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ピアノの発見 第3章 〈父から離れて〉 [音楽のこと]

本日の「ワンコイン市民コンサート」は、「武久源蔵 『ピアノの発見 第3章 〈父から離れて〉』」。
 音楽の父から連なるバッハ家の大河ドラマは、「シリーズ第67回」にして『第3章』を数える。


長大なドラマの『第1章』は2015年08月30日開催の「シリーズ第44回」で幕を開く。
ヨハン・ゼバスティアン・バッハが如何にしてピアノと出逢ったか。他の楽器と比して歴史の浅いピアノが、従前のチェンバロやクラヴィコードから、何を引き継ぎ、何処が変わったのか。大バッハがそれにどう関わったか・・・というお話しで、オール・(J.S.)バッハ・プログラム(→記事参照)。
昨年06月19日に催された「シリーズ第55回」が『第2章』。『父と息子の対決=バッハ家の場合:あなたの中に、父は生きているか?』とサブタイトルがついた。折しも「父の日」を翌日に控えて、私ごとではありますが、ワタシの父が他界した二週間後。
音楽の父"は音楽界の"ビッグダディ"で、二人の妻(重婚ではありません)と20人もの子をもうけ、うち半数は夭逝したらしいが、成長した男子6人と女子4人の中から、のちに職業作曲家となったのが4名。その中から最初の妻、マリア・バルバラから産まれたふたりの息子、ヴィルヘルム・フリーデマンカール・フィリップ・エマヌエルにスポットライトを当てて、彼ら二人が著した楽曲の中に父の面影が残るのか、二人の息子が偉大な父を越えるためにどう奮起したかというストーリー。父バッハとその息子、W.F.バッハC.P.E.バッハ、三人の楽曲が演奏された(→記事参照)。

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そして、今回が『第3章 〈父から離れて〉』。大バッハマリアの死後、二人目の妻アンナ・マクダレーナ・ヴィルケともうけた六男七女からのちに”ロンドンのバッハ”と二つ名を得たヨハン・クリスティアンをフューチャリング。そして、彼がバッハ家の音楽伝統を伝え、彼を慕い、彼の楽曲を好んだウォルフガング・アマデウス・モーツァルトの作品からヨハン・クリスティアンの影響を探る。

今月は、今日と明日、二本立て。今日15日(土)が武久源蔵さんの「古楽鍵盤楽器リサイタル」で、明日16日(日)は武久さんによる「マスタークラス」。
そのために、今回も古い型式のピアノが二台、大阪大学会館に持ち込まれた。

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いつもの通り、開場が14:30、開演が15:00。
ワタシが指定席とするバルコニーA-32に着いてステージを見下ろすと、見慣れた常設ピアノ、1920年製Bösendorferの姿は無く、変わって置かれているのがGottfried Silbermann(ゴットフリート・ジルバーマン)1747年モデルとGabriel Anton Walter(アントン・ワルター)1800年モデル。どちらもモダンピアノに似て非なる鍵盤楽器。全長や弦長こそ近しいが、鍵盤の数も少なく、内臓される弦の数もかなり異なる。同じ鍵盤式打弦楽器となるが、そのアクションも少し違う。大きなボディはシンプルな直線基調となって、見た目は鋭角的で端正。
ジルバーマンは過去2回にも登場したが、ワルターはご当地初のお目見え。父バッハやお兄ちゃんたちの時代にはまだ世に出ておらず、モーツァルトが好んだとされるフォルテピアノ。さて、その声音や、如何に。

今日の大阪大学会館、古楽器保護のために照明を暗くすると断りがあったが、エアーコンディショナーの設定温度もいつに無くかなり低いように思われる。おそらくそれも、猛暑日に訪れる聴衆のためではなく、古くて細くて弱いピアノの弦を労わってのことだと推察する。あまりに暑くて、半袖ショーパンで来ちゃったが、良い音のためなら多少寒いのくらい我慢する。

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ベルが鳴って、バッハ家の物語りが始まる。
前半最初の曲はヨハン・ゼバスティアン・バッハ(Johann Sebastian Bach 1685年03月31日(ユリウス暦1685年03月21日) - 1750年07月28日)の「適正律鍵盤曲集(Das Wohltemperirte Clavier)」より・・・なのだが・・・、”適正律”って?!

