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神話から史実へ、時空を超えた旅 [散歩・散走]

目出度さもハーフ/ハーフなオレの新春(はる)。
「おめでとう」とはまだ言えず「あけおめ」と半分にとどめる今年最初の街散歩は、神戸市立博物館で開催中の「特別展古代ギリシャ - 時空を超えた旅』」を訪ねます。

 

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7000年にも渡る「時空を超えた旅」を通じて、美と智に溢れる古代ギリシャ文明を体験することが出来るという国内史上最大級のギリシャ展が、神戸市立博物館で、2016年12月23日から2017年04月02日を会期として開催中。ギリシャ国内40ヵ所以上の国立博物館群から厳選された325件に及ぶ古代ギリシャの貴重な作品を展示し、そのうち9割以上が日本初公開であるという。

昨年末まで、やれ、印象主義(impressionnisme)か象徴主義(symbolisme)か、フォーヴィスム(fauvisme・野獣派)かキュビスム(Cubisme・立体派)かと、フランス近現代にどっぷりだったのが、年が改まった途端に古代ギリシャでは飛躍し過ぎ?!

でも、ね。

十九世紀後半〜二十世紀初頭のヨーロッパ、就中おフランス古代ギリシャと不思議な縁で結ばれて、ワタシが"音楽宇宙の創造神"と崇め奉るクロード・ドビュッシー(Claude Achille Debussy 1862年08月22日 - 1918年03月25日)もその神話めいた文明と深ァく結ばれておられる。

ドイツの考古学者ハインリヒ・シュリーマン(Johann Ludwig Heinrich Julius Schliemann 1822年01月06日 - 1890年12月26日)が、ギリシャ神話に登場する伝説の都市トロイアが実在すると考えて、無許可で発掘調査を開始したのが1870年。「プリアモスの財宝」を発見し、伝説のトロイアを発見したと喧伝したのが1873年。
良くも悪くも、霞みがかった神話が白日の下に晒され、歴史の1ページが書き換えられた。

そして、ギリシャといえば「オリンピック」!?

「ラ・ソルボンヌ (La Sorbonne)」ことパリ大学に於ける会議でピエール・ド・クーベルタン男爵(Pierre de Frédy, baron de Coubertin 1863年01月01日 - 1937年09月02日)が、古代ギリシャ・オリンピアの祭典をもとにして世界的なスポーツ大会を開催する事を提唱。それが決議されて、第1回の「近代オリンピック」がアテネで開催されたのが1896年。因みに、「第2回 近代オリンピック」は19世紀末の1900年、パリでの開催。

まァ、トルコから独立を果たしたギリシャが独自で「復活オリンピック」を開催していたのに乗っかっただけ・・・なのかもしれないけれど、幾許かの平和を求めて、競技会開催中は全ての戦さを放棄してスポーツで優劣を競おうとした古代オリンピアに肖ったのだろう。

まァ、ねェ。
「ベル・エポック(Belle Époque・良き時代)」と呼ばれる一方で、フランス革命以後は帝政と共和政がコロコロくるくる入れ替わる内政の不安定な状態が続いていたり、隣国プロイセン王国との間に「普仏戦争(1870年戦争)」が起こったり、それに敗れて財政的に破綻しかけたり、列強国が挙って帝国主義に向かいアジアやアフリカなどを植民地化する中で「仏泰戦争」を始めとする争いが繰り返されたり・・・。無益な戦争をやめてスポーツで競おうと、多少の政治的経済的な魂胆も含みつつも、「良き時代」に相応しい平和を希求しないではいられなかったのだろう。

オリンピックだけではない。

三大悲劇詩人(アイスキュロスソポクレスエウリピデス)が残した作品を始めとするギリシャ演劇は、詩と音楽と舞踊の総合芸術として、後世まで多大な影響を及ぼし、近現代のヨーロッパでもそれを範とし、演劇界だけにとどまらず、文学、絵画や彫刻、そして音楽、舞踊、広く芸術の裾野まで広がった。

文化の根底、言語を顧みても、「音楽」は英語でMusic、フランス語ならMusique、ドイツ語がMusik、イタリア語とラテン語がMusicaとなるが、それらはギリシャ語の「Mousike」が語源で、ギリシャ神話に登場する文芸を司る女神たちムーサ(Μοῦσα, Musa)まで遡ることが出来る。ムーサが転じて、英語やフランス語のミューズ(Muse)となり、Mousike・・・MusicMusiqueとは音楽や詩作などミューズの恩寵に与る人間の営みを表す。

