h、Av:16.80km/h、Dst:19.52km、Tm:01:09:40
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