Wohltemperirte」・・・、通常は”平均律”と訳されるが、本来は「よく調律された」という意味になる。
音楽の歴史は音律の歴史でもあって、大バッハの頃・・・というか、ルネサンス〜バロック期も”良いハーモニー”を求めて様々な音律が試された時代。う〜んと遡って、かのピュタゴラス先生も、”美しい響き”を得られるとして、数学的手法により「ピタゴラス音律」なるものを算出されておられるが、音楽の父も良い音を求めて調律法を模索したようで、それに合わせて発表されたのが「適正律鍵盤曲集」。それが平均律だったかどうかは今以てナゾとされ、当時はまだ現代的なピアノは存在せず、チェンバロ(ハープシコード、クラヴサン)やのちにピアノとして発展するハンマークラヴィーアで演奏することを想定して書かれた楽曲。モダンピアノなど現代の鍵盤楽器は演奏者が自ら調律を行うことは無く、(ほとんどの場合)平均律の呪縛から逃れられないために今日では「平均律・・・曲集」とされる。
チューニングについて語り出すとキリがない。バッハ家の物語りから逸脱してしまう。今日はジルバーマン・フォルテピアノで演奏するための「適正律」。
これが、ねェ。現代的な鍵盤楽器でのプレイと違って、良く調整された(well-tempered)」という以前に、より軽やかに響いて、よく馴染んだ音色、音調。父バッハが愛したクラヴィコードやフォルテピアノ、その進歩・興隆にまで寄与したという父バッハバッハの楽曲を演奏するならベーゼンドルファーではなく、ジルバーマンであるべき・・・と思ってしまう。時代を経た楽曲には、同じだけ時代を経た楽器が相応しいと思えてしまう。
オルガン製作者であったゴットフリート・ジルバーマンが、イタリアでクリストーフォリによって発明されたピアノ(の原型)をパクって模倣して作り上げたそれは、チェンバロに用いられた工夫・・・(チェンバロ・)レジスターを盛り込んで、その音色を明瞭にし、音量を豊かにしている。チェンバロとピアノの過渡期にあって、チェンバロとピアノのミックス・ハーフ。
バルコニー席のマダムたちもその音色の美しさと、その変化に驚いておられたが、華麗な響きを得るための創意工夫がその端正なボディの中に隠されているわけで御座いますよ。

で、それを使って、「第2巻」から『前奏曲とフーガ 第1番 ハ長調 BWV870』と「第1巻」から『前奏曲とフーガ 第4番 嬰ハ短調 BWV849』。まァ、楽曲については、語るまでもない・・・でしょう。

バッハ家の物語り、その『第3章』は末息子ヨハン・クリスティアン(Johann Christian Bach 1735年09月05日 - 1782年01月01日)の物語り。
父バッハが53歳の時に生まれた子は、偉大な父だけではなく、おにーちゃんたちや一族郎党が挙って英才教育を施した末息子。「平均律適正律鍵盤曲集 第2巻」は彼のために書かれたという説まであるほど。
老いた父のために写譜までしていたという少年は、演奏、作曲共によく出来たのだろうが、15歳で父を亡くす。その後は、異母兄カール・フィリップ・エマヌエルに引き取られるが、そこが居づらくなったのか、家出同然にイタリア留学、そこで勉学に励み、ミラノ大聖堂のオルガニストの職を得て、作曲でも成功を収めた。バッハ家にあって初めて物したオペラが大ヒットし、その華めく活躍からオファーが殺到。ドゥオーモが後ろ髪を引くが、ロンドンへと渡ってしまう。抹香臭い宗教曲が嫌いになった・・・というより、華やかなオペラで得た名声がスキャンダルを招き、伝統のミラノから革新のロンドンへと逃げ出しちゃった・・・のだろう。家を出て、改宗までしてしまって、戻れなくなったのちは、ヨハン・クリスティアン・バッハから”ジョン・クリスチャン・バック”、名前まで英国風発音に変わって、父や兄たちと区別するために「ロンドンのバッハ」とも呼ばれることとなって、1782年、47歳でこの世を去る。
母国へは戻れなかった彼。父や兄たちの影響からも遠ざかり、イタリアでの研鑽、ロンドンで見識を重ね、グレートブリテン国王兼アイルランド国王ジョージ三世の妃、ソフィア・シャーロット・オブ・メクレンバーグ=ストレリッツの庇護を得て、その音楽師範となる。
ジョージ三世の祖父、ジョージ一世はドイツ出身。三世の妃シャーロットもその名の通りドイツ北部の公国生まれ。父から離れたつもりでも、母国語だけは忘れられなかったのかしらン? まぁ、ねぇ。王の一族も王妃の家系もドイツ出身で、いわゆる「ナポレオン戦争」終焉に至るまでフランスと敵対していたからドイツ生まれの芸術家を重用するのも致し方ないところか。「音楽の都」がイタリア、フランスからドイツ、オーストリアへ遷都した時代でもあるし、ねェ。
シャーロット王妃にはヨハン・クリスティアン以外にもお抱え音楽家は何人もいて、一時期その中にはまだ幼いウォルフガング・アマデウス・モーツァルト(Wolfgang Amadeus Mozart 1756年01月27日 - 1791年12月05日)もいた。ロンドンの王宮、あるいはウィンザー城で、互いに祖国を離れた二人の作曲家・演奏家は知己となったわけですな。