美術館や博物館を意味する「ミュージアム」(羅・英・獨:Museum、仏:Musée、伊:Museo)も同じ。
ハーモニー(調和・harmony)」は、ギリシャ神話の調和の女神ハルモニアー(Ἁρμονία,Harmoniā,Harmonia)から。

リズム(律動・rhythm)は古代ギリシャに生まれた概念で、リュトモス(ῥυθμός,rhythmos)を語源とし、それは物の姿、形を示すのに一般的に用いられた。

「メロディ(旋律・melody)」の語源はメロス(μελος,melos)、手足、四肢を表した。

管弦楽(団)を意味する「オーケストラ(Orchestra)」も古ギリシャ語の「オルケーストラ(ορχηστρα)」から。こちらは、舞台と観客席の間の半円形のスペース(オーケストラ・ピット??)のことであった。

で、合唱隊(chorus)は、古代ギリシャ劇の合唱隊コロス(χορός, koros)が由来。

芸術関係者、分けても音楽家はギリシャに足を向けて眠ることは出来ない?!

そして、ドビュッシー

若き日のドビュッシーは御多分に洩れずヴァグネリアンで、リヒャルト・ヴァーグナー(Wilhelm Richard Wagner 1813年05月22日 - 1883年02月13日)の楽劇に心酔し、聖地とも言うべきバイロイト祝祭劇場へも詣でた。その壮大な歌劇の背後にギリシャ悲劇を透き見したのかもしれない。

ヴァグネリスム(Wagnerisme)から脱却後は、象徴主義詩人たちとの交際の中で、ステファヌ・マラルメ(Stéphane Mallarmé 1842年03月18日 - 1898年09月09日)が著した『半獣神の午後(牧神の午後・L'Après-midi d'un Faune)』に感銘を受けて、出世作となる『「牧神の午後」への前奏曲(Prélude à "L'après-midi d'un)』を作曲したのが1892年から1894年にかけて。

ドビュッシー自身がギリシャ神話に惹きつけられたのかどうかは分からない。恐らく、意味が取れなくなるのも厭わず韻を踏むことに重きを置いたマラルメの詩篇から感じる律動、その音楽的な響きに対する献辞としてプレリュードを書いたのだろう。

しかし、それ以後もギリシャ神話を材源とし、その「前奏曲」と相前後する時期にポール・ヴェルレーヌ(Paul Marie Verlaine 1844年03月30日 - 1896年01月08日)の「艶なる宴(Fêtes galantes)」をもとに作曲された「歌曲集『艶なる宴』第2集」にも『牧神』という表題が見られる。この詩集は、ドビュッシーだけではなく、ガブリエル・フォーレ(Gabriel Urbain Fauré 1845年05月12日 - 1924年11月4日)やモーリス・ラヴェル(Joseph-Maurice Ravel  1875年03月07日 - 1937年12月28日)にも影響を与え、それぞれが歌曲としている。
1897年から1898年にかけて、ピエール・ルイス(Pierre Louÿs 1870年12月10日 - 1925年06月06日)による1894年発表の散文詩集『ビリティスの歌(Chansons de Bilitis)』から3篇の歌曲を書いている。
その詩集は、"サッポーの同時代、紀元前6世紀のギリシャに生まれた女流詩人ビリティスによる詩をギリシャ語から仏蘭西語訳した"として発表された、146歌の散文詩からなるもので、少女時代から死に至るまでの間に書き残した詩篇が19世紀になって発見された、ということになっていたが、これはルイスの虚構で、ルイス自身が19世紀末に書き起こしたもの。
ドビュッシーが書いたその歌曲は、1900年に「付随音楽『ビリティスの歌』」へと発展し、晩年となる1914年には「ピアノ連弾『6つの古代碑銘』(Six Epigraphes antiques)」へと改められている。

