初夏の京都よくばりポタリング [散歩・散走]
六月最初の土曜日。その早暁。
パッケージしたバイクとともに、朝一番の阪急京都線に乗って、さて、何処に向かいましょうか。
パッケージしたバイクとともに、朝一番の阪急京都線に乗って、さて、何処に向かいましょうか。
京都の桜を訪ね疾った輪行シリーズ。本来は、次に「竹の秋」を求めて、竹林繁る辺りへ出向く算段でいたのだが、バタバタするうちに身体を壊し、「立夏・竹笋生」な時候を過ごして暦はすでに「小満・麦秋至」。暑さが迫り来る麦秋。
桜が散って、薔薇や藤がお仕舞いになって、躑躅や皐月、石楠花、そろそろ紫陽花や花菖蒲、水面には睡蓮などが見頃を迎える。
大阪市内が「オレの庭」なら、京都市内は「オレの別邸」。(自称)京都ポタリングの達人は、目的の時期を外してしまっても、花を求めてのポタリングなら不自由はしない。ヒトやクルマの多いところは避けながら、風光明媚で、それでいて、比較的足腰の負担にならないフラットなコースを思い描いてみる。
今日は時間に余裕があるが、まだまだ体調に不安を残す。無茶はするけど、無理はしない程度の道程で、竹林を抜けて、青紅葉を仰いで、咲き始めた睡蓮を探す京都輪行ポタリング。それにもうひとつお目当を加えて・・・。
阪急京都線を東向日駅で下車。ライド・モードにトランスフォームしたBD-1Rで走り出す。初夏の朝らしい眩しい日差しは降り注ぐが、身を切る風がまだ冷たい。半袖ジャージの上に薄手のパーカーを羽織っているが、それでもひんやりと感じる。
ハンドルを北に向け、京都市洛西竹林公園へ。
竹の秋・・・、親竹は次の世代を育むために自らは葉を落とし極力エネルギーの消費を抑え、その栄養を次の世代へ分与する。竹林が落ち葉で敷き詰められることから、四月の終わり頃から五月中頃にかけては「竹の秋」と呼ばれる。
その落ち葉のブランケットに包まれながら生まれ出てくるのが竹の子、筍。
その風景が見たくて、もっと早い時期に来るつもりでいたが、五月上旬は入院生活と自宅での安静。六月になってしまって、早くも竹の子は若竹へと成長し、親竹と背丈が変わらないほどになってしまっている。
"竹の子の親まさり"とは言うけれど、つぶさに観察してみると、若い竹はその足元にまだ茶色い皮を残した”皮被り”でそれと分かる。茶色く厚い産着を脱ぎ捨てた途端に親と変わらぬ背丈まで成長しながらも、その足先にはまだ幼少期の名残りを留める若竹。なんとなく、うちの息子さん(18)をみる思い。彼も親より優ってくれればいいのだけれど・・・。
嵐山の「竹の道」の方が風情があるようにも感じられるが、こちらの方が雄大で広大。竹林公園へも入ってみたいが、開園は09:00となっている。それまで待ってはいられない。竹林の合間に作られた径を行くだけでも十分雰囲気は感じ得る。青い葉が頭上を覆い、冷たい風がそれを戦がせ、それに連れてその隙間にキラキラとした日差しが踊り、何処からともなく鳥の囀りも聞こえて、しんとした静寂ではないのだけれど、静謐、ココロが安らぐような気がする。様々なパターンで編まれた竹垣を観るだけでも面白い。
竹林公園から外れたところで一路大原野神社を目指す。京都の少し外れ、西山辺り。古墳も多く残り、古刹や遺物も多い。そして、山間部に向かって、じんわりと登りが続く。
以前ここにきた時(→記事参照)は、BD-1はまだフラットハンドル、18インチ、9速仕様であったが、今はドロップハンドル、20インチ、22速にアップデートされている。3年の間にそれはBD-1Rへと進化と遂げたが、さて、エンジンの方は・・・?!