大バッハから繋がる大河ドラマ的なストーリー、ようやくモーツァルトまで繋がりました。一方は若いうちに偉大な父を喪い、もう一方は自らが死を迎えるまで”お父さんっ子”だった二人の音楽家。裏表ではあるが、双方ともファザコンだったのかしらン?!

ステージの方では、 “ロンドンのバッハ”ことJ.C.バッハ作曲の三題。
前回に続いて今日もパートナーとなる宮崎貴子さんによるジルバーマンの演奏で「鍵盤独奏用ソナタ イ長調 作品17 第5」。
続けて、ジルバーマンでの連弾は、「4手連弾のためのソナタ イ長調 作品18 第5」。プリモに武久さん、セコンドが宮崎さん。
武久さんのソロ演奏、「鍵盤独奏用ソナタ ニ長調 作品5 第2」で前半終了。
父の緻密さでもなければ、兄たちのように挑戦的でもない、ヨハン・クリスティアン独自のレトリック。どこか晴れやかに響くのは、バッハ家の束縛から離れて、”ジョン・バック”となったからか。まァ、ねェ。時代が流れて、街の様相も変わって、政治的にも経済的にも、そして産業的にも変化の大きい時で、楽器も改良が加えられ、父や兄たちが使っていた(ハンマー・)クラヴィーアとは違う、より進化した鍵盤楽器を用いていたはずだから、書法も異なるのは当然・・・なのでしょう。

というわけで、休憩を挟んだ後半は、より新しい時代のピアノ、ワルターとそれを愛用したとされるW.A.モーツァルトの登場となるのですが・・・。

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後半の1曲目はヨーゼファ・バルバラ・アウエルンハンマー(Josepha Barbara Auernhammer 1758年09月25日 - 1820年01月30日)作曲「俺は鳥刺しさ(オペラ『魔笛』のパパゲーノのアリア)による6つの変奏曲 ト長調」を宮崎貴子さんの演奏で。
ヨーゼファ嬢はアマデウスの愛弟子・・・なのだが、一方的な恋愛感情を抱いていたのは ウィーンの実業家のもとに生まれたご令嬢の方で、やんちゃな師匠はヨーゼファ嬢の才能に惚れ込みはしても、容姿が受け入れ難かったそうで・・・。嗚呼!!

宮崎さんはピアノ音楽誌『ショパン』のために「聴いてみませんか? 弾いてみませんか? 女性作曲家作品あれこれ」という連載記事を執筆されておられ、女性作曲家の作品を演奏する機会が多いようで。そして、東京音楽大学ピアノ演奏家コースおよび同大学大学院を経て、ドイツ・ハノファー音楽演劇メディア大学ピアノ科、同大学古楽器科卒業。同大学修士課程フォルテピアノ科修了。古楽鍵盤楽器にも通じておられる由。
今日は、モーツァルトが愛したワルター・ピアノで、モーツァルトの愛弟子、モーツァルトを愛した女性作曲家の作品。
鳥刺しパパゲーノが吹く鳥笛のメロディーをもとにしたヴァリエーションは屈託のない陽気さを含んで、それがワルターの、ちょっとトイ・ピアノっぽい愛らしい音色と相まって、なんともカワイイ。
いわゆるダンパー・ペダルも備わっていないシンプルな構造のワルターは、それなりの弦長を持つにも関わらず、グラマラスなモダン・ピアノと比べるとあまりに貧弱。音は伸びず、減衰も速い。それなりの音量は得られても、弦も少なく、金属フレームを持たないためか響きも決して豊かではないのだけれど、チェンバロに近いその音色はどこか魅力的で、何よりカワイイ♡ ちょっとプアに感じてしまうのは、ワタシたちの耳が現代のリッチ(過ぎる)ピアノに慣れてしまっているからで、弾いてみないことにはなんとも分からないけれど、恐らくその鍵盤のタッチが軽く、モーツァルトの歌心に存分に呼応したんじゃあないかなァと想像する。それまでの鍵盤楽器よりレスポンシヴで、思いついたイメージを具現化するのに適した、速度の速い楽曲にも対応した・・・のではないかなァっと。まァ、当時の最先端で最新鋭。今で言えば、一番新しいMacBook ProだとかiPad Proみたいなもの、ボーナス叩いて買っちゃおうかなァ・・・とトレンド的なノリだったのかも。