そこにも牧神パーン(Πάν, Pān)が登場するが、ドビュッシーがその半獣神に惹かれたというより、多情・多産の象徴であるパーンに取り憑かれたのではあるまいか。

女性関係のトラブルも絶えなかった彼は今でいうところの"ゲス不倫"を再三再四、ピストル自殺(未遂)事件にまで発展して、そのスキャンダルのために一時パリから離れざるを得なかったほど。しかし、彼が悪いわけではなくて(?)、ある時から、彼の胸の中にパーンの吹く笛の音が響いて、それが彼を突き動かしたのだ・・・と弁護しておく。ビリティスが体験した奔放な恋愛が彼を共感せしめたせいかも知れず。

牧神だけではなく、1897年から1899年にかけて作曲された『夜想曲(Nocturnes)』にはシレーヌ(Sirènes)が登場するが、それはギリシャ神話に語られる海の怪物セイレーン(Σειρήν, Seirēn)のこと。

1904年に作曲されたピアノ独奏曲『喜びの島(L'Isle joyeuse)』はジャン・アントワーヌ・ヴァトー(Antoine Watteau 1684年10月10日 - 1721年07月18日)の絵画作品『シテール島への巡礼(Le Pèlerinage à l'île de Cythère)』からインスピレーションを得ているが、これはエーゲ海に浮ぶ小島が舞台。神話では愛の女神ヴィーナスの島とされるが、ローマ神話ウェヌス(Venus・ヴィーナス)はギリシャ神話アプロディーテー(ΑΦΡΟΔΙΤΗ, Ἀφροδίτη, Aphrodītē)と同一。前述のヴェルレーヌの詩集「艶なる宴」にも『シテール』が収められている。ドビュッシーがイメージしたのはヴァトーの絵画かヴェルレーヌの詩篇か。

醜聞の的となったエンマ・バルダック(Emma Bardac 1862年 – 1934年)との"ゲス不倫"。その後正式に再婚し、愛娘"Chouchou"ことクロード=エンマを得るが、彼女が3歳になった1908年に作曲したのが「ピアノ組曲『子供の領分』(Children's Corner)」。その第1曲が『グラドゥス・アド・パルナッスム博士(Doctor Gradus ad Parnassum)』で、これはムツィオ・クレメンティ(Muzio Filippo Vincenzo Francesco Saverio Clementi 1752年01月23日 - 1832年03月10日)作曲の練習曲集「グラドゥス・アド・パルナッスム(Gradus ad Parnassum・パルナッスム山への階梯)」のパロディで、パルナッスム(Parnassum)とは前述の女神たちムーサが暮らす山の名前パルナッソス山(Παρνασσός,Mount Parnassus)のラテン語読み。クレメンティ(の練習曲)を皮肉りながらも、ドビュッシーにとって、最後のミューズは愛娘シュシュだったのだろうか?

1909年12月から年を跨いだ約二ヶ月ほどで書き上げた「前奏曲集(Préludes)」。その『第1巻・第1曲』は『デルフィの舞姫(Danseuses de Delphes)』で、デルフィ(Δελφοί / Delphi)とは古代ギリシャの聖地デルポイの現代の呼び名。パルナッソス山の麓に位置し、古代ギリシャ世界では"世界のへそ"とも呼ばれた都市(ポリス)。ギリシャ最古の神託所でもあって、「デルポイの神託」は神話「オイディプス伝説」にも登場し、神意のこもった詩を詠んだのがそこでシビュラ(σίβυλλα,Sibyl)と呼ばれた巫女たち。
最晩年の傑作、フルート独奏曲『シランクス(Syrinx)』もパーン絡み。シランクスとは、ギリシャ神話ニュンペー(Νύμφη,Nymphē,Nymph・ニンフ)にして狩猟・貞潔の女神アルテミス(ΑΡΤΕΜΙΣ, Ἄρτεμις, Artemis)の従者、精霊シュリンクス(Συριγξ、Syrinx)のことで、その下級女神は牧神パーンに見初められ、その魔手から逃れるうちに川辺で葦へと変身し、それを手折って葦笛"シュリンクスパンフルート"としたものがパーンの代名詞となった。

ヴァグネリスム脱却から晩年まで、可哀想な精霊の最期の歌声がドビュッシーの音楽を支配し続けたということか。
古代ギリシャで芽吹いた芸術、それを源流として近現代のフランスまで連なる大河。