京都市内と言いながら長閑な田園風景で、路も広くない。信号機がないのが救いではあるが、飛ばせる環境ではない。速度を上げる気さえ起こらないような情景ではある。今日は急ぐ必要もない。
細く曲がりくねった途を辿って、大原野神社の前に至ったのが08:00ごろ。まだ静かでヒトの気配もしない。
今日ここまでやってきたやってきた理由のひとつ。三年前、この鳥居前に自転車を停めて息を整えていた時のこと(→記事参照)。
「おはようございます」とお声を掛けて下さったのがハイカー風の母娘連れ。ワタシがよほど疲れているように見えたのか、「よもぎ餅をお食べなさい」と出来立てのお餅を差し出して下さった。摘みたてのヨモギを使った搗き立てのお餅。それが、柔らかくて優しい味で、素朴でありながら今まで味わったことがないような美味しさで、それを提供する茶店も見つけて、そこでお話しも伺って、再訪すると約しながら三年が過ぎてしまった。毎日この辺りを散策するという母娘が今もそうしているのかと気にもなるし、改めてお礼も言いたい。何よりもう一度あの草餅が食べたくて・・・。
花より団子?! それだけ絶品の草餅だったのだから・・・。
が、その前に参詣を済ませておかねばと境内へ。
784(延暦3)年に桓武天皇が長岡京へ遷都した際、その后の藤原乙牟漏が藤原氏の氏神である奈良春日社の分霊を勧請して、しばしば鷹狩を行っていた大原野に祀ったのに始まる。
850(嘉祥3)年、藤原冬嗣を祖父に持つ文徳天皇が社殿を造営。奈良春日社と同じ藤原氏の氏神を祀る大原野神社はそれに準ずる扱いを受け、二十二社に列し、1871(明治4)年に官幣中社に列した、二十二社(中七社)の一社。旧社格は官幣中社で、現在は神社本庁の別表神社。
奈良の春日社(現在の春日大社)から勧請を受けたもので、「京春日(きょうかすが)」の別称がある。
また、『源氏物語』の作者、紫式部もここを氏神と定め、この地を歌に詠み、「二十九帖『行幸』」には大原野に向かう冷泉帝の華やかで壮麗な行列の様子が描かれている。
春は桜、秋は紅葉で賑わうところ・・・ではあるが、新緑が萌える、人足が途絶えて静かなこの季節が一番清しくていいのだと茶店の方のご意見。
花時を終えた名物「千眼桜」を眺め、「青紅葉」を望み、そして・・・。
ワタシが時折り、独り京都を訪れるのは、喧騒に追われて狂ってしまった体内時計をリセットするため。
下鴨神社(賀茂御祖神社)境内の「糺の森」はその名の通り外れた生活のリズムを糺してくれる。同じように、ここ大原野界隈の閑静な緑が体調を整えてくれるような気がして。
物言わぬ植物は何より正確無比な体内時計を持つという。花開く時を知り、実を実らせる時期を識る。そして、その単純でありながらもっとも重要な情報を次の世代へと繋いでいく。その静かな営みに接することで、無意識のルバートをスコアどおりのインテンポに戻せる・・・ような気がして(ちょっとゲージュツ的な表現をしてみました。てへッ)。
とにかく、慌しさに追われ、ストレスに曝されて、昏倒するまでにリズムが狂ってしまった体内時計を正しくチューニングするには萌える緑に浸らねばならない。お花に潜むニンフたちの唄声に耳を傾けねばならない。
奈良にある「猿沢の池」を模して、文徳帝が造らせたという「鯉沢の池」、その水面一面を覆うような「睡蓮」。
水の底の土や泥に根を張り、水面に葉と花を展開する抽水植物。日中に花びらが開き、午後になると閉じてしまう。これを3日繰り返して花の寿命は終わってしまう。朝に目覚めて、午後には眠りにつく、僅かに3日の命・・・、と言っても、多くの花を水上に伸ばすその根っこは多年草らしく長い寿命を持つ。
フランス語では「Nymphéas(ニンフェア)」、学名は「Nymphaea(ニンファエア)」で、ギリシャ神話に登場する英雄ヘラクレスに捨てられてしまった妖精Nymph(ニンフ)を語源とする。その妖精は悲しみに暮れてナイル川に身を投じたという。水上に咲く可憐な花は少女の姿をした妖精が転じたもの。