今日はバッハ家のストーリー。鍵盤楽器は重要なファクターではあるけれど、ピアノの解説より大バッハとその末息子、そしてその”ロンドンのバッハ”を慕ったアマデウスに、アマデウスを愛慕したアウエルンハンマー、彼ら4人のエモーションと彼らが遺した楽曲が最重要モティーフ。楽器の解説までは時間を取れなかったのでしょうが、少なくともバルコニー席にお越しのマダムたちはそのチャーミングな楽器たちのヒミツを知りたがっておられたようですよ。

宮崎さんのワルター・ソロに続いては、武久さんがジルバーマンを使ってモーツァルト鍵盤独奏用アダージョ ロ短調 K540」。
モダンピアノでの演奏では物悲しさが胸に迫るこの楽曲もジルバーマンでは少々印象が変わる。何か達観したような、ある種の清々しさと静謐な美意識。誰のために、何のために書かれたかが知られていないというから、父とも兄とも慕ったヨハン・クリスティアンが亡くなり、実父レオポルトも世を去り、伴侶を得てウィーンでの新しい暮らし、オペラで次々に成功を収める影に忍び寄る寂寥感。当時のアマデウスの複雑で素直なココロの現れだったのか。

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プログラムの最後はジルバーマンワルターでのデュオ、「4手2台ピアノのためのソナタ ニ長調 K.448」。アウエルンハンマー家での演奏会でヨーゼファアマデウスが初演、平成の御代となって『のだめカンタービレ』でのだめちゃんこと野田 恵と千秋真一が初共演したことで一躍知られることとなるこの楽曲、今日は、宮崎貴子さんがヨーゼファ・のだめちゃんで、武久源蔵さんがアマデウス・千秋先輩。
似て非なるジルバーマンワルター。音の伸びやピッチにズレがあって、それが”ゆらぎ”を作り出して、一層”癒し効果”を与えてくれる・・・かどうかは分からないけれど、表現力に富んで柔らかく広がるジルバーマンの上でコロコロ踊るワルター、それが絶妙なアンサンブル感。もう、ねェ、今後モダンピアノでのデュオは聴けませんよ、多分。

ピッチといえば、ワルターはともかく、ジルバーマンは暑さで弦が伸びてしまうのか、打鍵によって弦を止めるピンが緩むのか、武久さんが演奏の合間にチューニングを施す。
現代的なピアノと違って何とも面倒・・・とも思えるが、楽曲によってチューニングを変えられるとも考えられるわけで、大バッハが「適正律」としたその音高に調律することも可能だと思えば、これはこれで面白い。

万雷の拍手でバッハ家の物語り、その『第3章』もお仕舞い。
アンコールは、武久源蔵さんのオリジナルで『charm&strange』を、「K.448」同様に、武久さんがジルバーマン宮崎さんがワルターという布陣で。古典的なようでいてモダンなグルーヴを醸すその楽曲は、”魅力的だけど風変わり”、タイトル通りでしたね。

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終演後はホワイエで、武久さんのCD即売会&サイン会。ワタシも、耳にする機会の少ないヴィオラ・ダ・ガンバ(演:市瀬玲子)が武久さんの演奏されるチェンバロやジルバーマン・フォルテピアノと共演する「Bach Alchemy Vol.1 『Sonatas for Viola da Gamba and Harpsichord / Toccatas』」を買い求めました。
古楽鍵盤楽器も興味深いのだけど、ヴィオラ・ダ・ガンバへの関心も捨てがたい(→記事参照)。