パン(パーン)といえば、あの「ピーター・パン(Peter Pan)」が生まれたのもこの時代。
英国の作家、サー・ジェームス・マシュー・バリー(Sir James Matthew Barrie, 1st Baronet, OM 1860年05月09日 - 1937年06月19日)が生後間もない幼子ピーターを『小さな白い鳥(The Little White Bird)』に登場させたのが1902年。広く知られる少年ピーター・パンの姿となったのは、1904年初演の戯曲『ピーター・パン:大人になりたがらない少年(Peter Pan, or The Boy Who Would Not Grow Up)』から。

セルゲイ・ディアギレフ(Серге́й Па́влович Дя́гилев 1872年03月31日 - 1929年08月19日)が、彼が主宰するバレエ・リュス(Ballets Russes)のための音楽をモーリス・ラヴェルに依頼。ラヴェルが、同バレエ団の振付師ミハイル・フォーキン(Михаи́л Миха́йлович Фоки́н 1880年04月23日 - 1942年08月22日)と台本の打ち合わせを始めるにあたって底本としたのが古代ギリシャの作家ロンゴス(Λόγγος,Longus 生没年不詳)が書いたとされる『ダフニスとクロエ(Ποιμενικά κατά Δάφνιν και Χλόην)』。ラヴェルがバレエ音楽、後に管弦楽組曲とした『Daphnis et Chloé』、バレエは1912年初演、管弦楽組曲もその前後に初演された。その中にも、ほぼ全編を通じてパーンが登場する。
2世紀末から3世紀初め頃の古代ギリシャで書かれた恋愛物語は、フランス画壇でももはやされて、マルク・シャガール(Marc Chagall 1887年07月07日 - 1985年03月28日)やピエール・ボナール(Pierre Bonnard 1867年10月03日 - 1947年01月23日)、ラファエル・コラン(Raphael Collin 1850年06月17日 - 1916年10月21日)も画題としている。

19世紀末から20世紀前半のトレンドが「ギリシャ」だったのか、半獣神パーンがその通力を持ってして近代ヨーロッパを魅了せしめたか。
パーンは「パニック(panic)」の語源でもあって、その半獣神が荒れると恐慌、混乱が生じると言われる。その多情な古代神を鎮める鎮魂歌でもあったのか。

大革命以後、全てに渡って変革を求めたフランス
中世の支配的な制度を嫌って、ヨーロッパの基礎が出来た時代を完全否定してしまったのか。
芸術においても、ヴァーグナーで大成を見たロマン主義と離別するために、その源流である古代ローマよりもっと旧い時代に原点を求めたのかもしれない。度重なる政変、クーデターから発展し近隣諸国へと広がった戦乱を嫌って、大らかに自由を謳歌出来た時代への思慕、あるいはオマージュでもあり、まァ、獨澳圏への反発でもあったのかしらン。

芸術の都パリの、近現代芸術の中心地はモンパルナス(Montparnasse)。もちろんその呼び名は、前述のパルナッソス山に肖ったもので、17世紀ごろ、多くの学生たちが集い、詩の朗読会などが催され、大革命の頃には歓楽街となった。20世紀の始め、狂騒の20年代、エコール・ド・パリ(École de Paris)の時代には、それまでセーヌ川を挟んだ反対側にあるモンマルトル(Montmartre)に集まっていた芸術家たちが観光地化・高級住宅地化したそこを嫌ってモンパルナスへと移り住むようになって、それを慕って世界中のアーティストが聚合することとなった。その錚々たる顔ぶれを数え上げたらキリがない。

古代ギリシャパルナッソス山は文芸の女神たちムーサが暮らし遊ぶところ。パリパルナス山は多くの芸術家と、彼らがミューズとした女性たちが集い遊ぶところ。日毎夜毎に神話、伝説が産まれた場所。


♪パルナス、パルナス、モスクワの味ィ〜♪(あれッ?)


そして、ドビュッシーと親交があった象徴派の詩人たち、彼らはロマン主義象徴主義との狭間では高踏派を名乗っていたが、それは高踏派詩人の雑誌『現代高踏詩集(Le Parnasse contemporain)』に由来し、パルナス(Parnasse)と呼ばれた。
またしても、パルナス・・・、モスクワの味パルナッソス
文芸の女神に愛された詩人たち。ドビュッシーもそのお裾分けに与ろうとしたのでしょうね。ミューズに愛されることを願い、自らのミューズを追い求めて・・・。「ロマンスがありあまる」ことに疲れて、より文学的で哲学的なエクリチュール(écriture)の高みを目指し、「私以外私じゃないの」な状況で、「両成敗」????