一部ヨーロッパでは、水の妖精たちは人目に触れることを嫌い、人間が近づくとスイレンに姿を変えたという。あるいは、水面に浮いたスイレンの葉の下には水魔がいて、花を手折ろうとするものを水中に引き摺り込むと信じられていた。
フランス近代、印象主義の画家でなくともその美しさに魅了されてしまう。
日本にはヒツジグサ(未草)1種だけが自生するそうで、白い花を午後、"未の刻"ごろに咲かせることからヒツジグサと呼ばれるようになったとか。果たして、文徳帝や紫式部はその花を眼にしたのかどうか。
ずっと見飽きない情景ではあるが、如何せん水上のお花が遠い!! ミラーレス一眼のためにちょっと長いレンズを別に持って来たがそれでもまだ遠い。
水に浮かぶ妖精たちを愛でた後、大原野神社から法寿山正法寺に向かうが、そちらのご開門は09:00。まだ間がある。隣りにある春日不動尊や遍照塔、その前に設えられた大きな円形花壇を写真に納め、一旦大原野神社に戻る。
桜が散って、薔薇や藤がお仕舞いになって、躑躅や皐月、石楠花、そろそろ紫陽花や花菖蒲、水面には睡蓮などが見頃を迎える。
大阪市内が「オレの庭」なら、京都市内は「オレの別邸」。(自称)京都ポタリングの達人は、目的の時期を外してしまっても、花を求めてのポタリングなら不自由はしない。ヒトやクルマの多いところは避けながら、風光明媚で、それでいて、比較的足腰の負担にならないフラットなコースを思い描いてみる。
今日は時間に余裕があるが、まだまだ体調に不安を残す。無茶はするけど、無理はしない程度の道程で、竹林を抜けて、青紅葉を仰いで、咲き始めた睡蓮を探す京都輪行ポタリング。それにもうひとつお目当を加えて・・・。
阪急京都線を東向日駅で下車。ライド・モードにトランスフォームしたBD-1Rで走り出す。初夏の朝らしい眩しい日差しは降り注ぐが、身を切る風がまだ冷たい。半袖ジャージの上に薄手のパーカーを羽織っているが、それでもひんやりと感じる。
ハンドルを北に向け、京都市洛西竹林公園へ。
竹の秋・・・、親竹は次の世代を育むために自らは葉を落とし極力エネルギーの消費を抑え、その栄養を次の世代へ分与する。竹林が落ち葉で敷き詰められることから、四月の終わり頃から五月中頃にかけては「竹の秋」と呼ばれる。
その落ち葉のブランケットに包まれながら生まれ出てくるのが竹の子、筍。
その風景が見たくて、もっと早い時期に来るつもりでいたが、五月上旬は入院生活と自宅での安静。六月になってしまって、早くも竹の子は若竹へと成長し、親竹と背丈が変わらないほどになってしまっている。
"竹の子の親まさり"とは言うけれど、つぶさに観察してみると、若い竹はその足元にまだ茶色い皮を残した”皮被り”でそれと分かる。茶色く厚い産着を脱ぎ捨てた途端に親と変わらぬ背丈まで成長しながらも、その足先にはまだ幼少期の名残りを留める若竹。なんとなく、うちの息子さん(18)をみる思い。彼も親より優ってくれればいいのだけれど・・・。
嵐山の「竹の道」の方が風情があるようにも感じられるが、こちらの方が雄大で広大。竹林公園へも入ってみたいが、開園は09:00となっている。それまで待ってはいられない。竹林の合間に作られた径を行くだけでも十分雰囲気は感じ得る。青い葉が頭上を覆い、冷たい風がそれを戦がせ、それに連れてその隙間にキラキラとした日差しが踊り、何処からともなく鳥の囀りも聞こえて、しんとした静寂ではないのだけれど、静謐、ココロが安らぐような気がする。様々なパターンで編まれた竹垣を観るだけでも面白い。
竹林公園から外れたところで一路大原野神社を目指す。京都の少し外れ、西山辺り。古墳も多く残り、古刹や遺物も多い。そして、山間部に向かって、じんわりと登りが続く。
以前ここにきた時(→記事参照)は、BD-1はまだフラットハンドル、18インチ、9速仕様であったが、今はドロップハンドル、20インチ、22速にアップデートされている。3年の間にそれはBD-1Rへと進化と遂げたが、さて、エンジンの方は・・・?!