さて、(気が早いようですが)、『第3章』を終えて、『第4章』がどういう展開になるのかが気掛かり。大バッハの甥っ子・姪っ子、従兄弟に再従兄弟、孫や曽孫まで続いちゃうのでしょうか?
出来れば、J.S.バッハの時代に戻って、チェンバロとヴィオラ・ダ・ガンバの共演を生で拝見・拝聴したいかなァ・・・っと。鍵盤楽器以外の古楽器(とのアンサンブル)も聴いてみたいかなァっと。贅沢なワガママであることは承知の上でリクエストしておきましょう。お願い申し上げます。

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一年後の展開はともかく、「ワンコイン市民コンサートシリーズ」は今後も楽しみなラインナップが目白押し。
来月、08月20日(日)が『デュオ・ヴァンタパーネ〈白石茉奈+マルティン・カルリーチェク・ヴァイオリン・ピアノデュオリサイタル〉”不思議の国のカロル・シマノフスキ”」。ポーランド出身の作曲家カロル・シマノフスキを特集した、滅多に耳に出来ない貴重なプログラム。
09月17日(日)は『柴田由貴ヴァイオリンリサイタル〈オール無伴奏プログラム:バッハとイザイ〉』。バッハの傑作に加えて、バッハを愛して止まなかったイザイの全ソナタ。チャレンジングなステージになりそう?
10月15日(日)は『佐藤卓史ピアノリサイタル〈ウィーン、夢の街〉』。音楽の都ウィーンに去来した、W.A.モーツァルト、J.ブラームス、A.M.J.ベルクそしてA.シェーンベルク、調性音楽が無調になり、十二音技法へと移行する、その変遷を追うプログラム。
11月12日(日)の『松尾久美ピアノリサイタル〈全改編曲プログラム〉』は、”作曲者と改編者の間に横たわるのは愛か妬みか?”をテーマに、アレンジメントされてトランスクリプションされた、さて、どんな楽曲がプログラムされるのでしょう?
12月16日(土)は『峯島望美ソプラノリサイタル』。ピアノに武久源蔵さんを迎え、ロベルト・シューマン「女の愛と生涯」を取り上げる。これは常設ベーゼンドルファーでの演奏になるのでしょうか?
いずれも他所では聴けないものばかり。御用とお急ぎでない方は是非、是非。

では、また来月も大阪大学会館でお逢いしましょう。御免候へ。

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荻原哲

部長!詳細な報告ありがとうございます。「ピアノの発見」これからどのような展開になるのか、私も興味津々です。英語では"Confrontation with the fortepiano"としていますので、Fortepianoなるものに対峙する鍵盤楽器であればJ.S.Bachに直接関わりのない世界もチャプターに取り上げることができる、という理屈を立てることはできます。部長も書かれているように私たちの耳はモダンピアノに慣れすぎている、そこに揺さぶりをかけようというわけです。まずはチェンバロがジルバーマンピアのと対峙した。そしてジルバーマンピアノの後に登場した今回のワルターもジルバーマンピアのと対峙した。音色が違いましたね!ですから、モダンピアノでさえもあるいはスクエアピアノ、ヴァージナル、そしてシンセサイザーですらもジルバーマンピアノ(バッハが出会ったという意味では大事なFortepianoですから)と音比べ、アンサンブルでconfrontしている現場をお客さんに聞いていただくというアヴァンギャルドな企画もありうるかと思います。12月の峯島さんのコンサートではベーゼンドルファーを使います。武久さんはモダンピアノも非常に闊達に演奏されます。
by 荻原哲 (2017-07-18 13:45) 

JUN1026

萩原先生、コメントありがとうございます。
これからどのような展開になるのか・・・ということは、『第4章』以降も継続されて、今のところ内容は未定ということですね。ならば、私のワガママなリクエストが叶えられることがあるかもしれませんね。
それはともかくとしても、バッハの影響は甚大で、関連づけようとすれば幾らでもチャプターを加えられそうです。
一部のハードロックやプログレッシヴロックもバッハの遠い子孫。エレクトリックなサウンドに聴くバッハのインベンションなんて面白いかもしれません。ご来場のマダム達が卒倒するかもしれませんが・・・。
アヴァンギャルドな企画を期待しています。
by JUN1026 (2017-07-18 22:23) 

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