とにかく、かくも古代ギリシャ(あるいはギリシャ神話)とフランス近現代芸術とは密接な関係。それは、”ゲス”な交渉にあらずして、崇高でフィロソフィカルな結びつき。
古代ギリシャを知らずに、ギリシャ神話を知らずして、フランス近現代芸術は語れない!?

シュリーマン以後もギリシャでの発掘調査は進み、 各年代の遺跡が発見され、古代エジプトと並んで古代ギリシャはちょっとしたトレンドとして扱われもしたのだろう。神話が史実となって、「クラシック時代(前480年〜前323年)」に作られた演劇が再評価されたのかもしれない。
・・・と、ドビュッシーフランス近現代を語り出すと長くなる。古代ギリシャにタイムワープしなければ・・・。

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古代ギリシャ」と一括りにしてしまっているが、紀元前3000年頃から前300年頃までの長い時間に、小アジア・トロイアからクレタ島・クノッソス、ペロポネソス半島のミケーネエーゲ海、暗黒時代を挟んでマケドニアローマ帝国の支配を受けるまで、広い範囲に幾多の文明が興っては歴史の中に埋もれていった。それを8つの章に分けての展示となる。

第1章 古代ギリシャ世界のはじまり(前6800年〜)

第2章 ミノス文明(前3000年頃〜前1100年頃)

第3章 ミュケナイ文明(前1600年頃〜前1100年頃)

第4章 幾何学様式〜アルカイック時代(前900年頃〜前480年)

第5章 クラシック時代(前480年〜前323年)

第6章 古代オリンピック
第7章 マケドニア王国
第8章 ヘレニズムとローマ(前323年〜)

石器時代から始まって、歴史の教科書みたいだぞ。

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神戸市立博物館の一階ロビーから三階特別展示室まで広く使って、8つのコーナーとしたエキシビション。
金貨や銀貨、金やビーズで作られたネックレスやイヤリング、ボタンや帯など装身具、粘土で造られた人形や器類、鉄や銅製の刀剣や武具、大理石を削り出した人物像やレリーフ、医療器具や古代文字が刻まれた粘土板まであって、小さなものも多いが、さすがに300件はすごいヴォリューム。

ギリシャ演劇に関するものは、「第5章 クラシック時代(前480年〜前323年)」にあって、それに使われた仮面や劇中の人物を模った小像などなど。

「第1章 古代ギリシャ世界のはじまり(前6800年〜)」の頃はごくごく素朴な風合い。それが時代を経るごとに精緻な仕上がりへと進化するのが明らかに分かる。なにせ六千年の隔たり。
圧倒するようなものはそれほど多くもないのだけれど、遠い時間の向こうに、神話や伝説ではなく史実としての古代ギリシャ人の生活があったと教えてくれる。
血中フランス人濃度128%なワタシとしては、縄文土器や遮光器土偶よりも懐かしく感じてしまう!?

興味をもって長い時間見入ってしまったのはフレスコ画。そのシンプルな線画はどことなくジャン・コクトー(Jean Cocteau 1889年07月05日 - 1963年10月11日)が描く絵画にも似て、思わず親しみを感じてしまう。オルフェ(オルペウス・Ὀρφεύς,Orpheus,Orphée)やオイディプース(Οἰδίπους,Oidipūs,Oedipus)、ギリシャ神話ギリシャ悲劇を材源とした彼もどこかでこれらのフレスコ画を観た・・・のでしょう。要研究?!

温故知新というけれど、古代ギリシャを知ることで、フランス近現代の芸術を深く認識することが出来た・・・かなァ?! 神戸まで足を運んだ甲斐はあったものの、それはワタシが知りたいことの一断片に過ぎない。昨年末に観たクロード・モネ(Claude Monet 1840年11月14日 - 1926年12月05日)やマリー・ローランサン(Marie Laurencin 1883年10月31日 - 1956年6月8日)の作品と合わせても、まだまだ足りない。ようやく具材が揃って、さてお料理にかかりましょうという段階?!
煮るなり焼くなり、美味しく仕上がるのはいつになることやら!!!?


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