京都市内と言いながら長閑な田園風景で、路も広くない。信号機がないのが救いではあるが、飛ばせる環境ではない。速度を上げる気さえ起こらないような情景ではある。今日は急ぐ必要もない。
細く曲がりくねった途を辿って、大原野神社の前に至ったのが08:00ごろ。まだ静かでヒトの気配もしない。
今日ここまでやってきたやってきた理由のひとつ。三年前、この鳥居前に自転車を停めて息を整えていた時のこと(→記事参照)。
「おはようございます」とお声を掛けて下さったのがハイカー風の母娘連れ。ワタシがよほど疲れているように見えたのか、「よもぎ餅をお食べなさい」と出来立てのお餅を差し出して下さった。摘みたてのヨモギを使った搗き立てのお餅。それが、柔らかくて優しい味で、素朴でありながら今まで味わったことがないような美味しさで、それを提供する茶店も見つけて、そこでお話しも伺って、再訪すると約しながら三年が過ぎてしまった。毎日この辺りを散策するという母娘が今もそうしているのかと気にもなるし、改めてお礼も言いたい。何よりもう一度あの草餅が食べたくて・・・。
花より団子?! それだけ絶品の草餅だったのだから・・・。
が、その前に参詣を済ませておかねばと境内へ。
784(延暦3)年に桓武天皇が長岡京へ遷都した際、その后の藤原乙牟漏が藤原氏の氏神である奈良春日社の分霊を勧請して、しばしば鷹狩を行っていた大原野に祀ったのに始まる。
850(嘉祥3)年、藤原冬嗣を祖父に持つ文徳天皇が社殿を造営。奈良春日社と同じ藤原氏の氏神を祀る大原野神社はそれに準ずる扱いを受け、二十二社に列し、1871(明治4)年に官幣中社に列した、二十二社(中七社)の一社。旧社格は官幣中社で、現在は神社本庁の別表神社。
奈良の春日社(現在の春日大社)から勧請を受けたもので、「京春日(きょうかすが)」の別称がある。
また、『源氏物語』の作者、紫式部もここを氏神と定め、この地を歌に詠み、「二十九帖『行幸』」には大原野に向かう冷泉帝の華やかで壮麗な行列の様子が描かれている。
春は桜、秋は紅葉で賑わうところ・・・ではあるが、新緑が萌える、人足が途絶えて静かなこの季節が一番清しくていいのだと茶店の方のご意見。
花時を終えた名物「千眼桜」を眺め、「青紅葉」を望み、そして・・・。
ワタシが時折り、独り京都を訪れるのは、喧騒に追われて狂ってしまった体内時計をリセットするため。
下鴨神社(賀茂御祖神社)境内の「糺の森」はその名の通り外れた生活のリズムを糺してくれる。同じように、ここ大原野界隈の閑静な緑が体調を整えてくれるような気がして。
物言わぬ植物は何より正確無比な体内時計を持つという。花開く時を知り、実を実らせる時期を識る。そして、その単純でありながらもっとも重要な情報を次の世代へと繋いでいく。その静かな営みに接することで、無意識のルバートをスコアどおりのインテンポに戻せる・・・ような気がして(ちょっとゲージュツ的な表現をしてみました。てへッ)。
とにかく、慌しさに追われ、ストレスに曝されて、昏倒するまでにリズムが狂ってしまった体内時計を正しくチューニングするには萌える緑に浸らねばならない。お花に潜むニンフたちの唄声に耳を傾けねばならない。
奈良にある「猿沢の池」を模して、文徳帝が造らせたという「鯉沢の池」、その水面一面を覆うような「睡蓮」。
水の底の土や泥に根を張り、水面に葉と花を展開する抽水植物。日中に花びらが開き、午後になると閉じてしまう。これを3日繰り返して花の寿命は終わってしまう。朝に目覚めて、午後には眠りにつく、僅かに3日の命・・・、と言っても、多くの花を水上に伸ばすその根っこは多年草らしく長い寿命を持つ。
フランス語では「Nymphéas(ニンフェア)」、学名は「Nymphaea(ニンファエア)」で、ギリシャ神話に登場する英雄ヘラクレスに捨てられてしまった妖精Nymph(ニンフ)を語源とする。その妖精は悲しみに暮れてナイル川に身を投じたという。水上に咲く可憐な花は少女の姿をした妖精が転じたもの。
一部ヨーロッパでは、水の妖精たちは人目に触れることを嫌い、人間が近づくとスイレンに姿を変えたという。あるいは、水面に浮いたスイレンの葉の下には水魔がいて、花を手折ろうとするものを水中に引き摺り込むと信じられていた。
フランス近代、印象主義の画家でなくともその美しさに魅了されてしまう。
日本にはヒツジグサ(未草)1種だけが自生するそうで、白い花を午後、"未の刻"ごろに咲かせることからヒツジグサと呼ばれるようになったとか。果たして、文徳帝や紫式部はその花を眼にしたのかどうか。
ずっと見飽きない情景ではあるが、如何せん水上のお花が遠い!! ミラーレス一眼のためにちょっと長いレンズを別に持って来たがそれでもまだ遠い。
水に浮かぶ妖精たちを愛でた後、大原野神社から法寿山正法寺に向かうが、そちらのご開門は09:00。まだ間がある。隣りにある春日不動尊や遍照塔、その前に設えられた大きな円形花壇を写真に納め、一旦大原野神社に戻る。
鳥居横に再びBD-1Rを停めて、今一度境内へ。その参道から脇へ伸びるのが「花の寺」こと勝持寺へ至る抜け道。森の中の獣道のようで、或る日クマさんに出逢うのではないかと思うが、さすがに熊はいない・・・はず。イノシシやお猿さんくらいはいるのかしらン?
森を抜けた参道は勾配を伴って「花の寺」へと向かう。竹の落ち葉が敷き詰められたそこをゆっくりと昇れば、ほぼほぼ勝持寺の開門時間。高みまで登ったご褒美の眺望ではあるが、支払った対価、足腰への負担もそれなりに高い。
開門なって境内へ。
「花の寺」こと天台宗勝持寺は、京の西山連峯の麓にあって、小塩山大原院勝持寺と呼ばれる古刹。679(白鳳8)年、天武天皇の勅によって神変大菩薩役の行者が創建したのが始まりで、791(延暦10)年に伝教大師が桓武天皇の勅を奉じて堂塔伽羅を再建され、薬師瑠璃光如来を一刀三礼をもって刻まれて本尊とされた。
838(承和5)年、仁明天皇の勅によって塔頭四十九院を建立されたが、応仁の兵火に遭い、仁王門を除きすべて焼失。現在の建物は乱後に再建されたもの。
「花の寺」とあって、西行法師ゆかりの「西行桜」を筆頭に、春には桜、秋には紅葉が美しいところ。今はどちらも季節外れではあるが、その分観光客は少なく、静かな時を過ごすことが出来る。新緑が眩しいくらいで、葉桜さえ美しい。
冴野の沼を見下ろして、青紅葉を揺らす風を受けて、野鳥の鳴く声を聴きながら、疲れた心身をベンチに投げ出していれば身体が少し軽くなったような気がする。
最後に瑠璃光殿の宝物を拝見して、「花の寺」をあとにする。
自転車での自走距離こそ短いが歩きづらい参道を歩いて、疲れは萌える緑が癒してくれても、お腹を満たしてくれるものがない。
で、「花より団子」・・・というか、草餅。
大原野神社前の草餅こばやしを訪ねてみると・・・。
オーマイゴッドォォォ!!!! マンマミーア!!!! mon dieu!! c’est pas vrai? merde! pas vraiment!!
「本日(五月七日)で春の営業を終了致します」
まさか期間限定とは知らなかった。ましてや、まだ新緑眩しい行楽の季節・・・はもうお仕舞いということかしらン? 原料となるヨモギが尽きてしまったということでしょうか?
だから、ワタシに入院なんかしている暇はない、安静にしている時間などないと言っていたのにィィィ!!
せっかく清しい緑にココロ洗われて、いい気分になっていたのが・・・。
ならばと三度大原野神社境内へ。そこにあるのが春日乃茶屋。こちらも草団子などを商っておられたはず・・・であるが・・・。
オーマイゴッドォォォ!!!! マンマミーア!!!! (以下同文)
「6月〜8月は改装工事の為休ませて頂きます」
そういうことはSNSで事前に告知してもらわないと・・・と責めるわけにもいきますまい。
「竹の秋」だ、「青紅葉」だ、「睡蓮」だと言いながら、実は「草餅」が今回のポタリングの目的の約73.5%を占める。なんだか、一気に意気消沈。眼の前が暗くなって・・・。とりあえずハンガーノックで昏倒してしまいそうな。
せっかくだからと、開門となった法寿山正法寺へ回るが、”草餅ロス”が堪えて、「石の寺」の景観も楽しめないし、「水琴窟」の音さえワタシの耳には響かない。お庭に設えられた借景式山水庭園「宝生苑」もその庭石が象や獅子、カエルにウサギ、トリ、カメだというが、ワタシの理解が及ばない。想像力も落ちてしまったのかしらン? まだまだ修行が足りないということやね。
大原野辺りの散策を堪能したがまだ時間は早い。嵐山方面に向けて北上。往路とは逆、下りとなって快調に走り出したのも束の間。阪急桂駅近くまで来たところでハンガーノック寸前。草餅をたんと頂こうと、朝食を控えて来ているのだから当然なのだが、どうにもヤバい。山を下りきってしまうと、クルマが多くなったせいか、路面温度が高いのか、蒸し蒸しした熱気を感じる。涼風も収まってしまったらしい。
通り掛かったファミリーレストラン風のパスタ屋さんに自転車を停める。
席に着いた途端、ウェイトレスのオジョーサンがなにやら説明してくれるが、それすら耳に入らない。本日のパスタが白ネギと豚しゃぶとなんとかだというのは聞き取れたが、あとがわからない。メニューによると、パスタソースが5種類から選べて、ロングバケットのディップも数種類から選べるらしい。ファミレスらしく、スープバーとドリンクバーが付くらしい。
オニオンスープと冷たいジャスミンティーを取って来て、サラダやパスタがサーヴされるのを待つ。
全部揃ったところで実食。もちもち麺が”売り”だというが、若いヒト向けなのか、それも含めて全部味が濃ゆいめ。それでも、さすがに空腹には勝てない。ペロリと平らげて、追加でアイスティー。ようやく人心地。
お腹も満ちて、それなりに満足感を得たら、今度は疲労感と眠気が襲って来て、どうにもこの先走れそうにない。”草餅ロス”は大きいが、萌える緑に心身ともにリフレッシュ、リセットされた気はする。早々に帰宅して午睡を貪ることにしよう。
で、桂駅から阪急京都線。崇禅寺駅で下車するつもりが、どこで意識を消失したのか、西中島駅到着のアナウンスで眼が覚める(てへッ)。おかげで2㎞ばかり長く自走することになった。
本日の結果
Mx:39km/h、Av:14.50km/h、Dst:35.34km、Tm:02:25:24
次回のテーマは『ヘンシン』あるいは『茶の郷』。
ヘンシンと言っても、お手紙やメールを返す訳ではありません。
茶といっても、ドリフじゃない。郷といってもエキゾティーク・ジャポンではない。さて。
たいへんおやかましゅうございました。では、御免候へ。
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